4.氷の微笑
「まだやるんですかぁ? これ」
「…………。」
カリカリ、カリカリ。
静まり返った部屋の中で、本来なら聞こえるような音ではない、小さな音だけが只管聞こえる。
時折それは速くなったり、ゆっくりになったりと。
大きめの机だが、紙の山が幾重も連なっており「白い氷山」のような光景の奥に微かに見える人影。
そんな塊の氷山が二つ。
「何でこんなに溜め込んだのですかぁ。もう」
「………。」
春と言ってもまだ早春。桜が咲くにはもう少しかかるこの時期。夕刻にもなれば少し肌寒さも感じてくる。
「あとどのくらいで終わりそうだ?」
「……終わると、お思いですか?」
「…………。」
そして、また静かな沈黙が続く。それから1時間程たった頃、あの伽羅の薫が何処からともなく仄かに薫ってきた。
『来た!』
「おや、思ったより早く進んでいますね? 凛花?」
『来た! 夕餉』
「君達失礼じゃないかい? 皇弟にむかって?」
ニヤニヤしながら光様が少しむくれ面である。
『いったい誰のせいでこんなことになっているとお思いですか?』
うん。息ピッタリだ私達二人
──話は少し前に遡る。
私が「辞令」を受け取る為に初めて登庁した日、案内された執務室で小さな事件が発生した。
ドアを開けた瞬間に、机の上にあった書物の山に雪崩が起きたのだ。
その責任を? 追求され今に至っている。
そもそも何故私に責任が? 何度も言うが辞令を受け取りに行っただけだ。
トイプー殿の泣きすがるような目を、足蹴りして逃げるわけにもいかず、仕方なく手伝ってやっているのだが、遅すぎやしないか? コイツ書類捌くのが。
今行っている作業は、山積みになっている未分類の書類を「重」「中」「軽」「急」の4種類に分けている。「急」は当然至急取り組まねばいけない「急務案件」だ。緊急ではないが、重要な案件を「重」それ以下を段階別に仕分けしている。
たったそれだけの作業だが、この茶髪ときたら紙に書かれている内容を一から全て読んでいる様子だ。
馬鹿か? 何百枚、いやこの量だと何千、これからも日々増えて行くことを考えたら、下手したら何万に上る量だ。それを全て一枚づつ読んでいたら、何時間、何日あっても終わる訳がない。
受験と同じだ。膨大な範囲から出される問題は極一部だ。でもその一部は殆ど満点に近い状態でなければ合格は無理だ。ならばどうすれば良い?
整理整頓だ。その整理整頓が素早く適切にそして綺麗に出来る! が、成績向上の最大条件だと私は思っている。ピースをただバラバラに集めていては、いつまでたってもパズルは完成しないのだ。
惟光様は基本的には賢い。地頭は賢い部類に入る。ただ、少々大雑把で細かいことは苦手なようだ。
まぁ言い方を変えると「脳筋」である。
武官の出であるので、文字の整理整頓は慣れてない様子だ。
「あらあら、惟光さん、君の分はあまり進んでないようだねぇ? 私の分は随分減ったようだねぇ?」
目の前の美人様が何かほざいている。時にあまりにも美しい人を見ると、憎しみが湧くのは、それは単純に愚民だからだろうか?
それとも、育ちの悪さでしょうか? ねぇ? そこのお兄さん? 手伝いなさい!!
『これ全て貴方様の分で御座います!』
皇弟殿下ともなると、毎日優雅にお茶会でも開き、雅な世界で音楽や詩に興じているのかと? 少し思っていたが、実際には恐ろしい程の仕事量であった。
全ての政の決定、優先順位や施工許可等を、ほぼこの御方が下していることに驚いた。その手足となるべく各省庁があるのだが、その長官が如何せん……な者が多いらしく、結局はこの御方が仕切っているそうな。
流石にこのままではもういけない。と二人で話し合った結果、手伝いを雇うことに決めたそうだ。
その白羽の矢が立ったのが私だったと言うことだ。
「光様、そこのお茶を淹れて貰っても良いですか?」
「殿下、濡らさないでくださいよ? 折角仕分けした分を?」
「わかったよ……」
良いのか? これって?
確か、御名を御呼びするだけでも御法度な、やんごとなき御方だったような?
ま、いっか。本人が率先してやってるんだから。
いそいそと二人に茶を淹れるやんごとなき御仁は、嬉しそうに終始ニコニコしていた。
「あ、光様、煎餅そこに置いといて下さい。一段落したら食べるんで」
「あ、そんなことをしに来たのではなかった」
私は驚いて声の主の方をすかさず見た。
それは私だけでなく、もうひとりのトイプー殿も同じであった。
「凛花さん、やってくれましたねぇ」
やんごとなき御方が何故か?
苦笑いしている。
早くない? 私が陳情書を出したのって昨日の退勤後、寮に帰る前だよ?
宮勤めになってから養夫婦宅を出て、宮殿敷地内(内宮勤務者用寮)に引越しした。
とは言え、実家である料理屋は修練場の門を出て直ぐの所にある。
「な、何のことでしょうか?」
声が幾分普段より上ずっているのが自分でもわかった。
「どういうことか説明してもらいましょうか? 凛花ちゃん?」
そう言いながら、後光様は手に一枚の紙をピラピラさしながら微笑む。
──ただしその目は笑ってはいない。
本物の美人って怖さも比例することにこの時初めて知った。
今日は暖かな小春日和だったが、部屋の温度が一気に下がり、南極大陸に居るような気持ちだった。まぁ南極に行ったことがないから分からないのだが……
きっとそれぐらいの体感と言えばわかってもらえるだろう。
一瞬の寒気に、中将様も腕をさすっていたが、きっとこれが初めてはないのだろう。
特に何も言わず、出口のドアにそそくさと向かおうとしていた。
「右大臣中尉」
低く、腹の底から出たような声が短くした。
トイプードルの耳がシュンと垂れて、お座りをした風貌の中将様が、ドアノブから手を離し、すごすごと戻ってきた。
ヤバイ? これはやらかした?
いくら多少仲良く? いや打ち解けたような? 気がしたと言っても、片や皇位継承権第二位の皇弟君、そこに小さく丸まって座っている方も、姉を皇后に持つ国内最高位臣下だ。
そんなやんごとなき方相手に直接手紙、いや直訴状? 私としては嘆願書のつもりではあったが、そもそも平民がやんごとなき御方に「願い事」をするのが許されるはずがない。
分かってはいたが……
だって、ここのお菓子どれも不味いし、可愛くないんだもーーーーーーん!!
しかも、ここの食事って不味い。
作業自体は丁寧に全てされているのが素人の私が見ても直ぐにわかるほど、雅で美しい。
でもそれだけだ。問題は……
如何せん味が……クソ不味い。薄いのだ。
どの料理も少しの塩味と出汁の味のみで、病人食か? と言うぐらい薄味だ。健康の為には良いのかも? だが、これでは働き盛りの若人や、武官などの体力勝負の仕事の者は物足りないのでは? と思った。
で、「提案書」を提出してみたのだが、提出先が分からなくて帰りに「大臣行き」の箱に入れたのがミスったか? 中将様宛の箱だったはずだけどなあ? ちゃんと「大臣行き」って書いてあったはずだが??
後光様に手招きされて、私と中将様は長テーブルのソファに座った。
後光様は、テーブルの上に私が「大臣行き」の箱に入れたはずの紙を広げて置いた。
当然内容は読まなくてもわかる。だって自分で書いた物だから。
「あちゃぁー」
トイプードルが小さな声で両手を頭にあてて嘆きながらボソっと言った。
あ、やっぱり平民が直訴は御法度ですか? 打ち首拷問は嫌です……まだ生きたいです。
とりあえず謝ろう! 素直に謝れば仲間? いや少し知り合いのよしみで減刑してくれるかも?
「申し訳御座いませんでした!」
私はソファからすっくと立ち上がり深々と頭を下げた。45度のお辞儀より深いのでは? ぐらいの勢いで。膝裏がプルプルする……つりそう。
でも今はそんなことを言っている場合ではない。
生きるか、死ぬかの瀬戸際だ。
「ハハハッ、凛花さん。座りなさい」
後光様が少し笑いながら言った。
いつもの声だ!
「先ず一つの間違いね。凛花がこれを入れた箱には何て書いてあったかい?」
はて?
「大臣行き」だったような? 私はゆっくり答えた。
「「大臣行き」と書いてあったと思うのですが?」
「箱が何個あったか覚えているかい?」
??
確か正面に1つと、後ろに1つ? で合計2つだったような。
そのままを答えた。
「なるほどね。それは仕方ないね。多分昨日午後に箱を開けた者が置き場を間違えたのだろうね」
??
何のことを言っているのか分からない私に、中将様が謎解きをしてくれた。
「いいかい? 凛花さん。「提案書、報告書」を入れる箱がある所は、昨日君が行った場所であっている。情報部の部屋前だ。ただそこには箱は本来一つしか置いていないんだ」
え? 1つ? 2つあったけど???
私の? な顔に頷きながら中将様が続けた。
「箱の面には「大臣行き」と書かれている。大臣は二人しか居ないからねぇ、直接こちらの執務室に届けられない慣例になっている理由は伝えたよね?」
それは、登庁最初の日に教わった。国のツートップ、いわば政を行っている者へ、直接会って書状を渡す時に便宜をはかってもらいたく金品を同時に持ち込む者が居たり、中には女性を等と、あの手この手を使い所謂「賄賂」を渡そうとする者を防ぐ為だ。
あと、内密に私欲の願い事や、秘密の願い事が出来ないように、すべては一旦平等に「箱」に入れて「情報部」の検閲を受けてから両大臣の元へやっと渡ってくるのであった。
その話だと箱に入れてから、中将様の元に届くまでには、四〜五日以上はじゅうぶんかかる? と思っていたのだが。
しかも中将様の元ではなく、なぜか光様のところに?
中将様を通り越して? 中将様も私が「提案書」を入れたことを知らない様子だったし……
「情報部の人間が置き忘れたみたいだねぇ。ちょっと困った方々ですね」
「は、誠に申し訳御座いませんでした。私よりきつく言っておきますゆえ、何卒……」
中将様は、すっとソファより一旦立ち上がり片膝を床につけ、臣下の礼の中でも最敬礼の姿を取った。
「惟光、立ちなさい」
「はっ」
中将様はすっくと立ち上がりそれでも、手を組み礼をした姿は崩してはいなかった。
「凛花、今回のことは箱を管理している者達の誤りではあるが、君もちゃんと確認はしないとね? 凛花が入れた書状は私宛に直通の「大大臣行き」の箱だよ」
そう言って光様はちょっと残念そうに苦笑いされた。
はっ! そういえば「箱」の大きさと色が違った!
「ただ、惟光? 私直通の「大大臣行き」箱の存在を、ちゃんとお前は凛花に予め教えていたのかい?」
「……誠に申し訳御座いませんでした殿下」
「まぁ今回のことは、まだここに慣れない凛花に対して我々の注意不足もあっただろうから、今後このようなことが起こらないように、対策をせねばだな。名前変えるかい?」
そう言って、光様はソファに深く腰掛けられた。
「で、その件はまあ、良いとしてだ」
そう言って、いつものにこやかで、それでいて気品のある佇まいと所作でお茶を一度口にし、光様が話しだした。
「実は、ここに書いてある内容だが」
そこまで言って何故か、一旦沈黙になり、腕組みを殿下がしたのだ。
え? 私何かヤバイこと書いたっけ?




