2.月の妖精
──ある日のお昼の忙しい時間も過ぎ一旦閉めようとした頃、一人の見慣れたイケメン様が店に入って来た。
「実は今日来たのは、凛花ちゃんに折り入って話があって来たのだ。少し話せないかい? 内儀殿と李俊殿もご一緒に」
はて?
普段、中将様はこの夫婦を「内儀」や「李俊」とは呼ばない。
いつも皆と同じように「女将さん」「亭主」と呼んでいる。
ちなみに、私も忘れてかけていたが「李俊」が熊男の本名である。
中将様の問いに、私は拾い主夫婦の顔を見た。二人は「承知」との意で中将様に頷いていた。
それを確認した私は中将様に軽く会釈をして答えた。
「わかりました」
私の了承の答えに中将様は柔らかな笑顔を此方に向けた。
日差しを受けた茶色い髪は金色に光って見え、比較的色白の小顔に、クリクリの茶色い大きな瞳がキラキラしている。
うん。今日もイケメンありがとう。
ただ、私の好みはと言うと、どちらかと言うともっとスッキリした細面な感じの美丈夫が好みだったりする。
髪は黒髪の色白、鼻筋はスゥッーと通った、一見冷たそうにも見える少し中性的な妖艶さがある男性が好みだったりする。
そんな冷たそうな男性がたまに見せる笑顔が……また。
この時代で言うなら「いとおかし」と言うのだろうか? と思ったが、この手の話をしていたら何時間もになりそうなのでここら辺りで止めておこう。
◇
「お待たせしました。閣下、どうぞこちらの奥の部屋へ」
女将さんが中将様を奥へ案内した。
中将様は上衣の懐より、手紙のような物を女将さんの前に出した。
女将さんがそれを受け取り、中身を開けて読む。
そして一瞬眉尻が上がったが、すぐにいつもの柔らかな優しい顔に戻り、その手紙をそっと熊男に渡した。
熊男も読みながら先ほどの女将さんと同じ表情、一瞬眉が上がり鋭い眼光となったが、暫くすると普段の呑気な熊のような大男に戻った。
熊男が読み終わり、手紙を私の前にそっと置いた。
私は少し驚き中将様の方を見た。
中将様は、にっこり微笑んでいた。
──これは。
いったいどういうこと?
と言うか、何を考えている?
馬鹿なのか?
どこの馬の骨かもわからない、素性もわからない。
ましてやこの世界の人間ですらない私に、頭がおかしいのか? この人は?
と、しか思えない内容であった……
──この国の行く先が少し不安になってきた感があるのは私だけだろうか……
「どうだい? 凛花ちゃん、一度受けてみてはどうだろうか?」
中将様はにっこり微笑みながら、いつもと変わらない口調で言った。
受けてみる? 一度?
一瞬、目眩がしそうになった。
肝心の手紙の中身はというと。
──おおまかに言うと、私を「右大臣付きの秘書官」として召し上げる。
と、言うものだった。
何度も言うがこの国に「大臣」とつく位の者は二人しかいない。
そのツートップの秘書に、何処の馬の骨かも分からない小娘を充てがおうとしているのだ。
とても正気の沙汰とは思えない話である。
内閣制度が無いこの国での最高権力者は当然、今上帝になる。
だが実際に政を行っているのは太政大臣宰相様である。内閣総理大臣の位置だ。
太政大臣宰相様は、この茶髪イケメン様のお父上にあたる。
なんとまぁ、親子でこの国のすべてを決定しているのだ。
その中でも一番驚いたのは今上帝の后様、皇后陛下は太政大臣の御息女。つまりこの茶髪イケメン様の姉上にあたるのだ。
そんな、やんごとなきお家柄の「お坊ちゃん」様の直属の秘書官に、私を推薦してきたのだ。
ただの秘書ではない。「秘書官」である。当然ツートップともあろう方に秘書が一人のわけがない。
その数多の数の秘書の取締役のお役目が「秘書官」である。
馬鹿か?
君等は?
何度も言うが私はこの国の、いやこの世界の人間ですらないのだ。
ただ、いつまでもこの夫婦の好意に甘えている訳にもいかないと私も思っていた。
そろそろ金も少しは貯まってきていたので、自立せねばなぁ。とは思っていたが、今の環境があまりにも居心地が良すぎるのと、この夫婦のあまりにもの人の良さについつい甘えてしまっていた。
そして手紙には受験するにあたって、たった一つだけ条件を添えられていた。私を「正式にこの夫婦の養女としてむかえること」と書いてあった。
「私達は、凛花さえ良ければいずれは養女、いや娘としてむかえ、私達の娘としてこの家から嫁に出してやりたい。と考えていたので最後に書いてある条件に関しては何ら問題はないよ? どうだい? 凛花?」
熊男が珍しく真面目な眼差しで私の目を真っ直ぐに見て、低い声でゆっくりと言った。
普段は恥ずかしいのか? 女将さんの手前か? 私と話す時は直ぐ冗談を言ったり、茶化したりと、賑やかな口調な男だったが、こんな真剣な眼差しを真っ直ぐ向けられたら、それ相応の対応もこちらもしなくてはいけない。
……困った。
でも、この世界の居場所を与えてくれた、いや、これから与えて貰えるかも? と思う安堵と、これでこの夫婦への恩を少しは返せるかも? と思う気持ちが、今の私には抑えることが出来なかった。
「わたくしで良いのでしょうか」
私は普段より少し低い声でゆっくり下腹に力を入れて背筋をピンの伸ばし、中将閣下の目を真っ直ぐに見て言った。
「試験は十日後の十時からだ」
中将閣下は私の目を真っ直ぐに見て、こちらもいつもよりも少し低い声でゆっくり言った。
「承知しました。よろしくお願いいたします」
私は頭を下げた。
と、同時に私の両親である夫婦も、畳に頭がこすりつくのではないかというぐらい深く深く頭を下げていたのが何よりも嬉しく、そして有り難く思った。
◇
それからの毎日はあっと言う間に過ぎていった。
ただ幸か不幸かわからないが、私はほんの少し前までは現役の受験生だったわけで、これでも第一志望は国内最難関国公立大学一択に向けて、冬休みなどは1日10時間以上を受験勉強についやしてたわけで。
結果落ちたのだが……
そんな経緯もあり、試験に向けての勉強にはあまり苦痛には感じられなかった。
「凛花、あんまり根をつめて無理をしてはいけないよ?」
そう言って、養父が茶菓子の饅頭と茶を持って来てくれた。
「ありがとう、父様」
熊男、もとい養父は「父様」の呼びにまだ慣れないようで、顔を真っ赤にして後頭部を掻き毟りながら、そそくさと部屋を出て行った。
正式に「養女」の手続きを経た以上、いつまでも女将さんやおじさんと呼ぶのも失礼かと思い「父様」「母様」と呼ばせてもらうことにしている。
「どうだい? 凛花ちゃんの様子は?」
「中将閣下、聡しい子ではあるとは思っておりましたがここまでとは、わたくしも流石に驚いております。そして、何よりもあの集中力と申しましょうか……身体を壊さなければ良いのですが……」
「そうか。それはちと心配であるな」
「今日はそんな凛花ちゃんの様子を私以外にも気にしておいでの御方が……どうしても、と言われお連れ申し上げたのだが……」
閉店後の店の周りにはひとけは少ないが、明らかに高貴な御方が使用するような、漆塗りに綺麗な螺鈿を施され、見事な蒔絵が描かれた馬車から一人の麗人が颯爽と舞い降りて来た。
「~君!」
と、女将は言いかけて、ハッと自分の口元を咄嗟に押さえその後の言葉を飲み込んだ。
顔面がすっぽり隠れる頭巾を頭から被り、少し紫かかった艶やかな髪をなびかせながら、その麗人は独り言のように小声で呟く。
「息災か?」
女将は頭部をたれたままの姿で小声で呟く。
「お久しゅう御座います」
二階の凛花の部屋の前につくと、中将閣下がいつもより少し大きめの声で戸の外から声を掛ける。
「様子見に来た。戸を開けるぞ」
と、言いながらその手は既に戸に掛けられていた。
「中将閣下、お見舞いありがとう御座います」
「凛花ちゃんまで閣下って……」
私の物言いに少し茶髪イケメン様が苦笑いする。
最近よく見るようになったせいか、大変失礼ではあるのだが、この御方が昔、家で飼っていたトイプードルに見えて仕方がないのである……
そんなことを考えていたら、トイプードルの後ろから見慣れない麗人の姿が入口付近よりチラリとのぞいた。
その立ち姿は、この世のものとは思えない何とも形容し難い姿だった。
陽炎? 天女?
いや、違う。
── 光の君。光源氏。
物語の中での架空の人物であることは、現代人にとっては周知の事実だったが、戸口に立つそれを形容するなら「源氏の君」「光源氏」が一番しっくりくるだろう。と、絶対的自信があった。
思わず、足が本当にあるのか確かめた。
あった! 生きている!
動いた!
「失礼して良いですか?」
鈴の音の如く軽やかで雅な調べだった。
しゃべった! 息している!
まさに天女!
いや天女より美しい佇まい。
頭から頭巾をすっぽり被り顔は見えないが、蝋燭の灯りから顔のシルエットが浮かぶ。
「人間じゃない天女」とは正にこのことを言うのだろうな。と、納得がいった。
茶髪のトイプードル閣下をイケメンと言うなら、この目の前の御人は美男子や、美丈夫などの俗人を称える言葉でなく、どこか神々しく恭しい月光のような存在だった。
「宜しいかな? 凛花殿?」
ハッ! しまった! あまりの驚きに返事をするのも忘れていた!
異世界人の私が、月から来た異世界人の如くな御方に驚くのは、まったくもって滑稽だな。と了承の言葉を述べながら反省していた。
「これは、これは良きことに」
私がここ数日間ずっと勉強していた紙束を手に取り、パラパラとめくりながら、その月の君は言った。
「では、明後日会えるのを楽しみにしているよ」
それだけ言って月の妖精は足音さえ残さず去って行った。
かすかに部屋に残る伽羅の薫が、ここ数日間の寝不足と、久しぶりの極度の緊張からの解放からかはわからないが、ずーんと深い眠りに誘われた。
──あれ? 試験の日って明日じゃなっかったっけ?
この昨夜のほんの数分の出来事が、まさか今後の私の人生を激変してしまうとは、この時は思っても見なかったのだった。




