一石何鳥
「…あの、ステラ様」
「ん、どうした。何か憂いでもあるのかそんな顔をして」
今日の決裁を終えてさっさとキースを攫って自分の屋敷へと帰ってきた。いつもより日は高い時間なのだが知ったことではない、本当ならば今日は片時も離したくはなかったのだ。
やっと腕に取り返して部屋で髪に手のひらごと埋めて堪能していたら、不安げな顔をしてキースが控えめに何かを言いたげな目で見上げてきたのだ。
欠片も不安になどさせる気はない。
「いつもあの場所を通ると沈丁花達が私を引き止めるのです…」
「ん、……あぁ、光の神殿でお前の髪に悪戯をしていた」
「あの子たちがずっと私に何かをして欲しがっているようなのですが、わからなくて…もう少し私に力があればともどかしいのです」
さらりと枝葉が絡め取っていた亜麻色の髪を撫でる。小さな嫉妬に頭を支配されていて気づかなかった。
愛しい恋人はあの時そんな些細な事など意にも介してはいなかったのだろう。自分の愚かさに苦笑する。
「おまえが望むのならなんでもしてやる、なんでも叶えてやる。俺がおまえの憂いは全て取り除く」
「あ…無理は…、なさらないでくださ、…ん、ぅ」
「俺にお前を手に入れる以外に出来ないことはない、全部俺の喜びになる。心配するな」
「……もう、貴方のものじゃないですか」
「お前だけが俺にとっての不確定だ。ずっと…触れるのが恐ろしかった」
「そんな事おっしゃって…、嘘だったら許しませんから」
「もうお前に嘘はつけない、わかっているだろう」
「…はい」
甘やかすステラにとろりと溶けて委ねる。
沈丁花、そう言えばひどく精霊達が弱っていたかもしれない。香りも薄く気づかなかったほどだ。
俺のキースを憂いさせるものは全て取り除く。
人を捨てさせ、人でなくなる業を負わせたのだ。自分の勝手で、わがままで。穏やかに生き、穏やかに死ねたものを…当たり前の幸福と自由を人の生命とともに奪ったのだ。愛しているなら忘れてやるべきだったのにそれでも諦められなかった。どうしても、諦められなかったのだ。ならばこの先何があっても守り抜く。自分の何を置いても、心も身体も全てを…この世界が消えるまで決して離さないと決めたのだ。
「どんな小さな事でも言え、俺が全部叶える」
「では…、もっと私に口づけてください」
「…本当に、おまえは」
強請ったくせに相変わらず慣れないのか少しだけ身を固くして小さく震える身体を抱き締めてやった。
❀❀❀
「速攻帰りやがった…」
「はいはい、淋しいですね。パパお腹すきました」
「まだその遊び続けるのか」
「姫の優しさがわかんねぇのか、だからお前は犬なんだ」
「やかましい、見つけたその日からその呼び方変えねぇくせになにがだからだ」
「姫じゃないって言ってるのに」
しくしくと机に突っ伏しながら器用に宙空へ指を走らすと闇の文字が描かれてすぐに消えた。まぁ冗談は置いておいてこんなでもステラの大切なものの欠片だ、普段ならばけして置いていったりはしないだろう。つまり自分達が傍にいるのだから任された、と言うことだ。
「隣の部屋に用意させる、もうちょい後に移動な」
「はぁい。ところでさっき兄さまがキース様にヤキモチ妬いた話、詳しく」
「あー?あぁ…向こうでは簡単な書類整理に人間の補佐をつかってるらしいんだが、どうも彼奴は女より男に妬くみてぇだな…こないだ嫁を攫われたせいだろうが…、まぁ精霊使いの心が動くことはねぇから突かれる方が嫌なんだろ」
「あちらはトップが人間だからですかね、まぁその方が国としてはまわるのでしょうが…、そんなんでは仕事にも支障が出るでしょうに」
「こっちでも雇ったらいいんだが、彼奴はあんまり傍に人間を置きたがらねぇからな」
ステラは人には無関心だ。好きの反対は嫌いではない、とよく言うがまさにそれだろう。敵意を向ける対象ではないのだ。
だがその対象に『妬く』という感情を向けたというのだから驚きだ。
「ふむ。さっさと仕事は終わらせた方が二人の時間もできるでしょうし、心当たりがあります。明日探して面接してきましょう」
「…あん?なんかすんのか」
「ふふ、まぁ、一石何鳥かを狙いたいですね」
自分の肩口でなんだか楽しそうに話すのを髪を弄びながら眺めていたが『心当たり』にアッシュが少しだけ首を傾げた。
「心当たり…?」
「女性でも優秀なら、ね。まぁ、僕はまだその彼女に会ってもいませんが、黒が悪く言わないだけで及第点だと思っています」
「あぁ…、まぁ。俺もよく知らんがな、嫌な匂いはしなかった」
自分もやっと心当たった。
顔も既に朧気だがまぁあの女はなんとなく見つかる気がした。人間では珍しく欲の匂いの薄い女だったから。
「パパも少しはね、試してやればいいんですよ」
「あん…?何のことだ」
「ふふ、一石何鳥だって言ったでしょう。何羽鳥が捕まるかなぁ」
「…犬、お前わかるか」
「全部は知らん…が、シエルが楽しそうならどうでもいい」
「お前はそうだろうよ」
軽く舌打ちをするとことりと伏したまま顔の向きを変えて隣の部屋を見た。ほんのりと隣の部屋から美味しそうな香りがしてくる。今日のメインディッシュは何だろうか。
「お肉かな」
「白身魚の気分だったが、料理長のヤツは犬がお気に入りだからなぁ…お前の好物だろ」
「有難い」
「昔ここに寄るとよく荷物運びとかお手伝いしてましたからね」
「あのばぁさん昔は息子みたいだとか今は孫みたいだとか、結局てめぇなら何でも可愛いんだろうよ」
「あはは、彼女も長いですからね。ちゃんと時々会いに来なくては」
アッシュは無口だが人見知りもなく、何気なくお年寄りなどを見かけるとつい手を出したりしてしまうようで光の国でも闇の国でも若い女達もだがむしろ年配方の方に人気があるのだ。
今の料理長は見習いから数えればもう50年近くはこの城で働く今の世代ではどんな屈強な近衛達も逆らえない古株中の古株だった。
「ずっと変わらず心配してくださるんですから」
昔は、彼女もアッシュに淡い思いを抱いていた事もあると知っている。だが時を重ねるにつれ神に仕える少女は大人になり、年を取り、僕達が人ではないのだと何となく察した頃には優しい微笑みを向けるだけになっていた。
自分達は人間達をただ見守る事しか出来ない。
交わる事はなく、あとほんの数十年でまた新しい生命と出会うのだろう。あの優しい、かつては素朴な少女であった老婆ともそっと知らずお別れをして。
「頂きに行きましょう、美味しそうな香りです」
「あぁ、昨日の飯も美味かった。今日も楽しみだ」
「誰か俺にも優しくしろ」
隣室に人の気配が消えたのを見計らってソファを立った2人が隣室へと向かえば突っ伏していた顔を上げてむくれて言った。
そうして神様が笑う。
ここはそう言う大陸なのだ。
❀❀❀
「美味かった」
「本当に黒の好物ばっかりで笑っちゃいました」
「お前の好物もあったろう」
「デザートだけね」
笑って言うが全てとても美味しかった。料理長の本気がうかがえた夕食に2人とも大満足でいつも使う塔の私室へと戻ってきた。
小さく明かりを灯して窓辺の椅子に座るとソファに横になるアッシュに何の気なしに声をかける。
「君は人間達をどう思ってる」
「何だ急に、珍しいことを聞く」
「うん、ステラはわかりやすく興味がないし、ベリルは支配しながらも優しい。クロードは…、オルゴールで踊る人形くらいにしか思ってないかな」
「たとえ」
「ふふ、ごめん。でも遠くないでしょう」
「まぁな、意外とパパ上が一番好意的だからな」
「あはは、何それ。ベリルに直接言ってあげなよ」
冗談混じりに遊びに付き合ってくれるアッシュに笑う。
「あの2人は見た印象とは真逆で…、クロードの方が執着も偏愛も強いからなぁ、ベリルにしか興味ないでしょう。側仕えのキースにすら対した感情も実は向けていない」
「まぁ、それは何となく。全てベリルの為、だからな」
ベリルの大切なステラが愛しているから、キースは特別なのだ。人として色がついているのだ。
おそらくはそれ以外の人間達は全てモノクロなのだろう。
セリスを愛しているのも、自分とベリルの娘だから、シエルに固執するのもその延長だ。なので実は自分の息子には大した興味がない。ただベリルが妬くから愛している、ひどい話だ。
「たまにステラにすら妬いてるからな、彼奴は」
「そのクセその自分の悋気にすら快感を覚えてる変人ですからねぇ」
「そうやって言葉にすると怖いな」
「ふふ、そうでなければ愛しくて愛しくてたまらないベリルから離れる理由なんてありません。でもね、クロードは本当の悋気を知らないんですよ」
「本当の?」
「安全な嫉妬しかしたことがないということ」
シエルがいたずらな顔で言うのに軽く身体を起こして見る。
「どういう事だ?」
「ステラや僕に妬くなんて、安全、でしょう?」
「…あぁ、まぁ…なんとなくわかった」
「ベリルは家族にしか愛を向けませんからね」
信じているから、間違いなどないから、絶対に自分しか愛していないから、傍にいなくても平気だし、時折会いたいと望めばどんな時も自分が望む時に自分の元へ何を置いても飛んでくる。そんな時は会えなかった時間のすべてを埋めるように熱く触れて愛してくれる。恋しがりながらも自分以外の誰かと過ごす時間に対する嫉妬も、求められる喜びにも快感を覚えているのだ。
それを知っているからアッシュもシエルもクロードに対していつも呆れた態度をとる。
アレはない。
そう思うのは仕方がないだろう。
「たまにはベリルの気持ちを知ればいい。そうしたらもう少し恋しがるんじゃないですかね」
「そう簡単にいくのか?何十億年越しだぞ」
「そろそろ今のカタチに倦怠期を感じてもいいじゃないですか」
「……普通、倦怠期にならないように今の状態なんじゃ…」
「だって、神様に倦怠期なんか無いの知ってるでしょう」
「それはそうだが」
「ならむしろ今の方に飽きるんじゃないですか」
シエルが言いたいことはなんとなく分かった。
神に倦怠期なんか無い、飽きることなく自分の唯一だけを愛して守る。記憶も無いのに自分の身体がそれを知っていた。
「クロードも、たまには痛い目をみるべきなんですよ」




