6.熊と樫
ダンカンたちがアクイラ山に移り住んでから、いつしか三ヶ月が過ぎていた。
雪解けの頃に最初の坑道が穿たれ、日を追うごとに槌音は山の奥へ奥へと響いていく。ドワーフ街にも真新しい石造りの家々が建ち並び、あたりはすっかり春の色に染まっていた。
――そんなある日。
「鉱山印、ですか?」
首を傾げる私に、ダンカンは重々しく頷いた。
「我らドワーフは、自分たちの細工物に必ず銘を入れる。その銘の上に刻印する鉱山印は、細工に使った宝石や金属が採掘された鉱山、ひいてはその一族が属する国を表すものだ」
つまり、国旗のようなものだろうか。
ダンカンはベルトからナイフを鞘ごとはずすと、私の前にごとりと置いた。
使い込まれたナイフの柄には、王冠を被った熊の頭部の刻印と、その下にダンカンの名前が刻まれている。
「これはヴァルカニアの鉱山印だが、今後、我々がアクイラで仕事をすることになれば、新たな鉱山印が要る。そこで貴女に相談というか、提案なのだが……」
そう言うと、ダンカンは懐から丸めた羊皮紙を取り出した。
広げられたその紙には、鉱山印の図案がいくつか描かれている。
そのどれもが、熊の頭部と樫の木を象ったものだった。
「熊は代々、我が家に受け継がれてきた象徴だ。そしてオークは……」
「わたくしの、オークス侯爵家の紋章ですわね」
つまり、ダンカンはこの刻印で、彼の一族と私の家との揺るぎない繋がりを表現したいと言っているのだ。
中でもひとつの図案が私の目を特に引きつけた。
横向きの熊の頭上に、どんぐりを豊かに実らせたオークの枝が冠のように広がっている。
「実を言うと、私はこれが」
「わたくしはこの図案が」
ほとんど同時に私達は言い、同じ図案の上で二人の指が重なった。
「し、失礼!」
ダンカンが慌てて手を引っ込める。咳払いをしてあさっての方を向いたその耳が赤くなっていた。
「い、いえ。こちらこそ」
そう言う私も、どぎまぎして頬が熱くなっている。
「え、と。その、この図案はとても良いと思いますわ。わたくしたちの間で、熊は不屈の勇気、どんぐりは自立や独立を意味しますの。新たな王国の印として、とても幸先が良いと思います」
「そうか。良かった」
嬉しそうに微笑むダンカンを見て、私の胸も温かくなる。
(この人には本当に、この先ずっと幸せでいてほしい……)
やがてフェルメア王国を襲うことになるあの災厄にも、できれば巻き込みたくないけれど……。
「……っと」
ダンカンが、ふと左の手の甲を気にするような仕草を見せた。
そこには、うっすらとした痣のようなものがある。
かつて彼の王国があったヴァルカニア――その主であることを示す紋様だ。
右手の甲に新たに刻まれたアクイラの印とは対照的に、こちらは今にも消えてしまいそうなほど薄い。
「どうかなさいまして?」
「……いや。最近、時たまここが疼くことがあるもので」
「まあ。痛みます?」
内心の動揺を押し隠して訊けば、ダンカンは「いやいや」と笑って手を振った。
「お気になさらず。蚊に刺されたほども痛みません」
「……ならいいのですけれど」
原作には、迷宮化したヴァルカニアの地底で竜が目覚めた瞬間、薄れていたダンカンの紋様が赤黒く浮き上がり、ダンカンが苦痛に絶叫するという場面があった。
今はまだその時ではないにせよ、いずれ来るその日のために、ダンカンにはアクイラで採れるオリハルコンで剣を――唯一、竜を斃せる武器を打ってもらわなければならない。
(問題は、それをどう切り出せばいいかわからないってことなのよね……)
そもそもなぜオリハルコンの剣が必要なのか。
それを説明するには、竜が目覚めることを言わなければならず、そうなればなぜ私が竜の目覚めを知っているのか、そもそもドワーフでもない私がなぜ封印された山の底にオリハルコンがあることを知っているのか――それを説明するためには、前世のことやら原作の話やらをしなければならず……。
「いや、無理。絶対無理」
ダンカンが帰っていった後、私は一人、応接間で深いため息を落とすのだった……。
◇◇◇
アクイラに移住したドワーフたちは、早速仕事に取りかかった。
領都オーケンバーグの外に建設されたドワーフ街には、アクイラ産の見事な宝飾品を売る店が立ち並び、噂を聞きつけた近隣の人々はもちろん、王都や隣国からも大勢の商人が買い付けに訪れるようになった。
もっとも、そうなるまでには山のようなトラブル――そのほとんどが、ドワーフに対する蔑視と偏見に起因する――を解決しなければならなかったけれど。
ドワーフ街に、アクイラ産の宝飾品を売る店が初めてできた日のことだ。
最初の客はマレウスだった。
なぜ知っているかといえば、私がカウンターに立っていたからだ。
ダンカンには猛反対されたけど、いきなりドワーフが店頭に立てば、買い叩かれるのは目に見えているのだから仕方がない。
とりあえず、客には見えない場所に侯爵家の護衛騎士を立たせることを条件に、私は一日店長を買って出た。
隣国から来た武器職人は、相変わらずのぼさぼさ髪に無精髭で、顔立ちはおろか目の色さえもわからない。
「ほう、こいつはすごい」
前世のアクセサリーショップを参考に、私がディスプレイした店内には、ドワーフたちにお願いして、領都住まいの平民女性も頑張れば手が届くくらいの価格帯の品がずらりと並ぶ――はずだった。
が、いざ蓋を開けてみれば、ものすごく手の込んだ純金細工のブレスレットやら、蜘蛛の巣のような金のチェーンにルビーを編みこんだネックレスやら、いやもうこんなんどこの王侯貴族が買うんだよ! というレベルの宝飾品ばかりが届いたものだから、急遽私が「素材は銀限定で! 使う宝石は小指の爪より小さいものを一つだけ!」と条件をつけて作り直してもらった品が、ちょこちょこと置かれているだけだった。
それだって、細工の見事さを考えれば、かなり裕福な商家の奥さんかお嬢さんでもなければ手が出ないレベルのお値段だ。
「来てくださってありがとう、マレウス。奥様かお嬢様におひとついかが?」
「生憎、俺は一人者でね。……武器はないのかい?」
「今のところ、採れるのは金銀宝石だけで、鉄はないんですって」
「そうか。残念だな。……ミスリルは?」
私は首を横に振ってみせる。
本当はこの後掘り進めていけば、ミスリルはもちろん、オリハルコンも出てくるのだが、今ここでそれを言うわけにはいかない。
話しているところへ、二人目の客がやってきた。
目つきの悪い、行商人ふうの男である。
見たことがない顔だったので、おそらく領外から来たのだろう。
男は店をぐるりと見回し、棚にあるものを片っ端から掴み取ると、ざらりとカウンターに投げ出した。
私は急いで帳簿を開き、商品の値段を紙に書いていく。
ところが。
ちゃりん、と音がして、カウンターに銀貨が一枚転がった。
「釣りはいらねえ」
言うが早いか、手にした袋に素早く商品を詰めていく。
「お待ちください。全然足りていませんわ」
「は? 薄汚えドワーフどもが作った物だろう。これだって色をつけてやったんだ」
私の頭に、かっと血が上った。
「あなたも商人なら、その品物の値打ちはわかるはず。正規の代金を支払うつもりがないのなら、商品を置いて出ていきなさい!」
「――ああん?」
男はカウンターにずいと身を乗り出した。
「ねえちゃん、もしかしてドワーフの情婦か何かか? いい身体してんのに勿体ねえ。何なら俺が代わりに可愛がってやろうか」
視界の端で、マレウスが「あちゃー」といわんばかりに片手で額を覆うのが見えた。
私はすっと背筋を伸ばす。
「代金を払わず、商品だけを持って店を出るなら、それは窃盗になりますわね。オークス侯爵領では、宝飾品の窃盗罪は初犯で鞭打ち、再犯なら炭鉱で十年間の強制労働でしてよ」
「へっ。やれるもんならやってみな」
男はそう言い捨てると、商品を入れた袋を持って踵を返した。
その足が店の敷居を跨いだと見るや、私は声を張り上げる。
「衛兵! 窃盗の現行犯ですわ!」
たちまちばらばらと足音が響き、男は入口を出た途端、あっけなく騎士たちに取り押さえられた。
「くそっ、この女! 覚えてやがれ。このことはここの領主様にきっちり訴えてやるからな!」
その頃には結構な数の野次馬が店の前に集まっていたが、男がそう言うや否や、そこからどっと笑いが起きる。
「え。な……何だよ」
わけがわからずぽかんとする男の前で、私は店主のエプロンをかけたまま、思い切り華麗に宮廷礼をキメてやった。
「オークス侯爵領を預かります、フレイヤ・オークス女侯爵ですわ。言いたいことがおありでしたら、この場でお聞きしましてよ?」
◇◇◇
結局、その後もドワーフの細工物を買い叩こうとする者が後を絶たなかったため、私はいったん店を閉め、領内に布告を出すことにした。
ひとつ。アクイラ産の鉱物および宝飾品を仕入れられるのは、私が鑑札を出した商人だけとする。
ひとつ。仕入れた者は、その品と値を記した帳簿を毎月侯爵家に提出することとする。
ひとつ。その帳簿をドワーフ側の売値と突き合わせて偽りがあれば、鑑札は即座に取り上げる。
「申し訳ありませんけれど、当面はこの方法しかないと思いますの」
オークス侯爵家の応接室である。
一日店長を終えた私とダンカン、そして結局、一日中店の様子を見物していたマレウスがテーブルを囲んで座っていた。
本当は、ドワーフたちの行動を縛るような真似はしたくない。
鑑札制は、確かに買い叩きや値崩れを防ぐ役には立つだろう。
けれどドワーフ側から見れば、自分たちが作った物を適正な価格で売りたければ、オークス領内で――もっといえば、ドワーフ街で取引するしかなくなるということでもある。
「一体、それのどこに問題が?」
そう言うダンカンは、心底不思議そうだった。
「これまで卑族だ地虫だと蔑まれ、いくら良い物を作っても、奪われるか二束三文で買い叩かれていた我々だ。まっとうな取引ができることに感謝こそすれ、謝罪される筋合いなどひとつもない」
「確かに、当分の間は効果があるだろうな」
そう言ったのはマレウスだ。
「ただ、問題は鑑札を出すのも、帳簿を検めるのも姫さん一人しかいないってことだ。姫さんが領地を離れれば、鑑札の発行も帳簿の点検もできなくなるし、姫さん以外の人間が領主になれば、布告は簡単に覆せる」
「そう! まさにそこなのですわ!」
私は拳を握りしめて頷いた。
このマレウスという男、言葉つきは乱暴だけど、頭の回転は悪くない。
「ですから、鑑札制はあくまで一時的なものにしておいて、その間に、ドワーフの皆様には、適正価格で取引することを徹底していただきたいのです」
放っておけば、今の彼らは「値段がつくだけありがたい」とばかりに、前世なら最高級ブランド並みの宝飾品を、露店のガラス細工レベルの値段で売りかねない。
「最初のうちは、値付けについてもわたくしのほうでお手伝いいたしますわ」
侯爵家には、お抱えの優秀な会計士も、宝飾品を鑑定できる人間もいる。
その上で、信頼できる取引相手をなるべくたくさん見つけてほしい、と私が続ければ、マレウスは無精ひげの口許をにやりと引き上げた。
「たとえばエレフテリアの商人とかな」
隣国エレフテリアには、ドワーフに対する偏見はない。原作のエピローグでも、多くのドワーフがエレフテリアに移住した、みたいなことが書かれていたし。
「ええ。彼らにもぜひたくさん買っていただきましょう」
などと私たちが話している間、ダンカンは腕組みをして目をつぶり、眉間にくっきりと深い皺を刻んで何やら考えこんでいたが、やがておもむろに口を開いた。
「フレイヤ。貴女がこの地を離れたり、領主でなくなる可能性があるのか」
「そうですわね。当面は大丈夫のはずですけど……」
原作のフレイヤはほとんど王都に――アリスターのそばにいた。領地に戻るのは、夫となったダンカンに無理難題をふっかける時だけだ。
そして竜が目覚めた後、彼女はダンカンに殺される。
「まあ、先のことはわかりませんわ。不慮の事故に遭って早死にすることだって、絶対ないとは言い切れませんし」
そのためにも、ダンカンたちにはなるべく早く自立してほしい。
そういうつもりで言ったのだけど……。
「ああ。確かに貴女は危なっかしい。今日だけでも、店で不逞の輩に何度も絡まれたそうだな」
「ふふ。そのたびに撃退してやりましたわ」
「……っ! 貴女という女性はそれだから……っ!」
「まあまあ」
なぜか激昂しはじめたダンカンの肩に、マレウスがぽんと手を置いた。
「とりあえず、後のことは、鑑札制度がどの程度効くのか様子を見てから決めても遅くはないだろう? 姫さんだって、これ以上店に立つことはないだろうしさ。……ねえ?」
本音を言えば、もう少し店頭で様子を見たかったけれど、心配性のダンカンのことだ。なら自分も一緒に店に出る、とか本気で言い出すかもしれない。
私は不承不承「ええ」と頷いたのだった。
◇◇◇
果たして、鑑札の効果は絶大だった。
まず、私に代わって一号店に立ったマレウスのもとに、エレフテリアの行商人が列をなした。
「いやあ、まさかこれほどの品が、こんなに安く手に入るとは」
「国に持って帰れば十倍、いや二十倍の値段で売れますからな。金貨の千枚や二千枚、痛くも痒くもありませんわ」
「いかがでしょう。いっそエレフテリアに直販店を出しませんか」
「ドワーフの品を扱うなんて」と渋っていた領都の商人たちは、たちまちのうちに鑑札を求めて侯爵邸に殺到した。
おかげで私はお抱えの会計士と共に、正規販売店の審査に忙殺される破目になった。
「マレウス。あなた、おとり客を仕込んだわね?」
数日後の夜。
帳簿を持って屋敷にやってきたマレウスに私は詰め寄った。
いくらドワーフの作る品物が良いからといって、いきなり店頭に列ができるはずがない。
「さあ? 俺には何のことやらさっぱりだ」
マレウスはいつもの飄々とした調子でとぼけてみせる。
「何にせよ助かったわ。ありがとう」
そこへコツコツとノックの音がして、侍女のメアリが現れた。
「フレイヤ様。お手紙が届いております」
銀盆に載った手紙は三通。
王太子宮からの公式文書が一通と、アリスターとエルシーからの私信がそれぞれ一通ずつだ。
私は公式文書を開封し、さっと目を通してメアリに返した。
「これをウェザビーに。額面通り送るようにと」
「かしこまりました」
「ウェザビーってのは、例の会計士の先生かい?」
「そうよ」
アリスターへの支援金。
オークス侯爵家は、もう何年も王太子宮の経済を裏から支え続けている。
ここ一年ほど、その金額が妙に増えているのが気になってはいたものの、ダンカンたちが来てからというもの、忙しさにかまけてそのままになっていた。
「そういや最近、王宮の連中は大変らしいな」
マレウスの言葉に、私は「え?」と首を傾げた。
「何だ、聞いてないのか? 例の迷宮化した鉱山な。いよいよ魔物が外に出て来始めたらしいぞ」
「……!」
ダンカンの故郷、ヴァルカニア。
ドワーフたちが去ってからというもの、国王は冒険者を集めて魔物退治に当たらせていたが、魔物は次第にその数を増やし、遂には地上に溢れてきたらしい。
(あー。原作にもあったわ、その展開)
確かアリスターが騎士を引き連れて討伐に向かうんだけど、彼を心配したエルシーと、アリスターにつきまとうフレイヤが別々に後を追っていくのよね。
でもって、アリスターとエルシーとのキスシーンをフレイヤが目撃してしまい、嫉妬しまくるといういつものパターンだ。
(ま、今回は私は行かないから、二人とも好きなだけいちゃいちゃすればいいわ)
近頃はアリスターやエルシーから手紙が来ても、読まずにそのまま抽斗に突っ込むことが増えていた。
もともとオークス侯爵家は、中央貴族や王族とは、そこまで強い繋がりはない。
長年続けた金銭的な援助はすぐさま切るわけにいかないが、アリスターとの関係は、このままずっと会わずにいれば、自然にフェードアウトできるんじゃないか……。
この時の私は、そんな甘い考えを持っていたのだ。
アリスターとエルシーがオークス領に現れたのは、その翌週のことだった。




