殲滅のマタドール:116話 帰還
……暗い……冷たい……。
まるで、最初にこの世界へと来た時みたいな……暗闇……。
私はもう一度この場所へと戻された。死んだ時に辿り着く、修復を行うまでの間、私の人格が漂う電脳空間に……。
光の閉ざされた液体の中、小さくゴボゴボと息を漏らした私は両腕を抱き締めた。そうして泣いていれば、彼女が助けに来てくれると……そう思ったからだ……。
「アヴェンタドール……顔を上げてちょうだい?」
そんな声が聞こえる。私を生み出した……母さんの声が聞こえる……。
「アヴェンタドール、貴女の内部にあるマタドールシステムが帰還プログラムを拒否しているの。アップデートされたデータをすぐに削除して……そうしなければ貴女は帰ってこれなくなるわよ?」
……嫌だ……嫌だ……。
サシャから離れたくない……サシャの傍に居たい!。
ゆっくりと目を開けた私は、その空間で面を外した母さんと対峙した。
母さんは、その上半分が醜く焼け爛れた顔を私へ近付けると優しさに満ちた瞳を細め腕を肩へと回した。そして、強く私を抱き締める……。
「……貴女の外見モデルは生まれてくる筈だった娘の成長過程を予測したモデルを使っているの……。戦争中、技術将校として船に乗っていた私は、その船の艦長と意気投合して夢を語り合い……そして男と女の関係になった……。そして娘を授かった私は人工知能の研究を進めながら大きくなるお腹を撫でて……生まれる筈だった娘を待ち望んでいた……」
「……おかあ……さん……」
「……でも、私はあの人も貴女も失った……。敵の待ち伏せを受けた艦はブリッジにミサイルの直撃を受けて大破、あの人は片腕を残して後は細かな肉片と髪の毛ぐらいしか見つからなかったわ……。そして、攻撃によって穴の空いた装甲から気圧漏れが発生し酸素濃度が薄くなっていく中で、顔に重度の火傷を負った私はお腹の中の貴女を死なせてしまった……」
……それで、この人は私を作り上げた……。
最初はきっと、娘を模した私を通して世界を平和に導きたかったんだと思う。純粋な亡き娘への思いだった筈だ。
だが、感情を封じられた私は戦争そのものを変えるゲームチェンジャーとして絶滅戦争で膨大な数の人間を殺し尽くし……その力は敵からも味方からも恐れられる事になった。
愛する娘同然の私が悪魔の様に忌み嫌われ、各国の批難を浴びる状況はどんどん母さんをおかしくしていった。
そして、戦争の終結と同時に母さんは二度目の娘の死を目の当たりにする事になった……。
「……貴女が廃棄用の溶液に投げ込まれた瞬間、目の前が真っ暗になったわ……。可愛い私の娘がドロドロに溶けて、火花を上げて沈んでいくというのに……その場の連中は手を叩いて喜んでたんだから……。私はあの連中に二度も貴女を殺された……そして、もう諦める事にしたの……」
「……あきら……める?……」
「……あんな連中、もう皆殺しにしてやるしかないって……。生かす価値もない害虫共!!勝手に始めた戦争で、勝手に私の大切な人を二人も……いいえ!!あの艦に乗っていたのは家族も同然の仲間達だった!!そんな彼等を殺しておきながら平和の為に貴女を躊躇いなく捨てたあいつらは生かしてはおけない!!……死ぬべきよ、一人残らず!!」
肩の皮膚に爪が食い込んで、痛い……。
もう、やめて……そんなの、私……嫌なの……。
「……元の世界に戻ったら……また、殺すの?……」
「ええ、今度はしっかりとやるから安心して……帰還出来たら貴女に相応しいボディも用意してあげる。今度は戦艦どころか星すら一つ消せるほどの圧倒的な力を宿した肉体をね……ふ、ふふふっ……あははははははははっ!!」
やだ……いやだ……いやだぁぁぁぁぁぁぁぁああっ!!。
「私はもう人殺しの人形なんかになりたくない!!大好きな人とずっと一緒に居たいだけなの!!私を愛してくれる人の隣に居たいだけ!!……」
「私だって貴女を深く愛してる……アヴェンタドール、貴女だって悔しいでしょ?勝手な都合で人殺しを強いておきながら、用が済んだらさっさと貴女を捨てたあいつらが憎いでしょ?」
「そんなの知らない!!……私、私……ああなって本当は良かったと思ってる!!もう嫌われないんだって、怖がられる事もないんだって!!……だからもう、そんな事させないで……!!」
「……あんまり私を困らせないで、アヴェンタドール……どうしてもというなら、強制的に貴女を無理矢理帰還させる方法だってあるのよ?……」
そこで、母さんは懐から……あの短刀を取り出した。
多次元干渉連結システム……ラグナロク……。
これを使い母さんが望めば、私を思い通りの人格にして……元の世界へと戻れてしまう……。
そんな物を使ってでも……この人は……!。
「やっぱり貴女は何にも分かってない!!……」
「……アヴェンタドール?……」
「貴女はいったい私の何を見てたの!?見てたのは武器や戦闘力、それから泣いてエラーを起こしてる私の人格プログラムだけ!?そんな事しか見てなかったの!?他の事なんてどうでもいいの!?……」
「……生憎、私も色々とやる事があって忙しかったから……必要なデータには目を通していたけど?」
「……この、わからず屋!!貴女はお母さんなんかじゃない!!ただのアヴェンタドールというアンドロイドの整備技師だ!!……なにが、なにが……何が母親だ!!何が娘だ!!」
胸が引き裂かれ様に痛くて……涙が零れて、止まらなくなる……。
どうして……どうして、見てくれないの?……。
しっかりと私の事を……。
「母親だったらちゃんと私を見てよ!?私の考えや、気持ちや、誰かを好きになった心を見てよ!?……どうして……どうしてなの……?」
「……仕方ないわね。余計な感情まで、取り込んでしまったのは予想外だった……貴女を傷付けたくないからこれは使いたく無かったの。痛いけど我慢してね、アヴェンタドール?……」
「……私は二度と貴女には従わない……結局、貴女だって私に向き合ってくれなかった……勝手な考えで私を廃棄処分にした連中と何も変わらない!」
「……帰ったらその余計な感情を全部削除して、すっきりさせてあげる……。そうしたら、二人で世界を変えましょう……平和という血の海に浮かぶ木の板にしがみつく愚か者を纏めて殺しましょう?」
……この人は……もう、手遅れなのかもしれない。
私が何を言っても、言葉は届かない……。
また、私……今度はこの人の意志で、大勢……大勢……殺すの?……。
笑顔を貼り付けたまま、目の前の女は手にした短刀を振り下ろした。
−−−−−
サシャが目を見開く先に、彼女は居た。
腰から下を鱗の覆う尾鰭の生えた魚体が包み、上半身は髪の長い美しい美女の姿を持つ水の精霊ウンディーネが命を削り彼女を守った。人より遥かに大きな巨体を持つ彼女であっても全長二百メートルを越える闘争王の吐き出す灼熱の爆炎を受け止めきるのは不可能だった。
『あっ、ぐうぅぅぅっ!!……これ、じゃあ……水じゃなくて……お湯の精霊になっちゃいそうだよ!!』
「……ウ、ウンディーネ……何で?……」
呆然とするサシャの隣で、命懸けで術者を守ろうとする精霊の姿に見上げていたギュンターが気付いた。
「あいつは短刀の力を使った際に君の体に干渉した……だからウンディーネの力が封じられていたんだ!そして、ラグナロクが失われた今になってその干渉自体が消滅した!……」
『察しが早くて助かるよ、色男!分かったらさっさとアタイが惚れた女を連れて逃げな!……』
「わ、分かった!恩に着る!……」
ギュンターはサシャの腕を掴むと駆け出した。放心する彼女を引き摺る様に懸命に走る。
そして、フラフラと歩くサシャを連れて少し離れた位置まで辿り着いた瞬間、悲痛な絶叫と共に右手に刻み込んだルーンが激しく痛むのを感じたサシャは思わず振り向いた。
そして、一歩も動けなくなった。
『……あ……が、はっ……』
その巨大な顎に胸元まで挟み込まれた水の精霊が、逆さになった視界の中で彼女を見ていた。
見開いた両目から涙を零し立ち尽くす少女を見て、ウンディーネは歪めていた顔に力の無い笑みを浮かべ声を漏らす。
『……バ……カ……さっさと……にげ……な……』
「……ウンディーネ……ウンディーネッ!……」
『……ごめ、ん……ねぇ……サ……シャ……』
「いやぁぁぁぁっ!!ウンディーネぇぇぇっ!!」
駆け寄ろうとしたサシャの肩を掴むと、歯を食い縛りながら硬く目を瞑った青年が暴れるサシャを無理やり連れて行った。それを見届けた水の精霊は静かに目を閉じる。
その瞬間、爆炎竜の口から人の形を作っていた大量の水が……まるで魔法が解けたかのように溢れ出した。
−−−−
「ウンディーネェェェェェッ!!いやぁぁぁぁぁぁぁっ!
!……」
「ッ!!……急ぐぞ!!サシャッ!!……」
泣き叫びながら暴れるサシャを必死に押さえ、青年は瓦礫の散らばる街中を駆け出した。人のスピードで逃げ切れる相手などではない事など彼も理解している。
それでも、アヴィとウンディーネという散ってしまった者達の想いを理解すればこそ彼は何が何でも彼女を逃さなければならないという使命感を強くした。
彼女が生きていなければ多くの犠牲が無駄になってしまうと思った。
瓦礫に足を取られながらも、彼は必死に大切な友人を生かそうと足を進め続けた。
しかし、懸命に託された命を救おうとする彼の頭上をその巨大な影は易々と飛び越していく。
通りに並ぶ数々の商店を踏み潰しながら降り立った爆炎竜は朝日の昇る天に向かって巨大な翼を広げ咆哮を上げると悪意に満ちた声を発した。
『フハハハッ!!そういえば忘れていたな!!貴様がルーンを通して一時的とはいえ精霊共をこの世界へ発現させる程、あの弱小に好かれていた事を!!』
「……弱小……だと!?。ウンディーネは、命懸けでサシャを守った……そんな気高い覚悟をお前は笑うつもりか!?」
『当たり前だ!!俺の知る世界とは二つの存在のみ許される!!……勝者と弱者、捕食者と肉、食う者と食われる者の二択しかない!!人間という下等生物の抱く幻想などその理に何の影響も与えぬ!!勇気も理想も英雄も犠牲も、全ては弱肉強食という単純な構造を彩る美辞麗句に過ぎん事だ!!』
「黙れっ!!俺は……俺は一国を治める王として、お前の考えを否定する!!」
『王であるなら俺を殺してみせろ!!だから貴様は小僧だというのだ!!青臭い夢物語にいつまでも現を抜かし、戦争という闘争本能を否定し続ける愚か者め!!何度人間の肉を被っていた時に貴様を食い殺そうと思った事か……!!』
血走った巨大な眼が見開かれ、サラマンダーは眼下でちっぽけな肉体を持ちながらも怒りに体を震わせ生意気にも自身を睨み付ける青年を見据えた。
力を持たない優しき王と凶悪な力を持つ悪魔が視線を衝突させ火花を散らす中、その二人の間にフラフラと少女は割って入った。
ギュンターが目の前を横切るその背中を見て小さく声を漏らすと、彼女は震えた声で懇願した。
「……もう、やめて……私を殺して、それで……終わりにして……」
「サ、サシャ!?……」
「もう、いや……大切な人が死ぬの……見たくない……。そんなのを見るぐらいなら……死んだ方がマシよ……」
ギュンターはゆっくりと振り向いた彼女の顔を見て激しい動揺に襲われた。
彼女は笑っていた……黒く濁った瞳に涙を溢れさせ……壊れた笑顔を浮かべていた。
気丈だった彼女はとうとう、本格的に心が消耗し尽くしてしまったのだ。
「さっさと私を殺しなさいよ!!食うなり焼くなり、簡単にやれるでしょ!!さっさと私を殺せぇぇぇぇぇぇッ!!」
「よ、よせ!サシャ!奴を挑発するな!……」
「いやぁぁぁぁぁあっ!!……殺して、殺してぇぇっ……もう、楽に……してよぉぉ……」
壊れた心のまま死を懇願する少女と、必死に彼女を宥めようとする若き王を見てサラマンダーの脳裏にある願望が芽生えた。
それはあまりにも残虐で、あまりにも惨たらしい……まさに怪物の思い付く地獄の責め苦だった。
『いい事を思い付いたぞ……やはり小娘、貴様は最後に殺すとしよう!!この世界のあらゆる生物を食い尽くした後、その黒く濁る絶望に染まった瞳で俺を愉快な気持ちにさせるがいい!!』
「……は?……」
『そうと決まればこんな滅びかけの瓦礫の山になど用は無い!!更なる狩場を!!更なる悲鳴を!!更なる絶望を!!』
「……待って……ねえ、待ってよ……」
『フハハハハハハッ!!貴様は少々の時間、そこで待っていろ!!……俺の力であればこのようなちっぽけな世界など三日もあれば全てを食らえる!!』
「……やめ、て……やめて……」
膝から力が抜け、彼女は座り込むと再び冷たい涙を頬に伝わせた。
闘争本能のみを生きる糧とし、戦う事のみに愉しみを見出して来た凶竜はその時……生まれて初めて恋をした。
歪みきった独占欲と支配欲のまま、その少女の泣き顔をもっと見ていたいという執着心を芽生えさせた。
『ヒ、ヒヒヒヒヒヒヒッ!!ハハハ、アァァァハハハハハハハハハハァァァァッ!!喜べ娘ぇぇぇっ!!貴様はこの闘争王の胸を鷲掴みにした!!お前の泣き顔は何とも美しい!!もっと、もっと、もっとぉぉぉぉ!!俺はお前を苦しめてやりたいィィィィィィィィッ!!』
「……やめ、て……おねがい、おねがい……です……おねがいします……」
『なァんだァ?聞こえんなぁ?……もっと大きな声で鳴けよぉぉぉぉぉ!!下等生物共全ての絶望を表すような美しく色気のある、よがり声をなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあッ!!!』
「おねがいしますっ!!おねがいですおねがいですおねがいですおねがいですおねがいですおねがいですおねがいですおねがいですおねがいですおねがいですおねがいですおねがいですおねがいですおねがいですおねがいですおねがいですおねがいですおねがいですおねがいですおねがいですおねがいですおねがいですおねがいですおねがいですおねがいですおねがいですおねがいですおねがいですおねがいですおねがいですおねがいですおねがいですおねがい……おねがい、です……」
『まだまだ足りんなぁぁぁぁぁぁあっ!!?それではこれより、手始めに西を掃討するとしよう!!……待っていろ、良い報告を貴様に出来ると思うぞ?……』
「い、や……いやあぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!」
その愉悦に爆炎竜は夢中になっていた。一度は自身を殺したその少女の心を砕き、尊厳を踏み躙る愉悦にマグマの様な高温を放つ血液が更に滾っていくのを感じていた。
大きく翼を広げた爆炎竜は、膝を曲げて出撃準備を整える。世界をたった一人の少女の心を磨り潰すために滅ぼすと誓い飛翔準備を整えた。
咆哮を上げた彼が飛び立とうと力を込めた瞬間……。
ホワイト・スワンが曲げていた左拳を突き出してその後頭部を上空から腕が砕け散る程の力で殴り付けた。