殲滅のマタドール:106話 真実
その部屋は……暗くて、寒かった。
裸にされ両手を鎖で吊るされた私は完全に敵国の凶悪なスパイとして見做され、人間の尊厳をも与えられない時間を与えられた。
そうする事で辱めを与え、情報を引き出すつもりのようだ。
しかし、私は本当に……何も知らない……。
訳も分からないまま連れて来られてこんな格好をさせられて……頭がどうにかなってしまいそうな状況の中でボンヤリと私は眠る事も出来ずに考え続けていた。
イングリット……どうして……。確かに彼女の様子が少しおかしい事には気付いてた……それでも、そんな恐ろしい事をするつもりだったなんて知らなかった。
辛うじて抱いた違和感を必死に伝えたものの、怒りに囚われた彼等はまるで聞く耳を持たない。騎士道を重んじる彼等にとって卑怯な騙し討ちはただでさえ凄まじい怒りの対象だ。更に剣士としての誇りを汚す様に両手を切り落とすという無惨なやり口もひどく彼等を苛立たせた。あれは剣を振るい戦う者への恥辱だとデュバルさんは怒りに満ちた顔で言った。
罵声を浴びせられ、嫌悪感を隠さず向けられるその時間は私に忘れかけていたトラウマを呼び起こさせた。
殺人人形として怖がられ、敵からも味方からも拒絶され続けていたあの日々を……。
ボロボロに傷付いた精神のまま、虚ろに目を開く私の耳に騒がしい声が届いた。
「いいからさっさと彼女に会わせない!王女の私へ刃向かうの!?」
「お、お待ち下さい!サシャ様、奴は凶悪なラゴウのスパイです!危険ですから!……」
「何が凶悪よ!そりゃ確かに怖いぐらい強いけどあの子はそんなのじゃない!」
……あ……ああ……この、声は……。
これは、夢?……彼女が……この場所に……。
「た、例え王女様であっても会わせる訳にはいきません!すぐにお引取りを!」
「何よ!私は護衛も無しに此処まで来たのよ!……王女の私が身を危険に晒して此処まで来たのに騎士のアンタ達はそんな度胸も無いの!?私達を守るのがアンタ達の役目でしょ!」
「くっ……そ、それは……」
そこで扉の開く大きな音と共に……格子の先に……彼女が……。
サシャが、薄い寝室着のまま……姿を見せた。
「……サ……シャ……!」
「……アヴィ……!」
私の声に気付いたサシャは顔を向けると、その恥辱的な格好を見て言葉を失った。サシャにようやく会えた嬉しさと、こんな格好を見られたくないと思い涙を零しながら目線を逸した私は硬く目を瞑った。
「……何やってんのよ……アンタ達……」
「この女は卑劣なスパイです。武器を隠し持つ恐れがある為に裸にし、自由を奪うべきと考えました……」
サシャを引き留めにやって来たその若い騎士は心の底から侮蔑するように私を睨み付けそう言った。
彼等にそういった目線を向けられるのが堪らなく怖かった……でも、私は耐えなければならない。サシャに甘えるだけではない、今の私はしっかりと自分の意志で彼女の為に行動できる様になったのだと……知って欲しい……。
「私は本当に何も知りません!……本当です……信じて!」
顔を上げると、真っ直ぐその若い騎士の顔を見つめながら必死に訴えた。
「黙るがいい!そのような言葉、信じられるものか!」
「本当です……確かにイングリットの様子がおかしいのには気付いていた……。それでも、私はあの二人が硬い信頼と絆で結ばれている様に見えていました……。私だって知りたい!どうしてイングリットはあんな恐ろしい事を!?いったい何が起きたんですか!?」
「貴様が嘘を吐いている可能性は否定できない!そんな事を言って我が軍のクリスティーヌ・バンゼッティを共謀して殺したのも貴様ではないのか!?ダムザの政変にしても今回にしても、貴様が裏で糸を−−−」
その時、彼の言葉を遮って乾いた音が地下に響いた。見ると、片手を上げたサシャが彼の頬を叩いたのだと理解する……。
その瞳は強い怒りで震え、高ぶった感情のまま……体を揺らしていた。
「な、何をするのですか!?」
「いい加減にしなさいよ!この石頭のボケナス!……この子こと、何にも知らないくせに!!……」
「いったい何を!?」
「スパイなんてこの子に出来る訳ないじゃない……この子はそんな事が出来る様な子じゃない!だって……だって……」
……サシャ……。
泣いちゃいけないのに、必死に私の無実を晴らそうとしてくれる彼女の姿を見ていると……泣いてしまう。
嬉しくて、愛おしくて……。
「……サシャ……」
「だってこの子はアホなワンちゃんなんだから人を騙したり罠に嵌めたり、そんな事出来る訳ないじゃない!!」
「……サシャ?」
「アホなワンちゃんのクセしてベッドの上ではゴロゴロ喉を鳴らすニャンコになるんだから!!私に触られる度に気持ち良さそうに声を上げて、蕩けきった顔で私の名前を何度も呼んで!!」
「あ、あの……サシャ?……」
……何か、おかしな方向に話が進み始めた……。
「私に尻尾をブン回して飛び付いてくるワンちゃんだし、抱き心地も良いし、いい匂いするし、温かいし、可愛いし!!とにかくこの子はそんな大逸れた事が出来る子じゃないの!!」
「……な、なっ……」
荒く息を漏らしながら一方的に捲し立てるサシャの言葉を聞いていた彼は呆然とした表情を浮かべた後、急に顔を真っ赤にして狼狽えつつ声を上げる。
「こ、国王様と婚約した身でありながら……な、なんと破廉恥な事を!女性同士でそのような関係に……」
「うっさい!!服越しに触っただけでグチョグチョになってトロトロになっちゃって可愛いんだからしょうがないでしょ!!文句ある!?」
……あ……う……。
鬼気迫る表情で私の乱れ具合を暴露され、先程とは違う意味で私は前を見れなくなった。
「この子の可愛いい所を上げればキリがないわよ!!まず、一番弱いのはおヘソの辺りでそこにキスしただけでビクビク体を仰け反らせてビチョビチョのグチョグチョに−−−」
「サ、サシャァァ……も、もう……やめて……」
沸騰するのではないかと思うほど顔が熱くなっていくのを感じつつ、消え入りそうな声でそう言った。
どうにか顔を上げると、詰め寄られていた生真面目なその若い騎士は逞しい想像力を活かしサシャの言葉を受け止めてしまったのか片手で鼻を押さえつつ指の隙間からドクドクと鼻血を零しながら顔を俯かせていた。
そんな彼を見てどこか勝ち誇った様に腰に手を当てたサシャは力強く言い放つ。
「これで分かったでしょ!私はこの子の事を隅々まで理解してるの!」
「ぐ、うぅぅ……ひ、ひかひ(し、しかし)……ひょはなふなかへほほふわへひは(許可なく中へ通す訳には)……」
「あら、それじゃあ次に感じやすくて敏感なトコ……知りたい?真っ白で引き締まった太腿の付け根なんだけど……」
「わ、分かりました!!鍵の束は此処に置いておきます!!上の入り口にて待機しておりますのでごゆっくり!!」
腰に付けていた鍵束を乱雑に机に置くと彼は真っ赤になった顔のまま半泣きになって逃げるようにして地下から上の階に上がる階段を駆け上がって行った。
小さく鼻を鳴らし机の上に置かれた鍵束を手に取ると、サシャは格子扉へ鍵を差し込み重々しい音を立てて解錠した。ガラガラと音を立てて扉を開き中へと進んだ彼女は……目元に涙を光らせながら私に微笑み掛ける。
「……久しぶりね、アヴィ……」
「……サシャ……」
「……待ってて、今降ろしてあげる……」
サイズの合いそうな鍵を選び取るとそれを両手に嵌められた鎖付きの腕輪に嵌め、両手を解放してくれた。力を失い座り込んだ私の体を抱き締め、頭を撫でながらサシャは私の耳元で囁いた。
「……怖い思いをさせちゃってごめんなさい……アヴィ……」
「……サシャ……」
「……もう大丈夫だから……後でちゃんと出られる様に話を通すわ……」
「……サシャ……サシャ、サシャ、サシャ、サシャァァァっ!……うぅぅぅぅっ……」
こうして抱き締められると、堪えていた感情が溢れ出して……止まらなくなる……。
好き……好き、好き、好き、大好き……サシャ……。
「……サ、サシャ……あの……」
「……安心して、アヴィ……」
「……キス、して……?」
彼女からキスされないと、安心出来なかった。本当に私の目の前に……大好きな人が居るって、確信を持てなかった……。
サシャは微笑みを浮かべると、静かに私の唇に自身の柔らかでプルンとした唇を重ねた。髪から香る彼女の匂いが……しっかりと愛する人が目の前に居るのだと教えてくれて……安堵感を私へ齎した。
でも、それと同時に私の胸は激しく掻き乱された。だってサシャはもう……私の元から離れて国王陛下に……。
「どうしたの、アヴィ?……」
「……すみません、サシャ……貴女はもう私ではなく、国王陛下と婚約していたと言うのに……」
恐る恐る視線を向けると、彼女はキョトンとした顔で私を見ていた。何を言っているのか分からないという風に……。
そして、急に思い出した様にハッとすると少し声を潜めながら語り出した。
「ああ、ギュンターとの事ね……あれにはちょっと事情があって……」
「……やっぱり、私なんかより……ああいった素敵な殿方と結ばれた方が−−−あいたたたっ!」
「人の話は最後まで聞きなさい……」
耳を引っ張っると、やや不機嫌そうに彼女は私を頬を膨らませる。訳も分からず私が小首を傾げていると、サシャはやや面倒くさそうに言い放った。
「あの人との結婚は偽装よ、本当の目的を果たす為の……」
「ぎ、偽装?……どういう事なんですか?」
「彼はずっと探ってきたの……この国は勿論、世界を股に掛けて戦争を引き起こそうとするゲームチェンジャーという存在の事をね……」
「こ、国王陛下はゲームチェンジャーを知っていらしたんですか?」
「その呼び名自体は知らなかったみたいだけど、西部基地のゴリアテの一部を私物化し魔石を使って武装を強化したクリスティーヌ、大量の魔石をあのブラックホークとかいうのに使い込んでいたアーサー、そしてこのメルキオにも電気を扱う際に必要なボルトストーンを大量にラゴウから密輸していた女が居た……」
「……ルーシア・バルザック……」
「その通り、そうやってラゴウから大量に魔石を密輸してる連中を追っていたら全員が一斉に今になって大きな変革を求め蜂起を始めた……。そこで彼は気付いたみたいね、その連中は世界を戦争へと導こうとしているんだって……」
……なるほど、そういう事だったんだ……。
思えばルーシアにしてもあのユグドラシルの制御ユニットの調整や大量の武器の起動に電力を必要した筈。
そうして魔石の流れを追っていく内にゲームチェンジャーと呼ばれていたあの三人へと辿り付いたのだ。しかし、そこで疑問が残る。
なぜ国王という立場にありながら彼等を見逃したのか……ほんの少し不信感が募った。だが、そんな私の疑問にも彼女は答えてくれた。
「あの人ははっきり言って周囲からは舐められている……言う事を聞かない部下が多くて、私と結婚する前は孤独と重圧に押し潰されそうになっていたわ……」
「……あの方はまだ若いですからね……従わせるだけの力を示さなければ、こういった国ではやりづらいでしょう……」
「そうなの、そこでダムザの一件を通して私達の存在を知った彼はあの時に私へ協力を申し込んで来たの……この王宮に居る最後のゲームチェンジャーの尻尾を掴む為に……」
「ゲ、ゲームチェンジャーがこの王宮内に!?……いったい誰が……」
そこでサシャは表情を険しくすると、顔を俯かせ忌々しそうに言った。
「……メルキオ帝国国王直属の宰相……ヴィクトル・ブラウン……奴が恐らく残った最後のゲームチェンジャー……」
「さ、宰相!?……国王の側近中の側近じゃないですか!……」
「ええ、何かと口を挟んでくる小煩い小姑みたい男だけど……彼はメルキオ国内の検問や国境施設について指示を出せるだけの権限を持っている。内政に関して絶大な影響力のある奴の手引がなければ大量の魔石を国内に持ち込む事も、メルキオ領内を通って他国へ運ぶ事も出来ないはず……」
「そんな男が間近に居たら危険ではないですか……本当に大丈夫なんですか?」
思わず心配になりそう言う私へ、サシャは力強い笑みを浮かべて言った。
「だから私が居るんじゃない!国王という立場上、動けば目立つけど生憎と私は王宮中の嫌われ者よ!そんな私がうろちょろした所で誰も気にも止めないもの……まぁ、小言は言われるけど……」
「……サシャ……」
彼女はどこまでも逞しく、そして強い女性だった。この世界を戦争へ向かわせない為に激しい重圧の掛かる王女という立場の中で己の使命を果たそうとしている……。
私は彼女の両手を握ると、力強い口調で言った。
「……お役に立てる事があれば是非、声を掛けてください!……」
「……そう言ってくれると、すごく安心するわ……アヴィ……」
私の指を握り返すと頬を緩めて彼女は言った。そして、急に頬を赤らめると……顔を俯かせ消え入りそうな声を出した。
「そ、その……今度は、アンタから……キスしてよ……」
「えっ?……」
「……会えなくて、寂しかったんだから!……何度も泣きそうになったんだから……だからキスして……」
「サシャ……」
私はそっと、彼女の長い耳を優しく撫でると甘く息を漏らす彼女へ顔を寄せてキスをした。
……サシャは私から離れた訳ではなく……新たな使命を見つけ頑張ろうとしている。ゲームチェンジャーの野望を食い止めて、世界の平和を守るという大きな目的を持って……。
私も彼女に力を貸そう、そして全力で頑張ろう……。
彼女の役に立った事で訪れる平和に続く世界を、私も見たい……。
−−−−−
アヴィの釈放はもう間もなく行われると告げられるのを聞き届けると私は王都守備隊の本部を後にする。広大な王宮の廊下を歩く私へ様々な人々が横目で見ては、ボソボソと小言を漏らす。
差別的な感情は勿論のこと、何よりも向けられるのは女性からの嫉妬心だ。国王の妃ともなればこのメルキオに住まう全ての女性の夢だ。そんな立場に突然私のようなエルフ族の娘が成り上がるのは許せないという人間も多く居る。
仕方ない、ゲームチェンジャーを押さえるまではそういった立場に置かれる事は我慢しよう。
敵意に満ちた大勢の目線を浴びながら歩みを進めていると、突然冷たい液体が私の顔面に浴びせられた。
小さく息を漏らしながら目を開けると、其処にはいかにも意地悪そうな笑みを浮かべる御令嬢が特徴的な八重歯を覗かせティーカップを手に高笑いを浮かべていた。
「あらあら、夜風に当たってティータイムを過ごそうと思ったらうっかり足を滑らせてしまいましたわね〜……申し訳ございません、サシャ様ぁ?……」
「はぁー……私にお茶を引っ掛ける為だけにその靴擦れしそうなヒール履いたまま社交場から階段を駆け下りて、長い廊下を人を避けながら歩いてくるなんてアンタも物好きね……」
「な、何を仰いますの!このレティシア・スタンフォードにかかればその程度の事……って、そうではなくて!」
「ちゃんと飲み物は大切にしなさい、そうじゃないとバチが当たるわよ……」
「な、な、何を……この田舎の貧乏エルフぅぅぅっ!!」
実に手入れが面倒臭そうな巻かれた髪を揺らし怒りに満ちた目線を送る相手に適当に片手を掲げながら背を向けると、私はそのまま廊下を歩き続けた。
この王宮内でも特に彼女は私を嫌っている。国王の妻に娶られたからだけではない……ここまで本気で怒りを向けるのは、それなりの理由がある。
彼女は本気でエルフ族を憎んでいた……。何故なら、彼女の姉はマリィ・スタンフォード……あのレイヴンとかいう殺し屋に無惨な方法で殺されたスタンフォード家の長女であって、彼女はそんな偉大な姉を心から慕っていた妹なのだから……。