殲滅のマタドール:102話 ユグドラシル
装弾数十発を全て撃ち尽くしたテカムセを降ろすと、私は半ば崩れた瓦礫の山を見て小さく息を吐き出した。
恐らくバラバラに吹き飛んだあろうあの女に対しては同情も胸の痛みもない。彼女は本物の狂人だ、クリスティーヌの様に話して聞く相手ではない。
それにもう、私はしっかりと己の道筋を決めた。サシャ個人の為には動かない、私は皆の命を守る為に戦うのだと……。
吹き飛ばされた右肩付近の修復を終えた私はすぐさま半壊した地下を見渡した。そして、シールドによって守られているイングリットの元へ駆け寄った。
「イ、イングリット!大丈夫ですか!?」
「それはこっちの台詞だ……お前、腕は大丈夫なのか?」
「もう平気です!私は人間ではないんですから……」
「……お前はいったい……」
「その話は後です!それよりも崩れる可能性があるので早く行きましょう!」
私の言葉を聞きイングリットは続けようとした言葉を飲み込むと私と共に駆け出した。ガラガラと音を立てて崩れ始めた室内を走り抜け、扉を開けた際に彼女は一度部屋の奥へと振り向いた。
不思議に思った私が声を掛けようとした瞬間、その静かな……だが、憎悪に満ちた声は聞こえた。
「……私の手で殺してやりたかった……」
「……えっ?……」
動揺した私が声を上げると、彼女は再び顔を俯かせた走り出した。
一瞬だけ見えたその唇が歪に吊り上がっているのを見て……私は胸が不安で揺れ動くのを感じた。
−−−−−
屋敷全体が大きく揺れる中、二人は必死に廊下を走り抜け外へと飛び出した。ただでさえ経年劣化による損傷が大きかったその建物は未知の世界の兵器による攻撃を再三受けた事により遂に崩落の時を迎える。アヴィとイングリットが扉を蹴破り外へと出た瞬間に轟音と共にその古びた屋敷は崩落した。
二人が黙ってそれを見つめる中、フラフラとこちらへ近付く人影にイングリットが気付く。
「ナスターシャ……もう大丈夫だ、全て終わった……」
「イングリット……」
「……本当にすまない、私のせいでこんな事に……」
顔を俯かせる彼女へ歩み寄ると、残された左腕でナスターシャは相手の腰を抱き寄せると静かに唇を重ねた。
何の前触れもなく行われたキスを前にアヴィが赤面しつつ目を白黒させる中、水音を立てながら舌先を絡め甘く声を漏らしながら二人は濃厚なディープキスを夢中になって行った。
唇から唾液の線を輝かせ笑みを浮かべ合う二人を見て、アヴィは少しずつ違和感を覚え始めていた。
この二人の間にあるのは何か、愛情や信頼の様な輝かしいものではなく……もっと危ういものである様に感じた。そして、それは恐らく自身も少し前まで抱いてきた感情に思えた。
ナスターシャは瞳を潤ませ頬を赤らめながら大きな想いを向けているのに対してイングリットは貼り付けた様に全て計算され尽くした微笑みという表情を作り上げ、そして相手に違和感を持たせない為にそれを向けている。
その様子に堪らなく不穏な空気を感じ取ったアヴィが視線を送る中、イングリットはナスターシャの青い髪に指を通しながら語り掛けた。
「……お前にこれから少し頼みたい事がある、いいか?」
「……ええ、貴女の為なら何でもする……死ねと言われれば死ぬわ……」
「……そうか、それは実に心強い……」
形のみを表現化した人形のような微笑みを浮かべたままイングリットが言葉を続けようとした瞬間、瓦礫の山と化した屋敷が大きく揺れた。
慌てて三人が顔を向けると、地震の様な揺れの中で何かが瓦礫を吹き飛ばしながら姿を覗かせる。それは、緑色の巨体を持つ巨大な何かで……その正体に気付いたアヴィは思わず小さく声を漏らしていた。
「……ユグドラシル……」
−−−−−−
『アヒャヒャヒャヒャ!!私はまだまだ生きてるというのに何処へ行くつもり!?ねぇ、イングリットォォォォッ!?愛おしいファントムの花嫁ぇぇぇぇぇッ!!』
「こ、こいつ……まだ!?……」
『もういい、この姿になったならしょうがないわねぇぇ……アンタも私の一部にしてジワジワ数十年掛けて養分を吸い尽くしてやるわよぉぉぉぉぉぉっ!!アーヒャッヒャッヒャッヒャアアアアア!!』
その声は天高く伸びた巨大な緑の柱の上部、全長二十メートルを超える真っ赤な花の中央に佇む人影から発せられた。全身を琥珀色の液体で濡らし、下半身を埋め寄生植物“ユグドラシル”の核として再度生まれ変わったルーシア・バルザックは周囲に轟くような声を反響させて狂気のままに笑う。
その大きさは中央の巨大な花を含めると百メートル近く。周囲には無数の弦が蠢き不気味な音を立てていた。太い茎にはびっしりと琥珀色の腫瘍のような塊が並び、ドクドクと音を立て柔らかな表面を鼓動に合わせて揺らしていた。天頂部分の巨大な花の下には菌糸類を思わせる巨大な傘が並び、その毒々しい赤い肉傘の全長は五メートル程にも及んだ。
寄生植物を利用した生物兵器であるユグドラシルは核となった女の狂気を表すかのように、禍々しい姿の大木としてこの地に花を開かせた。
「あ、あれは……」
「……あの女は寄生植物の種を自分の肉体に相当な数仕込んでいたようですね……本来なら此処まで巨大になる量を入れれば肉体が保たない筈……」
呆然とその巨体を見上げていたアヴィはふとある事を思い出すと、慌ててイングリットに聞いた。
「イ、イングリット!そういえばラゴウの人間は全員肌が黒いんですか!?」
「あ、ああ!遺伝的にそうなっている!アンジェラはルーシアの実の娘だったが、彼女も肌が黒かった……」
実の娘へ躊躇いなくあの生物兵器を埋め込んだ事実に激しい怒りを感じつつ、アヴィは相手を倒すその一手へ確信を募らせた。
「あの女は頭部だけ白い肌のメルキオの人間の頭になっていた……恐らく彼女の頭部は脳を移植したユグドラシルの制御ユニットになっています!弦の動きや胞子の放出、その全てを頭で制御しています!」
「そ、そんな事が出来るのか?……」
「……可能です、人間の肉体を捨ててあの悍ましい植物と一体化するという意志さえあれば……」
全身に頭部の制御ユニットから放出されたナノマシンを通して指令を送り、この巨大な肉体を自在に操る事が出来る。つまり、それこそが彼女の弱点だ。
「頭を潰せばこのバケモノは動きを止めます!頭を狙いましょう!」
「だが、どうする!?」
「奴の頭に一撃を加えます!」
そこでアヴィは右手を開くと指示を飛ばす。
「テカムセ!パンデリラを装填し展開準備!」
< イエスサー、多目的汎用ランチャー、"テカムセ"セット開始 >
右手に重量感のあるその巨大な鉄塊を握り込むと、左手で銃身を支え込み狙撃態勢を取った彼女はその強烈な炸裂弾頭を二発発射した。一発目で下から狙うのに邪魔になるあの巨大な花弁を吹き飛ばし、やや間隔を開けて発射した二発目で開けたスペースから相手の顔面を吹き飛ばす。通常の人間では不可能な芸当であっても遥かに優れた筋力を持つ彼女であれば可能だった。
白煙を上げるテカムセの銃口を下ろし彼女が目を凝らした瞬間、低いモーター音と共に発射された銃弾の嵐が発射された炸裂弾を迎撃した。何が起きたのか理解出来ず唖然とするアヴィの耳に信じられない様な報告が届く。
< 警告。敵対する生物兵器の体内から複数の兵装を確認。拠点防衛用セントリーガン"エクスキャリバー"六門、対アンドロイド用自動追尾ミサイル"ヘルハウンド"を装填したミサイルポッド、対人40mmグレネードを装填したグレネードランチャーを複数確認 >
「な、なっ……あの女、なんて事を……!」
頭部を狙った攻撃を退け、相手が自身の弱点に勘付いた事を察したルーシアは狂気の雄叫びを上げると両手を掲げて言い放つ。
『ヒャアアアアハハハハハハハハハッ!!アヴェンタドールぅぅ、アンタのクソ忌々しい武装の全ても把握済みよォォォ!?他ならぬアンタを作り上げたネメシスとかいう女からねぇぇぇッ!!』
「……ほ、ほんとうに……お母さんが……」
『愉快ねぇぇぇ、最高ねぇぇぇぇっ!!アンタは生み出した親に裏切られたの!!必要な武装だって貰った、そして対策だって知ってる!!お前など最早ユグドラシルの力を授かった私の敵じゃない!!ひ、いひひひひひひひひひひいいいいいいっ!!』
琥珀色の液体を滴らせた丸い筒型のミサイルポッドが軋み上げながら眼下の戦闘用アンドロイドの方向へ向けられた。
「ア、アヴィ!!」
イングリットの声を聞き激しい混乱と動揺に襲われていたアヴィは慌てて顔を上げると指示を飛ばす。
「ファランクス展開!ミサイルを迎撃しろ!」
< イエスサー、モード"アイスエイジ・コマンダー"に移行。、30×173mm6連装ファランクス展開、ミサイル迎撃行動開始 >
巨大なコンテナが金色の光から出現し蓋が開かれた瞬間に、ミサイルポッドから白煙を上げ灰色の円柱型のミサイル兵器が発射された。全ての兵装を狂気に満ちた笑みで操りながら重武装化した要塞の司令官と化したルーシア・バルザックは絶叫する。
『私は劇に出て来たファントムとは違う!!ヒロインのクリスティーヌを諦めたりしないぃぃぃっ!!イヒ、イヒヒヒヒヒヒ、ヒャハハハハハハハハハアアアアア!!イングリットを体に縫い付けてぇぇぇ、管を突っ込んでぇぇぇぇ、体液も臓器も吸い尽くしてぇぇぇ、そォしてずぅっと一緒に暮らすのよォォォォォォッ!!』
一斉に体内に埋め込まれた武装が眼下の敵へと、その世界の戦争の全てをたった一体で変えた戦闘用アンドロイドへと向けられた。
唇の端を痙攣させた女は唾を飛ばしながら叫ぶ。
『だからぁぁ、邪魔者はぁぁぁ……とっとこの国の建物諸共消えてしまえぇぇぇぇぇぇえええええええッ!!!』
−−−−−
展開したシールドに向けて一斉に砲火が放たれた。
私は即座にイングリットと後ろで身を屈めるナスターシャに遠隔シールドを張り彼女達を守る。それにしても……滅茶苦茶だ!これでは生物兵器どころか要塞だ!。
「なんて無茶を!……」
「もうアイツには何を言っても無駄だ!恐らく私に向けて強力な攻撃はして来ない!」
「ど、どうして!?」
「……生きたまま嬲り殺しにしたいだろうからな……」
不快そうに表情を歪めると、イングリットはスパークを上げるシールド越しに相手を睨み付ける。そして、緊迫した表情で言った。
「一つ提案がある……協力して奴を仕留めよう 」
「ど、どうするんですか!?」
「まずは私が奴へ近付く……そしてある方法でこの大きな茎を纏めて吹っ飛ばす!」
「そ、そんな事が可能なんですか!?」
「ああ、一つだけ方法がある……」
そこで彼女は突然、ズボンのベルトを外しチャックを下げた。驚くアヴィの目の前でイングリットは布の面積が限りなく少ない黒い下着を晒し、そして肉付きの良いヒップを露わにした。突然の行動に戸惑うアヴィに彼女は表情を崩す事無く言った。
「気が触れた訳じゃないから安心しろ……私の尻には父さんが刻んでくれたサラマンダーのルーンがある。小さい物で一回しか使えないが、威力は絶大だ。最も強力な爆発魔法を使う事が出来る……このルーンは外気に晒さなければ使う事が出来ない、それ程までに隠さなければならない力なんだ……」
「それを使えばコイツを……」
「ああ、この迷惑なバケモノを吹き飛ばせる……だからお前は上のアイツを頼む!殺せる武器はあるか!?」
「は、はいっ!任せて下さい!」
私の返事を聞くとイングリットは目線を相手へと移して、そして……。
「枯らし尽くしてやろう……あのクソ女を……!」
今度ははっきりと、どす黒い感情に満ちた笑みを私の前で見せた。声を漏らし凍り付く私には一切目線を移す事なく彼女は走り出していた。
とにかく、今はコイツを止めるべきだ……。
「スラスターユニット展開!モード・アイスエイジ・コマンダーを維持したまま空域戦闘を仕掛ける!」
< 警告。それらのモードは想定範囲以上の負荷ggggggggggggggggggggggg >
その時、私の意識に激しいノイズが走る。アナウンスが途切れ……意識が混濁する。
激しい頭痛の中で、その声は私の耳元で聞こえた。
< 殺すのね、アヴェンタドール……目の前の醜い敵を…… >
「おかあ……さん……!」
< ええ、私は力を貸すわ……誰よりも愛する貴女の為に、その醜悪なバケモノを駆逐する機動力と火力を与える…… >
「違う!憎いから殺すとかそんなのじゃない!……私は、私は!……」
こうしないと、私は自分の意志で敵を殺す本当の殺戮兵器になってしまいそうだと思ったから……
「私は誰かを守る為に戦うんだああああああああああああッ!!」
叫んだ私の背後に、巨大なスラスターユニットが構築される。
もう、私は敵を殺すシステムなんかじゃない……大好きな人に胸を張って、私は頑張ったってそう言える様な……そんな誇り高い……
人間になりたかっただけ!!
「スラスター点火!!これより空中戦を敵に仕掛ける!!」
アナウンスの返答はない。それでも、私の言う事は聞く。
お母さん……貴女は間違ってる!!。私はもう、貴女の思い通りにはならない……きっと貴女は、最高傑作として生みだされた私が廃棄処分された事に怒りを覚えた。そして、此処に私を送った!。
人間として再教育させる為に……自分の意志で人を殺させる為に!!。
冗談じゃない……そんなのは、冗談じゃない!!。私の気持ちは感情を解き放たれた瞬間から決まっている。嫌われて、怖がられて、憎まれて……そんな今までの生き方を変える!!。
私には好きな人が居る、大好きな女の子が居る!!添い遂げたい人が居る、愛した人が居る!!。
その一人の女の子の為だけに、私は……。
「今まで戦ってきたんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああッ!!」
< シンギュラリティ数値、目標を大幅に更新。自意識AIによる操作を優先、マタドールシステムのアップデート完了。これより、当システムの権限は全てアヴィへと移行します >
「私はサシャにもっとキスされたい!!サシャともっとエッチがしたい!!サシャにもっと抱き締められたい!!サシャにもっと頭を撫でられたい!!」
< ようこそ、アヴィ……自由な空へ >
「そして、同じ事をサシャにしたいんだあああああああああああああああああッ!!」
強烈な加速Gを受けながら、私は弾幕とミサイルの飛び交う空へ飛び立った。