殲滅のマタドール:100話 私の腕
『ひひっいひひひっ!!アンジェラの腹部を切開してユグドラシルの種の植え込んだのよ……他のガキの体を使いたァいせつに育てた愛しの我が子……。思った通り、すぐに開花するほどの成長を見せてくれた……』
「……何を……言ってる……?」
『ほら、見なさいイングリットォ?アンジェラの体から飛び出すわよ……人間の肉体を養分にして育った耽美な花が!懸命に命を繋ごうとする彼女の輝きが!……』
……何だ……いったい何が起きてる!?どうなってるんだこれは!?……。
頭痛すら感じる程の混乱の中、私は蹲り絶叫するアンジェラへ視線を向けた。
そして、信じられない光景を見た。
「……アン……ジェラ?……」
……蹲ったアンジェラの背中から……皮膚を突き破り……何かが、生えた……。
それは、血を滴らせた緑の蕾で……そして、それが粘液質な音を立てて震えるのが見えた。彼女の背中からは、さっきナスターシャの腕から出てきた様な弦が突き出し……蠢いている……。
そこで私は理解する……あれをこのままにしてしまったら、ナスターシャまで彼女と同じになってしまう……。
そしてアンジェラは……きっと、もう……。
胸が張り裂ける様な痛みに声を漏らすと、私は成すべき事を認識し彼女へと声を掛ける。
「ナスターシャ!聞いてくれ!……」
「……あ……あ……」
「しっかりしろ!ナスターシャ!」
目を見開いたまま放心状態になっている彼女の肩を揺すると、我に返った彼女はこちらに顔を向けて今まで見た事もないような……縋る様な目で私を見た。
……彼女だけは、助ける!例え、恨まれる事になったとしても!。
「その蔦が胴まで入ったらもう助からない!今ならまだ腕の中だ!だから……」
「……だか、ら……?」
「……お前の腕を……切断する……」
「……っ……!」
私の言葉を聞いた彼女は大きく目を開くと、震えた声を漏らした。
当たり前だ……彼女が傷付けられたのは右手、剣を振るう利き手だ。利き手の損失は、剣士にとっては致命的……それも敵ではなく信頼する私の手で切り落とされるともなれば……そのショックは計り知れない……。
でも、私は……私は……!。
「……アンジェラは……もう、ダメだ……」
「……そん、な……」
「……だから、だから!……もう、私は……自分が心を開いた人も、好きだと言ってくれた人も……失いたくない!……」
……涙が溢れ出して、止まらない……。
胸が痛い、頭が割れそう……体が、引きちぎれそう……。
こんな事、彼女にしたくない……きっと剣士としての尊厳を失ってしまったら彼女は元の様に二度と笑ってくれなくなる。
きっと、憎まれる……。
でも、それ以上に……私は大切な誰かを失うのが怖い……!。
嗚咽を漏らしながら私は硬く目を瞑る。
「……大丈夫……。やって、イングリット……」
「……ナスターシャ……」
「……貴女の為にも、まだ死ねない……死にたくない……!」
「……し、しかし……」
「……左手だけでも……結構強いのよ、私……」
目を開くと、少しぎこちなく彼女は笑っていた。
迷う私を勇気付ける様に……。
その笑顔を見て私は覚悟を決めた……彼女は私を信じてくれた、だから……私も彼女を信じる!。
再度アンジェラに目線を移すと、その赤い狂気の花を満開に咲かせ叫び続けていた。あまり時間はない……彼女が動き出したら真っ先に私達の所に向かってくるはずだ。
床に落とされたナスターシャのサーベルを拾い上げると、彼女の腕の様子を見た。指先まで侵食したソレは、少しずつ上へと上がり肘まで届きそうな位置を蠢いていた。
切断するのは肘から下……それでこの植物の侵食を防げる。剣先を関節に当て立ち位置を整えると、私は激しい罪悪感のままに彼女へ謝った。
「……すまない……一生恨んでくれて……構わない……」
「……私から言いたい事は一つだけよ……」
「……何だ?……」
そこで彼女は、恐ろしい状況を前にしているというのに気丈に笑いながら言った。
「……こうなる前にもう一回アンタを抱いとけば……よかった……」
「……ッ……バカモノ……!」
震える両手で握るサーベルを持ち上げると、私は小さく息を漏らしながら彼女の肘の関節へと振り下ろした。
鈍い破断音と、液体の飛び散る音が鼓膜にこびり付く。そして、続けて響く絶叫が……私の心を揺さぶった。
「いぎぃっ!!ひっ、ぎぃぃぃぃあああああああああああっ!!」
「……すまん!……すまない!……」
「あ、あ、あぁぁぁっ!!あぁぁぁぁっ!!……わたし、の……わたしの……うでぇぇっ……」
……強がってはいたが、やはりそのショックは相当なものだったようだ。
目を見開いたナスターシャは涙と鼻水を垂れ流し、失禁による水溜りをズボンから広げて血の海の中で痙攣する自分の右手を見つめていた。
気が狂いそうになる……申し訳なくて、可哀想で……頭が変になりそうになる……。
だが、私がやらないと!……私が!……。
彼女の履いていたズボンのベルトを外すと、私は錯乱する彼女をどうにか押さえ込みながら切断面の少し上を硬く締め上げた。これで……止血は行えた、幾多の修羅場を潜り抜けてきた彼女ならきっと……肉体は保ってくれる筈だ……。
「ん"ぅ"ぅぅぅぅっ!!……ひっぐ……わだじの、うでぇぇっ……」
「……本当に、すまん……全てが終わったら私を殺してくれて構わない!……」
「……イング……リッドォォッ……」
「……立てるか?この場所は危険だからすぐに−−−−」
彼女を立たせようと肩に手を回した時、背後で不気味な音を立てながら……誰かが立ち上がる気配を感じた。
……彼女が、遂に……起きた……。
……アンジェラ……。
「……オガア……サン……」
「……ア、アンジェラ……」
「……オナ、カ……スイタ……ソレ、タベテ……イイ?……」
「く、来るなっ!……それ以上は……来るなぁぁぁぁっ!!」
持っていたサーベルを掲げると……全身が震えるのを感じ、涙で視界が滲んだ……。
……殺す……殺さないと、いけない!……。そうしなければ……ナスターシャが、殺される……!。
でも、だけど!……アンジェラだって……私の守りたい、人で……!。
どうすれば……どうすれば……どうすればいい!?。
歯をガチガチと鳴らしながら立ち尽くす私のすぐ手前まで……もう彼女は来ている……。
『うふふっ、どうするのイングリットォ?その子はきっと体がその寄生植物に対応しきれてないから……そうねぇ、心臓を一突きにすればちゃあんと死ぬわよォ?』
「黙れ……黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れぇぇぇぇぇっ!!」
『アハハハハハハァァァッ!!はぁん、いいわよぉ♡……アンジェラは大好きなお母さんを殺さない……。その代わりに、腕を切り落としてでも助けようとした相棒を襲う事になるわねぇ……♡』
「だぁまれぇぇぇぇぇぇええええええええええっ!!!」
どう……すれば……。
殺せない、殺せる訳がない!!……この子は、真実を何も知らされず……それでも必死に厳しい中を生きてきた……。そんな子を……殺せと!?。
私を……お母さんって……言ってくれて……。
無理、だ……無理だ……無理だ……無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理ぃぃぃぃぃぃっ!!。出来るわけない、私に殺せる訳ない!!……そんなの、無理だ……!!。
私は……私は……。
「……モウ……コンナノ……ヤダヨ……オカア、サン……」
……アン……ジェラ……?。
「……オネエ……チャン……を……タスケテ……」
……ああ……そう、か……お前はまだ、ちゃんと……意識が……。
自分の中を侵食する……バケモノと……戦って……そして……そして……。
私が止めてくれるって、信じてくれている
「……うぅぅぅぅあああああああああああああああああああああっ!!!」
駆け出した私は、その蔦が絡み付き……弦が無数に飛び出した小さな胸に……サーベルを突き立てた。
深く、根本まで……その心臓へと刃を突き立てた。
「……オカ……サ……ン……」
「……ごめ……ん……ごめん……アンジェラァァッ……」
「……ダイ……スキ……」
その瞬間、彼女の肉体が……崩れ落ちた。
バラバラと……琥珀色の……美しい輝きを放ちながら、彼女が……アンジェラが……割れていく。
まるで、鉱物の様に……硬くなった表面が……ひび割れて、崩れて……!。
「ア、アンジェラぁぁぁぁぁぁっ!!」
強く彼女を抱き締めようとした瞬間に……弱々しい笑顔を刻み込んだその頭が……落ちた……。
まるでグラスを床に落とした時のような……大きな音を立てて……彼女の愛らしい笑顔が……粉々に砕け散った。
……私の手に残されたのは、腹部に赤い色がべったりと張り付いた……彼女の衣類だけだった。
アン……ジェラ……アンジェラ……アンジェラ……。
……また、私は……大切な人……無くした……。シャーリーも、お父さんも、リーも……アンジェラも……皆、消えちゃった……。
……私……また、一人に……。
……いや、まだ……私には……居る……大切な人、居る……。
−−−−−−
フラフラと足を進めるイングリットをナスターシャは朦朧とする意識の中で見つめていた。
あの少女の悲惨な最後を見届けたものの、それに対して涙を流せるだけの精神的な余裕は最早彼女にはなかった。
消耗し尽くした精神の中で、ボンヤリとナスターシャはこちらに歩み寄ってくるイングリットを見つめた。
顔を俯かせた彼女の表情はよく見えない。しかし、彼女の心も深い爪痕を刻まれた事は察する事が出来た。仰向けに倒れたまま彼女を見上げていると、イングリットは静かに膝を突いてナスターシャの体を起こす。
「……イングリット……?」
小さな声で名前を呼んだ瞬間、顔を寄せた彼女は無言のまま唇を重ねた。
突然の行動に驚いたナスターシャは小さく声を漏らすと、目を見開き目の前で唇を重ね続けるイングリットへ視線を向ける。顔が離されると、そこでようやく彼女は目の前の相手がどんな表情をしているのかに気付くことが出来た。
イングリットは、泣きながら笑っていた。
瞳から大粒の涙を零しながら、唇の端を歪に曲げて笑っていた。
唖然とする彼女にイングリットは震えた声で語る。
「……まだ、お前が……居る……。大事な、人……。だから……」
「……貴女……」
「……泣いたら、ダメなんだ……嬉しいから、笑わないと……わらわ……ないと……ひ、ひひっ……ひひ、ひひひひひひひっ!!ひははははははははなはははっ!!」
「イ、イングリット……!」
「ひゃはははははははははっ!!ひ、ひひっ……ひ、あ、あぁぁっ……あぁぁぁっ!……ひぃぃぃぃぃぃああああああああああああああああああああああああああっ!!」
しがみ付くように相手の胸に飛び込んだイングリットは大粒の涙を零しながら絶叫を上げた。そんな、何かが壊れてしまった彼女に言葉を失いつつナスターシャは泣きじゃくる相手の頭を残された左腕で撫でた。
そして、彼女が壊れてしまったようにナスターシャ自身も損耗した精神の中で大切にしていた何かが崩れ落ちるのを感じた。
泣き叫ぶ彼女の頭を撫でるその瞳は悲しみや痛みとは違う情により潤み、頬は赤らんでいた。
二度と彼女は自分の傍を離れない、そんな彼女自身が必死に封じようとした安堵感をナスターシャは抱き始めていた。
−−−−−−−
修復の完了を告げるシークエンスと共に私は立ち上がると全力で駆け出した。
レーヴァテインを室内で発射した食堂は酷い有様だった。壁や天井が纏めて吹き飛び、僅かな瓦礫すらも分解粒子の力により存在が消えていた。まるで最初からその広大な空間のみ最初から何も存在しなかったかのような空白地帯を屋敷に作り上げていた。
やはり、あの武器はあまり使わない方がいい。その威力も然ることながら撃ち手のダメージが想像以上に大き過ぎる……。
確実にトドメを刺せる時に使用しなければあまりにも危険だ……。
走りながらそう決意すると私は扉を開けつつ先を急ぐ。
板の打ち付けられた扉は全て無視する。二人が中に居るならそういった封鎖は破られている筈だ。
そうして足を進め続けていると、広い屋敷の廊下で遂に二人を見つけた。
「イングリット!ナスターシャ!」
見ると、ナスターシャの様子が変だ……。
イングリットに肩を回して、そして……駆け寄った私は彼女の右腕に気付くと思わず震えた声を漏らした。
「ナ、ナスターシャ……そんな……」
「……アンジェラが急に襲い掛かってきた……それで、妙な植物を彼女の腕に……」
「……ッ……それじゃあ……アンジェラは、もう……」
「……ああ……私が楽にしてやった……」
……そんな……そんなのって……!。
あの子は純粋な優しい子で、私がサシャの事を話している時だって……頭を撫でながら慰めてくれて……。
そして、彼女はイングリットが大好きで……まるで、本当の母親の様に慕っていた……。
そんな彼女が……ナスターシャを……。
彼女も、頼れる心強い私達の仲間だ……。聞けば以前、クリスティーヌを止める為に駆けつけてくれた中央司令部警備隊の応援を率いて先頭に立っていたのが彼女だと言う……。
信念と誇りを持ち、そして少しおちゃらけた底抜けに明るい笑顔を持つ素敵な女性……。
そんな彼女が剣士にとっては生命線である利き手を失い……アンジェラは慕っていたイングリットの手で……。
「……う、うぅぅぅ……うぅぅぅあああああああああああああああああああああああああああっ!!」
硬く拳を握り込むと、私は怒りのままに咆哮を上げた。
許さない……こんな惨い事をして、そして観劇でもするかの様に何処かで悲劇を楽しむあの女を……私は許さない!!。
奴だけは……止めようとか、そんな覚悟ではダメだ……奴を、私は……。
「 殺してやる…… 」
「……イング……リット……?」
「……ルーシア・バルザック……あいつは、私がこの手で喉を掻き切ってやる……!」
その瞳は、怒りに燃えていた私が冷静さを取り戻す程に……ドス黒い感情に染まっていた。普段は冷静な彼女が……少し怖いぐらい、殺意の炎を纏っている……。
困惑した様に声を漏らすと、私は彼女を落ち着かせる様に言った。
「と、とにかく!まずはナスターシャを安全な場所まで連れて行きましょう!……こんな状態で一人には−−−」
「……気にするな……こいつは一人でも大丈夫だと言ってた。それよりアイツをさっさと殺せとも私に言ってくれた……」
「で、でも!片腕を失ってるんですよ!?きっとショックだって大きい筈ですし、そんな人を一人になんて……!」
その時、傷付いたナスターシャを心配し声を上げる私の腕を……誰かの腕が掴んだ。その相手が誰であるかを確認し、私は少し苛立ちを覚えつつ彼女へと顔を向けつつ言った。
「ナスターシャ!貴女からも何か言ってやってください!強がらなくても−−−」
そして、私は思わず凍り付いた。
私の腕を掴む彼女の左手は……片腕だというのに……痛いほどに力が強かった……。
「私なら大丈夫だから……」
「……ナスターシャ……?」
「言うことを聞いて、アヴィ?……」
……おかしい……この二人は……何か、おかしくなってしまった……。
私の顔を覗き込むナスターシャは、瞳孔の開いた異様な目付きで……まるで私を威圧するように……こちらを凝視していた。
思わず身を引こうとした私の腕を、凄まじい力で引っ張ると……息が吹き掛かりそうな距離で彼女は私へ囁いた。
「……イングリットを助けてあげて……ね、アヴィ?……」
「……ど、どうしたんですか……二人とも、変です……」
「……私達はいつも通りよ……ねぇ、イングリット?……」
顔を離すと、不気味とすら感じるぐらい明るい笑みをナスターシャは彼女へ向けた……。
イングリットは何も答えず、舌打ちをすると封鎖がされていない扉へ歩きながら苛立たしげに言った。
「……付いてくるならさっさと来い……来ないなら置いていくぞ……」
その言葉を聞き私は慌てて彼女の背中を追った。
心配ではあるものの、ゲームチェンジャーの元へ一人で向かおうとするイングリットはもっと心配だ……。
きっと、二人とも……少し動揺しているんだ。
あんな状況では仕方ない……だからきっと、あの女を倒しさえすれば全て元通りに……。
「……やっと、私だけ……見てくれた……」
その背筋が震える様な声に思わず振り向いた……そして、振り向いた事を後悔した。
私の視線の先では、薄暗い廊下の中でもはっきりと分かるほどに顔を赤らめたナスターシャが……潤んだ瞳を揺らしながら頬に残された手を当てて、不気味に微笑んでいた。