2-138:味噌との再戦
「……一体何なのだ、この味噌は」
雪乃と交代して味噌を掬おうとしたヤナは、何度目かの挑戦の末に疲れたようにそう呟いた。ヤナがやっても、やはり味噌はどうにも樽から出てこないのだ。
「ぼくのみそ、どうなっちゃったの?」
「うむ……どうにも表面が固くて、しゃもじが突き刺さらぬのだぞ」
「何故か石のように固いのよ。さっきさらしを持ち上げて開いたときは普通の味噌だったと思うのに……しゃもじが嫌なのかしら?」
雪乃はそう言うと、大きなスプーンを出してきて味噌樽へと突き立てようとし、またカンと弾かれた。
「駄目ね……何かしら、表面に結界でも張っているみたいに固いわ」
「謎すぎるのだぞ。味噌がそんな現象を起こすなど聞いたこともない……」
長年村に住むヤナですら聞いたことのない現象らしい。
空は自分の味噌樽を見つめ、困ったように眉を下げた。このままではいつまで経っても味噌が食べられない。
「ぐだくさんのおみそしる……」
一番最初はやはり味噌汁にしてもらおう。具沢山ならなお嬉しい。などと考えていた空はこのままではそれが実現しないかもしれないと心配になった。
しかしすぐに思い直し、ヤナに向かってパッと手を差し出した。
「ヤナちゃん、ぼくがやってみる! しゃもじかして!」
「む……やってみるのか? ううむ……まぁ、空が作った味噌だし、もしかしたら空になら従うかも知れぬな」
「その可能性はあるわね」
空以外に触られるのが嫌だ、という強火な主張の可能性もあるか、とヤナと雪乃は顔を見合わせて頷いた。そんな主張をする味噌は何だか嫌だなと少々思いつつ。
何事も挑戦してみなければ、と空はヤナからしゃもじを受け取り、真剣な面持ちで樽を見つめた。空がかろうじて抱えられる大きさの樽自体は、去年味噌を仕込んだときから特に変化も感じない。
空は左手を樽に掛けて中が見えるように傾け、それから味噌の表面をじっと観察してみた。薄茶色の味噌の表面は艶やかで、カビもなく美味しそうだ。
眺めているとその味が気になり、空はしゃもじを一旦置いて雪乃を見上げた。
「ばぁば、これ、さきにちょっとあじみしてもいい?」
「そうね……いいんじゃないかしら」
果たして味見は出来るのだろうか、と考えつつも、雪乃は小さなスプーンを出して空に手渡した。
「しょっぱいから、少しだけにしたほうがいいわよ」
「うん!」
雪乃の助言に頷き、空は小さなスプーンをそっと味噌に近づけた。弾かれるだろうか、とドキドキしながらスプーンの先端を味噌の表面に当てると、予想に反してスプーンはスッと沈み込んだ。
「あ、すくえた!」
「本当か!?」
空が持ち上げたスプーンには、確かに味噌が一欠片入っている。見た目は至って普通の味噌だ。それを見てヤナと雪乃はホッと息を吐いた。
「良かったのだぞ。このまま食べられるのを拒み、熟成するのを待つ気かと心配したぞ……」
「ええ、何かが生まれるまで抵抗するのかと思っていたわ」
二人の心配を余所に、空はスプーンの上の味噌を指でちょんと摘まみ、ほんの少しだけ口に運んだ。
「ん! おみそだ! おいしい!」
空はパッと顔を輝かせ、嬉しそうに声を上げた。
「空、ばぁばにも味見させてちょうだい」
「うん! はい、どうぞ!」
「ありがとう……あら、美味しいわねぇ。香りが良いし、塩気もほどよくて旨味が強いわ」
「どれ……お、これは美味いな! 思ったよりまろやかだし、魔素が豊富なせいか、コクが深い気がするのだぞ」
町内の婦人会でまとめて仕込むいつもの味噌も美味しいが、その出来たてのときよりも味が濃くまろやかな仕上がりになっているように雪乃とヤナには感じられた。
「空が頑張って作っただけあるわね」
「謎に煌めいておるからな……しかし味は思ったより普通で良かったのだぞ」
食べた感じはおかしなこともなさそうだし、空も自分の味噌が褒められて嬉しそうにしているだけで変わったところは特にない。その様子にヤナはホッと胸を撫で下ろした。
雪乃の作るクッキーのように謎の中毒性を発揮したら困るなと密かに心配していたのだ。
「ええ。空なら掬えることがわかって良かったわ。さ、じゃあ分けてしまいましょうか」
「うん!」
空は頷き、スプーンをしゃもじに持ち替えてまた樽の中を覗き込んだ。そして慎重にしゃもじを味噌へと近づける。初めての作業なので丁寧にやろうと考えたのだ。
欲張って一度に沢山掬って、零してしまっては勿体ない。逸る気持ちを抑えながら、空は味噌にしゃもじを突きたて――しかしそのしゃもじは、何故かスッと宙を切った。
「ん?」
先ほどまでのような固い音はしなかった。それは確かだ。
しかし今度は完全な無音で、そのうえ手応えが全くない。不思議に思いさらにしゃもじを動かすが、やはりその手には重さが何も感じられないし、しゃもじに味噌も載ってこない。
何故だろう、と空は思い、顔を近づけて動かしたしゃもじの先をよく見てみた。
「……よけてる!?」
そう、しゃもじの動きに合わせて、味噌がもにょりと二つに分かれ掬われまいと避けている。
その動きは仕込みの際に空の手を避けたのと非常に似ていた。
空は困惑しながら顔を上げて、雪乃に視線を向けた。
「ばぁば……みそって、できあがってからもうごくの!?」
「……そもそも、普通はそんなに元気良く動かないのよ、空。麹を混ぜると活きが良い味噌は確かに少しは動くけど、私たちが作ると空が作ったときほど抵抗はしないのよ」
「なんで!?」
むしろ何故空の味噌がこんなに動くのかのほうが雪乃には謎だ。
「そうか……この味噌は空と再戦したかったのか」
仕込みの際に行われた攻防を聞いていたヤナは、深く納得して頷いた。しかし空には到底納得できない。味見だけは許してやるという態度もまた癪に障る。
「むぅ~! ぼくのみそ、はんこうてき! ぜったいぜったい、みそしるにするんだから!」
空は反抗的な味噌を見つめて唇を尖らせると、ムンッと気合いを入れ直した。
「ていっ!」
速度を上げて素早くしゃもじを振り下ろせば、味噌は慌てて避けたがその一部がざっくりと切り取られる。空はそれを素早く横にあった壺の中に投げるように落とした。雪乃がサッと壺を持って位置を調整してくれたので、零れることもなく味噌は壺に収まった。
「よしっ!」
「上手いわ、空。その調子よ!」
「頑張るのだぞ!」
「うん!」
二人に応援され、空は頷いて樽の中をじっと見つめる。そして腕の動きが早くなるようにと意識しながら再びしゃもじを振り下ろした。
「えいっ! や! あ、このっ! にげちゃ、だめ!」
味噌もなかなか素早く樽の中で身を捩る。しかし空の方が少しばかり素早く、そして去年よりも確実に成長していた。
味噌の動きを見極めてしゃもじを振り下ろし、そこからさらに避ける方向を予測して素早く横や斜めに動かす。そして掬えた味噌をサッと壺に叩き込む。
「いいぞ、空! 良い動きだ!」
「減ってきたら動きが少し鈍くなったわ、頑張って!」
空は応援の声を聞きながら、必死で味噌を追いかけた。樽は以前の桶よりは狭いので追い詰めやすいのだが、空の方も素手ではなくしゃもじなので、角を利用されるとぶつかって逃げられてしまう。
樽の壁に添うようにしゃもじをぐるりと動かしたり、フェイントを掛けたりと工夫しながら、空はじわじわと味噌を掬っていった。
「これで、おわり!」
最後の方はしゃもじからスプーンに持ち替えての作業となった。
空は角に追い詰めた最後の味噌を掬い取り、三つ目の壺にスプーンごと素早く叩き入れた。
「はぁ、はぁ……かった……」
どうにか味噌を移し終えたが、空は肩で息をしていた。正直なところ、仕込みのときより手強かった気がする。
「よくやったのだぞ、空!」
「ええ、とっても良い動きだったわ!」
「ありがと……」
空はそう返事をしつつも、一体自分は何と戦っていたのだろうとしみじみと疑問に思う。いや、味噌だ。それはわかっている。しかし味噌とは本来こんな戦いを必要とするものではないはずだ。雪乃も近所の女性たちも、誰も空のような攻防はしていなかった。
「なんでぼくだけこんな……」
「そうねぇ……私たちは、そもそも大体のことを魔法で済ませちゃうから、気付いてないだけかもしれないわね」
味噌玉を宙に浮かせて機関銃のように樽に投げ入れていた雪乃を思い出し、空は深々とため息を吐いた。
「ぼくも、まほうつかえたらいいのかなぁ」
「もうちょっとの我慢よ」
「うん……」
空は頷き、壺に分けられた味噌を見下ろした。味噌は相変わらずキラキラと煌めいている。その輝きは樽に入っていた時よりなお増し、薄茶色の味噌が金色にすら見える気がした。
「ひょっとして……ぼくのみそ、まそおおすぎ?」
「ひょっとしなくても多すぎるのだぞ!」
「籠める魔力を加減できるように、次からは気をつけましょうね」
ようやくそこに気がついてくれた空に、雪乃は優しく微笑んだのだった。
その後。
壺に入れられた味噌は、今度は雪乃の手を拒まなかった。
疲れ果てた空が壺を自分の前に並べ、「あのね、ぼくはみそをおいしくたべたいんだよ。みそはたべられてこそのみそだとおもうんだ。そのほんぶんをわすれたら、もうそれはみそってなのれないよ。ぼくはみそに、みそでいてほしい。ぼくのみそのおいしさを、かぞくのみんなにもあじわってほしい。なんでもはんこうすればいいってもんじゃないよ。こせいはだいじだけど、そもそもきみたちの、みそとしてのそんざいいぎってものがね――」
などと、懇々と説教したからかもしれない。
途中から空自身も何を言っているのかわからなくなったが、とりあえずその説教は多少は効いたようだ。
何とか無事に使えそうなので、雪乃はさっそく具沢山の味噌汁を作った。
沢山の具材が入った汁に投入された味噌はゆっくりと溶け出し――ここでも抵抗を試みたのか、溶けが異常に悪かったので、雪乃に抱き上げられた空がヤケクソのようにぐるぐるかき回してどうにか溶かし――ついに、美味しい味噌汁が完成したのだった。
「……おいしい!!」
味噌汁はとても美味しかった。具の一つ一つも、汁も、どうもキラキラと煌めいて見えるが、空はもう気にせず口を付け、そして満面の笑みを浮かべた。
具材や出汁の旨味を味噌が優しく包み込み、飲むと何だか力が湧いてきそうな美味しさがある。
味噌との戦いで負った空の疲れを、じんわりと癒やしてくれる気がした。
そもそもそんなことで疲れたくはなかったということはこの際置いておくが。
「本当に美味しいわ。空は料理の才能があるのかもしれないわね」
「うむ、とても美味いのだぞ。だが料理とは少し方向性の違う才能ではないかの?」
雪乃の感想に首を横に振りつつ、しかし味噌汁は美味しい、とヤナも認めてくれた。
幸生は、一口飲んだきり、さっきから天を仰いで固まっている。可愛い孫が一生懸命造った味噌で出来た味噌汁、という物の尊さを深く噛みしめているらしい。
「東京に送る分は、私が丁寧に魔素抜きして送るわね」
「それが良いのだぞ」
真剣な表情で視線を交わし頷く雪乃とヤナを見ながら、空は美味しすぎる味噌汁を啜って、ほうとため息を吐いた。
(変な生き物を生み出す才能だったらやだな……)
次に味噌を造るときは美味しくなれと願いをかけ過ぎないように……したいが、出来るだろうか?
美味しいものが好きすぎる自分を省みながら、空は味噌汁をぐいぐい飲み干し、そしてお椀を差し出した。
「ばぁば、おかわりちょうだい!」
勝利の証のように煌めく味噌汁は、何杯飲んでもいつまでも飽きずに美味しいのだった。




