2-137:味噌樽の開封
「そろそろ味噌を開けましょうか」
冬が間近に迫ったある日、雪乃はふと空の顔を見下ろしてそう呟いた。
その言葉に空は束の間考え、そしてパッと顔を輝かせた。
「みそ! ぼくの!?」
「ええ。そろそろ一年だから、出来上がってると思うのよ」
以前に空が雪乃に連れられて味噌造りに参加してから、もう一年が経とうとしている。
魔砕村周辺の家々で作られる自家製味噌は大豆と米麹で作る、いわゆる田舎味噌と呼ばれるものだ。仕込んでから完成までの期間は大体一年くらい。長く熟成させればさらに美味しくまろやかになるのだが、雪乃は空の味噌だけは早く開けてしまおうと密かに考えていた。
「ぼくのみそ、おいしくなったかなぁ」
「ええ。きっとなってるわ」
雪乃は一度、梅雨明け頃に自家製味噌の様子を見ている。味噌は仕込んでから半年ほど経った頃に、天地返しといって一度かき回す作業が必要になるのだ。そのときに見た空の味噌を思い出し、雪乃は力強く頷いた。
「空の味噌か……そろそろ開けねばな。何かおかしなものになっては困るのだぞ」
ヤナが二人のやり取りを眺めながら、ぼそりと小さく呟く。横にいた幸生がそれに反応して首を傾げた。
「……そんなにか?」
「うむ。天地返しはヤナも手伝ったが、空の味噌だけ輝きが違っておったのだぞ。あれでは二、三年経ったら本当に味噌の精霊が生まれかねん。さっさと消費しなければいかん」
味噌造りの際、空と仕込み途中の味噌は真剣な戦いを繰り広げた。
味噌造りではまず茹でた大豆を丁寧に潰して、そこに塩や麹などの材料を混ぜていく。それが終わったら混ぜたものを手で掬って団子状にし、樽の中に叩きつけるように投げ入れて空気を抜いて詰め込むのだ。
だがその最終工程で、空が団子を作ろうと手を伸ばすと味噌がもにょもにょと動いて逃げ出し、それを捕まえて樽に詰める為に桶の中で激しい追いかけっこを繰り広げた。
白熱した戦いだったが、雪乃や周りの主婦たちに応援されて、最後には全ての味噌を樽に叩き込み空が勝利を収めた。
その勝負によって味噌は新たな段階へ到達したのか、それとも美味しい物を食べたい空の想いが魔力と共に籠められすぎたのか。
理由はわからないが、空の作った味噌は見る者が見れば光り輝いているような代物になってしまっていた。
それが一年の熟成を経て、さらに輝きを増しているのだ。
「じゃあ、倉から樽を取ってくるわね」
「うん!」
何故か空自身はその輝きを特に気にしていないようなのだが。
「ぼくのみそ、どうなってるかなぁ」
雪乃が小さな木の樽を持って戻ってくると、空はその蓋が開けられるのをわくわくしながら見つめた。
空は雪乃の料理の手伝いも好きだが、この味噌は煮豆を潰すところから最後まで、空がほぼ一人でやったのだ。自分が作った、と胸を張って言える味噌に、空の期待値は否応でも上がってしまう。
そんな空の様子に微笑みながら雪乃がパカリと蓋を開けると、味噌の香りが周囲にふわりと広がった。いつも飲む味噌汁と遜色ない、嗅ぎ慣れた良い香りだ。
「わ、いいにおい!」
「ええ、上手く出来ていそうね」
上を覆うさらしを丁寧に開き、中を確かめると雪乃は一つ頷いた。そして樽を空の方へと傾ける。
「上出来よ、空。カビもないし、良い色だわ」
「ほんと!? やったぁ!」
空はその言葉に飛び上がらんばかりに喜んだ。確かに、樽の中の味噌は色が変わったようなところもなく、味噌らしく美味しそうな薄茶色に仕上がっている。色が少し薄いのはまだ出来たての若い味噌だからだろう。
「ええ、とっても綺麗……ちょっと綺麗すぎるかしら? 普通は端の方に多少のカビが付くものなんだけど、全然ないのは何故かしらね……」
眺めていて、カビが少しもなく綺麗すぎるのが逆に気になったらしい。長年の味噌造りの経験を思い出し、雪乃は不思議そうに呟いた。
「かびてないの、いいとおもう!」
それはつまりその部分を取り除いて捨てたりしなくてもよいということだ。食べる部分が減らないのだから、空にとってよいことしかない。
空は自分が作った味噌を嬉しそうにうっとりと見つめた。自分が作ったという欲目があるせいか、何だか味噌がキラキラと煌めいて見える気がする。
「これが、てまえみそっていうやつかなぁ」
過剰な魔素が漏れだし実際に煌めいているのだが、空はそれを自分の気持ちのせいだと判断したようだ。雪乃とヤナは若干おかしなものを見るような目で味噌を見つめ、そして二人同時に頷いた。
「小さい器に移し替えて、さっそく料理に使いましょうね」
「うむ、空の味噌はきっと美味しい。恐らくそれは間違いない……だから皆にも分けてやるとよいのだぞ!」
「うん!」
二人の提案に、空は何も疑うことなく素直に頷いたのだった。
「この壺がいいのではないか?」
そう言ってヤナが持ってきてくれたのは、小さめの陶器の壺だった。小分けにする容器をと、物置から探し出してきたものだ。
「そうね、それにしましょう」
空でも楽に抱えられる大きさの壺は確かに扱いやすそうだ。雪乃は頷いてそれを受け取り、流しに持っていって一度綺麗に洗って拭いた。似た大きさの壺は他にもあり、それらも一緒に洗って丁寧に拭いて乾かす。
「空、紗雪たちのところにも送りたいのよね?」
「うん!」
空は自分で作った味噌を家族にも食べてほしいと前から言っていた。雪乃はそれを思い出し、小分け用のもう少し小さな壺を一つ手に取った。
「この村の味噌はちょっと魔素が強いから、送る分は少しだけにしましょうね」
「そうなの? じゃあそうする!」
この村の味噌がというよりも、空が気合いを入れすぎた味噌がというのが正しいのだが、雪乃はそれは言わずにそう提案し、空もそれに頷いた。
空の樽に入っている味噌は五キロほどだ。家用に二キロくらい入りそうな壺を一つ、同じような大きさのお裾分け用の壺をもう一つ、そして杉山家用に半分ほどの大きさの壺を一つと計三つ用意し、雪乃はしゃもじを手に樽を覗き込んだ。
「じゃあ分けるわね」
「うん!」
空は手伝いのつもりなのか家用の壺を両手で抱え込み、雪乃の方に向けて傾け頷いた。
そんな姿を可愛いと思いながら、雪乃は手にしたしゃもじで空の味噌を掬……おうとして、ピタリと動きを止めた。
「……あら? あらら?」
「ばぁば、どうしたの?」
雪乃は傾けた樽に突っ込んだ腕を何度か動かし、そして不思議そうに首を捻る。
壺を構えて待っていた空は、そんな雪乃の様子に首を傾げた。
「ええと……ちょっと待ってね、空」
雪乃は困惑した様子でしゃもじを戻すと、掛けていた片手を離して樽を床に真っ直ぐ置き直す。そして今度は真上から中を覗き込み、一つ頷くと勢い良くしゃもじを振り下ろした。
カンッ! という硬い音が台所に響く。
「えっ!?」
「……ちょっと待て。今のは味噌が立てていい音だったかの?」
空はその音に驚き、ヤナは胡乱げな顔つきで味噌樽を見つめ呟いた。
勢い良く弾かれたしゃもじを握り、雪乃は思わず額に手を当てため息を吐いたのだった。




