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(4)始まる


 家に近付くにつれ、天候があやしくなってきた。雲が厚くたちこめて、空がどんどん暗くなる。

 小さな体が川に倒れていたのは、同じような天候の日だった。頼りなげなその姿が目に浮かび、不吉な予感がむくむくと膨らんでいく。


 とうとう大粒の雨が降ってくる。自分の家が雨の中に浮かぶ影のように見え始めたとき、スティーレアの目に映ったのは、入口から出てくる三人の人影。

 スティーレアは走り始めた。二人の男に両側から腕を引っ張られ、フルグルが連れ去られようとしている。荒い息をつきながら――スティーレアはなんだか少しばかり、様子がおかしいことに気がついた。

 真ん中のフルグルは涼しい顔で、うんうん唸りながら歩いているのが両側の男の方なのだ。フルグルが何かをしゃべると(!)、両脇の男が信じられないという顔をして飛び退いた。


 一拍置いて。

 光、衝撃、グアラグアラガァッシャンという大音響。焦げ臭い空気。


 ――雷が落ちた、フルグルの真上に!


 失神している二人の男を蹴散らして、スティーレアはフルグルに走り寄った。すると、信じられないことに、その倒れ伏していた人影が立ちあがる。


「や、やあ、スティー。今日もいい天気だね」


 つややかな赤茶の髪を雨になぶらせながら、男がにっこり笑ってそう言った。細められた瞳はごく薄い色をしていて、ご丁寧に、右目の下には稲妻形のあざまであった。フルグルみたいに。

 しかし断じて、それはフルグルではあり得なかった。一瞬で二十才近く、年をとる人間がいるのでなければ。


 雨音が急速に弱まり、やがて止まった。雲の合間から嘘のような陽射しがこぼれて、スティーレアは我に返る。

 とりあえず、なぜその男が自分の名前を知っているのかは置いておいて――スティーレアは家に入ることにした。

 男の横をすり抜けて、足を進める。かわいいフルグルが待つはずの家へと。


「おーい、無視なのか」


 男がスティーレアを追いかけてきて、肩に手をかけた。スティーレアは背が高い方だったが、男はさらに頭一つ分ほど背が高い。


「誰ですか、あなた」


 肩の手を払って振り返り、固い声で男に尋ねた。


「誰って、フルグルに決まってるだろ」


 スティーレアは無言で背を向けると、家の扉をあけて中に入った。男の鼻先で、バタン、と扉を閉めた。



 静かな家の中を満たしていたのは、先ほどまで誰かがいたという気配だけ。

 フルグルがいない。

 ――じゃあ、さっきのアレは、フルグルの亡霊・・・って、亡霊が成長するなんて聞いたことも無い。

 スティーレアは考えながら、雨に濡れた髪や衣服を乾いた布で乱暴に拭った。


 雷の直撃を受けても笑っているような生き物が、雨に濡れたぐらいで風邪をひくかどうかは疑問ではあった。さらには、風邪でもひけばいいのにと思わないこともなかったが、別の乾いた布を手に取った。

 ため息を一つ吐くと、入口の扉を細めに開ける。

 フルグルだと言い張る男は、少し悄然とした様子でそこに立っていた。


 家の中に招き入れると、これまでフルグルが足をぶらんぶらんさせて座っていた小さめの椅子に、当然のようにこしかけた。脚が余っているのが腹立たしい。

 放るように乾いた布を渡すと、少し嬉しげな顔をする。


「とりあえず伺いますけど、あなた、何才ですか」

「歳のこと? ええと、人間でいうと、二十五、六っていうところかな」

「なっ・・・。自分、人間じゃありませんみたいなこと、さらっと言うってどうなのよ」

「だって、割とどうでもいいことだけど、厳密に言ったら違うから」


 その少し不満げな顔は、やっぱり小さなフルグルを思わせた。


「どうでもいい? そこが最も肝心だよね」


 立ったままのスティーレアは、思わず声を荒げた。


「ってことは、認める気になった? ぼくがフルグルだって」

「・・・。考えてみれば、変だと思うことはいろいろあった。妙に体力があるとか。イムベルが一目見るなり隠し子だって思い込んだとか。お茶に向けてた青白い光は言うまでもないし、魚のスープだって」

「ああ、あれはね。川にちょちょっと光を放つと、魚がぷかぷか浮いてくるんだよね。もちろん、食べる分だけにするんだけど」

「うわ、川に魚浮かべたの、この人かっ」

「だってさ。少しは役に立ちたかったから」

「それに。ときどき、やってることから妙におやじが匂うというか、生臭ーい感じのときがあったし・・・ちょっと、そこ笑うとこじゃないでしょう」


 思い出し笑いをしているらしい男を睨みつけると、スティーレアはドサッと音をたてて椅子に座った。笑いたいのはむしろ自分だ、と思った。


「でもね。騙そうと思ったわけじゃないんだ、そんなには」

「そんなにって、何。今の今まで、すっかりきれいに騙されてた。そりゃもう面白かったよね?」

「怒るなよ。子どもじゃなかったら、この家に置いてくれなかっただろう? どっちにしろ、この姿にだって、そう簡単に戻れるもんじゃなかったし」

「ああそうですか大変でしたね。それで結局、あなたはどういう存在なんですか」

「まあ、なんていうか。雷神、みたいな。東方では、裸にトラ柄――牛のしっぽ亭にあったやつね――のパンツ一枚っていうのが、スタンダードな姿みたいだけど。激しく何かが間違ってるね。

ぼくなんか、地に降りてしまえば、人間とほとんど変わらないから。ちょちょっと光が出るくらいで。ただまあ、額の真ん中に目には見えない角があって、これが折れちゃうと子どもになる。

最初に会ったときは、着地に失敗してその状態。稲妻にあたると便利に戻るけど」


 じゅうぶん人間と違うって、とスティーレアは内心でつっこむ。それでも、意を決し、気になることを聞いてみた。


「どうやって、いつ、雷の世界に戻るの?」

「ああ、ぼくはね。もう無理。だってスティー、切っちゃったでしょ、天の糸」

「天の糸? 何それ」

「天と各々をつなぐ糸のようなもの、だな。上に戻るには、それを伝っていく。最初に川で会ったとき、スティーはそれを足で引っ掛けて切ってしまった。

いや、あれには驚いた。普通、そんなに簡単に切れたりしないから。よっぽど心配してくれたんだなあと・・・あの状態のぼくの体に触れるのだって、危険なはずだけど」


 スティーレアは、足に何かを引っ掛けて、ぶち切ったような感覚があったことを思い出した。サァッと血の気が引いていく。


「それがないと、どうしても、絶対、戻れないわけ?」

「そうそう。ぼくはスティーのせいで天上に戻れなくなってしまった、いたいけな子どもなんだ」

「私のせい?」

「いや、ごめんごめん。違うよ。ぼくは最初から、地に降りて生活するって決めてたから。みんな知らないだけで、そんなに珍しいことではないんだよ。たとえば荒物屋の馬鹿旦那だって、正確には人間じゃないな。

もしや、彼のこと好きだったりしないだろうね。こういう系統と、ひかれ合う体質ってあるみたいだけど」


 何を隠そう、スティーレアの淡い初恋の対象は、あのぼんくら男であった。昔々の話だけれど。


「あのね、スティー。馬鹿旦那は、雷よりもすこぶる下等な種類だから」



「いるのか、スティー。薬草茶、買いに来たぞー」

 そのとき、まるで計ったように馬鹿旦那の声がした。それにかぶせるように、グアラグアラガァッシャン、の小さな雷鳴。自称フルグルの指先が、馬鹿旦那の声がした方に向いている。


「ちょっと、今の・・・。やめてよ、商売あがったりだよ」


「なあ、スティー。なんだか調子が悪いから、また出直してくるぞー」

 再び、のんびりとした馬鹿旦那の声がした。


「ちっ。しぶといね」

「わあ。大家さんみたいな舌うちなんか、かわいいフルグルは絶対しなかった」

「猫かぶってたんだよ。そうだ、ぼくの野性的な裸トラパン姿を想像してごらん」


 なぜか自慢げな顔をする男。その瞳の奥に、魚のスープをつくってくれた子どもの瞳がちらりと覗く。


「・・・お、お粗末さま・・・」

「おいっ。あんなにほっぺを蹂躙させてあげたのに」

「ぐっ! このままここにいるつもりなら、子どもの姿のときにあったことは、一切口にしないで。ほっぺとかそういうのは、特にね」

「・・・スティーレア。それは、ここにいてもいいってこと?」

「・・・」

「そうだよねぇ。天の糸が切られちゃった今、帰る場所もないしねぇ。ぼくって気の毒だよねぇ」


 口をきかない子どもの顔色を読むのが、ずいぶん得意になっていたスティーレアには分かった。

 言い方はふざけていても、気持ちはそれほどふざけていないと、分かったのだった。

 なるべくさりげなく聞こえるといいな、という自分の思いを裏切って、応えるスティーレアの声は揺れてしまった。


「別に、気の毒とは思わないけど。私はただ、フルグルに一緒にいて欲%☆+‘λ▽@」

「ん? 最後がよく聞こえなかった」


 でも、ぼくも同じだよ、とフルグルが言ったので、結局は聞こえていたらしかった。

 立ち上がって距離をつめると、フルグルはスティーレアの上にかがみこんだ。


 かすかに、ちゅっと。

 それは、小さな男の子ががんばってしたような、キスだった。

 ほんのわずか、触れただけ。


 だから小さなフルグルを思い出して、スティーレアは微笑んだ。そしてすぐに、後悔する。

 フルグルが微笑んだ自分を見たと思ったら、もう一度、薄い色の瞳がすぐそばにある。

 気がつけば、スティーレアのくちびるは相手の言いなりになっていて、頭の隅で、また騙されたと思っている。


 ――人には見えない額の角が折れると、子どもになるって言ってなかったっけ?


 そう思い出すと同時に、腕を突っ張って顔を離した。相手の額めがけて、ゴッ、と渾身の頭突きをくらわせる。

 ・・・と。


 目の前に、子どものフルグルが不満顔で立っていた。


「やった! かわいい子どものフルグルだ」

「スティー。ひどいな」


 そのとき初めて、子どものフルグルがしゃべるのを聞いたのだったが。


「えええええ? なんで声だけ大人のまま? 気持ちわるっ」

「だーかーら、子どもの姿のときは口をきかなかったんだ」


 スティーレアはフルグルの小さな肩をつかんで揺さぶった。


「それ反則! 無理! 大人に戻って、今すぐ。それか――もういいやこれで。永遠にしゃべらないで」


 小さなフルグルは大人びたしぐさで肩をすくめると、いったん部屋から出ていった。

 その後、部屋に戻ってきたフルグルは、再び大人の姿になっている。

 実は稲妻なんかにあたらなくても、ごく簡単に大人に戻れたんじゃないか――その姿を見て、スティーレアがそんな疑念を持ったのも当然だった。その疑念はいやが上にも膨らんで、他にもいろいろと騙されているんじゃないか、と新たな疑惑が呼び起こされる。




 こうして、疑惑とドタバタの日々が始まろうとしていた。

 しかしとりあえず、スティーレアの当面の目標は、指先光線に負けないおいしい薬草茶を開発すること、になりそうだった。




 おわり




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