第1話 とある出会い
春爛漫の4月。新しい制服に身を包んだ桐生 蒼は、深呼吸をひとつして私立高校の正門をくぐった。
「高校1年、初日が肝心だ……!」
真面目な性格の蒼は、高校デビューで変に浮かないよう、心の中で何度も気を引き締めていた。勉強も部活も、そして人間関係も、すべてにおいてロケットスタートを切るつもりだ。
しかし、そんな蒼の決意は、校舎の玄関を通り過ぎ、自分のクラスである「1年B組」の扉を開けた瞬間に、根本から揺さぶられることになった。
――ざわっ。
教室の空気が、一瞬にして変わった。
窓際の特等席に、ぽつんと座っている女子(に見える生き物)がいた。
透き通るような白い肌、サラリと揺れる黒髪のロングヘア、そして小動物のように潤んだ大きな瞳。周囲の男子たちが、まるで引き寄せられるようにその席の周りに群がり、誰もが息を呑み、見惚れていた。
(なんだあいつ……! いや、待て待て待て待て!)
蒼の脳内で、危険を知らせる警報が激しく鳴り響く。
中学時代の数々のサブカルチャーやネットの沼、そして独自の美学によって鍛え上げられた、蒼の「男の娘フィルター」が全開で起動した。
(あんなに可愛い子が女なわけないだろ!? 令和のこのご時世、あんな作り物めいた美少女が自然界に存在するはずがない。絶対にあれは――“界隈”のプロフェッショナル、あるいは高度な罠だ……!)
蒼は冷や汗を流しながらも、冷静(という名の強い思い込み)を装い、トボトボと自分の席へと歩みを進めた。
奇しくも、その「学年1の美少女」と噂される彼女の斜め前の席が、蒼の指定席だった。
席に座り、机にカバンを置いた蒼に、その美少女がふんわりと柔らかい笑みを浮かべて声をかけてきた。
「あの……おはようございます。今日から同じクラスだよね。よろしくね、蒼くん」
おっとりとした、まるで綿菓子のように甘く優しい声。クラスの男子たちが「ひゃあ……!」と悶絶するような破壊力抜群の挨拶だったが、蒼の脳内では完全に別の解釈に変換されていた。
(ふっ、声のトーンを少し低めに作っているつもりのようだが……甘いな! そこが逆に怪しい!)
蒼はゴクリと喉を鳴らし、真面目な顔のまま、おっとり美少女をじっと見つめた。そして、初対面の挨拶もそこそこに、堪えきれなくなった真実を、まっすぐな目で直球にぶつけてしまった。
「……なぁ。君さ、いくらなんでも胸が全くないじゃないか」
蒼のあまりにも直球すぎる指摘に、教室の空気が氷点下まで冷え込んだ。
しかし、当の白雪琴子は、怒るどころか、きょとんとした顔でまばたきを二、三回繰り返しただけであった。
「えっと……うん。そうだけど?」
おっとりとした声で、琴子はまったく悪びれる様子もなく、むしろ「それが何か?」と言いたげに首をかしげる。その無垢すぎる反応に、蒼の脳内では逆に警戒アラートがけたたましく鳴り響いた。
(ぐっ……! この動じなさ、さすが“界隈”の場数を踏んでいるプロフェッショナルだ……! 普通の女子なら真っ赤になって怒るか泣くかしそうなものなのに、あえて天然を装うことでボロを出さない高度な防衛策……!)
冷や汗を流しながら、蒼はさらに自分の推理を補強するため、教室の後方を指さした。
「ほら、見てみろよ!」
「え?」
「あそこ! あそこにいる、クラスメイトの女子を!」
蒼が指さした先には、ごく普通の、少し日焼けしたポニーテールの女子生徒が、友人と楽しそうにキャッキャとおしゃべりしていた。
「あれが、女だ!!」
「……はあ」
「見ればわかるだろ、あの生活感、あの雑多な雰囲気、そして何より……! いや、これ以上は言わぬが華だがな、とにかく、あぁいうのが本当の“女性”なんだよ! だから、君みたいに透き通るように肌が白くて、仕草がいちいちあざとくて、しかも絶望的に胸がない人間が、女であるはずがないんだ!」
得意げに、しかし真剣な眼差しでそう力説する蒼。
しかし、指さされた方のモブ女子生徒は、自分の話をしていることに気づき、遠くから「えっ、何あの男子……急にこっち指さして失礼じゃない!?」という冷ややかな視線をビシビシと向けていた。
完全に不審者を見る目を向けられていることに気づいていない蒼は、納得したようにうんうと頷いている。
そんな彼の様子を、琴子はふんわりと柔らかい笑みを崩さぬまま、じっと見つめていた。
(……この人、面白いなあ。初対面でいきなり胸のことを真剣に指摘してくるなんて……それに、私のこと男の娘だなんて本気で信じ込んでいるみたい)
琴子は内心でクスリと微笑むと、さらに一歩、蒼の席へと身を乗り出した。
「ふふっ。じゃあさ、蒼くんのその理論だと、私が生粋の女の子だって証明できたら、どうする?」
「は? 証明できるものならしてみろよ。どうせ無理――」
「うーん、そうだなぁ。じゃあ、今度の体育の持久走も、生徒会のお仕事も、全部私の方が勝っちゃったら……私のことを『可愛い女の子』って、ちゃんと認めてくれる?」
涼やかな笑顔でそう言い放つ琴子。
学年1の美少女にして、文武両道のハイスペック完璧超人。彼女の秘めたる反撃の狼煙が上がった瞬間だった。




