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ロビン

【AI使用】文内の言い回しの変換にAIを使用しています。




 世界は不公平だ、などという使い古された台詞を口にするつもりはない。むしろ、世界は酷く残酷なまでに公平なのだと、僕は自分の手を見つめるたびに思う。注いだ熱量の分だけ、積み上げた時間の分だけ、すべてが正しく肉体に刻まれるはずだった。

 僕の歯車はどこで狂ってしまったのだろう。


 カチ、と小さな音を立てて、指先に灯した小さな火球が爆ぜた。初級魔法『灯火』。本来なら、夜道で足元を照らすための、熱を持たない、ただの優しい火であるはずの魔法だ。しかし、僕の指先に浮かんだそれは、不自然なほどに赤黒く、周囲の空気を歪めるほどの熱を放っていた。

 ボッ、と嫌な音を立てて火球が膨れ上がり、僕は慌てて魔力の供給を断つ。煤の匂いだけが、僕の寝室に虚しく残された。


「……またこれだ。どうしても、小さくできない」


 溜息すら、もう出尽くしてしまった。残る熱は、僕の不器用さを嘲笑うかのように、いつまでも掌の皮膚の上で燻り続けている。



 僕の名前はロビン。魔法の歴史にその名を連ねる、由緒正しき魔導家系の嫡男だ。

 小さな頃、僕は間違いなく『神童』と呼ばれていた。物心がつく前から本を読み、大人が驚くような速度で魔力の概念を理解した。五歳の頃には、同年代の誰もが使えなかった初級魔法を、完璧にではないにしろ発動させてみせた。あの時、両親の顔に浮かんだ誇らしげな笑みと、周囲からの惜しみない賛辞は、今でも僕の胸の奥に淡い光として残っている。


 あの頃の僕を象徴する、決定的な出来事があった。

 僕が七歳の時、領地の一部である深い森から、魔獣ワイルドボアが群れをなして人里へと降りてきたことがあった。本来なら大人の戦闘魔導師が数人がかりで対処する手強い魔獣だ。警戒網を抜けて屋敷の裏庭にまで侵入してきた一頭の魔獣を前に、使用人たちは悲鳴を上げて逃げ惑うしかなかった。


 そこに居合わせたのが、幼い僕だった。

 恐怖よりも、身体の奥から湧き上がる魔力の衝動が勝っていた。僕は小さな木製の杖を真っ直ぐに構え、習いたての初級攻撃魔法『炎弾』を放った。

 驚くべきことに、僕の手から放たれたのは、大人の魔導師が放つそれよりも二回りは巨大な、激しい轟音を伴う火炎の塊だった。炎は一撃で魔獣を消し炭にし、裏庭の石畳までを赤く溶かした。


「素晴らしい! なんという魔力量、なんという才能だ!」


 駆けつけた父は、僕を抱き上げ、涙を流して喜んだ。周囲の大人たちも、僕の未来に無限の可能性を見た。

 絶対にいつかひらけるときが来ると、なんの根拠も無かったけれど、ただ一心不乱に信じていた日々。

 泥に塗れ、汗を流し、夜が明けるまで魔導書をめくり続けた。努力は裏切らないと、そう信じて疑わなかった。あの七歳の記憶が、僕の原動力であり、同時に呪いでもあった。



 しかし、十歳を過ぎた頃、世界は僕の目の前でその色を変えた。


「ロビン、今日の課題終わった? 私はもう終わらせちゃったよ。ほら、こうすれば簡単だよ」


 そう言って、僕の隣で軽やかに杖を振るったのは、幼馴染であり、僕の婚約者でもあるシェリルだった。彼女の家もまた、我が家に劣らぬ魔法の名門だ。


 彼女の放った中級魔法『水弾』は、寸分の狂いもなく、庭に設置された標的の真ん中を撃ち抜いた。水飛沫は美しく円を描き、無駄な霧散は一切ない。完璧な、教科書通りの魔法の行使。


「すごいね、シェリル。もう中級をそんなに安定して使えるなんて」


 僕は精一杯の笑みを浮かべて彼女を称賛した。けれど、僕の心臓は嫌な音を立てて脈打っていた。


 幼い頃のシェリルは、どちらかと言えば「普通」の子だった。僕が初級魔法を扱えるようになった時、彼女はまだ魔力の感知すらおぼつかなかったはずだ。でも、彼女は驚くほど飲み込みが早い少女だった。彼女に魔法のコツを教えたのは僕だったが、僕が言ったことを彼女はすぐに理解して実行した。何をどれだけやれば、求められる成果を出せるのか、直感的に理解してそれを、実行する。彼女はそれをして見せた。


 十歳を迎える頃には、彼女はすでに僕と並んでいた。そして、中級魔法を先に使いこなすようになったのは、僕ではなくシェリルの方だった。


「ロビンは、ちょっと力が入りすぎなんじゃない? もっとこう、力を抜いて、すっと流すようにやればいいのよ。あふれた力がもったいないわ」


 彼女に悪気はなかったのだろう。純粋なアドバイスのつもりだったに違いない。

 でも、それができないから、僕は血を吐くような思いで泥を舐めていたのだ。


 僕の身体に眠る魔力は、異常なほどに高かった。それが判明したのは、僕の成長が完全に停滞したように見え始めた頃だった。身体の成長に伴い、僕の体内の魔力はどんどん増えていった。それに従って魔法がうまく使えなくなっていった。

 例えば、十の魔力が必要な魔法があるとする。シェリルは、自分の体から正確に十の魔力を引き出し、それをそのまま魔法へと変換できる。無駄がなく、美しく、燃費が良い。


 対して、僕はどうだったか。

 十の魔力が必要な魔法を使おうとして、十の魔力を出したつもりでも、二十、あるいは三十の魔力が勝手に引き出されてしまうのだ。器から溢れ出た過剰な魔力は、魔法の形を歪ませ、時には暴発寸前となり、結果として不完全な形で霧散するか、威力を制御できずに自滅する。蛇口を少しだけ開けてコップに水を注ぎたいのに、僕の蛇口はひねった瞬間に濁流が噴き出す。そんな状態だった。

 大は小を兼ねない。魔力は高ければ高いほどいいってものじゃない。僕がそれを実証していた。


 当たり前のように思っていたことを、当たり前のようにこなせなくなったと気付いた日々のことを覚えている。


 昨日までできていたはずのコントロールが、身体の成長とともに増大する魔力のせいで、今日にはできなくなっている。

 昨日よりも不器用になり、昨日よりも無様な魔法しか使えなくなる。かつて魔獣を一撃で倒したあの輝かしい魔力は、今や僕を縛り付ける鎖へと変わっていた。その恐怖と絶望が、どれほどのものか、誰が理解してくれただろう。


「ロビン、今日も補習なの? ……ねぇ、魔法を使うのではなく研究する方とか、違う分野にも目を向けてみたら?」


 魔道家系の僕に違う道を進めるなんて。いつしか、シェリルの声から温かみが消えていったように感じた。

 高等学園に進学した頃には、僕たちの立場は完全に逆転していた。


 成績で言えば、シェリルは『上の下』。学園でも優秀な生徒として名を馳せ、教師たちからの期待も厚い。自分の魔力に見合った高度な中級魔法をいくつも履修している。その一方で生徒会に入り、様々な活動をしていて、慕う生徒も多数いると聞いている。

 一方の僕はどんなに頑張っても『中の上』。決して最底辺ではない。学科の試験では常に上位をキープしているし、初級魔法の知識なら誰にも負けない。けれど、実技になれば、過剰な魔力を抑え込むだけで精一杯になり、まともに魔法を披露することすらできない。周囲からは「昔は凄かったのに、今はただの凡人」とか「魔力だ多いだけの見掛け倒し」と囁かれていた。


 高等学園一年生の時、僕は文字通り暗闇の中にいた。

 隣を歩くシェリルは、光り輝く階段を上っていく。僕はその背中を追いかけようと、擦り切れた足で必死に地面を這う。頑張っても、頑張っても、追いつけない。それどころか、距離は開いていく一方だ。


「ロビン、明日の実技試験、私、ハインド君と組むことになったの。」


 ある日、学園の廊下でシェリルが素っ気なくそう言った。

「……ハインド? 確か、一組の……」

「ええ。彼、すごく優秀なんですって。ただ、周りとあまり慣れあう人じゃないみたいで、一緒に組んでくれって先生に言われたの。魔力の使い方が綺麗で、一緒に演習をしていてすごく勉強になるのよ。」


 彼女の瞳は、僕を見る時には決して見せない、純粋な憧れと熱を帯びているように見えた。それは恋慕というよりも、自分をもっと高みに導いてくれる優れた存在への視線に思えた。

 胸の奥が、ズキリと痛んだ。優秀な婚約者に対する引け目。頑張っているのに結果を残せない自分への、どうしようもない嫌悪感。そして、彼女の瞳の奥にある、僕に対する明らかな『落胆』の色。


 僕は何も言えずに、ただ「そうなんだ、頑張って」と、引きつった笑顔を返すことしかできなかった。




 高等学園二年生に進級すると、状況はさらに悪化した。

 シェリルと僕は同じクラスになったが、彼女が僕の隣に座ることはほとんどなくなっていた。彼女の視線の先には、いつも一人の少年がいた。


 ハインド・ローウェル。

 没落しかけているとはいえ、古い歴史を持つ魔導貴族の血筋で、何よりもその才能は圧倒的だった。学科試験も実技成績も常に学年トップ。彼の中級魔法は、まるで芸術品のように洗練されており、無駄な魔力の放射が一切ない。シェリルが目指す効率的な魔法の、まさに究極系がそこにあった。


「ハインド君、ここの術式の展開、もう少し詳しく教えてもらえる?」

「……教科書の三十二ページ通りにやれば、誰でもできると思うけど」


 放課後の教室で、シェリルは熱心にハインドに話しかけていた。ハインドという少年は、どこか冷淡というか、他人に興味がなさそうな風情で、シェリルのアプローチに対しても「ただのクラスメイト」として、事務的な対応を崩さなかった。


 けれど、シェリルの心は完全に僕から離れていた。それは僕への嫌がらせでも、悪意でもない。彼女にとって、結婚や婚約とは「自分を高め、互いに利益をもたらすための最適なパートナーシップ」でしかなかったのだろう。伸び悩む僕に見切りをつけ、より相応しい相手としてハインドに目を向けるのは、彼女の合理的な価値観からすれば、極めて自然なことに思える。


 ある日の週末、我が家の本邸で、両親と僕を交えた苦苦しい話し合いが行われていた。

 そこには、シェリルとその両親も同席していた。


「――というわけです、伯父様」


 紅茶の湯気が揺れる静かな応接室で、シェリルは淡々と、しかし毅然とした口調で切り出した。

「私とロビン様の婚約を、ここで一度白紙に戻していただきたいのです。我が家と、そして私自身の将来を見据えた上での、極めて現実的な判断です」


 僕の父は、不機嫌そうに眉をひねった。

「シェリル殿、我が息子のロビンは確かに実技で苦戦しているが、学科の成績は優秀だ。大器晩成という言葉もある。今ここで婚約を解消するのは、いささか早計ではないか?」


「いいえ、早計ではありません」

 シェリルは冷徹に言い放った。

「魔法至上主義のこの国において、実技、すなわち『出力の制御』ができない魔導師は、どれだけ知識があろうとも前線には立てません。ロビン様はもう何年も『中の上』で停滞していらっしゃる。私も父も、何度も違う可能性を模索することを勧めましたが、彼はこの道以外には進まないといいます。私は、私と共に高め合えるパートナーが欲しいのです。」


 彼女の言葉には、僕を蔑むような悪意はなかった。ただ、そこにあるのは圧倒的な『無関心』と『切り捨て』だった。それが、かえって僕の心を深く抉った。


 彼女の両親も、娘の要領の良さと現実的な視線を支持していた。

「我が家としても、娘とともに歩んでくれる人と未来を歩ませたい。ロビン君のこれまでの努力は認めるが、進みたい道に結果が出ない以上、他の道もあると思ってる。だが、本人にその意思がないのであれば、どうしもうもない。お互い縁がなかったものと思っている」


 父は悔しそうに拳を握りしめ、母は悲しげに俯いた。

 僕は、じっと自分の膝の上で握りしめられた手を見た。

 悔しかった。情けなかった。叫び出したかった。


 その日の夜、自室に戻った僕は、ベッドの中で一人、押し潰されそうな絶望と戦っていた。

 彼女が去った部屋の静寂が、僕の無能さを証明しているようだった。

 枕に顔を押し付け、声を殺して呟く。


 ―― 君を目にするのが怖い。どうしても君を見るのがこわくて眠れない。


 明日になれば、また学園でシェリルの姿を見るだろう。彼女は僕を通り過ぎ、他の優秀な男の元へと歩いていく。その洗練された姿を見るたびに、自分の不甲斐なさが、不器用さが、これでもかと突きつけられるのだ。


 ―― 進みもしないけど後退もしなくて、もういい加減うんざりだ。


 毎晩、血がにじむほど杖を振っても、僕の魔法は変わらない。進歩もなければ、決定的な破滅もない。ただ意味のない檻の中に閉じ込められている。

 いっそ、彼女が、あるいは世界が、僕を完全に突き放してくれれば楽なのに。


 ―― 君が君の大切な人を見つけて手に入れてしまえばいいのに。そうしたら楽かな。そうしたら、もっと普通に出来るんだろうか。


 彼女が他の誰かと結ばれて、僕の視界から完全に消え去ってくれれば、この見えない比較から解放されるのだろうか。そうなれば、僕は『神童』という過去の幻影を捨てて、本当の意味で、身の丈に合った「普通」の人間として生きられるのだろうか。



 二年生の終わり。

 手続きは淡々と進み、僕とシェリルの婚約は正式に解消された。

 周囲の生徒たちは僕を「婚約者に捨てられた哀れな元天才」と呼び、陰で嘲笑った。シェリルは僕の視界から完全に消え、今度はハインドを次のターゲットとしたのか、必死にアプローチをしていた。


 独りになった僕は、夜の演習場で、ただひたすらに杖を振り続けていた。

 婚約を解消されたからといって、僕の魔法の練習が止まるわけではなかった。むしろ、呪縛から解き放たれたかのように、さらに狂気じみた密度の鍛練へと没頭していった。


 僕はあの時、このプライドの高さを砦にして、自分が思うより前を向いて生きていけていたんだろう。


 惨めな自分を認めたくなかった。シェリルに「将来性がない」と切り捨てられたままで終わるのが、どうしても許せなかった。誰に見せるためでもない。ただ、僕の中に残された最後の誇りを守るために、傷だらけの手で魔力を練り続けた。




 三年生になり、学園の空気は一変した。卒業を控え、進路や実戦的な魔法の習得に誰もがピリピリし始める時期だ。


 シェリルは、ハインドへのアプローチを必死に続けていた。

 毎日のように彼に話しかけ、彼好みの魔導書を調べ、演習では必ず彼と組もうとした。さらに、彼女の両親を動かし、ローウェル家に対して正式に「婚約の打診」まで行わせたという。

 結果は、惨敗だったようだけど。


 ローウェル家からの返答は、冷酷なまでに簡潔な拒絶だったと聞いた。ハインド自身が「彼女にその気はない。彼女の魔法はただの模倣であり、僕の研究の役には立たない」と一蹴したらしい。

 しかし、ハインドがダメだと分かった瞬間、彼女はすぐに次の候補を探し始め、他のクラスの有力な貴族の男子に声をかけ始めていた。どこまでも自分に投資してくれる人を探す、その貪欲な姿勢は、ある意味で徹底していた。


 そんな彼女の狂騒を他所に、僕の世界にある日、予期せぬ人物が現れた。


 放課後、いつものように誰もいない旧校舎の裏庭で、僕は魔力の制御訓練をしていた。

 初級魔法『泥濘』。地面を少しだけ泥化させ、足止めをする魔法だ。

 だが、僕が使うと、地面は泥化するどころか、まるで大地震でも起きたかのように激しくめくれ上がり、周囲の木々を巻き込んで土砂崩れのような惨状を引き起こした。


「……はぁ、はぁ。また、出力が多すぎる。十でいいのに、百も出る……」


 息を切らし、膝をついた僕の頭上から、不意に声が降ってきた。


「君、面白い魔法の使い方をするね」


 驚いて顔を上げると、そこには見覚えのある銀髪の少年が立っていた。ハインド・ローウェルだった。彼はいつも通りの無表情で、めくれ上がった地面と、僕の持つ杖を交互に見つめていた。


「ハインド……君」

「怒らないで聞いてほしいんだけど、君の魔法、すごく下手くそだ」


 初対面に等しい僕に対して、彼は容赦のない言葉を放った。僕は苦笑するしかなかった。

「知っているよ。僕には制御の才能がないんだ。魔力だけが無駄に多くて、蛇口が壊れている」

「違うよ」


 ハインドは首を振った。彼は僕の隣まで歩いてくると、自らの杖を取り出し、地面に複雑な数式を描き始めた。


「蛇口が壊れているんじゃない。君の身体は、大きな川なんだ。それなのに、君はストローで水を吸い上げようとしている。だからストローが破裂するんだよ。

 実はね、僕、新しい魔法理論を研究しているんだ。魔力等倍放射による術式拡張理論って言って、簡単に言えば魔力を絞るのではなく、溢れ出る魔力に合わせて術式そのものをその場で拡大・補強する制御方法なんだけど」


 彼の口から語られる理論は、僕が今までどの教師からも言われなかった、全く新しい視点だった。

 学園の教師たちは皆、「もっと魔力を絞れ」「細く出すイメージを持て」としか言わなかった。僕は言われた通りに、必死に魔力を小さく、小さくしようとして、結果として暴発させていたのだ。


「君の元婚約者のシェリルさんは、自分の魔力量が『小さな池』だと知っている。だから、既存の教科書通りの術式に綺麗に当てはめられる。それが彼女の要領の良さだ。でも、君の魔力は桁が違う。君に必要なのは、制御するんじゃなくて大きさにみあった解放をすることだ。僕の理論の実証実験に、付き合ってくれないか?」


 ハインドの持つ圧倒的な知識と理論、そして僕が持つ過剰なまでの魔力。

 二つの歯車が、今この時、完璧に噛み合った。


「ロビン、そこは魔力を抑えるな。そのまま全部流し込め。ただし、僕が組んだこの拡張数式を術式の『外壁』に組み込め!」

「こうか……!?」


 ハインドの指示通り、僕は魔力を抑えるのをやめた。身体の奥から湧き上がる濁流のような魔力を、そのまま全て解放する。その代わり、ハインドが開発した理論に基づき、魔法を展開する術式の外枠を、僕の魔力に見合うだけの頑丈なものへと瞬時に書き換えた。


 キィィィン――。


 空間が鳴動した。

 僕の指先に生み出されたのは、暴発寸前の赤黒い火球ではない。

 透き通るような純白の、あるいは完璧に静謐を保った、巨大な光球だった。


「……できた」

「素晴らしい。僕の『魔力制御理論』は、やはり正しかった」


 ハインドは珍しく嬉しそうに微笑んだ。出力を完全に等倍でコントロールできるようになった瞬間、僕の世界を覆っていた霧は、綺麗さっぱりと消え去った。百の魔力が必要なものには百を。千の魔力が必要なものには千を。ただ、その量に見合った正しい術式を組む。


 三年生の秋を迎える頃には、僕は学園内に十人もいないとされる『上級魔法』の使い手へと変貌を遂げていた。



 そんな僕たちの成果が、学園の外で試される日が突然訪れた。


 冬の初め、学園からほど近い山間部の町が、突如として発生した大型の魔獣、岩鋼竜の襲撃を受けた。岩鋼竜は山を削り、その強固な皮膚は通常の中級魔法をすべて弾き返してしまう。町を守る結界は破壊寸前で、派遣されたギルドの魔導師たちも撤退を余儀なくされるという、いまだかつてない危機だった。


 学園にも緊急の防衛要請が届き、実技上位の生徒たちが動員されることになった。その中には、僕とハインド、そして遠くにシェリルの姿もあった。


 現地に到着した僕たちの目に飛び込んできたのは、地獄のような光景だった。

 家々は破壊され、巨大な岩の塊のような竜が、咆哮を上げて町へと進撃している。


「ロビン、実験の成果を見せる時が来たようだね」

 ハインドが、嵐の中でも驚くほど冷静な声で僕の肩を叩いた。

「僕が、奴の動きを完全に封じる広域術式を即興で構築する。ハインド式魔力制御理論の最大展開だ。君は、その中心に君の全魔力を流し込み、上級魔法を発動させてくれ。計算上、奴の防御壁を完全に貫通できる」


「分かった。ハインド、君の理論を信じる」


 ハインドが杖を地面に突き立てると、彼の洗練された魔力が走り、竜の足元に巨大な幾何学模様の何重もの魔法陣が展開された。

「今だ、ロビン! とまどうな、すべてを解き放て!」


「――絶天破砕!!」


 僕の身体から、かつてないほどの、それこそ数百、数千の魔力が一気に噴出した。いつもなら自爆を恐れて押し留めていた濁流を、ハインドが構築した頑丈な拡張術式へとすべて流し込む。

 術式は僕の魔力を等倍で受け止め、完璧な上級破壊魔法へと変換した。


 ドォォォォォォン!!!


 天を衝くような純白の光の柱が、岩鋼竜を包み込んだ。

 咆哮すら上げる間もなく、山のようだった魔獣の巨体は、その強固な岩の皮膚ごと一瞬で押しつぶされた。


 静寂が訪れる。

 破壊された町の手前で、僕とハインドは息を切らせながら、しかし確かな達成感を持って拳を突き合わせた。


 後方では、シェリルや、生き残った魔導師たちが、言葉を失ってその光景を見つめていた。特にシェリルは、自分が「将来性がない」と切り捨てた男が、自分の遥か手の届かない次元の力を発揮したことに、ただただ愕然としていたようだった。


 この一件は、すぐに王都へと報告された。

 ハインドが開発した『魔力制御理論』、そしてそれを完璧に体現して災厄を払ったロビンの圧倒的な力。国はこれを無視できなかった。


 結果として、ハインドはその類稀なる頭脳を認められ、弱冠十八歳にして王立魔法研究所の特別研究員としての席を用意された。彼の理論は、今後の国の魔法教育を根本から変えるものとして称賛された。

 そして僕は、その理論の最大の実践者であり、国を救った英雄として、歴史上最年少での王宮魔術師への内定が出たのだった。




 卒業式を間近に控えた冬の日、僕は放課後の図書室で、ハインドと並んで書類を眺めていた。


「王宮魔術師いか。相変わらず極端だね、君は」

「ハインドの理論のおかげだよ。君が王立魔法研究所で新しい術式を作ってくれないと、僕の魔力はまた行き場をなくしてしまう」

「ふん、言われなくても、君専用の特大の器をいくらでも開発してあげるさ。……そう言えば、ロビン。僕の妹のルシアだけど、最近毎日のように君への手紙を書いていてね。僕としては、君が義理の弟になってくれたら、毎日魔法の議論ができて最高なんだけど」


 ハインドは悪戯っぽく笑った。

 ハインドとの交流を通じて、僕は彼の家族とも親しくなった。特に彼の妹であるルシアは、僕の不器用な性格をそのまま受け入れてくれる、とても優しく健気な少女だった。僕たちは自然と惹かれ合い、先日、両家の間で正式に婚約が交わされたばかりだった。

 ちなみに、ハインド自身もすでに、他国の優秀な魔導家系の令嬢との婚約が決まっていた。


 図書室を出て、夕暮れに染まる廊下を歩いていると、曲がり角で一人の人影が待ち伏せしていた。


 シェリルだった。


 かつての合理的な輝きは影を潜め、どこか窶れた様子で、彼女は僕を見つめていた。ハインドに断られた後、いくつかの家と交渉したようだが、今や「史上最年少の王宮魔術師」である僕を切り捨てたという悪評が災いし、婚約者は決まっていなかったようだ。


「……ロビン」

「シェリル。何か用かい?」


 僕は足を止め、極めて事務的に問いかけた。


「あのね、ロビン。私……聞いたわ。あなたが王宮魔術師に選ばれたって。ハインド君の理論を一番に使いこなしたのも、あなただって」

 彼女は、どこか諦めきれないような、ダメ元といった風情ですがるような笑みを浮かべた。

「ねえ、ロビン。私たちの婚約、もう一度やり直せないかしら? ずっと隣にいた私なら、あなたを一番に支えられるわ。両親もね、あなたとの再婚約なら、どんな条件でも飲むって言っているの」


 彼女の言葉には、かつてのような高慢さすらなく、ただ必死に「今の最高牌」を手に入れようとする、哀れなほどの計算高さだけが残っていた。


「断るよ、シェリル」

 僕は静かに、しかし明確に拒絶した。

「僕にはすでに、ルシアという大切な婚約者がいる。ハインドの妹だよ」


「……そう、ローウェル家の……。遅かったのね」

 シェリルは力なく笑った。彼女は激しく泣き叫ぶわけでもなく、ただ「計算を間違えた」とでも言うように、深く溜息をついた。


「もう行くよ、シェリル。お元気で」

 僕は彼女の横を通り過ぎ、背を向けて歩き出した。


 彼女は結局、その後も自分の理想に叶う相手を見つけることができず、地方の領主の後妻になったと聞いた。



 脳裏に蘇るのは、あの暗闇の学園一年生の日々。

 誰に褒められるためにやったわけでもないし、ただ自分の名誉のためにしたことだから、あのとき、今よりもずっと幼い心で、それでも理性を失い切ることなく、「いつか」を信じてひた走れた僕を、自分で認めなくては。なにも後悔はしていないと、言い切らなくては。


 学園の正門を出ると、美しい茜色の夕焼けが世界を染め上げていた。

 校門の近くでは、ハインドが腕を組んで僕を待っていた。


「遅かったね、ロビン。また元婚約者に捕まっていたのか?」

「まあね。でも、もう完全に話は終わったよ」

「そう。じゃあ、これからの話をしよう。魔法省の書庫にある、失われた古代術式の閲覧許可が下りたんだ。明日からでも一緒に見に行こう」

「最高だね。ハインド、君と友達になれて本当に良かった」


 僕たちは笑い合いながら、並んで歩き出す。

 王宮魔術師、王立研究所の天才。世界は僕たちをそんな大層な言葉で飾るだろう。


 けれど。

 家路につく人々の、何気ない笑い声を聞きながら、僕の胸の奥に、ぽつりと小さな感情が湧き上がってくるのを止められなかった。


 もしも。

 もしも、僕の魔力が最初から普通だったら。

 もしも、僕が十の魔法に、正確に十の魔力を出せるような、ありふれた人間だったら。

 僕はシェリルと、それなりに要領よく付き合って、普通に結婚して、普通に家を継いで、何の後悔も波瀾万丈もなく、ただ穏やかな一生を終えていたのかもしれない。


 それでも、僕は、普通に生きてみたかった。

 躓くことなく、ただ健やかに、特別じゃなくてもいいから。


 天才であることを求められ、異常であることを強いられ、それを克服しなければ生き残れなかったこの世界で。

「普通に生きたい」と願うことは、そんなにも贅沢で、傲慢な、罪深いことだったのだろうか。


「ロビン? どうしたんだい、急に立ち止まって」

 前を歩くハインドが、怪訝そうに振り返る。

 僕はハッと我に返り、自分の胸の中の小さなセンチメンタリズムを、そっと心の奥底へと仕舞い込んだ。


「ううん、何でもないよ。明日の古代術式、僕が先に解読してみせるからね」

「ふん、言ってくれるじゃないか。僕が作った理論を忘れないことだね」


 ハインドが不敵に笑う。

 普通に生きられなかった僕の人生。それはきっと、罪なんかじゃない。

 僕は強く地面を蹴り、茜色の光の中へ、友の背中を追って歩みを進めた。


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