頭痛薬でどうにかするしかなかった夜
絡まった内臓の模造品を解いてからまたしばらくが経った。
季節は相変わらず秋……ここまで秋が続くと、やっぱり私の某かが異常を来していたと考えるほうが自然かもしれない。
それでも今となってはそんなことも大した問題ではないから、このまま秋だったということで話を続けようと思う。
私は相変わらず厚くも薄くもないスーツを着込んで日々のあれこれをこなしていたわけだけれども、同期だってなにもしていなかったわけではない。
なにせ──
「課長から、使わなくなった技術書が沢山あるから家に取りにこないか、って言われてるんだけど坂口さんも一緒にどう?」
──という提案をしてくれるくらいには、勉強熱心だったのだから。
ちなみに、ここまでの話でなんとなく察していただけると思うけれども、上司は同期のことをかなり気に入っていた。
ちなみに、ここまでの話でなんとなく察していただけると思うけれども、同期は上司のことを気難しいところがあっても頼れる上司だと思っていた。
……まあ、少なくとも私がお呼びでないことだけはたしかだった。
そんなわけで、やたら鋭い上司の視線を横目に見ながら「ペットの世話があるからちょっと遠慮するね」などと断ったわけだけれども。
これだから坂口はいつまで経っても、云々。
同期を見習って向上心を、云々。
こういった差が業務にも、云々。
お前がそんなだから親が、云々。
という、とてもありがたい助言をいただくことになった。
その間、同期は困惑した表情で私たちの顔を交互に見ていた。
後になって「まさか坂口さんが断ると思わなかった」と思っていたことを知った。
なぜその感想に至ったのか小一時間問い詰めたい。
いや、実際に小一時間問い詰める暇なんて当時はなかったのだけれども。
ともかく追及しそこねながらも、下心が隠しきれていない相手の家に一人で向かうようなことはさすがにしないと思い、いつものように頭痛薬を飲みながら積み重なった不具合をどうこうする仕事にもどった。
あのとき、無理矢理にでも小一時間程度の暇をつくっておけばよかったのかもしれない。
それも今となって思っても仕方のないことなのだけれども。
それからいつものように終電で帰ることになった。ただし、その日はなんだかいつも聞き流せていた上司からいただいたありがたい助言がいやに引っかかった。
男性にしては甲高い声が頭の中で同じ言葉を繰り返し続ける。
当然そんな有様で頭痛が治まるはずもなく、最寄り駅で頭痛薬を飲んでから家路についた。もちろん前回の服薬が何時間前かなんて覚えてはいなかったし、今も思い出せない。
覚えていることといえば、いつものように内臓の模造品と一緒に食べるプリンを買ったことくらいだ。
そんなわけで、コンビニの袋を手に提げて家に帰り居間兼寝室の扉を開けた。内臓の模造品はヒーリングミュージックが流れるなか寛いでいた。その夜はどこか絡まっていることもなく、本当にいつもどおりのうごうご具合だった。
いつもどおりではなかったのは私のほうだった。
その夜はフルートの音色とと金属を擦り合わせるような上司の声が頭の中で混ざりあって、頭痛薬でどうこうできるような状況をゆうに通り過ぎていた。
なので、せめて止められるほうだけでもどうにかしたかった。
「ごめん、内臓の模造品。今日だけそのCD止めてもいい?」
すぐさま膵臓のようなものが床を二度叩いた。
この反応はだいたい予想できていた。この部屋にやってきてからずっとあのヒーリングミュージックを流していたから。
それでも、その日は私も引き下がれなかった。
「今ちょっと音楽が流れてるとしんどいから、お願い」
すこし時間は空いたけれども叩かれた回数は二回。
その間も金管楽器の音色と金切り声が脳内をかき回し続ける。
これだから坂口はいつまで経っても、云々。
GGABC
同期を見習って向上心♭を、云々。
AB♭BCBA♭
こういった差♯♯が業務にも、云々。
F♯GF♯GE♭
お前が♭♭な♯だから♯♯♭♯♯親♯♯♯♭
D♭♭♭♭♯♭♯♯♯♯♭♯♯♯♯
内臓の模造品の事情を考えられる余裕はなかった。
「ごめん」
脚やら腕やらに絡みつく何やら長いものを振り払いながら、枕元のCDプレイヤーを止める。
そうすれば、諸々の不快感は綺麗さっぱりなくなる──
ドドドドドドドド
ァァァァァァァァァ
「うわっ!?」
──はずだった。
それがなぜか、轟音とともに上下左右に揺れだした部屋のなかで尻餅をつくはめになった。
「っあぶない!」
私はとっさに体勢を直し、内臓の模造品に覆い被さった。落下してくるようなものはシーリングライトくらいだったけれども、むき出しの臓器に直撃するのは絶対に避けたほうがいいと思ったから。
そんなことをしている隙に体の下からなにやら長い部分が這いだし、CDプレイヤーの再生ボタンを押した。
ゆったりとしたフルートの音色が流れはじめると部屋の揺れは次第に落ち着いていき、居間兼寝室はいつもの落ち着きを取り戻した。ややあって、内臓の模造品も体の下から完全に這い出した。
ものすごいタイミングで偶然地震が発生しただけだったのかもしれない。
ァァァァァァァァァ
ただ、揺れにとももなう轟音のなか、女性の叫び声のようなものが確かに聞こえていた。
それも、私のすぐ耳元で。
「ひょっとして、こういうことになるから止めたくなかった?」
ややあって、床が一度叩かれる。
「……そっか、ならしょうがないね」
立ち上がると、もたげられた膵臓のようなものがゆっくりとかしげられた。心配しているということはすぐに分かった。
正直なところ、落ち着くにつれて頭の中の騒音は再びどうしようもない状況にはなっていた。ただ、心配してくれる相手を危険に晒すことはしたくなかった。
「大丈夫だよ、頭痛薬飲めばどうにかなるから。じゃあ、お水持ってくるから内臓の模造品は先にプリン食べちゃってて」
私は伸ばされかけたなになら長いものを見ないふりしてキッチンへ向かった。
お♭♭♭♭♯そ♭♭♭♯か♯♯♭♯云♭♯♭♯
頭の中の雑音はずっと相変わらずなままだった。




