キモに触れてみたい・Part2☆☆
ついうっかり内臓の模造品をなで回しそうになってからまた一週間くらいが経ったある日のこと。
件の分倍河原左近之丞さん(仮名)トラブルもなんとか改修が終わり、リモートでの納品を終えたところで同期がなにやら可愛らしい紙袋をもって近づいてきた。自分の担当客先なのに対応してくれたお礼、ということだった。
正直なところ、諸々がかなりギリギリなところに急遽訳の分からない改修を差し込まれて参っていたところはある。ただし、こちらも一年くらい前に色々の影響で負担をかけていた時期もあったから、そこまで気にしなくていいとも思っていた。それでも、ちょっとした気遣いはうれしい。そんな和やかな気分を壊したのは例によって例のごとく、上司の怒鳴り声だった。
曰く、簡単な改修をしたぐらいで恩着せがましくするな。
曰く、納品が終わったならさっさと自分の業務に戻れ。
そんなことは分かっているから一々大声を出さないでほしいなどと思いながら適当に謝っていると、同期も深々と頭を下げていた。すると、怒鳴り声はますます大きくなった。
曰く、恩着せがましくしたお前が悪いのになんで同期まで謝らせるんだ。
知らんがな。
などと口に出せばさらに時間を無駄にしていただろう。
ひとまず、気まずそうな表情をする同期の横で今後のスケジュールやら何やら考えながらその場をやり過ごし、十五分はしないうちに通常の作業に戻った。
そんな色々とあれな業務を終えて家に戻ると、内臓の模造品はいつもどおりヒーリングミュージックの流れる部屋で膵臓のようなものをくるくる回しながら私を迎えてくれた。
その姿を見ると諸々の疲労が緩やかに癒やされていくのを感じた。
……やっぱり、あの頃は色々とギリギリだったのだろう。
ともかく、和んでいると膵臓らしきものが首をかしげるように動いたあと、手にしていたなにやら可愛らしい紙袋を指した。
「ああ、これ? 今日同期から、仕事を手伝ってくれたお礼に、ってもらったんだ」
余計な部分をすべてそぎ落として説明すると、うなずくような動きのあとにふたたび首をかしげるような……なんだか「ような」が多いな、私の思い出って。まあ、あの頃は色々なことが不確かだったから仕方がないか。
「中身が気になる?」
この質問だって、実際にしたかどうか定かではない。それでも、その後に続いた床を一度叩く湿った音は確かにあったのだと信じたい。
「じゃあ、私もまだ見てないから一緒に開けてみようか」
そんなこんなで、私たちは手となにやら長い部分で、可愛らしい紙袋からこれまた可愛らしい包装紙に包まれた何かを取り出した。
包まれていたのはリンゴの形をしたムニムニしたマスコット。握るとストレス解消になるということで少し話題になっていたものだった。
「……同期なりに、この状況を心配してくれてるんだろうね」
力ない声に同意するように床が一度叩かれる。
ひとまず職場でこれ見よがしに握っているとまた上司がなにがしか怒鳴り出すだろうから、家で眠れないとき握ることにした。とはいえ、うまく眠れないことがほとんどだったから毎晩使うことになるんだろう。
そんなことを考えながらリンゴを握っていると、不意にずっと昔にテレビか何かで聞いたコメントを思い出した。
「この世で一番さわり心地がいいのは、生物の肺です」
これも不確かだけれども、著名な生物学者か解剖学者か誰かの言葉だったように思う。
それでも、目の前にいる内臓の模造品に肺のような部分があることは確かだった。
手の動きを緩めながら見つめていると、膵臓のような部分が傾げられた。
「ねぇ、なぁいぞうのもぞぉひぃん?」
気がつけば、我ながら恐ろしく気色の悪い声をこぼしていた。当然ながら、ヌメヌメとしたなにかたちは身構えるようにびくりと跳ねた。
「ちょっと、肺みたいなところを触らせてもらえる?」
これも当然ながら床が何度も叩かれた。
「大丈夫、大丈夫。優しくするから」
床は何度も叩かれる。
「ちょっとだけでいいから」
やはり何度も叩かれる。
それからしばらく交渉を続けたが、要求が通ることはなく膵臓のような部分は何度も床を叩き続けた。
まともな状態なら、そこまで嫌がっている相手に無理強いはしなかったのだろう。
いや、そもそもまともな状態なら肺を触らせてもらおうなんて思わ……というよりも、内臓のようなものと一緒に暮らしていこうなどと思わないだろう。
ともかく、色々とあれな状況だった私はどうしても諦めることができなかった。
なので。
「そっか、じゃあ諦めるよ。無理言ってごめんね」
などと見え見えの嘘をついて、油断を誘ってみた。
内臓の模造品はすこし呆れたように床を一度叩くと、なにやらこちらに背を向けるような動きを見せた。
そんなわけで。
「ふはははは! 隙あり!」
持てる素早さのすべてを使い肺のような部分に手を伸ばし。
「うわっ!?」
なにやら長い部分で足を払われ。
「うぶっ!?」
バランスを崩し厚みのあるビーズクッションに顔からダイヴした。
ダイヴ先を選んでくれたのは内臓の模造品なりの優しさだったのだろう。
ひとまず、飛び込み心地がいい場所に飛び込んだおかげで僅かな正気はある程度戻ってきてくれた。
「……ごめん。わりとどうかしてたから、シャワー浴びて落ち着いてくるわ」
顔を埋めたまま謝ると、力なく床を一度叩く音が耳に届いた。それから少し間を置いて、後頭部に生温かく湿った感触が訪れた。多分、慰めてくれていたのだろう。
そっちから触るのはありなんだ。
そんなことを考えながら、私はなんとかビーズクッションから顔をあげてシャワーへと向かった。




