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内臓の模造品  作者: 鯨井イルカ
内臓の模造品と私

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11/12

温かく柔らかいなにか

 私が内臓の模造品と暮らしていた頃、どこかの国で起きた住宅ローンの大規模な焦げ付き問題の影響だかなにかで、回復しつつあった失業率がなんだか大変なことになっていたらしい。


 つまり、転職しようにもそもそも職がそんなになかった時期だったそうだ。


 例によって例のごとく伝聞調なのはお察しのとおり、あの時分の記憶が曖昧だからだ。まあ職があったところで、日々のあれこれをどうにかこなすので精一杯で転職に使う気力や体力が残っていなかったのだけれども。

 

 そんなわけで、どう考えても致命的に厄介なことしか起こらないと分かっていても、頭痛薬を駆使して勤め先に向かうしかなかった。


 向かうしかなかったのだけれども。




 ──ピピピピピピピピピ


「……?」


 アラームとヒーリングミュージックがやけに遠くから聞こえ、耳鳴りがゴウンゴウンとうるさいなか、私はベッドに横たわっていた。


 もちろん、折りたたみ式携帯電話に表示されていたのは、家を出なくてはいけない時間どころか始業時間もゆうに過ぎた時刻だった。


 当然携帯電話を開けば、会社からの着信やら、上司の怒鳴り声が詰め込まれた留守番電話やら、謝罪なのか断罪なのか分からない同期からのメールやらが無数に詰め込まれていた。


 いっそのこと全部投げ出して旅にでも出てしまえばよかったのかもしれない。ただ再三言うように当時そんな余裕はなく、鈍く痛みつづける頭で概ね次のようなことを考えていた。



 さすがにこの状況で出社したくない。

 けれども仕事に行かなければ金が稼げない。




 金がなくなったらもう死ぬしかない。




 まだ死にたくはない。

 なら出社するしかない。

 ただ体が上手く動かない。



 ……我ながら色々と飛躍しすぎな思考だったとは思う。


 それでも、当時はそれが真理のように思えていた。今思えばこの考えが転職に手を出さなかった一因になっていたのだろう。


 ともかく、私はやたらと体重を感じる上半身を起こしなんとかベッドから降りて出社の準備をしようとした。すると、映りの悪いブラウン管テレビのような視界のなか、不安げにこちらを見つめる内蔵の模造品と目が合った。


 もちろん、以前にも言ったように眼球らしきものは存在していない。それでも、視線がどこを向いているか正確に感じられる程度には私たちはわかり合っていた。


「……大丈夫だよ。すぐに着替えて会社に行ってくるから」


 胃の奥から素焼きの羊肉に酢をぶちまけたような匂いが上がってくるのを感じながら、私はそう言ったのだと思う。実際にはこんなにはっきりと発音できていなかったのかもしれない。膵臓のようなものが間髪を入れず床を二度叩き、起こした上半身を再び寝かせるように何やら長い部分で腕を引っ張ってきたのだから。


「あはは、本当に大丈夫だって。だから放し……?」


 なんとか長い部分を腕からはずし立ち上がろうとしたところ、ザラつく視界のなか机に乗った頭痛薬の空き箱が見えた。



 数は二箱。



 思い返せば買い物から帰ったあと、内臓の模造品が傍でしきりにモチョモチョするなか治らない頭痛をどうにかしようとしていた気もする。



 よくよく考えると、それは二日前の話だった。




「あー……、さすがにもうダメかー……」


 そんな言葉とともに、口からなにか生温かいものが止めどなく流れ出した。それと同時に肝臓のようなものがすぐ目の前に見えた。


 少しの間を置いて、血を吐いて倒れたことに気づいた。


 頭だけでなくみぞおちのあたりも痛み出していた。多分、それなりにつらかったのだと思う。ただそれよりも、出そうな所のおおよそ全てから流れ出す血のせいで発生するであろう修繕費のほうが気になった。

 


 これは体調がよくなったらすぐに復帰しないと。

 居心地が悪い職場だけれど金だけは稼げるし。

 

 ……。


 そういえば、なんで居心地が悪いんだっけ?

 そもそも、なんでこんな血まみれになっているんだっけ?



 そんなことを考えているうちに、やけに遠くから携帯電話が震える音が聞こえてきた。着信の主は上司だったのだろう。


「あー……、あいつさえ……いなければなー……」


「……」


 弱音のあと、少しの間を置いて何やら長い部分が吐血の落ち着いた口元を拭った。

 ジワジワと狭まっていく視界のなか、内臓の模造品がなんだか思い詰めたような視線を送っていた。



 レトルトのお粥はあとどれくれい残ってたっけ?

 とりあえずベランダの鍵を開けないと。

 あー、でも鍵は開けられるんだったか。

 なら最悪私がしばらく動かなくてもどうにかなるか。



 そんなことを考えているうちにも視界は狭まり続け、いつしか何も見えなくなった。


 それからしばらく倒れていたのだと思う。

 視界が暗くなったあとも、ヒーリングミュージックと携帯電話が震える音はものすごく遠くから聞こえていた。それも徐々に静かになっていき、ついには何も聞こえなくなった。

 ただし、頭とみぞおちの辺りを襲う鈍い痛みだけはずっと脈打つように続いていた。

 


 ひょっとして死んだのだろうか?

 だったら、せめて痛みが消えてくれればよかったのに。



 なんでこうも厄介なことばかりがずっと続くのか。



「……」


「……?」


 恨み言が浮かび続ける頭は、不意になにか温かく柔らかいものに包まれた。


 それが何だったのかは今でも定かではないけれど、強いて言えばウレタン製の低反発枕に近いものだったと思う。ただ、それよりもずっと心地よかったことは覚えている。


 沈み込むような感触に包まれているうちに痛みは治まっていた。

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