ギリギリ部屋着と言い張れる格好での一日・後
その日はギリギリ部屋着と言い張れる格好でいても特に暑くも寒くもなかったから、やっぱり秋だったんだと思う。それに、同期もそこまで厚くも薄くもない格好だったはずだから。
まあ実際のところ、彼女がなにを着ていたかなんてよくは覚えていないのだけれども。
「……」
確実に覚えていることといえば、頭痛薬の空き箱が乗ったテーブルを挟んだ向かい側に座り泣きはらした目でうつむいていたことくらいだ。そう、そのくらいのことしか覚えていない。
だから、これから羅列する彼女が話したと思われる言葉も、曖昧な記憶の中からなんとか引っ張り出してそれっぽい形に整えたもので、実際にそんなことを言っていたかどうかの保証はない。ただ、近いことは言っていたのだと思う。
曰く、上司の家に着いたのはお昼過ぎくらいだった。
曰く、あまり長居したら迷惑になると思って、技術書をかりてお礼の品を渡したらすぐに帰るつもりだった。
曰く、それでもお茶とお菓子を用意してあるから、少し寄っていけと言われた。
曰く、特に急ぎの用事もなかったから、せっかく用意してもらったのだしお言葉に甘えてお茶をすることにした。
曰く、最初のうちは普通に仕事の話をしていたけれど徐々に話題がおかしくなった。
曰く、次の休みに二人で飲み行くいい店を予約した、だの、昼は映画のチケットをとったから何時に集合しよう、だの、泊まる場所も心配しなくて良い、だのと言う話になった。
曰く、なんでそんな話になるきのか意味が分からず、その日は結婚を前提に付き合っている恋人との予定があるから無理だ、と正直に答えた。
曰く、その瞬間、上司の顔色がおかしくなり表情が歪んだ。
曰く、上司のなかでは同期が自分に恋していることになっていた。
曰く、大声でいわゆる貞操観念の薄さを詰るような暴言を怒鳴り散らされた。
曰く、無理矢理押し倒されそうになった。
曰く、必死に抵抗してなんとか引き剥がして逃げ出してきた。
曰く、すぐに家に帰るのも、家族や恋人に連絡するのもなんだか怖かった。
曰く、気がついたら前に終電を逃して泊まったことのある私の家の最寄り駅にいた。
概ねこんなかんじだ。
一方の私はそんな話を雑音のなかに聞き流しつつ、週明けにやらないといけない仕事のことをぼんやりと考えていたのだと思う。
もちろん、これも曖昧なものを引っ張り出してそれっぽい形に整えただけのものだから、果たして本当にそうだったのかまでは定かではない。ただ、やはり近いことは考えていたと思う。
真っ先に手をつけないといけないのは同期から引き継いだ取引先で起きた、特定の帳票を出力するとごく低い確率でシステムが強制終了する不具合の改修。たしか、少し前にちょっとしたカスタマイズを入れて出力項目を追加した、という話だった。原因はご多分に漏れずデータの引っ張り出し方が色々とあれだったからだ。
そのカスタマイズを行ったのは同期だった。
同時進行でやらないといけないのは、すでに会社を去った先輩方から引き継いでしまったおびただしい不具合たちの原因調査と改修。
本来なら半分は同期が引き継ぐはずだった。
同じく同時進行でやらないといけないのは、以前とある客先にカスタマイズで導入した少し特殊な帳票をこちらの担当客先に移植する作業。もちろん、データの引っ張り出しかたは色々とあれで、まずコードの解析から手をつけないといけない。
そのカスタマイズを行なったのは言うまでもなく。
鈍く痛み続ける頭の中でコードの羅列が線に変わり、捩れ、もつれ、絡まっていく。
そんな状態でも目の前の顔は泣きじゃくったままだ。
「もう……、頼れる人……、坂口さんしか……、いなくて……」
その言葉のおかげで、色々と考えていた仕事なんかより先にしないといけない仕事に気づくことができた。
雑音を貫通して聞こえてくる、全部お前のせいだ、とわめきちらす耳障りな声を痛みの治まるわけがない頭で聞き流すこと。
「ねえ……、私、どうすれば……」
「知らねーよ」
「……え?」
口はごく自然に動いていた。
「被害に遭ったと思うんなら、こんなところで泣いてないで警察なり弁護士なりに相談すれば?」
おおよそ被害者にかけるべき言葉ではなかったのだと、今なら思える。
「……うん、そうだね。そう、だよね」
同期は目を拭うと最後に、ごめんね、と呟いて帰っていった。私はただやたらと回転する視界のなかで、その後ろ姿と頭痛薬の空き箱を眺めているだけだった。
それからどのくらいそのままでいたのかは分からない。気がつくとクローゼットがゆっくりと開き、中から内臓の模造品がそろそろと這い出してきた。
「ああ、狭い思いをさせちゃってごめんね。もう大丈夫だから……ん?」
そのとき、なにやら細長い部分が何やら赤くて丸い物を持っていることに気がついた。
リンゴの形をしたムニムニしたマスコット。
同期が私を心配して選んでくれたプレゼントだ。
「……」
向けられていた視線が私を責めていたのか、憐れんでいたのか、心配していたのか、それも今となっては定かではない。ただ、凄くいたたまれない気持ちになったのははっきりと覚えている。
「……とりあえず、頭痛薬のついでにプリン買ってきたら食べる?」
無理矢理に話をそらすと、少し間を置いて膵臓のようなものが床を力なく一度叩いた。
「了解。じゃあ、着替えて行ってくるから良い子で待ってて」
再び床は一度叩かれる。
私はやたら回転する視界のなか着替えを済ませ、頭痛薬とプリンを買いに出かけた。
家の外はやはり暑くも寒くもなかった。




