第6話 殲滅
——ハワード王国東方 最前線 総指揮所——
両軍の展開が終わり、残るは正面からの激突を待つのみとなった時、ようやく早馬が各大隊長の元へと走りました。
今回の作戦を末端の兵士にまで伝えるためです。敵軍に斥候をスパイとして潜入させるというのはままあることだったので、カイゼル王は作戦を開戦直前まで開示しなかったのです。しかし、情報の重要性というものを知らないローゼンベルクは、そのようなことすら怠っていたのですが。
全軍が今回の作戦を理解したのち、カイゼル王は自身の象徴ともいえる、緋色に輝くその剣を天高く掲げました。
「同胞たちよ! 機は熟した! 今こそ驕り高ぶる帝国軍に鉄槌を下し、完膚なきまでに叩きのめすときが来たのだ! 全軍、突撃ー!」
王の檄に応え天地を揺るがすほどの雄叫びを上げた兵士たちは敵軍に向かって歩を進め、その勢いは徐々に早くなり、やがて疾走を始めました。
本来なら作戦にないこのような突撃は制止する場面ですが、時には兵士たちの戦意が自然と爆発するのに任せた方が良いときもあります。カイゼルは兵の自発的な感情の高まりに任せ、その勢いのまま突撃を続けました。
迎え撃つ帝国軍も重い足を引きずりながら走り出し、懸命に受け止めようとしますが、最初の激突では完全に王国軍の勢いが優勢。
このままでは前線だけで戦況が決定してしまい、帝国軍が退却してしまう可能性がありました。
しかし、そこは長年カイゼル王と共に戦場を駆けてきた歴戦の兵士たち。通達された作戦通り、時間の経過とともにその数に圧倒されたかのように苦戦を演じ、ジリジリと後退し始めるのでした。
最初は圧倒されていたのが一転して押し返すことに成功した帝国軍の兵士たちは士気を取り戻し、数の力を活かして猛烈な勢いで攻め立てました。
王国軍はその勢いに呑まれ、半ば敗走にも見える形でハッキリと後退し、そのまま宿営地へ逃げ込むものと思われました。敗残兵を迎え入れるかのようにその門は既に開かれていたからです。
そこはもう山地を抜けた平原の真ん中であり、十万の帝国軍はすでに全軍がその平地に誘い込まれていました。
あとは宿営地を落とせば勝利を掴める、帝国兵たちがそう確信した次の瞬間、王国軍の兵士たちは素早く左右に別れ、宿営地の門と帝国軍の間を遮るものはなくなりました。
正面で開け放たれた大きな門扉、中央に立つのは『太陽の剣王』カイゼル王その人。
王はその剣を空に向けると、帝国軍に向けて大きく叫びました。
「我が贈り名の由来、今こそ見せてやる! 我が剣の放つ地獄の業火を食らうがよい!」
柄を握る両手に全神経を集中させると、大自然に漂う魔素が剣へと収束し、赤く大きな炎が立ち上がります。
「せいやあぁぁー!」
裂帛の気合と共に剣を振るうと、一直線に伸びた炎が大地を走り、勢いに乗って前に出過ぎていた帝国軍の一隊を包み込み、断末魔の叫びを残して燃やし尽くしました。
戦場全体から視認できるほど大きなその炎こそが、作戦で決められていた合図でした。
宿営地まで後退していた第一軍団は退却をやめて反転し、山肌に隠れていた第二軍団の左翼と森林に身を潜めていた第三軍団の右翼が一斉に立ち上がり、三方から帝国軍を包囲したのです。
突然の奇襲で完全に意表を突かれた帝国軍は浮足立ち、その隙に最前線を疾走していた騎馬隊が後方へ回り込み、さらに近くの島に隠れていた海軍までもが上陸を始めていました。こうして絵に描いたかのごとく見事な完全包囲が完成したのです。
異変にいち早く気が付いたヴィルヘルム大隊長含む数名の騎兵だけが包囲網からの脱出に成功した以外は、十万の軍勢全てが袋の中に閉じ込められてしまったのです。
そこからはもはや戦闘ではなく殺戮と呼ぶべきものでした。徐々に輪を狭められた帝国軍の兵士は剣を振るう余地さえ失っていき、完全に戦意を失った兵士は逃げ惑う羊を狩るかのように王国軍の剣によって的確に貫かれていきます。
しかしさすがに十万もの軍勢を殲滅するには相応の時間がかかり、日が傾いたころにようやく終わった殺戮の跡は、勝った側の王国兵すら目を逸らしてしまう惨状が広がっていました。降伏して捕虜となった二万の兵士以外、八万もの屍が平野にその無残な姿を晒していたのです。
カイゼル王が幾度か放った炎はまだそこかしこでくすぶっており、血の匂いと肉の焼ける煙が辺りを満たしています。地獄絵図とはまさにこのことでしょう。兵の中には嘔吐する者までいました。
追撃として騎兵部隊が編成され、帝国軍の宿営地まで赴きましたが、ローゼンベルク大臣含め重臣と将軍達はすでに逃げ去っていました。
帝国側が勝利を確信していた証拠に、戦勝記念パーティーの準備までされていたそうです。
死体を集め、火葬する戦後処理に王国軍は三日間を要しました。
ハワード王国軍の犠牲者はたったの十六名。古の名将に勝るとも劣らない完全なる勝利です。文字通り帝国軍は一兵残らず『焼き尽くされ』てしまったのです。
勝利の戦場を誇らしい眼差しで見つめるカイゼル。その隣にアウグストが歩み寄り、父に尋ねました。
「これが、勝利というものですか……」
カイゼルは戦場の跡を眺める息子の顔をじっと見て、頷きます。
「あぁ、そうだ。今回、お前は本当によくやってくれた。お前の言葉がなければ、ここに転がっていたのはわたし達の姿だっただろう」
父は力なく腕を下げている息子の肩を、力強く抱き寄せました。
——リンゼン帝国 帝都セント・レグナス 皇帝廟謁見室——
イストリアの前に膝をつき、戦闘の結果報告をしているのはヴィルヘルム。
大臣たちはまだ退却の途中であり、騎馬で先に戻ってきた彼がいち早く皇帝の耳に一部始終を聞かせたのです。それは後から戻ってくる大臣たちが一切の言い訳もできない、客観的で冷静な報告でした。
「戦死者の数は」
震える声でイストリアは尋ねます。
「斥候の報告によると捕虜となったのは約二万。他は全て戦死いたしました」
冷静なヴィルヘルムとは対照的に、顔を青ざめさせた皇帝は口を押えて何かを堪えています。やがて大きく息を吸って平静を取り戻すと、どうにか声を振り絞りました。
「ハワード王国へすぐに使者を送りなさい」
「和平の申し込みですか?」
「いえ。それは大臣たちの承認が得られない」
リンゼン帝国では法律の成立であれ条約であれ、何かを決定する権利は皇帝にありますが、それを正式に発効させるには大臣も属する元老院の承認が必要なのです。
「捕虜の交換を申し込むのよ。こちらには敵の捕虜がいない以上、金銭での取引になってしまうけど、いくらかかってもかまわない。全員を連れ帰りなさい」
当時の戦争で捕虜の交換というのは頻繁に行われている慣習でした。数に差があって不足があった場合に金銭で肩代わりすることも然りです。ヴィルヘルムは優しすぎる皇帝のその申し出に、小さく「はっ」と返事をするだけでした。
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