第1話 プロローグ『即位』
昔々、ある大陸にリンゼン帝国という国がありました。
かつては隆盛を誇ったその国も、皇帝の交代に伴う内乱で国が傾き、周囲への影響力を失っていきました。
そして世は乱れ、相次ぐ戦火によって経済が止まり、田畑は焼かれ、食料が不足した民草は塗炭の苦しみを味わうことに。
そんな中、農民から身を起こし、リンゼン帝国の男爵という地位まで駆け上がったカイゼル・ハワードという人物が立ち上がったのです。
彼は義勇軍を率いて反旗を翻し、西の海に面した一都市を占領してハワード王国を築きあげました。
『炎の剣士』と呼ばれたカイゼルの強さは他を圧倒し、瞬く間に帝国の西方三分の一を掌握。彼の施した善政によって経済や食糧生産は回復し、民心も安定。かくして西方の民は安寧を取り戻し、人々は彼を『太陽の剣王』と呼んで讃えることになったのです。
リンゼン帝国にとっては大打撃でしたが、力の衰えた帝国ではハワード王国に攻め込むことも出来ず、にらみ合いを続けたまま十年の歳月が過ぎていきました。
* * *
城の中庭、カイゼルは剣を構え、正面に立つ相手を見据えていました。
「せいやぁーー!」
裂帛の気合と共に、正面から剣を振り下ろす小さな剣士。
「そんな攻撃は当たらないぞ! アウグスト!」
さすがはかつての『炎の剣士』、体を捻るだけで難なくそれをかわします。しかし、アウグストと呼ばれた少年も負けてはいません。
「はぁっ!」
振り下ろした剣が地面へつく前に素早く跳ね上げ、そのまま横薙ぎの一閃。
「ぬっ」
その攻撃にはカイゼルの体捌きも間に合わず、剣を使って受け止めるしかありませんでした。しかし、彼の剣技はそれだけで終わるはずもありません。
「やるな! だが甘い!」
受け止めた剣をくるりと回すと、アウグストと呼んだ少年の持つ剣をからめとり、そのまま弾き飛ばしてしまいました。十メートルほど離れた場所に突き刺さった自分の剣を見て、少年は膝をつき、無念さのこもった言葉を放ちます。
「まいりました……」
意気消沈してしまった少年の名はアウグスト・ハワード。今年で八歳になった、カイゼル・ハワードの一人息子です。カイゼルは悔しさをにじませる彼に声をかけます。
「そう落ち込むな。今のわたしに剣を使わせただけでも大したものだ。わたしがお前くらいの歳のときはもっと弱かったぞ」
「ほ、本当ですか⁉」
敬愛する父に褒められたアウグスト王子は俯いていた顔を上げ、表情を綻ばせます。
「あぁ、本当だとも。お前は強くなる。いつかこの私を超える日が来るかもしれんぞ」
そう言って本人以上にその成長を喜ぶカイゼル王。無邪気に喜ぶ息子を見るその目には、父としての愛情が満ちています。
「ほら、二人とも。そろそろ休憩してお茶にしましょう」
そう声をかけたのは、彼の愛する妻。かつては町の商人の娘であり、王となる前のカイゼルと激しい恋に落ちて結ばれた、ファリス・ベアトリーチェ。
かつての町娘は今や王妃となりアウグストの母ともなって、その慈愛に溢れる性格で民衆からは『純白の王妃』と呼ばれていました。
民衆より愛されし、この家族によって王国には希望が溢れ、戦乱からの復興も終えて繁栄の一途をたどっていました。
——かたや大陸東方では——
『第十二代皇帝、イストリア・フォン・リンゼン陛下、万歳!』
父皇帝の死に伴い次代の皇帝に選ばれたイストリアは、帝国臣民の歓声を一身に浴びています。しかし、その美しく気品に溢れた表情は晴れません。
三人兄妹の末っ子に生まれたイストリアは本来、皇位継承者ではありませんでした。しかし、二人の兄が疫病によって相次いで急逝。そしてその直後に父も病に倒れた結果、わずか十歳にして皇帝へと即位することになってしまいました。
帝国のシステム上、皇帝位は世襲制ではなく指名制となってはいますが、他に相応しい後継者のいない帝国にとって、イストリアは唯一残った高貴な血筋だったのです。
「陛下、ご即位おめでとうございます。美しきイストリア様が皇帝となられたことにより、兵士たちもこの上なく士気が上がっております!」
大臣が祝いの言葉を述べていますが、イストリアにはそれが本心でないことは分かっています。
「今こそ、簒奪されし西方の土地を奪い返す好機! 裏切り者を成敗する時が来たのです!」
大臣の目的はこちら。
かつて世が乱れるほどに力の衰えた帝国ですが、大陸全土を支配していたその軍事力はまだ健在で、先代皇帝の善政の甲斐もあり国力を取り戻しつつありました。
そうなると、かつての繁栄を取り戻すため、大陸の再統一を願う声は日増しに強くなっていたのです。大臣は軍隊を率いて英雄になることを望んでいました。そしてあわよくばイストリアを排し次期皇帝の座につくことも……。
己の権勢のために自分を利用しようとしていることは分かっていましたが、まだ幼いイストリアにはどうすることもできません。
大臣の言葉は続きます。
「反逆者が作った王国も、年々力を蓄えております。かの地を取り戻し、帝国を再統一する機会は今を置いてはありませんぞ!」
先代皇帝の片腕として力を振るった大臣。周囲の重臣たちも一様にうなずき、若きイストリアにはなすすべがありません。姫としての教育しか受けてこなかったイストリアには、軍事の知識がほとんどないからです。
こうして十年の平和はまたしても危機を迎え、大陸には再び軍靴の音が聞こえ始めてくるのでした。




