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『なぜ誰もついてこない』―― あなたが全員追放したからですが?  作者: 九葉(くずは)


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第1話  お前は不要だ

「お前は不要だ」


勇者の声が、解散の席に落ちた。


銀竜館の大広間。三年間一度も曇ったことのないシャンデリアの真下で、レオハルトは聖女アンゼリカの細い肩を抱き寄せたまま笑っていた。


パーティ解散。副長エヴァ・ローゼンクランツ追放。口頭での宣告。


──書類は後日か。引き継ぎ資料、三日もあれば足りますね。


(……って、何を社畜みたいなこと考えてるの、私は)


ぼんやりと天井を見上げたまま、私は自分の思考の脱線に気づく。受け止めるべき情報を、脳がどう処理していいかわからないらしい。三年分の屈辱。婚約者だった男からの一方的な解消。それを前にして、最初に浮かんだのが「引き継ぎ資料の分量」。


前世の癖は抜けない。過労で死んだ人間の、死に方も仕事のことだった。


「そうそう、エヴァ」


レオハルトが、まだ何か付け加える気らしい。


「お前が徹夜で書いてた、あの補給計画書な。──あれ、アンゼリカがお茶会で回してたんだ。"子供の工作みたいで可愛い"ってさ。妃候補のご令嬢たちにも、評判良かったぞ」


笑い声が起きる。


愛想笑いのような、浅い笑い声。仲間たちのうち何人が一緒に笑ったのか、私は数えないことにした。聖女が伏し目がちに頬を染めている。上品に、申し訳なさそうに。


(──三年分の、あれを)


指先が冷えた。


握った紙束を、私は一度見下ろす。今朝までに仕上げた、次の魔物討伐の補給計画書。糧食、薬草、矢の本数、兵卒一人一人の装備状態。全員の傷の記録まで書き込んだ。


「子供の工作」。


頭の中で、言葉が繰り返される。


子供の、工作。


(──お茶会で、回してた。妃候補のご令嬢たちに)


ふっと、息が落ちた。


「かしこまりました」


自分の声が思ったより穏やかで、自分で驚いた。


「解散についての正式な書類は、本日中にお送りいたします。帳簿類、契約書類一式、本日付で副長名義から勇者名義への変更手続きが必要です。印と承諾書をご用意くださいませ」


一礼して、広間を出る。


誰も呼び止めなかった。


* * *


銀竜館の裏口から外に出た瞬間、五月の風が頬を撫でた。王都の石畳の匂い。馬糞と、パン屋の焼き立て、遠くで誰かの弾く古いハープ。


私は空を見上げた。


──やっと、定時退勤できる。


(……前世から通算して、眠らなかった夜は何回目だったかしら)


もう数えていない。覚えていないのは覚える意味がなかったからだ。たぶん、前世の私も今世の私も、同じ種類の人間だった。数字に強くて、頼まれたことを断れなくて、気がついたら机で朝を迎えている。


「エヴァ様」


振り返る。ライナが追ってきていた。私より六つ年上の僧侶。勇者パーティの回復役。その頬にもさっきの笑い声の記憶が残っているらしく、唇が固く結ばれていた。


「私も、追い出されました」


「あら」


「エヴァ様の補給がなければ、私たちはとっくに全員死んでおります。──勇者様がたはそれをご存知ない」


私は笑った。力ない笑いだったが、それでも笑いは笑いだった。


「ライナ、一つ思い出したことがあって」


「はい」


「勇者パーティの法人登記、署名が私なんです」


ライナが、止まった。


「……は?」


「口座も私名義です。三年前、レオハルト様が"数字は女の仕事"と仰って、書類一式を押し付けてこられたので」


「……え。では、今この瞬間、勇者パーティの財産は」


「法的には、私が全権を持っています。口座も、契約書も、取引先の信用も」


街路樹の陰で、ライナが片手を顔に当てた。笑っているのか泣いているのか、判別がつかない。


「次は、何をなさるのですか」


私は少し考えた。前世の記憶の引き出しから、「転職」「起業」「独立」あたりの単語を取り出す。


「廃村を買います」


「は?」


「北の辺境に、買値の安い砦付きの廃村があると聞きました。そこに拠点を移して、商会を開きます。複式簿記でやります」


「……ふく、しき?」


「こちらの世界には、まだない帳簿の方式です。使えれば、勇者パーティが今後どれだけ補給で躓くか、手に取るように見えますわ」


ライナの目が、ゆっくりと据わった。


「エヴァ様」


「はい」


「私、料理も得意です」


* * *


北へ馬車で五日。


オルトハイム砦、と呼ばれていた廃村。城壁は半分崩れ、石段には苔。買い手がつかないはずだという情報は事実で、値段交渉は拍子抜けするほど楽だった。


到着したのは夕暮れ時。


砦の中庭から、煮炊きの煙が一筋昇っていた。


──人がいる?


ライナと顔を見合わせる。買い取り契約は済ませた。住んでいる者がいるはずはない。


石段を上がる。


中庭に入った瞬間、鉄と、炊いた麦の匂いが鼻腔を突いた。


火の前に、男が一人。


灰色の外套。左目に、古い傷。粥の鍋を木匙でかき混ぜる手つきには、隙がない。


(──ああ)


見覚えがある。三年前、国境の戦場で、隣国の傭兵団を率いていた男。氷の銀狼。ヴェルナー・ハイゲンシュタイン。


向こうも顔を上げる。隻眼の視線が、私の上で止まった。


「……」


「……」


沈黙。


鍋の中で、粥が小さく音を立てた。


「この砦は、今日から私どものものですが」


先に口を開いたのは私だった。ライナが背後で息を呑むのがわかる。彼女は三年前の戦場にはいなかった。


「知っている」


ヴェルナーが短く答えた。「王都の役所に、買い取りの登記が出ていた。借り手に、礼を言おうと思っていた」


「……借り手?」


「半年ほど、俺の団の冬営地として使わせてもらっていた。無断でだ。昨日、別の砦の手配がついた。今夜、引き払う」


そう言って、彼は鍋を指し示した。


「飯を食っていけ」


「……え」


「引き払う前に、火を落とすのが惜しかった。余る」


ただの、それだけの理由。


私は口を開こうとして、何と返すのが適切なのか、貴族令嬢として、商会主として、元婚約者の副長として、一瞬すべての引き出しが閉まった。代わりに開いたのは、前世のどこでもない引き出しで。


「あ、え、いや、その……あっ、ありがとさんですっ」


(──だから、なんで、今、訛りで)


両手で顔を覆った。よりによって初対面。いや、戦場での顔合わせを数えれば二度目。どちらにしても最悪。


木匙をかき混ぜる手が、一瞬止まった。


男の口の端が、わずかに動いた気がした。


* * *


粥は、塩が効いていた。


余り物にしては豆の量が多く、麦も柔らかく煮えている。料理上手だと自称していたライナが、三口食べて「あら」と呟いた。


「ヴェルナー殿、この粥」


「料理番が置いていった。作ったのは俺じゃない」


「いえ、火加減がお見事ですわ。麦がこんなに柔らかく仕上がるのは、火の管理が丁寧だったからです」


隻眼の男は、返事をしなかった。


ただ、鍋の縁を布で拭いていた。


団員らしい男が、奥からもう一人出てきた。若い。ヴェルナーと同じ灰色の外套。粥の椀を受け取ろうとして、私の顔を見た瞬間、動きが止まる。


「団長、この人──」


ヴェルナーが、短く首を振った。


若い団員が口をつぐむ。私の視線から逃げるように、粥の椀に目を落とす。


(──今、何を言いかけたの?)


もう一度尋ねたかった。けれど尋ねればきっと答えは返ってこない。そういう目をしていた。


夜が来た。


私は、三年間書き続けた帳簿の一冊を膝の上で開いていた。明日の朝いちばんで、ゴードン商会に伝書を出す。続いて王都の銀行に法人口座の確認照会を。複式簿記の下書きも、早いうちに仕上げておきたい。


頭の中が、仕事の順序で埋まっていく。


静かな廃村の、夜の風。


遠くで、隻眼の男が馬の世話をしている音がする。


──やっと、定時退勤したはずなんだけどな。


私は帳簿の次の頁を繰った。

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