街が街であることをやめた場所②
石畳に差す月光が、スラムの建物の影を長く伸ばしている。
通りは昼間の喧騒を忘れたかのように静まり返っていた。
「ふむ…暗くなったな」
アーサーは腰を上げながら呟いた。
レヴィンは黒いフードを後ろに下げて言う。
「夜は、ちょっと……警戒した方がいいかもしれませんね」
夜になれば顔があまり目立たないので、仮面だけしていれば大丈夫だろう。
アーサーは背筋を伸ばし、両手を軽く握った。
「ワシの拳に任せろ!!! 何が来ても吹っ飛ばしてやる!!」
その瞬間、通りの奥から低く唸るような音が響いた。
影がひとつ、壁沿いに滑るように動く。
影はゆらりと揺れ、手足の輪郭がぼやけている。
月明かりに照らされ、目だけが光っているように見えた。
「影…?」
レヴィンは目を凝らして姿を追う。
「不気味じゃのう…幽霊でも出たのか…?」とアーサー。
影が二人に迫る。
レヴィンは真剣を握り直し、目を鋭く光らせた。
「いくぞい!」
アーサーの太い声に「はい!」と返事をすると、
二人は同時に地面を蹴り上げた。
スッ――!ヒュンッ!
剣が空気を切る音が連続で響く。
(速い……!でも、攻撃は通る!)
一瞬で踏み込み、
レヴィンの斬撃が影の輪郭を削る。
ジリッ――
影の表面が、焼けたように歪んだ。
「効いてるな!」
その声に応えるように、
アーサーが一歩、踏み込む。
一方、アーサーは腰を落とし、大剣を握りしめた。
「ワシに任せろ!!」
ドンッ!ゴオオッ!ガッ!
大剣が叩き込まれた瞬間、
地面が揺れ、空気が震える。
影が大きく仰け反った。
――今だ。
ザシュッ!ヒュッ!ヒュンッ!
レヴィンが間合いを縫うように駆け抜け、
影の中心を一閃する。
「うおおおおおお!」
アーサーの渾身の一撃が追い討ちとなり、
影は断末魔のように歪み、崩れ落ちた。
そして――影は、動きを止めた。
「……暗黒騎士」
低く、しかし確かな声が、闇の奥から響く。
レヴィンは、息を呑んだ。
――影が、俺を“知っている”。
「……半分しか、救えなかった男」
その言葉に、胸が強く打たれる。
レヴィンは咄嗟にフードを深く被った。
心臓が、早鐘のように脈打つ。
アーサーは、細かいことなど気にも留めず、
力強く拳を握りしめた。
「やかましい!!
生き残った者を守ったなら、それで十分じゃ!!!」
その声は、迷いがなかった。
レヴィンは、深く息を吸い込み、
フードの奥から、影を睨みつける。
――過去を知っていようが、関係ない。
心の奥で、父から教わった“感覚”を呼び起こす。
剣を振るわず、
言葉も紡がず、
ただ――息を整える。
次の瞬間。
体の芯から、何かが解き放たれた。
ドン……ッ
音にならない衝撃が、空気を踏み潰す。
波のように広がった圧が、通り一帯を包み込み、
石畳が低く、うなり声を上げた。
それは斬撃でも魔法でもない。
純粋な“衝撃”――存在そのものが放つ力。
影は、思わず後ずさる。
「……っ」
言葉を失ったまま、影はその場に縫い止められた。
影が一瞬、ぎくりと動きを止める。
その輪郭はなおも揺らめくが、まるで押し戻されるように後ずさる。
「……くっ……!?」
影の異能者も本能的に、レヴィンの力を感じ取った。
アーサーは横で腕を組み、にやりと笑う。
「ほほう……お前の父ウォーもソレを使っておったな……衝撃波っというやつなのかのう?」
――ドンッ。
衝撃波が、影を上空から叩き付けるように襲った。
見えない波動が押し潰すように降り注ぎ、影の動きを地に縫い止める。
石畳が軋み、壁がメリメリと嫌な音を立てて歪む。
「く……騎士の癖に、卑怯な……」
その瞬間。
「今じゃッ!!」
アーサーの声が夜を裂いた。
巨体が地面を踏み抜く。
大剣が振り上げられ、唸りを上げた。
ブォォン――ッ!!
空気そのものが引きずられ、剣風が通りを貫く。
逃げ場を失った影は、衝撃派に押さえ込まれたまま、正面からその一撃を受ける。
ゴガァンッッ!!!
凄まじい轟音と共に、衝撃が爆ぜた。
石畳が砕け、粉塵が夜空へ舞い上がる。
影は大きく歪み、悲鳴とも呻きともつかぬ音を漏らした。
レヴィンはその様子を見据え、静かに息を吐く。
――剣を振らずとも、
――言葉を交わさずとも。
二人の攻撃は、確かに噛み合っていた。
アーサーは剣を肩に担ぎ、口角を上げる。
「ほほ……やはりな。
お前の“衝撃派”、ワシの一撃と相性が良すぎるわ」
レヴィンは笑顔で頷き、再び影へ視線を戻した。
影はゆっくりと姿を現し、月明かりの下でその正体がぼんやりと見え始めた。
レヴィンは低い声で告げた。
「……来い。そこだ……姿を出せ」
空気が震え、影の輪郭がさらに揺らめく。
次の瞬間――
アーサーが大きく踏み込み、腕を振り抜いた。
「ほれっ!! 捕まえたぞ、ワハハハ!!」
影を鷲掴みにする。
その腕力に、影の輪郭はぐにゃりと歪み、抵抗するように蠢くが、空中に吊り上げられたまま身動きが取れない。
「なっ……!?」
レヴィンは素早くポケットに手を伸ばし、小型の魔法灯を取り出すと、影に向けて光を照射した。
ぎゃっ――!!
影らしきものが、甲高い悲鳴を上げる。
「照らすなあーっ!?」
低く、どこか人間離れした声が通りに響く。
光を浴びた影は輪郭を保てず、ぶよぶよと揺れ、薄れていく。
レヴィンは眉をひそめ、影をつまむように引っ張っては離し、首を傾げた。
「……なにこれ?」
「やめろおおーー」
影は光を嫌がるようにうねり、まるで怒っているかのように暴れ回る。
アーサーは腕組みのまま、少し距離を取って観察していた。
「ふむ……光に弱い、か。よし、ワシが掴んでおくぞ!」
「貴様らああぁ……許さんぞぉ……暗黒騎士めぇ!!
ゴリラも覚えていろおおぉ!!」
その叫びと同時に――
影は、ぱっと霧散するように消え失せた。
「うえええ!? いなくなっちまった!!!」
レヴィンが慌てて辺りを見回す。
「ゴリラ呼ばわりとは失敬な奴じゃ」
アーサーは顎に手を当てる。
「…………」
レヴィンも似た様な事を思っていた事に少し罪悪感を感じた。
「異能者が、どこかで操っておったのかもしれんな……」
通りには、再び静寂が戻る。
結局、二人は警戒を保ったまま、スラム街を後にした。
レヴィンとアーサーは城に戻ると、息を整えながら報告した。
「……逃がしちゃいました。はは」
レヴィンは愛嬌たっぷりにそう言った。
アーサーは豪快に笑う。
「するりと消えおったな、ワハハ!!」
次の瞬間。
王の目が見開かれ、雷鳴のような声が玉座の間に轟いた。
「バカモーーーーン!!!」
城の壁が、びりりと震える。
レヴィンとアーサーは顔を見合わせ、思わず苦笑した。
王の怒声は、まるで城全体に響き渡っているかのようだ。
「……スラムの修繕費だけが、高くついただけではないかあああ!!」
レヴィンは肩をすくめ、愛嬌たっぷりに笑った。
「まあ……仕方ないですよね。次は捕まえますから」
アーサーも大きく腕を振り上げ、胸を張る。
「うむ! ワシらなら必ず捕まえてみせる! ワハハ!」
王は深いため息を吐き、頭を抱えながら二人の後ろ姿を見送った。
――その夜、城下町には再び静けさが戻った。




