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041

 どうぞ。

 闇と静寂の満ち満ちた楕円の空間に、ぽっかりと光が開く。


「……るな、とっとと……れ」「……る、いらねえよ……なの」


 ラゾッコの場末、南端部・下水道秘密口が開かれるときは、大抵その悪臭よりも醜い事情あってのことである。二人組の男は荷車から大きな麻袋を下ろし、口を開いた。中から色黒の病人を持ち上げて引きずり出し、階段もない入り口からそのまま投げ入れる。


 投げ出された体に、すぐさま気味悪い色の粘液がまとわりつく。ぼり、ごりという音は何が起きているのかという情報を隠そうともしない。ほんの十数秒で音は止み、何かの手がかりになるものは完全に消失していた。ゆっくりと吐き出されようとする怨念も、粘液に捕まってごぷりと飲み込まれ、下水道に投げ込まれた女の体は何の痕跡も残さずにこの世から消えてしまった。


 実のところラゾッコはプレイヤータウンの中でも治安が悪い方である、という事実はあまり知られていない。人間族最初の街であるデーノンにほど近く、犯罪の検挙も目立って多いわけではないところが拍車をかけているのだろう。死人の数や軽犯罪の件数はプレイヤーには知ることができないことも、大きな要因になっていると考えることができる。


 ダンジョンと化している下水道は、臭さや暗さ、きつさといういわゆる3Kから特に攻略しようという人員がおらず、凄まじく巨大で強力、凶悪なモンスターを野放しにしていた。下水道に「死体」を放り込んでおけば何とかなる、という悪党どもの噂話は、こういった事実から成り立っているのである。


 下水道に死体を放り込んだらどうなるか――という噂については、流言飛語がさまざまに飛び交っている。それらのどれも、事実を踏まえたうえで独自の解釈が加わっており真実とは言いがたい。


 スライムが住んでおり、人間を食料として生きているのだという説。


 ある邪神の眷族が住まう神代の世界がこの下にある、という説。


 常に飢えたアンデッドが落ちてくるそばから平らげている、という説。


 そのどれもが一片の真実を交えつつ、しかし事実にはなりきれない。


 ここに投げ込まれる肉体は、どれも健康状態を著しく害している。瘡毒持ちや数か所の骨折はほぼ百パーセント、肺炎やその他の病毒を持つもの、薬物(さけ)有害嗜好品(タバコなど)の依存症は半数以上を占める。致命的であったり危険がはっきりしている病気はできる限り治療されるが、そうでないものや潰しても問題ない人材はそのまま潰れることになる。


『……!?』


 下水道の底面にヘドロのようにまとわりついている〈ヘドロ・デッドスライム〉は、激しく飛び退いて大きな波と音を立てた。


「きゃうっ!?」

『どこの童なのじゃ?』


 タバコの匂いがしない。酒の匂いもだ。洗い髪は吐き気を催さんばかりに清らかな、花の香りさえ漂わせている。意外なことに最近風呂に入ったのだろう、やや体臭はあるが、病毒に侵された泥のような膿の匂い、愛しさゆえに朽ち果てた才のごとき哀れさを催す床擦れの匂いに比べれば、何ということはない。


『病に侵されてもおらぬ、年端もいかぬ童よ……。おまえはどこの童なのじゃ?』

「どこの……どこ? だれ?」


 姿を見せるのは不気味に過ぎて、気絶してしまうかもしれない。そう判断したスライムは仮初めの人型を作って、べたりと寝かせる。人を見たことがないためにマネキン以下の再現度だったが、粘土人形みたい、などというやや思惑から外れた楽しそうな声が聞こえた。


『ワレはズィークウェ……いや、そうさな、トーナとでも呼べ。故あって姿は明かさぬ。貴様はどこの童なのじゃ。答えよ、何も穢れておらぬ娘よ』


 彼女の正体を悟ったか、娘は泣き腫らした目を向けて、「歌謡いよ」と誇らしげに言う。なるほど体が汚れてもおらず、猥雑な街に似合わず清潔なわけだ、とスライムは納得した。


「ニューカよ。歌を歌うのが仕事なの。色町でもこうして汚れずに仕事ができるのはありがたい……って、さっきまでは思ってたわ」


『聞いたことがある声じゃな。最近……一年はいるじゃろう?』


 音には非常に敏感な彼女は、街にいるすべての「声」を聴いている。


「ええ、もちろん。遊生人の人たちにも受けて、いい感じだったんだけど……旦那さまが変わって、店を変わることになっちゃって……」


 人型を動かしてうなずかせようと思ったが、あおむけでうなずくのも変だろうと思い、やめる。どうにも人間の姿勢というものは、見たことがないためによく分からないのだ。


『遊生人にはどうにもできぬか?』


「いっぱい反対してくれたけど。でもやっぱり、最後には諦めて……これもイベントだからって言って、行っちゃった。お金もいっぱい持ってて、すっごい力あるのに、何もしてくれないんだ」


『聞いておったわ、その騒ぎ』


 街ひとつを耳に入れているトーナは、事件の顛末すべてを知っている。


『前の雇い主はもう生きておらぬ。娘ごを何人も抱えて売らぬものだから、ずいぶんと金もかかっておったようでの。おまえたちを引き取って売り払えばずいぶんな金になる、殺されるには充分な理由よな』


「う……。旦那さま、やっぱり。嫌だよ……売られるのは怖くないけど……姉さんみたいにどろどろになって死ぬの……」


 幾多の病毒を宿し、発疹や膿で覆われ、全身が糞の如き色に腐り果てて死ぬものもある。無論それもトーナの餌食であった。


『すべて聞いておったとも。であれば何を望むのじゃ? 姉を蘇らせたいか? 旦那さまを殺した相手へかたき討ちをしたいか? すべての汚濁を喰らうワレには、できることとできぬことがある』


「何ができるの? トーナ」

『いい声じゃ、娘……ニューカよ。取り引きをせぬか』


「うん。私……私は、明るい場所で歌っていたい」


 うん、うん、そうじゃなとトーナはうなずく。


『ワレは目が見えぬ。おまえの体を借りたいのじゃ』

「目だけじゃダメ?」


『片目を失うのは案外大変じゃぞ。それに、切り離すに痛みなしとは行かぬ』


 びくりと震えたニューカに、彼女は優しく触腕を差し伸べる。


『なに……少しのあいだ体を貸せばよいだけの話よ。おまえにはこの力すべてを貸し与えようではないか。その代わりに、おまえの体の形をなぞり、私が同じ形を取れるまで体を借り受ける……どうじゃ?』


「いいよ。私は生きていられるの?」

『もちろん。嘘はつかぬよ』


 年頃の少女としても特別に可愛らしく、こちらの世界でなくともアイドルになれてしまいそうな容貌に、ぞろぞろと巨大な粘液体が集結する。


『手を伸ばせ。染み渡れば成功じゃ』

「失敗したら……」


『死ぬるじゃろうな。力を得るには、少しばかりの苦労が必要なのじゃ』

「遊生人の人たちは何度も死んでる……私だって、怖くない!」


 音は静かに、悶える体は苦痛に耐えて、少しの悲鳴も上げない。全身を浸食され一部を置換されているにも関わらず、ニューカは凄まじい精神力を見せていた。


「……、終わった?」


「終わったとも。これからはこのブローチがしゃべる。テレパシーはもう終わりじゃ。とりあえず、しばらくはワレがおまえの意識を乗っ取るぞ。おまえには少々つらいものを見なければならぬでな」


「う、うん」


 首がかくりと垂れ、すぐに恐るべき光を宿して持ち上がる。


「すまぬなニューカよ。おまえに報いはする、しかし実験が先なのじゃ」


 トーナの耳はラゾッコのすべてを捉えていた。それは、生まれてから三十年という月日すべてを、である。ニューカの姉がこの街へ来て何をされていたか、どのように苦しんで狂い死にしていったかもすべて知っている。そしてニューカがここへ来ることも、彼女がそう思いたつ前から予測できていた。


「ワレのスキルがどのように通用するか……否。かの二重存在が成り立ちうるか、耳で聞いた与太でなければ――ワレは半神を倒し得る」


 ぴしゃぴしゃと水を鳴らしながら、化身した怪物は歩き出した。



 ◇



「なあ……ニューカたんどこに行ったわけ」


「知らねっつの。つかあのボッタクリ毎日聞きに行くのめんどくせーんですけど。なんかへまやらかして消されたんじゃねえの、このへんそういうとこだし」


 透明な歌声を持つ、場末の未成年バーとも思えぬ清純派歌手であるニューカ・クラルのガチファンである肝井卓央(かんせいたくお)はがっくりしていた。十七という年にふさわしく……いやふさわしいと言うべきなのか、ふっくらというにはふっくらすぎて歌うたびに震えるところやらファンに向ける純粋な笑顔、セクシーな衣装からのぞく太ももやらなんやら、手入れがしっかりしていてこの世界っぽくないまである体――げふん。


 はともかく、未成年バーのアイドルとしては一級品であり現実世界のそれよりかなり距離が近いところがもう最高でナチュラルにしゃがみチラを連発しているにも関わらず優しい笑顔はそのまま、おひねりを投げるとしっかり受け取ってくれるあたりが死ぬほど嬉しい素晴らしいもう表現しようのない可愛らしさで、何なら人間の理想を反映したゲームのアイドルがイデアから現実世界に直接降臨したが如く思えるほどのあれで――えっほげっほごふん。


 とにかく、女の嫌なところを綺麗に取り除いたような、アイドルという偶像そのものなのである。肝井のほかにも彼女のガチファンは百人単位で存在し、彼女がいなくなった理由を店に問い合わせること数千回、すべて同じ答えで返答されて涙していた。


「店移りました――とかさァ!? 言って信じるとでも思ってんの!?! なあ!!!」


「キレすぎィ! ったくもう、水揚げでもしろよ」


「アイドル買い取りとかふざけてんの!!? そんなことするのは人間じゃない」


「あのさぁ……この辺はそういう街なんだから、NPCの一人や二人消えても誰も疑問には思わんですよ。俺にキレられてもどうにもしようがないしさ? おとなしく次の嫁を探せよな。何ならエルフの街でも行くか? 超絶美人がごろごろらしっすよ」


 分かってないね……と肝井はつぶやく。


「宝石店に宝石があるのはあったりまえ、そらそうよとしか言いようがないじゃんよ。というかもともとそうなんだからそうじゃなきゃおかしいし。人間の街で、顔もわりと微妙なのが多い街で――ニューカたァんッッッ!!!! がいたわけだよ。しかも清純派ですよ。体を売る女? 興味ないね。玉石混交の街でわざわざ石を拾う意味が分からんですよ」


「おいトラブルになるからやめとけって」


「あ、すまん。とにかくね? ニューカたんのあの綺麗な歌声……そんで顔もきれい体もすっごい……アンドで清純派なんだけどおひねりを必死になって拾っちゃう俗っぽい部分とか……ごはん食べてるときの大きな口とかね?」


 付き合ってる方はもうさっぱりだわ、と肝井の横に座る「剣髪ボーイ」は肩をすくめる。


「あッッ!?! いた――???」

「ん? タルパか何かだろ。まあなんかあったらメッセ飛ばせ。行ってら」


「逝ってきます!! おーいニューカたん……たん?」


 カウンターに勘定よりかなり多い二千ルトを叩きつけて、肝井は未成年バーから出る。ラゾッコの未成年バーはデーノンのそれと比べて割高だが、二千もあればかなり飲み食いできるはずだ。


 という知識を頭の中からすっ飛ばし、肝井はニューカらしい少女へ走り寄る。猥雑な街には似合わない、季節にふさわしい薄い緑のブラウスだった。大きく広がったスカートは、もしかしたらアイドル時代のものを流用しているのかもしれない。


「ニューカたん……??」

「あ、……カン・セイ・さん?」


「ああニューカたん!! お店移ったって聞いてもう泣きそうで……いまどこにいるの? ちょっと遠くても聞きに行くよ」


「えっと、今日は荷物を取りに戻ってきただけで。すぐ戻らなきゃダメなんです」


 わおそうだったん、と言いつつ、肝井は彼女をしっかり見て、ステータス情報もいつもと変わりないのを確認した。


(ニューカ・クラル、レベル二十八。ジョブは歌手と針子、犯罪スコアゼロ。いつも通りだねニューカたん……なんか服違うけど買ったか作ったんだよね)


 下級職ふたつなのは、衣装を自分で作るためである。デザインは他の子たちとの共同らしく、けしからん格好なのは要請あってのことらしい。


「えっと……アーム、あやっ、ジョブを追加しなきゃいけなくて。デーノンまでお願いできますか?」


「あっ、うんいいっすよ! ただでもいい」

「いつもお金をいただいてたから、こういうときお返ししないと……」


 ええ子やもう泣きそうや……と感動の涙をこぼしながら、手振りで近くのガチファンたちに連絡し、隠密の護衛と表立っての護衛を付ける。


「じゃ行きますか」

「はい」


 隣にいる名誉をいただけるとかそれだけで昇天しそうです――と若干意識を遠のかせつつ、肝井はラゾッコを出発した。




 歩いて行ける距離でもあるが、モンスター避けの術がかかった馬車を使っている。値段は張るが、プレイヤーの買えるものとしては中級だ。


「そういやどうして店移っちゃったの? いまの儲けでダメだったの?」


「えっと……私たちが暮らすためのお金も必要で。元締めに払うお金がちょっと少なくなると、すぐ文句言われちゃうんです」


 けっこう裏事情知ってるんだな、気苦労も多いだろうねニューカたん? と思いつつ彼は「そっか、大変だねえ」といたわる。


「店長変わったみたいだけど」


「……前の店長は、ごたごたでちょっと。今の店長はあんまりいい人じゃないから、私たちを売ろうとしてるんです」


 馬車の物理的な揺れと同時に、肝井はひどく動揺した。


「えっ……ダメだよそんなの! テロ起こしちゃうよ俺たち!?」

「や、やめてください、怖いですよ」


「あ、ごめん」


 ニューカもNPCであり、レベル二十八という低レベルである。毎晩歌を聞きに来られるほどの儲けがある水準は最低レベル三百、百倍以上のステータス差がある。彼女を巻き込んでしまえば、同僚のアイドルたちとともに消し飛ばしてしまうだろう。


「あ、見えてきましたね」


「だね。そっか……でも困ったら俺たちに相談してよ。クリーンな職場をあっせんできるように、頑張るからさ!」


「ふふ、ありがとうございます。じゃあ私、ここらへんで」

「うん……止めちゃって」


 門あたりで馬車は止まり、ニューカは笑顔で手を振りながらデーノンへ歩いていく。


「ん? あ、見間違いか」


 振り返るのをやめて街へ入る一瞬、ステータスウィンドウがざわめいた。


「〈ズィークウェルプ〉……レベル八九〇……いやいやまさか。戦闘美少女を見過ぎましたかね俺は……? つかこの距離だし、間違えたんだよな」



 一瞬、ほんの一瞬だけ――ウィンドウが人間のそれではなかった。



「げふんげふん……今日の俺ってばおかしいな、夢でも見てるか?」


 頭をぽかっとやりながら、肝井はラゾッコへ帰る気もせず、狩りに出かけた。

 危ないのがぽんぽん出てくるやべー世界。


 やっとルビの使い方覚えました……長かった、というか理解力やキーボード操作がいまいち足りてませんでした。これからはめちゃくちゃやれるな! げははー!

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