1-2
「がつがつもぐもぐむしゃむしゃんぐんぐぷはっ!」
男は手当たり次第に見える食べ物を口に運んでゆく。
「……」
「……」
その様子を呆気に取られて見ている、テーラとおばさん。
「……テーラちゃん……」
「……なんでしょう」
テーラは嫌な予感しかしなかった。
「……テーラちゃん、優しいから捨て犬や捨て猫を拾ってくるのはよく見かけたけど……今度のはちょっと大きすぎやしないかい?」
「……ははは」
乾いた笑いしか返せない。
「……私も別に好きで拾ったわけでは……」
テーラは悩んだ末に、助けることに決めた。
助ける義理はなかったし、あんなところで勝手に倒れているこいつも悪いと思ったし、つまずいただけで、そんなに強く蹴ったつもりもなく、悪気も当然なかった。
だが、よそ見をしていた自分が悪いのは事実であり、強くは当たっていなくとも鎧のブーツでは確かに痛いと思う。
それに――困っている人をほっておけないのは、生来の性分か、はたまた父の影響か。
「んぐんぐ、ぶっ! ごほごほっ!」
男が口に詰め込みすぎて、思わずむせる。
「いや、そんなに慌てて食べなくても誰もとったりしないから」
テーラはそっと水を差しだす。
男はパッと受け取り、すぐに流し込む。
「ぷはっ! た、助かった! ありがとう!」
ちょうど、今ので最後の食べ物を食べ終え、両手をパンと合わせて礼を言う。
「ごちそうさまでした!」
男は深く礼をする。
「いや~、お兄さん、よく食べたねえ」
おばさんが驚くのも無理はない。ゆうに五人前は食べていた。
「いやもう、ほんと、おいしかったです!」
男は満足げに腹をさすりながら幸せそうである。
「……予定外の出費だ」
もう少し遠慮をしてほしかったと思うテーラ。
「ところで、体のあちこちが痛いのはなぜ?」
男の疑問の答えは、店の外においてある一輪車が物語っている。
「それより、なんであんなところで倒れていたんだ?」
さらっと話題をすり替えるテーラ。
「あ、服もありがとうございます」
テーラの問いには答えず、おばさんに礼をいう。今着ている服はおばさんの旦那さんの古着をいただいた。さすがにずぶ濡れの裸のままでいられるのは困り、おばさんも人が好いのと、テーラがつれてきたということで嫌な顔せず気前よくくれた。
「……それより、どうして半裸で倒れていたんだ?」
若干の苛立ちを含め、少し強めの口調で言うテーラ。謝罪の分は、五人前も食べた食事で十分に果たせている。
「うん、その前に自己紹介だけいい? 俺はヴァースっていうんだ。このたびは助けてくれてありがとう」
机に両手をついて深く頭を下げる。
急に礼儀正しく言われて、虚をつかれるテーラ。問い詰めようとも思っていた気概もそがれ、どうにも調子が狂う。
「あら、ちゃんと自分から自己紹介なんて礼儀正しい子だね」
おばさんも最初は怪しんでいたが、彼の態度を見て好感を持ったようだ。
「……テーラだ」
短く名前だけ伝える。
「テーラ……いい名前だね」
そう言ってにっこりと微笑むヴァース。
その顔があまりにも純粋で、名前を褒められたことのないテーラは一瞬ドキッとした。
「あらあら」
その様子をおばさんは見逃さなかった。
口元に手をおいてによによしながらテーラを見る。
「おばさん! そろそろお客さんが混む時間じゃないですか!?」
視線に耐えられず、思わず口調がきつくなってしまう。
「はいはい。じゃあ、準備に行きますかね~」
照れ隠しとわかっているおばさんは、特に気にすることもなく、食べ終わったお膳を下げて調理場へと戻っていく。
中に入ろうとしたとき、ちょうど扉が開いてお客さんが入ってくる。
「あ、いらっしゃい」
そこからはぞくぞくと入ってきて、店内はすぐにいっぱいになる。
鎧姿の兵士や、用心棒風の男。商人や旅人など様々な人がいる。
「ふえ~、大繁盛だね~。俺、こんなにいろんな人がいるの初めてみたよ」
「? そうなのか? 別に珍しいことでもないだろ?」
ヴァースは全体を眺め、視線をテーラに戻す。
それが合図であるかのように、テーラはようやく本題を問う。
「……で、なんであんなところに倒れていたんだ? しかも半裸で」
その質問に、ヴァースは恥ずかしそうに頭をかきながら答える。
「いや~、じいちゃんに”西に行け”って言われてさ。とりあえず船の作り方を教えてもらって、作って海に出たはいいんだけど、すぐに壊れちゃって。仕方ないから泳いできたんだけど、それが思ったよりも遠くて。もうへとへとになっちゃって、気づいたらあそこでぶっ倒れちゃったんだ」
「……は?」
テーラは一瞬、理解ができなかった。
「いやでもホント、世の中には優しい人もいるもんだね。出会えたのがテーラでよかったよ。ありがとね!」
そう言ってまたにっこりと微笑む。
あまりにも純粋でまっすぐな好意に、テーラは調子を狂わされっぱなしである。
「……ごほん。いや、待て。それは良いとして……泳いできた?」
テーラに新たな疑問が生じる。
ここはステージア大陸の中でもさらに東、海に近い沿岸。少し歩けば、すぐに雄大な海と空が作る水平線が見えてくる。
そう、”水平線”が見えるのである。
近くに島など見えない。彼の話が本当であるなら、少なくとも見えないほど遠くの場所から泳いできたことになる。
「ありえんだろ、仮に島があるとして、何十キロ離れていると思ってるんだ? だいたい、海にだって魔物はいるし……」
「うん、ほんとにちょっと遠かったね。まいったよ。でも、魚さんたちが励ましてくれてたし、安全なルートも教えてくれたから、なんとか大丈夫だったよ」
あっけらかんというヴァース。
テーラはこめかみあたりが痛くなってくるのを感じる。もしかして、からかわれているのだろうか。
「はあ。……まあ、船で近くまで来ていたのなら、まだ可能……なのか? だいたい魚さんたちって……」
「あ、船は割と最初の方で壊れちゃったんだ。戻ろうかとも思ったけど、めんどくさかったし。……なんで壊れちゃったんだろ?」
「私が知るわけないだろ。おじいさんはきちんと教えてくれなかったのか?」
「あ、船の作り方はじいちゃんに教わったわけじゃないよ。じいちゃん、一昨日に死んじゃったし。鳥さんに聞いて作ったんだ」
「……はぁ?」
テーラは馬鹿にされているのかと思った。
が、彼の表情や態度が決して馬鹿にしているわけでも嘘をついているわけでもないであろうことは、なんとなくわかる。
(……妄想癖か何かか?)
しかし、にわかには信じがたい。
「……おじいさんが亡くなったのは残念だったな。ご両親はいなかったのか? それに、その”鳥さん”に聞いて、どんな船を作ったんだ?」
鳥さんを人のあだ名と思い込むことにした。が、それは彼の次のセリフで打ち砕かれる。
「うん。あ、両親はいないんだ。気づいた時には、誰もいない小さな島でじいちゃんとずっと二人で暮らしていたし」
「……」
頭を抱え込むテーラ。だんだん話についていけなくなる。
「あ、船はね、けっこう簡単だったんだよ。まず木を切って、それを並べてひもで結んで、旗とオールをつく――」
「それはイカダだ!」
バンッと机をたたいてツッコむテーラ。
大きな音に、視線が一斉にこちらに集中する。
ついカッとなってやってしまった自分の愚かさと恥ずかしさにうつむくテーラ。
「……お前と会ってから私はろくなことがない」
「え、そなの? ……ごめん」
二人とも押し黙り、暗いムードが漂う。
「おやまあ、どうしたんだい、二人とも。ほら、食後のあったかいお茶でもどうぞ」
助け船のように絶妙のタイミングでおばさんがやってくる。
二人は差し出されたお茶を一口飲んで、そのあたたかさが心に染みる。
「……それで、いろいろあったと思うけど、坊やはこれからどうするんだい?」
「俺? 俺はね、じいちゃんと約束したんだ」
「約束?」
ヴァースは子供のようにキラキラした目をしていた。
そして、大声で意気揚々と宣言した。
「俺は、”大賢者”になるんだ!」
立ち上がり、ぐっと拳を握りしめるヴァース。
その様子をぽかんと見守る食事処の皆。
しばらくして、大爆笑が沸き起こる。
「だっはっは! いいね、”大賢者”ときたもんだ!」
「おっかし~! まだそんなこと言うやついたんだ!」
「ぷはははっ! 夢を見すぎじゃないのかね?」
「おうおう、まあ頑張れよ兄ちゃん!」
皆が口々にはやし立てる。
「え? え? 何?」
ヴァースはわけがわからず困惑している。
「あははは! 面白い子だね、テーラちゃん」
「……」
テーラは無言で彼を見つめていた。
「……ライセンスは持っているのか?」
「ライセンス?」
ヴァースはテーラに聞き返す。
「おいおい、ライセンスもないのに”大賢者になる”なんて言っていたのかあ?」
「まったく、お前どこの田舎もんだよ」
「そんなんじゃ夢のまた夢だな!」
知らないヴァースをあざけ笑う面々。
そんな彼らを、テーラの眼光が射貫く。
ぞくりと、今にも息の根を止められそうなその迫力に、男たちは黙り、視線を逸らす。
テーラは大きくため息をついて、ヴァースを座らせる。
「……いいか、”ライセンス”というのは、お前がなりたがっている”大賢者”様が作った制度だ。本当に知らないのか?」
「……うん」
ヴァースは静かにうなずく。
テーラはもう一度大きく息をはいた。
「……”魔封聖戦”については聞いたことがあるか? 今から百年前、突然現れた魔王によって人類が滅亡しかけたとき、勇者が現れ、彼とその仲間たちによって魔王は封印されたという話だ。今はおとぎ話、童話にもなって耳にしたことはあると思うのだが……」
テーラは不安に思いつつ彼の様子を伺う。
「あ、それなら知ってる! 子供のころにじいちゃんが話してくれたやつだ!」
ヴァースの答えに、ひとまず安心するテーラ。
「あの話には続きがあり、魔王を封印することには成功したが、魔物はまだ残ったままだった。そこで、生き残った大賢者様をはじめとする仲間たちが、”職”という制度を作り、それに伴って”ライセンス”という制度も作ったんだ」
「へ~、そうだったんだ」
ヴァースはテーラの話に真剣に耳を傾けている。
「ライセンスとはいわば身分証だ。自分はどんなクラスについているか、そのクラスでどこまでの技術を収めているか。まあ、あくまで目安ではあるがな。クラスには下位職と上位職があり、下位職は下が七級から上は一級まで。上位職は下が一段から上は七段まである。ちなみに、下位職は国の騎士、上位職になれば騎士団の団長クラスだな。……ちなみに、上位職を七段までマスターした者には、特別な力がつき、称号も与えられると聞く」
「へぇ……。あのさ、いくつか聞いていい?」
「なんだ?」
「えっと、上位職になるにはどうすればいいの?」
「基本的には下位職をマスター――一級までとり、かつ、ある組み合わせだとその上位職としての道が開ける。たとえば、上位職のバトルマスターは、剣士と武闘家をそれぞれ一級になれば良い」
「一級になるにはどうするの?」
「ああ、それに関してはやり方はなんでも良い。魔物だけでなく、人とも戦って己の腕を磨くもよし、魔法使いや僧侶といった者たちは魔法書を使って勉強し、魔法を覚えて使えるようになれば級が上がったりする。この国にも、簡単な剣士や魔法使いの学校もある。そこで習って卒業すれば、キューマ神殿で転職したときだいたい五級、よくできたものは四級になれたりもするな」
「その級があがったりとかって、どうやってわかるの?」
「ライセンスがいつの間にか変わっている。どういう仕組みになっているのか、私はわからないがな」
「そのライセンスってどこでもらえるの?」
「……はあ、なんか疲れてきたな。ちなみに西の大陸のキューマ神殿だ。そこでしかライセンスの発行はできんし、下位職から上位職への転職もできん」
「下位職とか上位職ってどんなのがあるの?」
「それは……あ~もう! そんなのはお前が直接行って調べろ!」
テーラはさすがに説明するのも疲れたのか、いら立ったように立ち上がり、おばさんに食事代と共に迷惑をかけたお詫びとお礼を言った。
「待って! もう一つだけ教えて!」
「……なんだ?」
慌てて立ち上がったヴァースに、テーラは睨むように振り返る。本人はそのつもりはなかっただろうが、疲れたのもあり、周りからはそのように見えた。食堂の皆は一斉に顔を背けるが、ヴァースは気にせずに尋ねた。
「俺もキューマ神殿に行けば、大賢者になれる?」
その問いに、答えようかどうしようか迷った。が、テーラは答えた。
「……上位職に”賢者”というクラスは存在する。しかし、下位職でも難しいとされる”魔法使い”と”僧侶”の二つをマスターしなければならないことに加え、”賢者”というクラスも生半可な努力では段もあがらん。ちらっと聞いた話では、例に出したバトルマスターと賢者では、賢者の方が二倍以上かかるらしい。ましてや……”大賢者”とは”賢者”をマスターした者に与えられる特別な称号だ。そんな称号を持つ人を、私は魔封大戦の”大賢者”様以外、聞いたことはないがな」
「そっ、か……」
ヴァースはうつむいた。その手は、強く握られ、拳がぶるぶると震えている。
「……」
その様子に、少しきつく言い過ぎたかな、とも思ったが、すぐに顔を上げたヴァースの表情を見てテーラは驚いた。
その顔は、笑っていた。落ち込むでもなく、途方にくれるでもなく、さわやかに笑っていた。
「へへっ。そうこなくっちゃ、面白くないよな!」
その言葉に、テーラは息を一つ吐いて、「変なやつ」とぼそりと言って外に出た。
ヴァースも彼女が出ていくのを見て、慌てて後を追おうとして、おばさんに声をかける。
「おばさん、いろいろありがとうございました! それと、ご迷惑もかけてすみません」
「いいよ、気にしなくて。頑張ってね、未来の大賢者様!」
「……はい!」
最後に元気よく返事し、一礼してヴァースも店を出る。
おばさんは笑顔で見送ってくれた。