=第一章=
世界は大きく、四つの大陸に分かれていた。
舞台はその一角、東の大陸・ステージアで始まる。
ステージアの中でも、さらに東の沿岸に近い山の麓。
そこに小さな食事処があった。
「あら、テーラちゃんじゃない! 久しぶり! 今日はお城に行く日だったのかい!」
恰幅の良いおばさんが、ちょうど店の準備が終わって看板を出そうと扉を開けたとき、見知った人物が立っていて思わず声をかけた。
「おばさん、お久しぶりです」
ピンと背筋を伸ばして会釈をした人物、リス・テーラも微笑みながらそう答える。
腰に差した細身の剣。だけではなく、背中には弓矢まで背負っている。
赤を基調としたシャツとロングスカートの下には鎧のハイブーツ。胸元には多くの傷が入った銀の胸当てと、かすれてしまっているが、左下に小さく刻まれたレテジス王家の紋章が見える。
武器も鎧も使い込まれてはいるが、手入れの行き届いたそれらが彼女の実力を物語る。
少し吊り上がったネコ目の彼女は、見る者にきつい印象を与えるが、ポニーテールにされた絹のような艶のある美しい黒髪が風に揺れ、ぷっくりとした桃色の唇が同時に女性らしい魅力も与える。
「ほんと、いつ見ても美人ねえ」
同性のおばさんから見てもテーラはきれいだった。
「やめてくださいよ、おばさん」
ここに立ち寄ると決まって言われるセリフに、最初は戸惑っていたテーラもさらっと流せるほどには慣れた。
「ほんと、早く良い人が見つかるといいんだけどねぇ」
これもお決まりのセリフ。
「今はそういうことには興味がないので」
こっちも常套句で返す。
「もったいないねぇ。まあ、仕方ないか。さ! 上がっておいき! 何にする?」
のれんをかけたばかりの店に、戸を開けてもらいテーラは入る。
「失礼します」
あたりを見回す。
このあたり唯一の食事場だけに、なかなかの広さである。昼には、ここを通る商人や兵士たちでいっぱいになるというが、今の客は当然自分しかいない。
入口の隅、調理場に近いところの、いつもの二人用の小さな席に腰を下ろす。
「……品数、増えましたね」
テーラが壁にかかれたお品書きを見渡しながらおばさんに言う。
「そうだろう! ここ最近めっきり魔物の数も減ってきたし、おかげで仕入れの品も増えてね! これもレテジスの三騎士様のおかげかもしれないね!」
おばさんは上機嫌で語る。
「三騎士……か」
テーラはその言葉に、若干の後ろめたさを感じた。
「あ、あらやだ、そんなつもりじゃなかったんだけど……気にしないでおくれよ! さ、何にする? 今朝入ったばかりのやつで作った、この焼き魚定食がおすすめだよ!」
「……いただきます」
テーラの様子に気づき、おばさんはフォローを入れてから、食事の準備のために調理場に入っていった。
しばらくして、おばさんは湯気が立つお膳をもって出てきた。
「はい、お待ちどお!」
テーラの前に置かれたのは、焼かれて身がふっくらとした魚に、この地では最近取れなくなりつつあったほかほかの白いご飯。みそ汁。この地特産のフルーツまでついた豪華なものだった。
「……おいしそう! すごいですね!」
「だろ! さ、あったかいうちにおあがりよ!」
「はい! いただきます」
手を合わせ、箸を持つ。
と、奥からバタバタと走ってくる音が聞こえた。
「かあちゃーん! 遊びに行ってきまーす!」
「いってきまーす」
幼い二人の兄妹が戸を開けて外に出ていく。
「こら! あんまり遠くに行くんじゃないよ!」
「はーいっ!」
「はーい!」
その様子をほほえましく見ていたテーラ。
「……元気ですね」
「ごめんね、店の方からは出るなって言ってあるんだけど」
「いえ、気にしませんので」
テーラは改めて食事に向かい、焼き魚を食べ始めた。
「ごちそうさまでした」
「はいよ、お粗末さまでした」
おばさんが食べ終わったお膳を下げにくる。
「ほんとに美味しかったです」
「そうかい、そりゃよかった! ……この調子で、このまま世界が平和になってくれるといいんだけどねぇ」
「……」
テーラも思いは同じだったが、何も言わず、代金を渡して外に出る。
おばさんも一緒に外に出て見送ってくれた。
「……お父さんのこと、何かわかるといいね」
「……ありがとうございます」
テーラは来た時と同じように背筋を伸ばしてお礼をすると、食事処をあとにした。
空は快晴だった。
森の近くの参道を通るテーラの頭上には青空が広がり、あたたかな日差しが惜しげもなく降り注ぐ。
おばさんが言った、”平和”というのはこういうことだろうと感じる。
そんな中を、自分は剣と弓、鎧まできて武装しているのは相反する者のような気がして滑稽に思えた。
もう一度、頭上を見上げる。
抜けるような空の青さが、否定的な自分の思考も吸い取ってくれるような雄大さを感じて、思わず笑みがこぼれる。降り注ぐ大いなる太陽の光が同時に活力をもたらしてくれ――。
「うわっと!」
上ばかり見て足元を見ていなかったせいか、何かにつまずき転びそうになる。
自分の愚かさに恥ずかしくなり、周りに誰もいなくて心底良かったと胸をなでおろす。
いったい何につまずいたのかと後ろを振り向くと――青い髪の、上半身裸の男が倒れていた。
「な……」
最初に思ったのは、なぜこんなところに、ではなく、なぜ裸なんだ、だった。
恐る恐る近づいてみる。
半裸の男は、全身びしょ濡れで、ズボンにはところどころ葉っぱや木の破片などがくっつきささっている。
右手には辞書のように分厚い本をもっていた。
ただ不思議なことに、その場所の地面には濡れた形跡があるが、本自体は水気を含んでいるようには見えなかった。
「あの……大丈夫、か?」
声をかけてみる。
反応はない。
「行き倒れ、か……?」
周りには誰もおらず、見て見ぬ振りもできるが、それはさすがに後味が悪すぎる。
生死を確かめようと、一歩近づいた時――彼の手の届く範囲に入った。
がしっと足首をつかまれた。
「ひっ!」
突然のことに、思わず小さな悲鳴が漏れる。
「……った……」
かすかだが、倒れ伏している男から声が聞こえた。
「な、な、な」
気が動転してしまっているテーラ。
「……けった……」
まるで地の底から吐き出すようにつぶやかれる声。
「……蹴った、よね……」
「な、なに?」
今度ははっきり聞こえた。
そして、男の顔が、こちらを向いた。
「蹴ったよねえええぇぇえ!」
「いやああああ!」
悲鳴を上げるテーラ。
男の顔は、まるで海の底からやってきた亡者のようで、まるで海底に引きずりこもうとするかの如くテーラの足を強く握る。
「けった、蹴ったよね!? 痛かったんですけど!? 瀕死の人に蹴りをくらわすなんて、あんたは鬼か!?」
「いやあああぁああぁ!」
もはや錯乱に近いテーラ。
まともな思考はできず、さらにバランスを崩し倒れる。
尻もちをついた状態で、つかまれていない方の足を使いげしげしと蹴りまくる。
「ちょ、いた、やめ、やめて! 痛い! 痛いから! 鎧! 金属痛っ!」
蹴られてもなお足を離そうとしない男。
ついにテーラは腰に差してあった剣に手をかけ抜き放つ。
銀の刃が太陽の光を反射し、ギラリと光る。
それに気づいた瞬間、男は叫んだ。
「助けてくださあああいっ!」
男はすぐさま手を放し、土下座した。
「な……っ!」
足が離れたこと、男が土下座をしたこと、何より武器を持ったことで、ようやく冷静さを少し取り戻したテーラ。
「き、きさま……!」
ぐごぎゅるるるるるるごぎゅぐおおおおおおおぉぉぉ!
言葉をつづけようたした瞬間、彼から盛大な獣の咆哮のような音がなる。
それにしばらくあっけにとられる。
沈黙を破ったのは彼の方からだった。
「は……」
「……は?」
「腹……減りすぎました……」
男は土下座したままその言葉を絞り出すと、またばったりと倒れた。
「あ、お、おい!」
完全に気絶したようで、今度はピクリとも動かなかった。
「……」
いろいろ思案を重ね、捨て置こうか本気で悩んだ。しかし――。
テーラは男の後ろに見える、小さくなった食事処に目をやる。
「……はあ」
やっかいごとでなければいいな、と本気で願うテーラであった。




