10話
「ですが、もう一つ覚悟してください。遠竹君が生き抜く事を望むならば、そこには必ず茜さんの力が必要になります。そしてそれは、茜さんの中の赤マントとしての衝動の引き金となる可能性がある事を、常に意識に置いてください」
瑞貴はその言葉に、静かに頷く。
「そして、遠竹君1人で全てを抱え込まない事。本当に守りたいと思うのなら、すぐに他の力を借りる事です。自分1人で解決する事が出来る事なんて無いという事を、理解してください」
「分かりました」
「よろしい」
琴葉はそう言うと、瑞貴に十円玉を握らせる。
「あの……これは?」
「ボクはこちらに人間として存在してはいますが、本質はこっくりさんのままです。意味は、理解できますね」
こっくりさん。
十円玉を使ってこっくりさんを呼び出し質問に答えて貰う儀式。
それと本質が同じということは、つまり。
「琴葉さんを呼べるもの……ってことですか?」
「理解が早くて助かります。それに触れて念じれば、ボクに届きます。それにしても遠竹君は優秀ですね。ゲーム脳なんですか?」
「なんか今、褒められると同時に酷い事を言われた気がするんですが」
便利な召喚アイテムって感じだ……と瑞貴が思ったその瞬間、瑞貴の脳天にゲンコツが振り下ろされる。
「今、何か失礼な事を考えたでしょう」
瑞貴が殴られた頭を抱えて唸っていると、琴葉は咳払いをする。
「では教えましょう、貴方の武器を。今の貴方にしか使えない、貴方が生き残る為の武器を」
「はい……よろしくお願いします!」
瑞貴が頭を下げると、琴葉は優しく微笑む。
「あの……僕の武器って、一体?」
「遠竹君。ボクを呼んだ時の事は、覚えてますか?」
「はい」
「では、その時にやっていた事。感じた事は?」
「えっと……琴葉さんが教室にいる姿を、想像しました。そしたら、視界が……」
そう、あの時に瑞貴の視界は歪んだ。
遠くなるような、近くなるような。
混ざり合うような、あの不思議な感覚。
だが……それをどう説明したら良いのか。
悩む瑞貴の顔を見て、琴葉は溜息をつく。
「やっぱり無自覚に呼んでましたね。妙な呼び方だとは思いましたけど」
「妙……ですか?」
頷くと琴葉は座椅子を寄せて、瑞貴の至近距離に座り直す。
ジャージ姿とは不釣合いなくらいに綺麗な顔が、瑞貴の顔に近づいてくる。
「こ、琴葉さん?」
「遠竹君。今ボクと貴方は、すぐ近くに居ます。互いの息も触れ合う距離ではありますが、決して触れてはいない」
「は、はい」
「これが、こちらとあちらの距離感です。言うなれば銀幕を隔てた距離、といったところでしょうか。すぐそこにありながら、通常であれば届く事はありません」
銀幕。
瑞貴はその言葉を、つい最近聞いたばかりだ。
銀幕は、もう僕と世界を隔てない。
茜が、瑞貴にそう言っていた。
「この世界とあちらの世界……ダストワールドを行き来するには、銀幕を飛び越える必要がありますが……何らかの偶然によって、その境界線を飛び越えてしまう者が出てきます」
「神隠し……ですか?」
「イエス。今日教えてあげた事、覚えてたんですね」
「つまり、それがこっちと向こうを行き来する手段……ってことですか?」
「ノー。結論を急ぎ過ぎですね。こちらから向こうに行くだけなら、それで充分です。でも、向こうからこちらに来るには不充分です」
琴葉はそう言うと、テレビの画面を指差す。
「この世界は言うなれば、銀幕の向こう側です。出演者は決まっていて、そこに飛び入りが来るなんて事は有り得ない。だからこそ、偶然の乱入者はすぐダストワールドへと揺り戻されます。対するダストワールドは、銀幕のこちら側。出演者がこちらに来ても、観客が1人増えた程度の扱いです」
つまり。
偶然でなければ、ダストワールドからこちらに、揺り戻されずに来ることができる……ということなのだろう。
例えば、茜や琴葉のように。
「行き来に関しては、演劇に例えると分かりやすいかもしれませんね。突然の闖入者はつまみ出されるでしょう?」
頷く瑞貴に琴葉は満足そうに微笑み、言葉を続ける。
「さて、では。こちらとあちらを揺り戻されないように行き来するには、どうしたらいいか……その正解が、これです」
琴葉は、突然瑞貴の腕に自分の腕を絡める。
伝わる体温と柔らかさに、心臓の鼓動が一気に早くなる。
「隣り合う二つの世界が繋がる時。その時に、境界線を突破することです。こっちにいる大体の人達は、そういう手段で来ています」
そう言うと、琴葉は瑞貴の腕をパッと離す。
「ですが、これは世界の隙をついた強行突破です。この手段で来た者は世界に認められず、ただの異物として存在することになります。まあ、それで困ったという話は聞いたことありませんけどね」
例えば影法師もまた、その手段でこちらの世界へとやってきている。
元より存在が希薄な彼等は人々に気付かれることも無く、世界からも半ば放置に近い黙認をされた存在なのだと琴葉は説明する。
「でも、なんでそこまでして来るんですか? ダストワールドに居ると、問題が?」
「ふむ。確かに向こうに居ても、こちらの世界を見るだけなら出来ます。こちらから流れてくる諸々を、食料とすることも可能です」
でも、と。
琴葉は寂しそうな顔をする。
「遠竹君は、それで満足ですか?」
「……え?」
「銀幕の向こうに行ってみたいと思ったことは? 自分の世界に無いものに触れてみたいと思ったことは? もっと刺激的な何かに、触れてみたいと思ったことは?」
勿論、ある。
瑞貴はいつも、そういう世界に行きたくて。
その他では無い何かになりたくて。
「ダストワールドは、何もありません。こちらの世界から流れてくるモノでのみ成り立ち、何も産み出さない世界。だからこそ誰もが焦がれ、こちらを目指します」
そう、瑞貴は……あの無音の世界を知っている。
寂しい、あの世界を。
「……すみません」
「謝ることではありませんよ。さあ、話を戻しましょうか」
そう言うと、琴葉は表情を笑顔に切り替える。
「さて、もう一つ。強行突破ではない方法があります。これは遠竹君は、もう2度実践していますね」
2度。
それはつまり、茜と琴葉がこっちに来た時のことだろうかと瑞貴は考える。
「この方法は、先程のものよりも条件が限定されます。簡単にいえば二つの世界を絡め、混ぜて。一時的に一つの世界のような状態にします。その隙にこちら側に存在を移し替える事で、元からこちらに居たかのように世界に誤認させることができます」
「世界は矛盾を許さないから……最初からあったかのように組み込むってことですよね」
「イエス、よく御存じですね」
「あ、はい。茜がそんな事を言ってたのを思い出しました」
琴葉はそれを聞いて頷き……しかし、真面目な顔で指を一本立ててみせる。
「ですがこれには問題があります」
「問題……ですか?」
「イエス。何故なら、世界が混ざり合うなんて事は有り得ないからです」
その言葉に、瑞貴は混乱する。
世界が混ざらないという前提があるなら、世界を混ぜるという過程は発生しない。
なのに、それが発生して茜と琴葉は、こっちに来たということになってしまう。 それは、瑞貴の知っている事実とは矛盾する。
「ただし、普通であれば……という前提がつきます」
ニヤリと笑う琴葉。
瑞貴から感じる、少しでも真実に近づこうという強い探究心。
それを琴葉は後ろ手で煎餅に変えると、気付かれないように煎餅皿に混ぜる。
「要は、二つの世界に同時に存在するものを作ればいいんです。そうすれば、それを中心に世界は絡み合い、混ざり合います」
それって、つまり僕の事なんだろうか、と瑞貴は思い至る。
「気付きましたか? 遠竹君は、あちらで茜さんやボクと縁を結んでいます。それによって遠竹君の一部は、ダストワールドに固定されている状態となっています。それが、貴方の肉体が両方に存在する理由なんですね。そんな事した人間なんて居ませんでしたから、ボクも初めて見ましたけどね」
「それが……僕の力になるってことですか?」
「イエス。つまり遠竹君は、自分の意志で世界を意図的に混ぜようと働きかけることができると考えられます。引き寄せる事に関しては、もうイメージさえすれば出来るはずです。あとは……予想になりますが、弾き飛ばす事も可能ではないかと思います」
「引き寄せる事と……弾き飛ばす事、ですか」
「イエス、その通りです。まあ、使いこなせば大概の状況は逃げ切れるくらいにはなると思いますよ」
便利なような、不便なような力だと瑞貴は思う。
弾き飛ばしてもこっちにまた来ることが出来るなら決着にはならないが……しかし、確かに逃げるくらいにはなるのだろうか?
それに引き寄せるといっても、一体何を引き寄せればいいのか瑞貴には分からない。
「さて。では、特訓を始める前に。まずは携帯を貸していただけますか?」
「あ、はい」
琴葉さんの携帯番号でも入れるのかな、と思った瑞貴が携帯を渡すと……琴葉はメモリーを探して何処かへと電話をかけ始める。
「あ、こんばんは。ボクです、琴葉です」
その行動に、瑞貴は慌てて腰を浮かせる。
「ええ、ええ。遠竹君と一緒にいますよ。ああ、大丈夫ですよ。ボクから手は出してません。それでですね、ちょっと茜さんにもお話がありますので。これからそちらに……え?」
まさか、と瑞貴は思う。
烈火の如く怒る茜の姿が、瑞貴の脳裏に浮かぶ。
「遠竹君に代われ、だそうです」
震える手で、瑞貴は琴葉から携帯を受け取る。
「あの」
「ミズキ。どういうこと」
どういうこと、はこっちの台詞だ……と、瑞貴は琴葉を恨みがましい目で見つめる。
「違うんだ。僕は耕太に会うつもりで」
「これから迎えに行くから」
ブツン、と電話が切られる。
早速訪れた危機に、瑞貴は冷や汗を流す。
「あの、琴葉さん」
瑞貴の抗議の声を遮ると、琴葉は優しい顔のまま瑞貴に告げる。
「特訓を始めれば、どうせ茜さんにはバレますから。あらかじめ許可を取った方が問題ないでしょう?」
「その許可って」
「遠竹君がとるんですよ、勿論。このくらいの舵取りもできずにどうします?」
なんて酷い人だ、と瑞貴は思う。
しかし確かに、後からバレるよりは今バレた方がいいのも事実ではある。
「大丈夫ですよ、ボクもフォローしますから」
全く信用できない。
そんな瑞貴の視線を、琴葉は涼しい顔で受け流す。
そして……それからすぐにピンポンピンポン、と玄関のチャイムが連打される音が聞こえてくる。
まだ電話から1分もたっていないが……余程急いで来たようだ。
急いで瑞貴が玄関の扉を開けると、あの銀色の槍を取り出した茜が、今まさに鍵を破壊しようとしている瞬間だった。
茜はジト目で瑞貴を睨むと、槍をどこかへと消し去ってズカズカと入ってくる。
「帰ろう、ミズキ。こんな狐の巣にいたらダメ」
瑞貴の背後でクスクスと笑っている琴葉を視線で威嚇しながら、瑞貴の手を掴む。
「ダメ」
それからすぐに玄関までやってきた茜は、瑞貴が何かを言う前に一言で切り捨てる。
「余計な事吹きこむな、って言ったよね」
「ノー、吹き込んでませんよ。遠竹君が自分で言ったんですよ?」
「確かに言ったけど。フォローはどうしたんですか、琴葉さん……」
ガックリと肩を落とす瑞貴は、気を取り直して茜へと向き直る。
「あの、茜」
「ダメ」
「いや、僕まだ何も言ってないよね?」
「ミズキが何言いだすかなんて分かってる。絶対ダメ。帰るよ」
瑞貴の手をぐいぐいと引っ張る茜。
でも、きっと……ここで引いちゃいけないんだ、と瑞貴は思う。
だから瑞貴は、自分を引っ張る茜の手を強く握る。
「な、何? ミズキ」
「茜、話を聞いて」
「聞かない。ダメ」
「それでも、聞いてほしいんだ」
瑞貴は、もう片方の手で反対側の茜の手を掴んで引き寄せる。
見つめ合う形になった瑞貴は、茜の目をしっかりと見据える。
「茜」
目を逸らそうとする茜の肩を掴んで。
瑞貴は、茜を更に強く引き寄せる。
「茜、僕は。茜を守れる僕でありたい。例えそれが叶わないとしても……せめて、茜の力になれる僕になりたいんだ」
宣言する事で……瑞貴は、自分の気持ちを強く自覚する。
自分の中にあったものが、堰を切ったように溢れだす。
そして、思い浮かべる。
茜に初めて出会った、あの時を。
思えば。
あの時からずっと遠竹瑞貴は、茜に惹かれていた。
いや、もしかすると。
会う前から、ずっと……瑞貴は、茜を探していたのかもしれない。
「……不思議だったことがあるんだ」
「不思議だった、こと?」
茜は、もう視線をそらそうとはしない。
瑞貴も、茜を見つめて。
「僕と茜の縁。茜が茜になる前は、僕と茜の間にあった縁って、何だったんだろう、って」
「それは、私がミズキを知ってたから」
「だとしても。僕は、茜を知らなかった」
そう、茜が瑞貴を知っていても。
瑞貴が茜を知らなかったから。
そこには、縁は繋がっていなかったはずだ。
でも、それでも。
瑞貴と茜を繋げたものがあるとするならば。
「きっと僕も、茜を探していたんだ。茜、僕はあの時……茜が、僕の望んだ現実だと。そう思ったんだ」
茜を探す瑞貴と、瑞貴を見つけた茜。
だからこそ、2人の縁は繋がったのだ。
だから。だからこそ。
「僕は、茜の力になりたい。僕は、茜が」
「ミズキ!」
瑞貴の言葉を。振り絞るような茜の声が遮る。
「……ミズキ。ありがとう。でも、まだそれを言っちゃダメ」
「茜……?」
「私はまだ、ミズキに隠してる事がある」
隠してること。
茜が言うソレが何なのか分からず、瑞貴は戸惑うような表情を見せる。
「……帰ろう。全部、話すから」
茜はそう言うと、瑞貴の手をはがして……再び玄関のドアに手をかける。
「話したら、ミズキは私の事。嫌いになるかもしれない。だから、まだ。言っちゃダメ」
そう言って玄関を出ていく茜。
それを見て……瑞貴は、琴葉の方を振り返る。
「……すみません、琴葉さん。あとでご連絡しますから」
「一緒に来るといいよ、狐」
意外な茜の言葉に、瑞貴と琴葉は顔を見合わせる。
「興味があるんでしょ、私に。盗み聞きしようとするくらいなら、来ればいい」
「……しようとしてたんですか?」
「イエス。勘がいいですねえ、彼女」
降参、と言いたげに手を上げる琴葉を、瑞貴はジト目で睨みつける。
全部話すと、茜は言った。
それは、瑞貴と茜の始まりの……それ以前の事なのだろう。
そんな事を……瑞貴は、考えていた。
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