9話
夜になってリビングで瑞貴が茜と格闘ゲームで対戦していると、瑞貴の携帯に、耕太からのメールの着信を告げる音が鳴り響く。
「何?」
横から覗きこんでくる茜から画面を遠ざけようとすると、腕を掴まれてしまう。
「どうして隠すの」
抵抗するだけ無駄だと悟った瑞貴は、大人しく茜に携帯の画面を見せる。
「耕太からだよ。男同士の話があるから家に来いってさ」
「私も行く」
「ダメだよ……」
ついてくる気満々の茜を、瑞貴は押しとどめる。
何の話かは知らないが、わざわざ「男同士」って書いてくるということは茜を連れてくるなという意味の暗号なのは間違いない。
「ミズキ、分かってるの? 耕太の家に今何がいるのか」
琴葉のことだろう、と瑞貴はすぐに連想する。
まだ警戒しているのだろうか。
「でも、見境なく手を出す人じゃなさそうだよ」
「顔、腫れてた」
思わず、瑞貴は腫れの引いた頬をさする。
思い出すと、まだ痛い気がしてくる。
「ミズキに痛い事するなんて、許せない。絶対そんな奴のとこ、行っちゃダメ」
そういえば。綾香や琴葉は結構躊躇なく拳で語るのに茜は、そういうことをしてこないな、と瑞貴は気付く。
人間やこっくりさんより暴力的じゃない赤マントというのも、なんだか矛盾を感じる気が瑞貴にはする。
本来は、逆であるべきなのではないだろうか。
勿論、茜に叩いて欲しいと瑞貴が考えているわけでは断じてない。
「それともミズキは、叩かれるのが好きなの?」
「え」
「私はミズキに痛いことしたくないけど。でも、ミズキがその方がいいって言うなら」
「言わないから。平和的な茜のままでいてください。お願いですから」
瑞貴には、そんな趣味は無い。
というか、瑞貴は別に琴葉に叩かれたくて行くわけではないし、会いに行くのは耕太なのだ。
「あー、まあ、うん。じゃあ行ってくるね、茜」
「ミズキ」
茜は、瑞貴を思い切り睨みつける。
今の話題変わったドサクサで行けるかと思ったりもしたのだが、そんなに茜は甘くないらしい。
「こっくりさん相手に油断しちゃダメ。あいつらの武器は言葉なんだから」
口が上手い……って意味じゃないんだろうな、と瑞貴は考える。
「うん、分かった。気をつけるよ」
「それじゃ足りない。常に気を張って」
こう言うという事は、1人で行くのは許してくれているのだろうか、と瑞貴は安堵の溜息をつく。
「分かったよ、茜。じゃあ、行ってくる」
「私も行くってば」
「あれ、今行くの許してくれる空気じゃなかった?」
「言ってる意味わかんない」
茜と問答すること、5分弱。
むくれた茜をそのままに、瑞貴はリビングを出る。
「何かあったら、すぐ電話するんだよ。すぐに行くから」
そんな茜の声が、瑞貴の背に投げかけられる。
少々心配性気味な気はするが、瑞貴の口元は自然と緩んでしまっている。
茜が純粋に心配してくれている事実が、瑞貴にはたまらなく嬉しかった。
「分かってるよ、茜」
そんな気持ちがバレないように適当に返事をしながら、瑞貴は耕太に連絡しようと携帯を取り出して……ふと思いついてアドレス帳を開いてみる。
「あ、やっぱり」
瑞貴の携帯からは、また綾香のアドレスが消えていた。いつの間に消されたのだろう。また消えたと言ったら、茜は容赦なく瑞貴に蹴りをいれてくるだろう。
「うーん、向こうに行ったら耕太に綾香のアドレス教えて貰わないとなあ」
さて、何と説明したものか。
悪友に言い訳を考えながら、瑞貴は夜道を歩く。
ちなみに、耕太の家は歩いて3分もかからない。
屋根の上の影法師に会釈すると、瑞貴は玄関の呼び鈴を推す。
「よぉ、瑞貴」
「いつもなら来るくせに、珍しいね」
瑞貴の軽口に、耕太は頬をカリカリと掻く。
「まあ、な。いいから入れよ」
久しぶりの耕太の家は、昔とちっとも変わらない。
強いていえば、各地のペナントコレクションが増えているくらいだろうか?
昔は、それぞれの家にローテーションで遊びに行ったものだった。
「いらっしゃい、遠竹君」
居間に入ると、座椅子に座ったジャージ姿の琴葉が旅番組を見ていた。
適度にだらけた姿は、全く違和感がない。
瑞貴ですら、昔からそうであったような感覚を味わっていた。
世界が、琴葉を組み込んだ事による違和感の喪失。
琴葉が居る事を前提に組み替えられた世界。
そういえば、前からこうだったなあ、という在る筈の無い感覚。
流石に茜に続けて二度目ともなれば瑞貴にも驚きは無いが……それすらも、あるいは世界に修正された感覚なのだろうか。
「あ、こんばんは琴葉さん」
「じゃあ姉貴。俺2階行ってるからよ」
「ありがとうございます、耕太」
そそくさと居間を出て行こうとする耕太の肩を、瑞貴が慌てて掴む。
「ちょっと、何処行くんだよ」
「あー……悪いな瑞貴。姉貴からの電話じゃ茜が行かせないだろうって言うからよ」
そういう事か、と瑞貴は納得する。
今まで耕太は一人っ子だから分からなかったが、どうやら姉という存在には頭が上がらない男だったようだ。
琴葉がこちらに来なければ分からなかった事実。
不思議な感覚だ、と瑞貴は思う。
そのまま居間を出た耕太が階段を上がっていく音を確認すると、琴葉は自分の隣の座布団を瑞貴に勧めてくる。
促されるまま座ると、琴葉はテレビの画面を消して向き直る。
その姿が妙に馴染んでいて、瑞貴は肩の力が抜けていくのを感じる。
「ごめんなさいね、遠竹君。驚いたでしょう」
「あ、いえ、驚きはしましたけど」
そんな瑞貴の様子を見ながら、琴葉はクスリと笑う。
「そんなに警戒しなくてもいいんですよ? ちょっとお話したかっただけなんです」
そう言われても、さっき茜に言われたばかりの瑞貴としては、警戒するなというのは無理がある。
瑞貴の様子をしばらく見ていた琴葉はふぅ、と溜息をひとつ。
「まあ、いいでしょう。本題に入りますね」
「本題……ですか?」
2人の間の共通で、耕太に聞かせられない話……というと、一つしかない。
「茜……のことですよね?」
「イエス、話が早くて助かります」
どうぞ、と瑞貴に煎餅を勧めてくる琴葉。
瑞貴がやんわりと断ると、琴葉は少し残念そうな顔をする。
「あの赤マント……茜さんのことですが。彼女は、ボクの知る赤マントとは随分違います」
それは、ダストワールドで琴葉が言っていたことだ。
だが瑞貴はそれは、茜が人殺しをするような赤マントとは違う……という意味だと思っていた。
「違いすぎる……というのが正直な感想です。匂いは確かに赤マントです。実際会って、それは確信しました」
「はい、僕も茜が赤マントを着てるのは見たことありますし……自分で赤マントって言ってました」
それを聞いて琴葉は、あの教室でした時のように腕を組み、天井を見上げる。
「……遠竹君。赤マントがどういうものか、知っていますか? 茜さん以外で、です」
「いえ。危ないモノだってことと……茜が知っている限りではもう一人居るってことを、茜から聞いたくらいです」
隠す事でもないので、瑞貴は正直に答える。
茜は、自分を特殊な赤マントだと言っていた。
つまり、瑞貴は本来の赤マントがどういうものかを知らないのだ。
「彼女に会った時、貴方はどんな事を思いました?」
彼女……つまり茜に、瑞貴が会った時。
言われて瑞貴は思い出す。
それはまだ、昨日の事。
無音の教室。
瑞貴の隣の席に座る、赤に染まった姿。
瑞貴は、あの時茜から目が離せなかった。
それは、茜が……。
自分の記憶を手繰る瑞貴の額を、琴葉が指でつついて引き戻す。
「いや、もう充分です。分かりました」
「え?」
まだ何も話してないのに、と疑問符を浮かべる瑞貴の心を見透かしたかのように、琴葉は溜息をつく。
「顔を見れば分かります。もう充分です」
そんなに分かりやすい人間なんだろうか、と自己嫌悪に陥る瑞貴をそのままに琴葉は真剣な顔で姿勢を正す。
「……遠竹君。結論から言えば、貴方はとても危うい状況にいます」
琴葉の言葉に、瑞貴はあまり衝撃を受けなかった。
特殊とはいえ、相手は危険な赤マント。
その危険性を分かってないのか、と言われれば答えはノーだ。
分かっていて、瑞貴は茜と一緒にいる。
「言いたい事は分かります。でも僕は、茜が赤マントだと知った上で一緒にいます。それは教室でもお話したと思いますが」
「ノー、ボクが言いたいのは、そんな精神論じゃありません。もっと簡単な問題です」
琴葉は座椅子に座り直し、瑞貴の瞳を見つめる。
その金色の目は、まるで心の奥まで見透かすかのように綺麗で……瑞貴は、自分の心臓の鼓動が速くなっていくのを感じる。
「遠竹君……貴方は間違いなく、茜さんに殺されるでしょう」
確信を込めた口調で、琴葉は予言する。
でも、それは無い……と瑞貴は思う。
茜は、瑞貴を殺さないはずだ。
「赤マントは方向性の無い殺意です。近づく者も、遠ざかる者も全て殺します。人間でも、ボク達のような特異な存在でも、あるいは同族であろうとも」
「……そうすると、ますます茜には当てはまりませんね」
聞けば聞く程、茜は瑞貴の中の赤マントのイメージから遠ざかる。
なのにどうして、琴葉がこんな事を言うのかが瑞貴には分からない。
「ノー。たった一つの理由を用意すれば、答えが見えてきます」
琴葉は、揺らがない瞳で瑞貴を見つめる。
その勢いに、瑞貴は飲まれそうになって。
唾を、ごくりと飲み込む。
「茜さんの方向性は、遠竹君1人に向いています。本来あらゆる方向に向けられるべき殺意の、その全てが。茜さんの遠竹君への執着ぶりからして、それは間違いありません。その危険性を、理解していますか?」
「……何かあれば、僕が殺されるってことを言いたいんですよね」
琴葉は頷くと、瑞貴の反応を確かめるように押し黙る。
……でも。
それでも、瑞貴は茜を疑わない。
昨日の夜に見た、茜の顔を。
あの悲しそうな顔を、覚えているから。
琴葉の危惧は、心の底からのものだ。
殺意と融合した恋。
あるいは、殺意を包む恋。
それが茜の瑞貴への執着を生んでいるのは間違いない。
そんな例など見た事は無いが、人と深く関わってきたこっくりさんであるからこそ、分かる事もある。
それはつまり、恋と殺意は同居できるということ。
殺意から恋へ。
恋から殺意へ。
それは、いつでも変化しうる。
そして、恋という理由を得た殺意がどれ程の惨劇を生むのか。
そうなれば、被害は瑞貴一人では収まらない。
だが、それでも。
瑞貴は琴葉の視線を正面から受け止める。
「でも、茜は僕を殺したりなんてしません。茜は赤マントですけど、そんな連中とは違います」
瑞貴が琴葉の顔を見ると、琴葉は物凄い苦笑いをしていた。
「……呆れました。つけるクスリがありませんね」
「す、すみません」
思わず謝る瑞貴に、琴葉は溜息をつきながら首を横に振る。
「……まあ、ボクは別に茜さんから離れろとか、そういう事を言おうと思って呼んだんじゃありませんしね」
「……本当ですか?」
瑞貴がそう聞くと、琴葉は唇の端を吊り上げて笑う。
「イエス、本当ですよ。遠竹君の覚悟がハンパなら、手におえるうちに遠竹君を使ってどうにかしちゃおうかなー、とは思いましたけど」
冗談交じりではあったが、琴葉は本気だった。
危険である事に変わりは無い。
だが少しでも可能性があるのなら、この恋の行方がどうなるのか見てみたいと琴葉は思う。
こっくりさんである琴葉を構成する探究心が、愚かで危険で、世にも珍しい恋の行方を知りたがっている。
「それにですね、遠竹君。茜さんの携帯ですけど、あれが普通のものでない事は分かりますか?」
「あ、はい。メリーさんだって聞いてますけど」
「なら、何処まで逃げても無駄ですね。メリーさんの追跡から逃げられる奴なんていませんから」
厄介なコンビに目を付けられましたね、と笑う琴葉。
実際、メリーさんは数ある怪異の中でも追跡の名手だ。
携帯を持っているのはメリーさんが隣にいるのと同じ事だし、およそ文明の中に居る限りメリーさんの手の中も同じ。
けれど、わざわざそんな事を話す必要もない。
だから、瑞貴の鼻先を琴葉は指でツン、と突く。
「遠竹君、貴方は言うなれば封印です。貴方が生きている限り、彼女の方向性は遠竹君に固定されているはずです」
「死ぬな……ってことですよね」
言われるまでもないと瑞貴は思う。
瑞貴だって、死にたくなんかない。
「言われるまでもない……なんて思ってるなら大間違いですよ。ボク達を理解できてしまう今の貴方は、とても死にやすい。そして貴方が死ねば、茜さんは方向性を喪失する。この意味が、理解できますか?」
つまり、茜を「赤マント」にしたくないなら。
虐殺を、防ぎたいなら。
何が何でも死ぬわけにはいかない、ということだ。
死にたくないと死ぬわけにはいかない、では大きな違いがある。
何の為に生きるのか。そういう明確な理由があるかどうかだ。
「はい。僕は……茜を守ります」
だから、瑞貴はそう宣言する。
そんな瑞貴を見て、琴葉は優しげな笑みを浮かべる。
「いい覚悟です。ですが遠竹君、覚悟では誰も守れませんよ。それは最強の盾を作り得ますが、それのみでは何も成し得ません」
その通りだ、と瑞貴は思う。
瑞貴には何の力も無い。
茜も、瑞貴を通行人Aだと言っていた。
でも、それじゃダメなんだと瑞貴は思う。
もし、瑞貴が茜を守りたいと願うなら。
茜を守ると誓うなら。
きっと……それ以上の何かになる必要があるのだ。
「僕は……茜を守る何かに、なれますか?」
たぶん、遠竹瑞貴はヒーローにはなれない。
ヒーローになるには、きっと幾つもの条件と、数えきれない程の努力が必要で。
瑞貴には、きっと届かない。
でも、それでもいいと瑞貴は思う。
「ヒーローじゃなくたっていい。何処まで行っても、僕の役割は端役にしか過ぎないかもしれないんだと思います。でも、それでも。茜を守れる何かになれるなら、僕は」
琴葉は、そんな瑞貴を満足気に見つめて。
「いい答えです、遠竹君。やっぱり貴方は、ボクの見込んだ通りの人です」
そう、言ってくれた。




