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1.平民の娘 ミレッタ・ダロン

ある日突然、我が家に家族が増えた。


きれいなお人形さんみたいな女の子。


平民の私たちが普段関わることのない、貴族のお嬢さんなんだって。


「メイリンシシリー・ティ・ロンデナーと申します。よろしくお願いいたします」


そう言ってスカートをつまんでぺこりとお辞儀をした女の子に、我が家の長女の私、ミレッタ・ダロンは思わず拍手を送った。

なんだか絵本の中のお姫さまみたいで素敵だったから。


貴族のお嬢さんは淡く微笑んだ顔のままミレッタを見るだけで、なにも言わない。


私の家族、父さんと母さんはその様子を見て、眉間にしわを寄せながら頷きあう。


私、拍手しちゃいけなかったかな。


「ミレッタ、彼女は今日から我々の家族になる。歳はミレッタの方が下だからお姉さんだな。でも彼女は貴族のお嬢さんとして生きてきたから、平民としてはミレッタが先輩だ。うまく平民として生きていけるよう、支えてやってほしい」


そう言った父は、今度は貴族のお嬢さんに話しかける。


「あなたにとっては驚きと苦痛が伴う変化だと思うが、なんとか馴染んで自分の力で生き延びられるようになってほしい。今日から君は、シシリー・ダロンとして生まれ直した。ーー我が家の長女として生きていくんだ」


メイリンシシリーこと、ただのシシリーになった貴族のお嬢さんは、長いまつ毛のついた瞼をぱちりと一度上下させたあと、小さな声で、はい、と答えた。


これが、私ミレッタと、元貴族のお嬢さん、シシリーとの出会いだった。


・・・


シシリーは艶と光沢のある淡い金髪に緑の瞳、きめ細かく内側から光り輝くような肌、美しい所作のお嬢さん。


貴族の娘で、事情あって平民になり、父さんの友人の伝手をたどって、私たちダロン家の者として生きることになったという。


「母さん、シシリーはきれいすぎるから平民に見えないと思うよ?」


「そうなのよ、このまま家の外に出すと危ないと母さんも思うわ」


古びた椅子に、手指の先と足先を揃えてちょこんと座るシシリーをじっとり見つめて、私と母さんで家族会議をする。


シシリーは淡く微笑んでこちらを見るが、なにも話さない。


「危ないの?」


首をかしげる私の頭を撫でて母さんは言う。


「きれいな人は高く売れるから、人さらいにあうかもしれないわ。貴族の子供に見えれば連れ去って身代金を要求しようとされるかも」


私は顔をぎゅっとしかめて言う。


「それって怖いよ」


「だからシシリー。とても嫌だと思うけれど、髪は切ります。肩の上まで」


真剣な顔でそう言う母さんに、シシリーは長いまつ毛のついた瞼をぱちりとまたたかせ、はい、と小さな声で答えた。


母さんは、シシリーの座る椅子の下に大きな布を敷き、髪を切るときに使う布を首回りにくるりと巻いて、シシリーの髪をいくつか小分けの房に結んでいく。


「これからは自分で髪を洗ったり結んだりすることになるわ。長さがあると扱いが難しいの。……とても美しいから惜しいけれど」


そう言ってシシリーの頭をひと撫ですると、母さんはハサミで髪束をざくざくと切り落とした。

小束に結わえられた髪は籠に入れられていく。

長く美しい金の髪は籠たっぷりになった。


「髪は父さんに売ってもらって、あなたのお小遣いにしましょうね。暮らしに慣れたら町で買い物をしてみるといいわ」


髪の長さを揃えながら、母さんは私にシシリーのためのヘアバンドを持ってくるように言う。


私はあれこれ並べて悩んだ末、刺繍が一番華やかなヘアバンドを選んだ。

シシリーは美しいお人形さんみたいだから、華やかなものがきっと似合う。


肩口で切りそろえた髪に、ヘアバンドをつけたシシリーは、貴族にあるまじき姿かもしれないが、結局平民には見えなかった。


「シシリー、髪が短かいのもかわいいね!」


シシリーは淡く微笑んだまま、小さな声でありがとう、と答えた。


その日は三人でお風呂に入って、髪の洗い方、身体の洗い方、拭き方をシシリーに教えた。

それから服の着方も。


明日からは私と二人で身支度するように、だって。


・・・


シシリーは一緒に暮らすうちに、身支度は自分一人でできるようになったし、髪もごわついて、肌もきれいだけど艶々とした感じがなくなってきた。


「こちらはどちらに片付けましょう?」


食器棚の前でそう言うシシリーに、私は言う。


「これはどこに片付けたらいい?」


シシリーは私にひとつ頷き、母さんに向かって復唱した。

母さんは食器の置き場所を教え、片付け終わったシシリーの頭を優しく撫でて褒める。


「シシリーは物覚えがいいわね」


シシリーはいつもの淡い微笑み顔のまま小さな声で、ありがとう、と答えた。


そうやって言葉遣いも少しづつ平民らしくなっていった。


でも、シシリーがお人形さんみたいなのはやっぱり変わりない。


言葉少ないし、ずっとうっすら微笑んでいるからかな。


体力がつくまでは、すぐに疲れたり身体が痛くなったりするからとこまめに座らされている時、きちんと手足が揃っていて、座る姿がきれいだからかな。


・・・


私が友達のリジーとシシリーの三人で遊んでいた時のこと。


シシリーは少し離れた岩に腰掛けて休んでいて、私とリジーは互いの腰に何本もつけたリボンをどちらが多く取って自分の腰に巻きなおせるかという、追いかけっこをして遊んでいた。


そこに町の男の子たちが、やいのやいの言いながらやってきて、新入りのかわいいお姫さまみたいなシシリーを見つけた。


いつも偉そうで子供たちのリーダー顔をしたルドーがにやにやしながらシシリーに近づいたので、私は慌ててシシリーの元に走り出す。


でも、ルドーが悪さをする方が先で


「もーらいっ」


ルドーはシシリーのヘアバンドを荒っぽくもぎ取った。


私は駆けつけながら覚えたての悪口を叫ぶ。


「シシリーになにするのよ!最低クソやろう!」


品がないからよくないわって母さんに言われたけど、言っちゃったので仕方がない。


シシリーが腰掛ける岩に登って、同じく岩の上でシシリーのヘアバンドを握りしめてシシリーを見下ろすルドーの前に両手を横に広げて立ち塞がる。

間に合わなくてごめんねシシリー。

でももうこれ以上、シシリーに近づけさせてなるものか。


「よう、チビのミレッタ!とれるもんならとってみろよ!」


ルドーはちょっと身長が高いのをいいことに、シシリーのヘアバンドを頭上高くに掲げてにやにや笑う。


私は飛べる限り飛ぶけれどあと少し届かない。


「そこのボサボサ頭のお人形はなんの反応もないんだから、くれるんだろ?」


シシリーの髪はふわふわなので、幅広のヘアバンドで抑えておかないと広がるのだけど、髪型を荒らしたヤツが言うことじゃない。


私はシシリーを振り返る。


シシリーはいつもの淡い微笑みでルドーをじっと見つめていた。


そしてゆっくりと口を開く。


「それは、あなたのものではないわ」


そして微笑んだままじっとルドーを見つめる。


ルドーは、ふんっと鼻で笑って去っていった。

ヘアバンドは持っていかれてしまったままだ。


「ごめんね、シシリー。間に合わなかった」


シシリーは小さく首を横に振る。

相変わらず表情は淡く微笑んだままだ。


「ねぇ、シシリー。不快だと思ったら嫌って言わなきゃわかってもらえないし、にこにこせず、顔に出した方がいいよ。またやってもいいって思われちゃう」


だからね、こんな風にイヤッ顔をしてやるのよ!


と、私は渾身のイヤッ!顔をキメる。


シシリーが淡く微笑んだままだから、いくつか渾身のイヤ顔をがんばってキメていく。


今、ちょっとだけシシリーの肩が揺れた。

でも表情は変わらない。


ひとり変顔になっているこの状況、どうしてくれるの!?と焦っていたら、リジーか来てくれて、「なにやってるの!」と爆笑してくれたのでなんとかなった。


リジーと私はシシリーに「怒ってるってお顔してみて?」と頼んだ。


シシリーは少し考えたあと、「こうするって、昔、教わった」と言って、いつもより微笑んでいるのに、冷え冷えとした眼差しでリジーと私を見た。


リジーとふたりで顔を見合わせ、シシリーを見、言う。


「こわ」

「こわいね」

「つよい」

「ね!はくりょくある」


でも無言だから、なにが嫌だか伝わらないね、とリジーが言うので、たしかに、と頷くしかなかった。


・・・


お家に帰ると、私たちは母さんにヘアバンドを盗られたことを話す。


シシリーは淡い笑みのままで言う。


「人の物を奪い、取り返せない姿をみて喜ぶ、品性のない下衆にヘアバンドを盗られました」


シシリーの言葉は聞いたことのない響きだ。


「ひんせいのない、げす」


なんだか難しそうでかっこいい言葉だ。

尊敬の眼差しでシシリーを見つめる私に、母さんが頭を抱えた。


「ミレッタ、それもお外で言わない方がいいからね」


「えっ!でも、シシリーが言うのだから、最低クソやろうよりは、品?があるんでしょう?」


「そうだけどね……まあマシ……なのかしら……?語彙が増えていいと言うべきか……ううん……」


母さんは悩ましそうだけど、まぁいっか。


次の日、母さんとシシリーと私の三人で、最低クソ野郎ルドーの家に向かう。


シシリーのヘアバンドを返してもらうためだ。


ルドーの母さんとルドーと私たちは、ルドーの家の玄関前で立ったまま話す。


「昨日持っていったシシリーのヘアバンドを返してほしいの」


母さんがルドーと目の高さを合わせて穏やかに言うが、ルドーはそっぽを向いて、俺知らね、などと言う。


ルドーのお家は、町の中でちょっと偉いお家だ。

だからルドーもいつもちょっと偉そう。


「ルドーはこう言っているんですが……」


ルドーの母さんは困り顔で言う。

こうなってくると、なぜなのかあまり強く言えず、私たちは諦めないといけないことが多い。

大人ってよくわかんない。


重たい沈黙が長く続いた後、シシリーが静かに一歩踏み出した。


「それは、あなたのものではない、と昨日言ったわ」


「知らね」


シシリーはそっぽを向いているルドーの正面まで歩を進める。

そして昨日の、「怒っているお顔」をして言った。


「ねぇ、わたしはこれから、お前を犯罪者と呼ぶわ」


「はぁっ!?」


思わずシシリーを見たルドーは、身を凍らせる。

うん、びっくりするよね。

にっこりと笑っているのに、冷え冷えとした目。

シシリーはきれいだから、なお怖い。


「わかる?盗人。わたしがお前を犯罪者と呼ぶたびに、ミレッタとリジー、あの時お前の後ろにいた子どもたち。みんなお前が私からヘアバンドをむしり取った時のことを思い出すわ」


ルドーはふんっと鼻で嘲笑って言う。


「新人は知らねーだろうが、この町で俺を悪く言うヤツはいねーよ」


シシリーはこくりと一度頷く。


「ええ。でも、お前をいちいち悪く言わなくても、思い出すわ。そういうことをする人間だと。表ではへりくだっていてもお前への信頼はないわ。それは、そういうお前を野放しにした親への評価もそう。そういうことは伝播するわ」


お前の将来が楽しみね、犯罪者。


と言って、ふふふと声を上げて笑ったシシリーは私たちの方に戻ってくる。


ルドーの母さんはおろおろとしながらルドーに聞く。


「本当に知らないのね?」


「……ん」


「本当の、本当に、知らないのね?」


「……」


「ルドー?」


結局ルドーのポケットからシシリーのヘアバンドが出てきて、ルドーの母さんはものすごい勢いでルドーを叱った。

あんなに普段は控えめで誰かの後ろに静かに立っているような人なのに、びっくりしちゃった。


いつでもルドーをかばうから、ルドーの悪事をごまかしてるんだとばかり思ってたけど、もしかしたら違うのかな。


シシリーはヘアバンドが帰ってきたので、犯罪者とはあだ名しないことにしたみたい。


「じゃあ、どんなあだ名にするの?」


私が聞くと、次に会った時の態度で決めるわ、だって。


・・・


ヘアバンドの一件は落ち着いたけれど、シシリーはその後なんだか悩んでいるみたいだった。


怒っているお顔事件から、シシリーは淡い微笑みの中にも少しづつ表情が出てきたように思う。


それとも私がシシリーに慣れたのかな?


「ねぇねぇ、シシリー。最近なにか悩んでいるの?」


シシリーはしばらく黙っていたけど、自分の髪を指で梳いた。


「……髪に」


私は、うんうんと頷いて続きを促す。


「香油をつけたくて」


ふむ。


「シシリーが知ってる香油はすごく高いみたいだよ。うーんとね、私たちのひと月のご飯代くらい」


平民が簡単に買えるものではないのがわかると、シシリーはしょんぼりした、ように見えた。


「シシリーはいい香りをつけたいの?」


小さく首を横に振るシシリー。


「しっとりさせたいの。香りは別にいらないわ」


「うーーん、お料理する時の油ならあるけれど」


その日はお風呂上がりにふたりで食用油を髪にぺたぺたとつけて寝た。

シシリーはいつもこのタイミングで髪に塗ってもらったんだって。


翌朝は大変なことになった。


寝具は油でベタベタに汚れたし、髪もなんだかぬっとりと汚らしい。


びっくり仰天の母さんに、シシリーは身を縮ませて頭を下げた。


「申し訳ありません……」


事情を聞いた母さんは、私とシシリーの頭を撫でて、ベタベタの触り心地に笑い出しちゃった。

シシリーはそんな母さんの反応が意外なのかきょとんとしている。


「ふたりとも、まずは髪を洗ってきなさい!」


母さんに言われて、ふたりで髪を洗いっこした。

ベタベタはすぐにはきれいにならず、二回洗った。


戻ってきた私たちを座らせ、温かい飲み物を入れてくれた母さんは、テーブルにきれいなガラス瓶を置いた。


「これが香油よ。シシリーが最後に使っていた物の余りだからほとんど残っていないけれど」


底にうすーく液体があるけれど、すぐになくなってしまいそう。

母さんがガラス瓶の蓋を開けるといい香りが広がった。


「ミレッタ、町でこんな香りの女の子がいたらどうかしら」


「みんなで、なに?どうしたの?って聞くし、いい香りだったって話す!それで、いい香りだったって聞いたらどんな香りが気になるから、後からもたくさん人が来て、大人気になっちゃう!」


「そう。そうするとこれが貴族の持ち物だとすぐにわかるわ。シシリーが貴族だったことをたくさんの人が一度に知ることになる」


良くないんだよね?と私が言うと母さんは頷く。


「だから、この瓶はシシリーに渡さずにいたの。シシリーは賢いから危険性を理解できたと思うわ。自立する時に渡そうと思っていたけれど、もう渡しておくわね」


シシリーはそっと瓶を手のひらで包んで見つめる。


「あなたたちが失敗したのは、油をつける量よ。シシリーの瓶を見て?瓶の栓が細長く底まであるでしょう?瓶の栓を抜いて、栓の先についた油を一滴手に取ってなじませ、髪につけるの」


シシリーは香油の瓶の栓を少しだけもち上げて、ぽたりと一雫油が垂れるのを観察した。


「昔のシシリーの髪の長さであればもう何滴か使ったでしょうけれど、今の長さなら一滴で十分。油は毛先を重点的につけ、地肌にはつけないこと」


昨晩はたっぷりの油を髪に塗ったし、だからべたべたになったのか、と納得する。


それからシシリーと二人で油まみれの布団を洗った。


今日はよく乾きそう。晴れていてよかった!


・・・


私とシシリーはお料理用の油を一滴、髪につける生活を始めた。

確かにぶわぶわ広がる髪は落ち着いて、しっとりした感じになる。


ただ、


「油臭いね……」


なんだか油の匂いがずっとするのだ。

これが香油なら、ずっといい匂いがすると思うと素敵だなと思う。


私たちも学んだので、まずは母さんに相談する。


「そうね……油屋さんに行ってみましょうか」


私たちは母さんに連れられて町の油屋さんに行く。


「髪や顔に使う油?あるけど、温かい今は高いよ。寒くなると欲しい人が増えるから多少安くなるけれど」


そう言う油屋さんに私たちはしょんぼりとしてしまう。

油屋さんはうーんと悩んで、母さんとなにか話し始めた。


「お嬢ちゃんたち、いいかい。寒い時に売り出される油も、あんたたちにとっては安いものではない。でも必要だ、と思っているね。なら作るといい。材料は自分たちで集めてきな。油にする機材は貸してあげよう。その変わり、あんたたちはうちを手伝う」


どうだね?と聞いた油屋さんに、私とシシリーは顔を見合わせ、その案に乗りたいと話した。


油屋さんは、私とシシリーの頭を、わしっとひと撫でして、油の原料について話してくれた。


私とシシリーは教えてもらった油の原料になる植物の種を集め、乾燥させるところから始めた。


「ねぇねぇ、シシリー。油が出るかわからないけれど、他の種も集めない?」


油屋さんにお手本になる完成商品を見せてもらったが、臭くはないかな?くらいだった。


香油みたいなものは無理でも、おいしそうな匂いのする油はあってもいいんじゃないかと思う。お腹は空きそうだけれど。


シシリーと二人で暇があれば、山の木の実や謎の野草の種を摘み取って乾かした。


シシリーは、どんな植物から採ったのかわかるように、植物の絵と乾かし始めた日付を書いてくれた。


そして、油屋さんに教えてもらった原料がよく乾いた日、私たちは油屋さんを訪れた。


油を作る作業はなかなか大変だった。


まず原料になるコロンとした植物の種を細かく砕くのだが、これが一苦労。

それを蒸気で温め、小さな器具にいれる。

普段の油屋さんはもっと大きなものを使っているが、私たちは原料が少なすぎるし、子どもの力でも使える一番小さい器具を貸してくれた。


油の原料を小さい器具に入れたら、器具についている取っ手をくるくる回す。

これを回すと器具の中の蓋がどんどん中に押し込まれて、砕いた油の原料を強い力で押して押して押して油を搾り出すんだって。


これ、すごく力がいる!


シシリーと交代しながら絞るが、全然力が足りていない。

最後は油屋さんの旦那さんがぎゅーっと絞ってくれて油ができた。


「ス、スプーン一匙だけだ……」


ほんのちょっぴりの油だった。

こんなに大変だったのに。


「そんなもんだよ。さ、持って帰りな。熱を加えたり、空気に触れると油の匂いがしてくるから気をつけな。日が経っても悪くなる。まあ、早いとこ使うといいよ」


えっまた匂うの?


「長く保つ油を作るのは難しいの?」


「濾して余計なものを除くといいけれど、その油の量だと濾したらほとんど残らないからね」


それなら残念だけど、仕方がない。

今度はもっと原料を集めてこよう。


私とシシリーは油屋さんのお掃除を手伝って、ちょっぴりの油を持って帰った。


さっそく油を髪につけると、翌朝も油臭くなく、お料理の油に比べてよくまとまるし、なんだか指通りもいい。


シシリーは嬉しそうに手櫛でなんども髪をさわっていた。

油はちょっぴりしかできなかったけれど、シシリーが嬉しそうだから、なんだか私も幸せな気持ちになった。


・・・


私たちはそれから、いろんな植物から油を搾った。


できた油はそれぞれ使い心地が違って、しっとりするものや、なんだかまとまらないもの、翌朝なんとなく臭うもの、いろいろだった。


シシリーはこまめにそれらを記録してくれていたから、今はいい感じだと思う三種類らいの油の原料を採取しては、油屋さんで搾らせてもらっている。


髪に艶がでてきた私たちは、友達や友達の母さんに理由を聞かれたので、地道に原料を集めて油を搾って使っている、と説明する。


香りがなくてもこうなのだから、香油を使わなかったのは母さんの判断通り大正解だったんだな、とシシリーと頷きあった。


季節は少し進み、少しづつ空気がひんやりとしてきた頃、いつでも淡く微笑んでいるシシリーの目がちょっと見開かれたことがあった。


ご近所の人のお裾分けで、この時期に採れる果物、ロロンを食べたときだ。


「シシリー、もしかしてロロン、好き?」


いつもより味わって食べていたので聞いてみると、シシリーは恥ずかしそうに頷いた。


「おいしいよね、果汁たっぷりでふわぁっと甘い香りが口の中に広がって」


私たちは最後の一切れを半分こして味わって食べた。

そして残った皮と大きな種を見て思う。

ロロンは私の両手のひらくらいの大きさの実。その三分の一くらいを占めるのが、果肉の中央に入っている種だ。


「ねぇ、ロロンの種からも油、絞れないかな」


シシリーもはっとしたように種を凝視する。


「ミレッタ、いい案だし、試してみたいけれど、油を搾れるほどの量を集めるのはきっと難しいわ」


ううん……確かにロロンは、たまに食べられる果物だから、種を集めるのは難しそう。


「あっ、そうだ!」


母さんと油屋さんに相談して、私たちは瓶詰め屋さんをお手伝いすることにした。


油屋さんは「紹介状」というのを書いてくれた。

私たちが油屋さんでどんな風にお仕事をお手伝いしたか、こんな風に働いてくれた人だからがんばってくれると思う、といったことを書いてくれたんだって。


瓶詰め屋さんは、冬に向けていろんな食べ物を保存できるよう、瓶詰めを作るところだ。

寒くなり始めた今、とっても忙しい。


私たちは、お掃除をお手伝いする。

その時に欲しい種があれば、もらっていいことになっている。


そう、ロロンの種が手に入るのだ!


私たちは一生懸命がんばってお掃除と、ロロンの種集めをした。


そうしていると、おいでおいでと大人たちが私たちを呼んで、時々果物の端切ればかりを寄せ集めたものを食べさせてくれた。


「シシリー、おいしいね!」


シシリーはいつもより少し嬉しそうな顔で頷いた。


集めたロロンの種はよく乾燥させて、瓶詰め屋さんのお手伝いが落ち着いた頃、油屋さんで搾る。


「し、シシリー!なんかロロンの種!いい香りの油だ!」


二人で搾った油をくんくん嗅ぐ。

ほんのり甘い香りがする。

使ってみてもいい香り。翌朝の髪のまとまり具合もいいし、変な匂いもしてこない。

しかも搾ったときに、出てくる油の量が多い!


「こ、これだー!」


私たちはついに一番いい油を見つけたのだった。


・・・


私たちは父さんにお願いして、ロロンの木を庭に埋めた。

最初の実ができるようになるまで三年くらいかかるんだって。


自分たちで収穫できるようになるまでは、瓶詰め屋さんにお願いして、お手伝いしながら原料を手に入れるしかない。


そして、冬は色んなものを蓄えておく必要がある。

私たちがはりきって集めた原料を置いていた場所を、冬の備蓄を置くために空けなければならなくなったから、仕方なくせっせと油を搾り、手元には色んな種類の油が貯まった。


「うーん、暖かくなる頃までの分は欲しかったけれど、ちょっと多いよね」


なにせ、髪には一滴づつしか使わない。

手指は荒れを抑えるために髪だけでなく指先にも塗って過ごすけれど、家族で使ったとしても、油の在庫は多い。


とっておいても、時間が経つと油の匂いがしてきて残念になってしまう。


「石けんづくりに使いましょうか?」


母さんが提案してくれたので、みんなで石けんを作ることになった。

シシリーが油の種類ごとに作り分けたいと言うので、順番に作っていくことにする。


灰を煮出した灰汁を用意し、温めた油に少しづつ注ぎ、ヘラで混ぜて混ぜて混ぜる。

トロトロになってきたらお塩を入れて混ぜに混ぜて、型に流し込んで固める。

大きな石けんにするほど油の量がないから、小さい小さい型に流し込んだ。


翌日型から外して、風通しのよい場所で保管する。


「使えるのは一ヶ月以上先だけれど、せっかくの油を使えたから良かったわね」


母さんが混ぜすぎて腕をさする私たちの頭を撫でてくれた。


しっかり寝かせた石けんは、使う前に紫の野菜を煮出した汁に、石けんの溶液を混ぜて状態を確認する。


青から濃い緑くらいなら使ってもよいけれど、黄緑や黄色であれば、もっと寝かせてから使った方が肌荒れしないんだって。


出来上がった石けんは、いつもの石けんより、なんとなく使い心地がいい気がする。

手指は油を塗っているからどちらの効果かわからないが、身体全体はそんなに乾燥しなくなった気がする。


シシリーは油の記録だけでなく、出来上がった石けんの使い心地も使った油ごとにまとめて記録していた。


春になって久しぶりに油屋さんに会うと、肌や髪を褒められる。


「寒くなる前に慌てて搾った油があったから、石けんにしたの!シシリーが油ごとで使い心地をまとめてくれているんだよ」


シシリーのノートは原料ごとにどれくらい油が搾れるか、香りやこってりしているなどの使用感、変質するまでの期間、石けんにした時しっとり・さっぱりするなどの使用感がびっしりメモしてある。


油屋さんは「たいしたもんだ」とシシリーを褒めた。


その中から私たちが一番好きな石けんの話になる。


それに使っている油は油屋さんが普段販売していない、雑穀の種子だから興味を引いたみたい。


「あんたたち、その石けんを作って売ってみたらどうだい?目ざとい人は、あんたたちの肌艶について聞いてくるだろうから、ちょっとだけいい値段で売ってやるといいよ」


油屋さんは悪そうな笑顔でそう言った。


私たちは、母さんと相談し、作った石けんを油屋さんに販売してもらうことにした。


私たちが売るとなれば、購入してくれる大人たちと直接お金をやりとりすることに不安があるし、私たちがお金を持っているとわかるのは危ないから、だって。


自分たちで売るのと比べて、油屋さんに手間賃を払う分、手元にはいるお金は少なくなるけれど、売る手間がないし、安全だからそれがいいんだって。

ふーん。

危なくないならそれが一番だよね!


・・・


私たちは雑穀の種子を目当てに栽培して、油をとって、石けんを作るということをした。


シシリーは研究家だから、雑穀の種子油と他の油を混ぜて一番いい配合を探している。


そうやって季節をいくつも重ねた頃、シシリーに不届きな輩が絡んできた。


「ずいぶんやつれたな。髪も短いし。こんなところで苦労しただろう。俺と一緒に来るといい」


お貴族様の男で、シシリーと同じくらいの年齢だろうか。


なんだかすごく上から目線で話すし、別にシシリーはやつれていない。

むしろ最初に来たときより元気になったくらいだ。

肌は日焼けして抜けるような白さはないし、髪は後ろでしばって短い尻尾みたいになっている。

今は少し動いても休むことはなく、一緒にロロン農家の手伝いで摘果をしたり、雑穀を育てたり、洗濯や掃除も私と同じくらい動ける。


「やつれるってどんな意味だっけ?」


「やせて疲れ、力ない感じかしら」


「じゃあ違うよね。あ、でもやせてはいるのかな?」


「そうね。でも昔の方が不健康だったわ」


私たちは貴族の坊っちゃんを無視して二人で話す。


お坊ちゃんは舌打ちして、同行している護衛にシシリーを連れてくるよう命じたので、私はシシリーの前に立ちはだかる。


「お嬢さん、どいてくれるかい?」


護衛が聞くが私はもちろん首を横に振る。


「貴族が平民を同意なく連れ去ったり、故なく暴力を振るうことは禁止されています。たとえここで私を殺して目撃者を消しても、町の人間は私がいなくなったことに気づいて通報し、貴族の家々に監査が入ります。ここに来るまでに誰の目にも一切触れていない自信はありますか?法に反する貴族は罰せられます」


護衛はそれで一旦動きを止めた。


私たちは自分たちの身を守るために、余所者をよく観察するし、必要があればそういう通報をしっかりするのだ。

権力にものをいわせて、納税者、つまり私たちに不要な負担をかけた場合、通報すればその貴族は相応の注意を受ける。

だから、貴族達は通報されるとわかれば安易に悪事を働けない。

私たちはそうやって守られているから、納税する。守られないなら納税しない。


後ろの貴族の坊っちゃんが口を開く。


「前の暮らしと同じような食事も寝床も用意するぞ。俺に従えばこんなところにいなくていいんだから、同意するに決まっているだろ」


そりゃうちでは貴族のような生活は望めない。香油だって使えない。

いなくなったら寂しいからって、シシリーが本当にこの生活が嫌だと思っているなら、私に止める筋合いはない。


私は怖怖シシリーを振り返る。


「願い下げですわ、おクソ野郎」


シシリーはイヤッの顔で言った。

マズい。私、いけない言葉遣いをシシリーに教えちゃっていたみたい。


貴族の坊っちゃんはシシリーの言葉遣いに驚いて固まってしまった。「お、クソ……?」と言いながら口をあんぐり空けている。


「あなたが探しているご自身に都合のよい人形はここにはいません。人違いなのでお帰りください」


にっこりと笑ったシシリーが追い打ちをかけた。平民らしく、しっしっと手で追い払っていて、そのくせ目は冷え冷えしているからとっても怖い。


結局貴族のお坊ちゃんは、シシリーの言葉遣いにびっくりして帰っていっちゃった。

私は、ほっとしてシシリーに言う。


「よかった。確かにあんまりいい生活じゃないだろうから、いなくなっちゃうかと思った」


シシリーは思案してから口を開く。


「私は余所者だから、本当は早く一人で暮らせるようになって、出ていくべきだって思っている。でもアイツのおもちゃになるのは嫌だったから断ったの」


ごめんなさい、と謝るシシリーに私は困惑する。


「あのね、シシリーが嬉しそうだと私も嬉しい。そんな風に思えて、一緒に住んでいる人のことは家族っていうんだって」


私はシシリーの手をぎゅっと握る。


「だからシシリーは家族だよ!シシリーが出ていきたいなら止められないけど、私はいなくなったら寂しい!」


シシリーが口をはくはくさせて、言葉を探し、声を震わせて言う。


「わたしも……ミレッタに、幸せでいてほしいと思う……」


「じゃあおそろいだね!うっれしー!」


なんだか楽しくなってきちゃったから、私は冷たいシシリーの両手をしっかり握って、そのままシシリーを中心にくるくる回った。


シシリーは一緒にくるくる回りながら、こらえきれなかったように声を上げて笑ってくれた。

緑の瞳がちょっとキラキラしていてきれいだな。


シシリーの楽しいが、わかりやすくなくても、それはそれでいいと思うけれど、一緒に笑えると二倍楽しくなって、またくるくる回る。


結局目を回してぐったりしてしまった私の背中を、ケロリとしたシシリーがさすってくれた。


二人で繋いだ手をぶんぶん振りながら帰って、父さんと母さんに報告した。


シシリーが貴族のお坊ちゃんの名前を知っていたから、名前と共に通報。

これで、もしシシリーに何かあれば第一に疑われるようになったんだって。


それって貴族のお坊ちゃんにはいいことなさそうなのに、なんであんな風にやってきたのかな。


よくわかんないや。


次話はシシリー視点のおはなしです。

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