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言葉を失うほどに美しい『まことに得たりし花』

「ふむ、雛鶴の歌は素晴らしいな。愛し合った二人の別れが、透明感のある歌声でよく表現されておる。まあ、小幡の笛や大石の琵琶の演奏は拙いけどな」

「「憲政様、一刻(約二時間)程度の練習時間でここまで歌に合わせたんですから、少しは褒めて下さいよ」」

「ああそうか。お前らすまなかったな」

(へー、憲政は家臣に対して素直に謝れるんだ)

おっさんは、憲政を見直した。

「それにしても、これは未来の今様なのか?あの陳腐な詩に演奏をつけて歌にすると、随分と変わるものだな。何というか・・・、感動したぞ」

「先ほど、憲政様は姫様の歌声を褒めていましたよね。そして、あの歌に感動したと。その想いがどこから来るのか、憲政様には説明できますか?ちなみに、手がかりは『幽玄』と『花』ですよ」

「幽玄は『相反する属性が同時に存在して調和している』という奴だな。咲いた『花』は必ず散る。だから『花』とは一瞬の美とか、その場でしか感じることのできない美、という奴か?ええい、わしは面倒くさいのが嫌いだ。そこの怨霊、さっさと答えを言え」

「もう、しょうがないっすね。憲政様は、以前姫様の夢を聞きましたよね」

「あの、日本各地に図書館を作って皆の選択肢を増やすとかいうやつか?いかにも青臭い、頭がお花畑みたいな夢だな。何の力も持たぬガキの分際で、大それたことを言いやがる・・・」

「憲政様、姫様の夢に感じたのは、本当にそれだけですか?大それた夢を持つ無力な姫が、それを実現するために力を欲し、必至に足掻く姿をうらやましく思ったんじゃないですか」

「ああ、そうだ。雛鶴は、わしがとうの昔に手放した『世の中を良くしたい』という利他的な夢を持ち、そのために行動している。わしはその姿に眩しさを感じ、同時に己の惨めさも痛感したのさ」

「憲政様、それですよ。何の力も持たない、か弱くて小さい姫が、とてつもなく大きな夢を持って行動している。まさしく、相反する弱さと強さが、姫様の中で矛盾なく共存し、調和しているのです。ちなみに、姫様の持つ『花』は、若さや幼さ故の『時分の花』です。若いということは、それだけで尊いという人がいるかも知れませんが、そうとも言い切れないことを次で説明しましょう」

「ちょっと『おっさん』さん。あなたは、わたくしを褒めているのですか?それとも貶しているのですか」

「姫様、すいません。でも、姫様は人間の愚かさも闇も世の中の不条理も絶望も真の意味で理解せず、若さ故の行動力で越後まで来ているんでしょう?これは、若くて元気が有り余っているが故の暴走、すなわち季節が来れば自然に咲き、いずれ散る『時分の花』であり『かりそめの美』とも言えます。かつて、世阿弥は二つの『花』を定義しました。それが『時分の花』と『まことに得たりし花』です。世阿弥はこうも言っています、父親の観阿弥が亡くなる半月前の最期の舞台(駿河国の浅間神社)で、その舞の中に咲き誇る花を見た、と。そして、そのことを『肉体は老いさらばえても、花は散らずに残っていた。これこそがまことに心の奥底でつかみ取った本物の花である』と説明しています。つまり、世阿弥は観阿弥の舞の中に、若さや体力などの『時分の花』を全て剥ぎ取ったあとに残る『生涯散らない美しさ』、すなわち『まことに得たりし花』を見出したのです。この境地を、先ほど憲政様が言及した浄土宗の開祖法然や曹洞宗の開祖道元に当てはめるとどうなるか。さあ憲政様、答えてみて下さい」

「念仏と座禅と『まことに得たりし花』?さっぱりわからんな。さっさと正解を言え」

「まず法然上人ですが、知恵第一の法然房と崇められた法然は、四十歳を過ぎてその輝かしいキャリア・・・『時分の花』を全て捨て去って比叡山を下り、専修念仏という道を世に示しました。当代一の学者であった法然は、学問では衆生を救済できないと悟ったわけですな。普通の人間であれば、自分が何十年もかけてやってきたことは無駄だったと絶望するでしょうね。でも、法然は高慢な知識を捨て去り、最も単純で愚直な念仏の中に、万人が救われる真理の道を見出したのです。次に道元禅師ですが、幼い頃に父(内大臣源通親)と母(関白松殿基房の娘伊子)を失い、松殿家から養子に迎えるという打診を受けた時も、『庭に咲く花をむしりとって食べる』という奇行で断りました。実際、土御門天皇の外叔父で後嵯峨天皇の大叔父でもある道元が松殿家を継いでいれば関白就任もあり得たでしょうし、松殿家も摂家として存続できたと思うんですよね。でも、道元は世俗の栄華を自分の求める花ではないと拒絶し、永平寺でひたすら壁に向かって座り続けたのです。このことからも、道元の持つ深い絶望が感じ取れます。しかし、道元はただ世俗を拒否して引き籠もっただけでは終わりませんでした。『ただ座ることで宇宙と一体になる』という厳しい道を残すために、自分の命を削って正法眼蔵を書き続けたのです。そして、道元の行ったことの中でもボク的に最も重要と考えているのが『典座教訓』で示した労働の神聖化、えーと『働くことを、己の魂を磨き、社会に奉仕する聖なる道』へと位置づけたことだと思うんですよ」

「えーい、そこの怨霊。話しが長すぎて、わけ分からんぞ」

「「いいや、憲政様。法然上人も道元禅師も、心に深い絶望(最弱)を抱えたまま自暴自棄に陥ることなく、衆生の救済(最強)という永遠に散ることのない『まことに得たりし花』を咲かせたのです。怨霊殿、貴殿が言いたいのは『この世は地獄だ。だが、だからこそ我々は一歩踏み出し、互いを救わなければならない』ということですな(注:法然や道元の心の中には、最弱と最強が共存し調和している=幽玄となる)」

ちなみに、おっさんと憲政の会話は、雛鶴が小幡三河守と大石兄弟に説明しているぞ。

「小幡殿と大石殿のお考えは、これ以上ない見事な解釈です。いいですか、憲政様。南宋に渡った若き道元は、二人の老典座に出会って『本物の禅』に開眼したのです。二人の典座は、道元に対して『自分が飯を作ることこそが修行』『他人の手は、私の代わりにはならん(今この瞬間を逃してどうする)』と言ったわけですが、ここにおいて道元の中で聖(座禅や読経)と俗(日々の労働)の境界線が完全に消滅しました。そして、道元が種まきしたものが、現在の剣道・茶道・華道・芸道云々へとつながっているのです(つけ加えると、現在の日本型資本主義の発展にもつながっている)」

「つまり、お前はわしに、深い絶望を抱えたまま『他者の救済』という最も尊く美しい『まことに得たりし花』を咲かせろというのか?そんなの、法然上人や道元禅師といった鎌倉仏教の聖者だからできたことであって、わしのような凡人にできるわけなかろう」

「憲政様、ボクの話をきちんと聞いて下さい。道元は目の前の仕事を極めることこそ、仏に奉仕する聖なる道と意味づけたのです。だから、憲政様が変態道を極めることも、悟りを開くための修行になるのです。変態の研究なら、憲政様にも続けられるでしょう。案外、憲政様の始めた変態道が、数百年後には世界中を席巻している、何てこともあるかも知れませんよ」

「なにー、わしの芸術というか性癖が、世界中の人間に知られるというのか?なんか恥ずかしいのだが・・・」

「今まで散々生き恥をさらしてきて、今更何を恥ずかしがっているんですか。憲政様なら、その恥ずかしさを快感に変えることができると、ボクは信じていますよ」

「「いやー、憲政様にも生きる目的ができて良かった良かった」」

「えっ、変態道を極めることが悟りを開くための修行なの?こんな終わり方で、本当に良いのですか・・・」

おっさんと憲政の議論が一応の結論?に至ったことで、雛鶴たちは憲政やその家臣らを味方とすることに成功した。

御館の夜は、こうして更けていくのだった。


(おっさん視点)

憲政との問答も含め色々と利用してきて分かったことだけど、質問に対して怨霊AIがどういう回答をするか、何となく読めるんだよな。そう、AIは本やネット上にある情報を、文章を整えた上でもっともらしく提示してくるだけなんだよ。AIは、情報を探すことは得意だけど、真に独創的な考えは提示できない。やはり、真に独創的なことは人間が行い、それを補強するのにAIを利用するのが良いんじゃないかな。

おっさんは、そんなことを考えていた。

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