いざ、春日山へ
こうして葬儀費用の目処も立ったところで、早速氏業は家臣たちに指示を出した。
「皆は、母上と(藤井)友忠が作った名簿の通りに葬儀の案内文を配るのだ。そして平八郎、そなたは写本を持って古河城へ行き、近衛前久卿に奥書を書いて貰うのだ。五摂家筆頭近衛家公認の写本となれば、万屋も高値で売れるし、将来入る予定の長野家の収入も増えるであろう。謝礼は写本を渡すことでまとめてくれ。そして、手の空いている者は、1冊でも多く写本を増やすのだ」
「「「承知致しました」」」
こうして、家臣団は各地へと散っていった。
「ところで雛鶴よ、既に信玄に寝返っている(小幡)憲重義兄上はどうしようか?おっさんの本(真・箕輪軍記)には、この時期西牧砦(群馬県下仁田町)にいると書かれているが、こちらが居場所を知っているとなると、今後の武田家の動きに変化が出るかもしれん。どうしたものかな?」
「まあ、父上様の葬儀を行うと決めた時点で武田家の動きは変化すると思いますが、そんなに気になるのであれば、憲重義兄上様への葬儀案内は信玄公に届けて貰えば良いのではないでしょうか?」
「ふむ、それは良い考えだ。伊勢守殿はおりますか?」
「ははっ。それがしはここにおります」
「伊勢守殿には、憲重義兄上宛ての葬儀案内文を持って甲斐の躑躅ヶ崎館まで行って欲しいのだが、お願いできますか?」
「ふむ、それがしは業政公の葬儀の日まで、赤城山に籠もって剣術修行でもしようかと思っていたのだが、氏業様のたっての願いとあらばお引き受け致しましょう。日々の仕事を誠実にこなすのも、修行ですからな」
とりあえず、小幡憲重と正子姉上のことは伊勢守に任せるとして・・・。
「あと心配なのは、このまま平八郎を重用してよいのだろうか。奴は武田家に寝返るのであろう?」
氏業の発言を聞いたポチは、雛鶴に耳打ちした。
「『おっさん』さんが言うには、平八郎は長野家家臣団の中で最も優秀だし、なにより一番未来が見えているから問題ないそうです。長野家が危うくならない限り平八郎は寝返らない、というかまともに計算のできる家臣が平八郎以外いない、とも言っています」
「おっさんに人を見る目などあるのか?まあ、長野家が人材不足なのは確かだ。平八郎は、注意しながらこき使うことにしよう。ところで話は変わるが、雛鶴は本当に春日山まで行くつもりか?政虎公から五百両を借りることなどできるのか?現在確保できている五百両でも、それなりの葬儀はできるぞ」
「ここまで来たら、できることは全て行い、皆の度肝を抜く葬儀を執り行ってみせましょう。わたくしは、今日にでも箕輪城を出発し、春日山城に向かいます。十日間で政虎公と話をつけて箕輪城に戻る予定ですが、失敗しても笑わないで下さいね」
「私のために頑張る妹を、どうして笑うことなどできようか。それより、雛鶴には申し訳ない気持ちで一杯だ。なあ、不肖の兄のためにそこまで頑張る必要など無いのだぞ」
「まあ、ポチと『おっさん』さんがいれば、何とかなりますよ。あと、段蔵もついてきてくれるのでしょう?」
雛鶴は、天井に向かって呼びかけた。
雛鶴と氏業の前に段蔵が現れた。
「姫様の護衛役はおれの仕事ですから、誰にも譲りませんよ。あと、狩りで捕ってきた肉は長純寺に届けておきました。孤児たちの食糧も暫くは保つんじゃないですかね」
「段蔵、色々とありがとう。それでは、わたくしとポチと段蔵で春日山に行くことにしましょう。春日山城までは四十三里くらい(約170Km)でしょうか。何日くらいかかるのかしら?」
「今は夏ですし、馬で飛ばせば三日くらいで行けるんじゃないですかね」
「ご主人様はちっちゃいから、ポチの背中に乗っていくといいわん」
「では兄上様、写本を手土産にして政虎公から五百両借りてきます。一応確認しますが、上杉と武田のいくさに長野家が参戦するのは無理なのですよね。もし、参加を強制されても、義勇兵の参戦にとどめておきます」
「なんだと。要請があれば、雛鶴は上杉と武田のいくさに参戦するつもりなのか?兄として、益々雛鶴を春日山に行かせたくなくなったぞ」
「もう、わたくしは決めたのです。兄上様も、覚悟を決めて下さい」
「ムムム、分かったよ」
こうして氏業は雛鶴に押し切られたのだが、そんな雛鶴を呼ぶ者がいた。
母親のお福である。
お福は雛鶴を自室へ連れていき、改めて雛鶴の覚悟を聞いたのだが、雛鶴の決心が揺らぐことはなかった。
「最後に一つだけ質問をします。貴女は、後悔することが分かっていたとしても、真実を知ることを欲しますか?」
「わたくしは、何も知らされず無難に生きるよりも、知って後悔する道を選びます」
「貴女の決意は、良く分かりました」
結局、氏業に続いてお福も観念した。
そして、お福は一枚の扇を雛鶴に手渡した。
「なんですか、この扇は。表に上杉家の家紋(竹に雀)、裏に北条家の家紋(三つ鱗)が描かれていますね。これには、どのような由緒があるのでしょうか」
「この扇は、わたしの妹『千代』の遺品です。これを貴女に譲りましょう」
「今は亡き叔母上様の遺品ですか。その様な大切なものを、わたくしが頂いてよろしいのですか?」
「良いのです。この扇が、貴女を真実へと導くでしょう」
「では母上様、雛鶴は春日山に行ってきます」
「今日は、もうすぐ日が暮れます。出発するなら、明日の朝にしなさい」
「わかりました」
こうして翌日の早朝、箕輪城の皆に見送られながら、雛鶴とポチと段蔵は春日山城へと旅立ったのである。
時に、永禄四年六月二十九日のことであった。
第一部 完




