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ポチとおっさんと運命の少女

登場人物

ポチ:雛鶴姫の飼い犬。ご主人様である雛鶴姫を幸せにするため、おっさんと一緒に東奔西走する。

おっさん:大学院まで行って歴史を学んだが、就職活動に失敗したため40歳を過ぎても実家で親に寄生している子ども部屋おじさん。とある理由で戦国時代に転移するが、あっという間に殺されて、その魂はポチの中に封じられる。

長野雛鶴:長野信濃守業政とその継室お福の娘で、ポチの飼い主。長野家のために人生を捧げるつもりだが、何をすればよいか分からない状態。温泉が大好き。

長野右京進氏業:長野信濃守業政とその継室お福の息子で、雛鶴の実兄。姉妹が大勢いて、とても可愛がられている。一見貴公子然としているが、内心は打たれ弱い。婚約者に藤鶴姫がいる。

加藤段蔵:元風魔党の抜け忍だが、現在は長野家所属の忍びとして氏業や雛鶴の護衛をしている。

上泉伊勢守秀綱:新陰流の創始者にして剣聖。上州の一本鎗として世間にその名が鳴り響いている。

長野業親:氏業と雛鶴の弟。庶子であることに劣等感を抱いている。

長野信濃守業政:永禄4年6月21日に71歳で病没し、上州(群馬県)の守護神となった。異名に上州の黄斑(群馬県の虎)がある。

長野吉業:業政の嫡男であったが、川越合戦で戦死した。享年16歳。

永禄4年6月23日 上野国箕輪城内浴室(群馬県高崎市箕郷町)


「ふう、上野国の柱石である父上様がお亡くなりになってしまい、わたくしたちはこれからどう生きていけば良いのでしょうか」


湯船に浸かりながらそう呟く少女「雛鶴」は、長野信濃守業政の娘にして現在17歳(数え年)。幼さは残るものの、満開間近の山桜を思わせる美しい少女であった。


「兄上様は重責に堪えられず思考が停止しておりますし、母上様は寝込んで食事も取れない有様。家臣たちは父上様の遺訓を守るため、武田軍相手に全滅必至のいくさに打って出ることしか考えておりませぬ」


時を遡ること2日前。永禄4年6月21日のこと。

箕輪城主長野信濃守業政、老病に悩むこと数月。ここに至って嫡男氏業を近くに呼び、こう言い残した。


「吾はこの年まで四方に敵を受けて、屈することはなく、土地も奪われることはなかった。これは偏に旧主上杉憲政公を再び関東にお迎えせんがためで、吾が望みもこの事以外にはない。しかし、命には限りがあり、今黄泉へ向かおうとしている。この鬱憤は永久に散らすわけにはいかない。吾が死せば一里塚のように葬り、卒塔婆も建てなくてよい。仏事を営む必要もない。汝は吾の志を継ぎ、四方の敵を退けて山内上杉家を再興せよ。上杉政虎公は義に背く者にあらず。もし、汝に天運がなければ潔く討ち死にするがよい。敵に降参して家名を辱め、吾が忠を廃すること勿れ。汝の吾に報いる所以は、これに勝ること無し」と。

(関東古戦録、箕輪軍記、長野氏興廃史より引用)


こうして、在五中将の末葉にて知・仁・勇の三徳を兼備せる名将は、志半ばにしてこの世を去った。享年七十一歳。


「わたくしも武家の娘として生まれたからには、政略結婚でもなんでもする覚悟はできておりますが・・・」


雛鶴は死などを恐れていなかったのだが、どうせ逃れられぬ運命であれば、せめて意味のある死を望んだのだ。そう、自らの命と引き換えに上州に平和をもたらすような死に様を・・・。


「そうは望んでも、わたくしには何をどうすればよいのか分かりませんし、力もありません。ああ、わたくしの進むべき道を示してくれる人は、何処にいるのでしょうか?」


「ここにおりますぞ。姫様」


雛鶴の独り言に応えてその前に姿を現したのは、四十過ぎの太ったおっさんであった。


「いやー、なんでデブでハゲのキモいおっさんがこんな所にいるのよ。誰か来てー。ポチー、段蔵ー、不審者よ」

「私こそが、姫の探し求めている人生の導き手です。ほら、ここに長野家の進むべき道を記した『真・箕輪軍記』があります。私が長野家に仕えて、上州を平安楽土の地にして見せましょう。だから姫様、結婚して下さい」

「普通、こういう時に出てくるのは若くて美しい殿方じゃないの?それこそ、在五中将(在原業平)みたいな。それが、こんなおっさんだなんて」

「姫様、このことはお父上の業政公も承知しているのですよ。だから、誓いの接吻をー」

「いやー、来ないでー」


こんな感じで、おっさんと雛鶴が大騒ぎをしていると、何者かが浴室に飛び込んできておっさんの足に噛みついた。


わんわんわん、ガブッ。


「うぎゃー、いてー。なにこれ、犬?」

「ポチ、助けに来てくれたのね」


おっさんの足に噛みついたのは、雛鶴の愛犬ポチであった。

ちなみに、このポチは犬大好き戦国武将太田資正の軍用犬で、小田原城の戦い(1560-1561)の際に氏業が資正から譲り受けたのだが、雛鶴に懐いてしまったのでそのまま雛鶴の護衛をさせつつ、軍用犬としての訓練も受けていた。

ポチの毛の色が灰色なのは、おそらくニホンオオカミの血を引いているからであろう。


ガブッ、ガブッ、ガルルル。

「ちょい、マジで痛いからやめてくれ・・・。えっ!」

おっさんの腹には忍者刀が刺さっていた。

「この無礼者が。姫に近付くんじゃねーよ」

「段蔵も助けに来てくれたのね」

「大殿様(業政)には恩がありますからね。姫様と若殿様の護衛はお任せ下さい」

さて、ここで登場した段蔵は元風魔党の抜け忍だが、業政自ら北条氏康と話をつけて風魔の追手から助け出した経緯があり、今は長野家所属の忍びとして雛鶴と氏業の護衛を担当していた。いわゆる、『飛び加藤』こと加藤段蔵である。

「ところで、こいつは何者なんですかい?」

段蔵は、おっさんの腹から刀を抜きながら雛鶴に質問した。

「それが、いきなり浴室に現れたのでわたくしにも訳が分からないのです」

わん、わん、わん。


おっさんは浴室に倒れた。

腹の刀傷から、血がどんどん失われていく。

姫と忍者の話し声と犬の鳴き声が聞こえるが、それもだんだん聞こえなくなっていく。

「ボクが(B)、戦国時代で(S)、無双するはずだったのに(M)」

おっさんはこう言い残して、恥の多い人生を終えたのだった。享年四十余歳。


(えっ、何?ボクは主人公じゃなかったの?どういうこと?)

おっさんの魂は肉体から分かれて、天へと昇っていく。


「雛鶴、何があった。無事か?」

「「「姫様、姉上、叔母上、ご無事ですかー」」」

「兄上様、伊勢守様(上泉秀綱)、業親(氏業と雛鶴の弟)、忠安殿(藤井友忠次男)、雛鶴は無事ですが・・・、皆さん浴室から出て行ってくれませんか。あと、兄上様はそこの冊子を持っていって下さい。何でも、長野家の未来について書かれた物だとか・・・」

「えーと、これかな・・・」

(なにこれ、なにこれ。ボクの知識だけ奪って、後はハイさよならかよ。許せん)


周囲から『BSM、BSM』という掛け声が湧き上がった。


「「「なんだなんだ???」」」


おっさんの死体は黒い靄となり、憎しみに燃えるその魂と合体した。いわゆるおっさん怨霊化である。


(ええい、ボクが氏業の身体を乗っ取って、戦国無双してやる)


怨霊化したおっさんは氏業に襲い掛かった。危うし、氏業。

そんな氏業の危機に颯爽と現れたのは、おっさんを未来から連れてきた上州の守護神『長野業政』とその長男『長野吉業』であった。

業政は叫んだ。『ポチよ、口を開け』と。

訳も分からず口を開くポチ。

一方、吉業は氏業の前に移動すると、『出でよ、和魂の大幣』と叫んだ。

吉業は、宙に出現した大幣を手に取り、そのままバットでボールを打つように大幣でおっさんを打ち返した。

おっさんがポチの口の中へと吸い込まれると、業政はすかさず怨霊調伏殺法を発動した。

『奴をポチの身体に封じ込めるぞ。臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前、力ッ』

こうして、おっさんの魂はポチの中に封じられた。


『よーし、とりあえずこんなところか。さて氏業よ、時間が惜しいので手短に言うが・・・』

「ポチ、変なものを飲み込んだりして、身体は大丈夫?」

「わんわんわん(大丈夫だわん)」

「うわーん、父上。私に上州一揆の旗頭など荷が重すぎます。このまま城に留まって、神として家臣団を導いて下さい。吉業兄上でもかまいませぬ」

『あのな、氏業よ。わしらは既に死人なのじゃ。現世のことは生きている者たちで何とかせい。こうしてわしと吉業が顕現するには神力が必要なのだが、残りはあとわずかじゃ。だから、手短に言うぞ。氏業は、その冊子をよく読んで、上州の地がいくさで荒らされないためにどうすれば良いか、死ぬ覚悟で考え、行動するがよい。他の者どもも、いくさは外交の一部であることを肝に銘じよ。犬死は許さん。分からないことがあれば、ポチの中に封じたおっさんに聞くがよい。紙上談兵の類だが、多少は役に立つと思うぞ』

「父上、私には犬の言葉が分かりません」

『それについては、わたしに任せなさい。ポチの主人である雛鶴に、和魂の大幣を差し上げましょう。これがあれば、犬と意思疎通出来るはずです。それにしても、あの赤子がここまで成長するとは。まさに人体の神秘といったところでしょうか』

吉業はそう言うと、大幣をファサファサさせた。揺れる紙乗しでにポチが反応した。

一方、雛鶴は、「吉業兄上様、あまりわたくしをまじまじと見ないで頂けませんか。恥ずかしい」と言って恥らいの表情を見せた。


そんな中、おっさんはというと、自らが置いてけぼりにされて話が進んでいくのに大激怒していた。

(なんだよなんだよ。殺されて犬に封じ込められた挙句、「真・箕輪軍記」も奪われたボクが長野家に協力するわけないだろ。それに、あんたが結婚を許しても良いと言った姫に見殺しにされたんだけど、どうしてくれるんだ)

すると、業政は静かにこう言った。

『小僧、言いたいことはそれだけか・・・』と。

吉業は『父上に歯向かうのは止めておいた方が良いぞ』とおっさんに忠告した。

周囲にいる人々も、「大殿様(業政)を怒らせるような事を言っているなら、さっさと謝れ」とボクに促してくる。何のこっちゃ?

そうこうしていると、ボクの態度にブチ切れた業政が激怒して、文字通りボクに雷を落とした。

『この大馬鹿もんがー!!!』

ゴロゴロ、ドカーン。

積乱雲もないのに雷が何発も落ち、箕輪城は激しく振動した。

『黙って聞いておれば好き放題ぬかしやがって。お前の不幸は全て他人のせいで、自分は悪くないだと。日ノ本で最高峰の教育を受けさせて貰いながら親に不満を持つだけでも人間失格なのに、親のすねをかじって生きていることを正当化するとか、もう話にもならんわ。言っておくがな、お前は間もなく精神病院に強制入院させられて薬漬けにされ、数年後に死ぬ運命だったのだ。それもこれも、親孝行を怠ったお前の身から出た錆だがな』

(そんなー、いつの間にかイラナイ子宣言されていたなんて。世の中に絶望した)

『親にそんな選択をさせた己自身を反省しろ。何じゃその言いざまは』

ゴロゴロ、ドカーン。

再び箕輪城に雷が落ちた。吉業も含めて、周囲の者どもはガタガタ震えているぞ。

おっさんも『ひえー』と怖気づいた。

『よう、お前なんぞこの世にいる価値のない人間だ。ご両親の代わりに、お前の魂を消滅させてやろうか』

ギリギリとおっさんの魂は捻じ曲げられた。耐えがたい苦痛がおっさんを襲う。

(ごめんなさい、ごめんなさい。全部ボクが悪かったんです。どうかお許しをー)

『そんなしょうもないお前に、一度だけ挽回する機会をやろう。お前が学んだことを生かして、長野家を滅亡の道から救い出して見せよ。与えられた仕事を成し遂げれば、お前のひねくれた心も少しは救われるであろう』

(はい、長野家の滅亡を回避するため、氏業様や他の皆さまと共に職務に励みます)

『その言葉、確かに聞いたからな。もし噓偽りあらば、あの世から神罰を下してくれよう』

(ははー。承知いたしました)

『よし、おっさんとは話がついたぞ。氏業よ、おっさんの知識を上手く活用して、箕輪長野家を次の時代まで残してみせよ』

「自信はありませんが、頑張ります」

一方、吉業は雛鶴にこう言いながら、大幣を差し出した。

『雛鶴よ、「和魂の大幣」を受け取りなさい。これがあれば、ポチの言う事を理解できるはずです。さらに、ありとあらゆる災いから御身を守るでしょう。この力で以って、貴女を襲う過酷な運命に立ち向かうのです。ちなみに、大幣を雛鶴に渡すのは、君がポチのご主人様だからだよ』

「御身とか過酷な運命とか、随分と大げさな言い様ですね。でも嬉しいです。吉業兄上様、ありがとうございます」

雛鶴は、ぱあっと花が咲いたように微笑んだ。

雛鶴の笑顔に、皆がほっこりした。

周囲の人々は、改めてこの姫の未来に幸多からんことを心の底から願うのだった。

閑話休題、吉業の差し出す大幣を雛鶴が受け取ろうとしたまさにその時、ファサファサする紙乗に気を取られたポチが、いきなり大幣に跳び付いた。

『『あっ!』』

和魂の大幣は、業政や吉業の神力とともにポチの身体へと吸収され、業政と吉業は消滅した。呆気にとられる周りの者たち。

周囲が混沌とする中、ポチは「なんかへんなものが体に入ってきたわん。あとおっさん、業政が怖いのは分かるけど、いつまでも引き籠もってないで一緒にご主人様を守るわん」と言った。

驚く雛鶴、氏業と(藤井)忠安。

「まあ、ポチは人間の言葉を話せるようになったのね」

「何故、私までポチの言っていることが分かるのだろうか」

「若殿様、私にはポチの言っていることが何となく分かるだけで、細かい内容までは分かりませぬ」

一方、伊勢守(上泉秀綱)と業親(氏業と雛鶴の弟)と段蔵はポチの言っていることが理解できず、ただ「わんわん」と鳴いているようにしか聞こえなかった。

「そんなー。なんで甥の忠安殿(母が業政の娘)はポチの言っている事が理解できるのに、僕には分からないんだよー。やっぱり、僕が庶子だからいけないのかー」

皆でわいわい騒いでいると、廊下からドタドタッという音が近づいてきた。

雛鶴の侍女であるお英に肩を支えられながら浴室に現れたのは、氏業と雛鶴の母親で業政の継室でもある(保土田)福であった。

「雛鶴、大殿様が夢枕に立ってこう言うのです、苦労をかけてすまないが長野家を頼むと・・・。ちょっとあなたたち、入浴中の雛鶴を囲んで何をしているのですか。さっさと出てお行きなさい」

こうして、氏業・業親・忠安・伊勢守・段蔵は浴室から追い出されたのだった。

「やっぱり、お福がしっかりしてないとご主人様は覗かれまくるんだわん。それにしても、ご主人様はもてもてだわんね」

「えっ、ポチは人語を話せるようになったの?」

「やはり、母上様にもポチの言葉は理解できますか。実はかくかくしかじか・・・」

と、雛鶴は今までに起きたことをお福に説明した。

「うーん、その様な不思議な事が起きていたなんて。ところで、ポチの言葉を理解できるのは、現在雛鶴・氏業・私・忠安の4人で、業親には分からない、ということで良いのですか?」

「はい、そうです。おそらく、ポチの言っている事を理解するには、わたくしと血縁が近くないといけないみたいなのですが、それだと弟の業親がポチの言葉を理解できないのはおかしいんですよね。まだ、他にも条件があるのでしょうか?母上様はどう思いますか。あと、吉業兄上様がわたくしを貴人のように扱ったのです。そして、わたくしには過酷な運命が襲いかかるそうですよ。不思議ですね」

「雛鶴、憶測でものを言うのは止めるのです。あと、早くお風呂から出なさい。のぼせてしまいますよ」

「はあい。ポチも一緒に出ましょうね」

「わかったわん」

「雛鶴様。大勢の殿方に囲まれているところをお助けできずに、申し訳ありません」

「別に、お英のことは怒っていないから安心なさい」

「ありがとうございます、雛鶴様」

かくして、雛鶴の長くて不思議な入浴タイムは終了した。

ひとり浴室に残ったお福は、天を仰ぎ「ついに、雛鶴の運命の歯車が動き出したのですね。運命の少女、雛鶴よ。貴方が宿命に流されることなく、自らの手で良き人生を掴み取ることを、母は願っております」と、一人呟くのだった。

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