第95話◆制御不能な怪物
後方列車。煙が充満し炎が立ち昇り黒甲冑が姿を戻した。こちらを目で捉えた。
爆発の勢いで、どんどん先に進む。距離は離れていく。ちぎれた後部列車は惰性で動いてるだけ。黒甲冑は枕木に降りて走ってくる。
明里は手すりに掴まった。
煉は息を呑みながら言った。「さ、さすがにあの距離を追いついて来る事ないよな?」明里の方を向く。
明里は目を凝らして黒甲冑を見る。こちらに向かって走ってくるが何かおかしい。四つん這いで向かってきてるが靭やかな何かに身体つきになっている。艷やかな体毛と走るために特化した獣に見える。
鎧の隙間から、黒い毛が濡れたように噴き出していた。
風圧が悲鳴のように裂けた。
あんなに離れていたのに――
――もう、背後にいた。
その時、前方の急加速と蒸気排気の音がする。車両を軋みゲートを開いた競争馬みたいに前に引っ張られる。
「何か様子がおかしい」明里が声を張り上げた。
コントロールを失った暴走機関車。明里と煉は固定柵の手すりに掴まるので手一杯だった。
地にへばりつきながら、たてがみ揺らし走る黒甲冑。迫る後方デッキ。
急加速の勢い落ちた時、煉は明里の手を取り言った。「前に逃げるぞ」
―――ポルックスがいる前方車列では。
轟音が車両全体を揺らす。
モヤを掻き分けて汽笛を鳴らしながら黒い鉄の塊がこちらにやって来ている。
5分もたたないうちに衝突するのは明白だ。
(こんな時、明里ならなにを考えただろ)
――引き寄せる。
視線が、部屋の隅のワイヤーに止まった。
車掌がポツリと「このまま行って衝突か脱線。どっちに転んでも助かるやつは殆どいねぇ、ポイント切替でなんとか逃げ切れれば……」
激しい車輪音と蒸気排気の音だけが静かな機関室に響く。
ポルックスは確認するように重い口を開いた。
「そこに逃げ切ればなんとかなるの?」
ガルド機関士は「あそこは使われてないが……。だがポイント切替は人力で動かさないとダメだし。構造は単純だがロック解除をしないと動かねぇ。」
ガルドは傷口を押さえながら加減弁のレバーにちからが入る。
――重い。
満載の車両が、まるで地面に噛みついているようだった。
あたまが切れたのか傷口を押さえたタオルが真っ赤に染みる。
汽笛の音が前より激しく近づいてるのは明らかだ。
ポルックスは重い空気の中で口を開いた。明里が女神の鏡を持ち帰った時の“あの引き寄せ方”を応用すれば。蒸気排気の音だけが機関室を支配した。
「……そうだ。あの方法を使えば……!」
思考が繋がった瞬間、ポルックスは矢継ぎ早に言葉を吐き出した。
車掌は懐中時計を確認した。おもむろに「これなら、いけるかも いや、これしかない」
車掌はガルド機関士に視線を向けた。
ガルドは数秒、考えた。一瞬、無音になった。
「……ダメだ」
その瞬間、ポルックスの胸が凍りついた。
ガルドは目線を落とし首を振る。ポルックスと車掌はうなだれた。
だが、ガルドは折れていない。
「そのままじゃ、な」
ポルックスは目を伏せた。
「ダメだってのは、“そのままじゃ”って意味だ」
「やるなら、足りねぇ分を埋める。 こっちの車両が逃げ切るには時間がいる。20秒。 20秒で切り換えしろ」
ガルドの語気が強まる。
「いいか? こっちは一車両分少ない 」
「その分、“時間が生まれる”」
「分岐に入れば、あの列車とはぶつからねぇ」
制帽を整える。
「……俺達は鉄道員だ」
「あちらは3両、こっちは2両。その差が、運命を分ける20秒を俺たちにくれた。ポルックス、その20秒を使い切ってポイントを叩け!乗ってるやつも、向こうも――見捨てねぇ」
顔を上げる。充血してるが目は死んでない。
「流れはこちらが作る」
腹の奥から覚悟を決めた低い声で。
「だが――失敗は許されねぇ」
ポルックスは顔を上げた。少しばかりの希望と勇気が立ち昇る。
ワイヤーを見る。
――届かないなら、引き寄せればいい。
手が、動いた。
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