偽りの誓約
その日は、生憎の曇り空だった。
灰色の雲の波が空を覆い、一筋の陽光が射し込む隙間すらない。
リエラの心情を、如実に表しているかのようだった。
「似合っている」
花嫁姿の娘を一瞥して、リエラの父・キリアンは無感動な様子で告げた。
しかし、リエラは特に落胆することもなかった。元より、父に褒めそやされることなど微塵も期待していない。
「ありがとうございます」
白一色のドレスに身を包んだリエラは、より一層その怜悧な美貌が際立っていた。ベールから透けて見える面差しは、神秘さを伴ってうっすらと輝いてすら見える。
しかし、美しい花嫁の胸中は、鉛でも埋まっているかのように重かった。
――どうして、こんなことになってしまったのか。
何の役にも立たない問を繰り返し、その度に八方塞がりに陥る。
自分がさっさとロレントを見切っておけばよかったのか。
あの時、エルゼを追い返してしまえばよかったのか。
何より、キースの求婚など承諾しなければ――
(そんなの、無理よ)
馬鹿げた後悔は、瞬時に打ち消された。
キースは金を持っている。
それだけで、この縁談はリエラにとって受けるに値する。
断る理由など、ない。
頭では理解出来ているはずなのに、いつまでたっても心の靄が晴れない。
細い鎖の先に垂れ下がる銀貨を握りしめ、リエラはきつく瞼を閉じた。
(わたしの目的は、一つだけ)
衣装係に何を言われようと、彼女はこのペンダントを外す気にはなれなかった。
ここから響くあどけない声が、いつだって迷いの霧を晴らしてくれる。
この古ぼけた銀のコインこそが、リエラの人生のしるべなのだ。
そんな彼女を見て、キリアンは僅かに表情を歪ませる。
「リエラ」
キリアンは、思わず娘の名を口にしていた。
彼女の心を、遠い追想の中から呼び戻そうとするかのように。
呼びかける声は、娘には届かないのではないか。
そんな予感すら生じたが、リエラはすぐにキリアンの方を振り向いた。
「はい?」
応じる声は、ただ冷たく淡々と響く。
父に名を呼ばれれば、いつだって満面の笑みを向けてくれた、幼い少女。
その面影は、もうどこにもなかった。
「もうすぐ、時間だ」
悲しみをごまかすかのように、キリアンは壁の掛け時計を見つめている。
その表情をリエラが窺い知ることなど叶わない。
「そろそろ出ようか」
「・・・はい」
覚悟を決めて、リエラは扉の方を向いた。
固く握り締められていた掌がひらかれ、そこに収まっていた銀のコインが躍り出る。
鎖の先で揺れるそれを、リエラはドレスの下にをしまい込む。
そして、彼女はキースの待つ場所へと歩き出した。
*
教会の中は、多数の貴族と商人で満ちていた。
時流に乗った若き商人と、名のある貴族の娘との結婚なだけあって、参列客はそれなりに多い。
だが、ロレントとエルゼの時とは違い、彼らからは新郎新婦を心から祝福しているような気配は感じられない。
(まぁ、当たり前ね)
リエラは、氷のような無表情の下でせせら笑った。
男性陣、特に若い青年たちは、扉から現れた花嫁の美貌に目を奪われているようだ。
だが、令嬢たちや夫人たちは、何やら小声でひそひそと話している者が多い。
話の内容は、花嫁やその父への嘲りや蔑み、もしくは新郎を慕う娘たちからの嫉妬だろう。聞こえなくても、リエラには十分すぎるほどわかる。
しかし、そんなことは全てどうでもいいことだった。
大げさなほど荘厳な音楽に合わせ、リエラは父と共にヴァージンロードを進む。
その終わりで待っているのは、自分の夫となる男だ。
白い婚礼衣装に身を包み、凛とした表情で花嫁の訪れを待っている。
彼の頭上では、神話の一場面をモチーフにしたステンドグラスが一面を覆っていた。
日の光が透過しない曇り空の下では、その輝きも半減してしまう。
神までもが、この婚姻への祝福を拒んでいる。
リエラには、そう思えてならなかった。
キースと神父のすぐ手前まで来たところで、リエラとキリアンは歩みを止めた。
キリアンの手が、リエラの細い腕から外される。
娘への未練が残っているかのように、ゆっくりとした動作だった。
「幸せに」
父の囁きに、リエラは軽く眉根を寄せる。
最後の最後、別れの時になって、どうして答えに窮することを言ってくるのか。
(今まで通り、無関心なままでいいのに)
怒りとも悲しみともつかない感情が、リエラの胸中で僅かにくすぶり始める。
しかしそれも一瞬のことで、父と目を合わせることなく、リエラはただ軽く頷いた。
戸惑いを瞬時に振り切った後、リエラはキースの待つ祭壇の上へと歩みを進める。
薄いベールを隔てて、キースの姿が目に映る。
彼との接触を必要最小限で済ませていたリエラは、その姿を間近で見るのは久しぶりだった。
飄々とした商人の表情を捨てた彼は、真摯で篤実な青年に見える。
どこまでも鋭く真っ直ぐなその瞳が、リエラはいつも怖かった。今日も、目を合わせることはできない。
彼女がキースの隣に立ったところで、誓いの儀式が始まった。
年老いた神父が、慣れた様子で口上を述べ始める。
「汝、キース・ロックリードは、この者、リエラ・ファリスを妻とし、良き時も悪き時も、病める時も健やかなる時も、共に歩み、死が二人をわかつまで、愛を誓い、永遠に妻に添うことを、神聖なる婚姻の誓約のもとに、誓いますか?」
「誓います」
キースは即座に誓いの言葉を返す。
その低い声がこんなに近くで響くのも、リエラには久しぶりのことだった。
しかし、そんなことを考えている間もなく、神父の視線はリエラに向けられる。
「汝、リエラ・ファリスは、この者、キース・ロックリードを夫とし、良き時も悪き時も、病める時も健やかなる時も、共に歩み、死が二人をわかつまで、愛を誓い、永遠に夫に添うことを、神聖なる婚姻の誓約のもとに、誓いますか?」
「・・・誓います」
リエラにとっては、全くの偽りの誓いだった。
『愛を誓う』も何も、初めから自分とキースの間にそんなものは存在しないというのに。
指輪交換の儀式も淡々と終わり、真新しい結婚の証が二人の左手の薬指に輝く。
これが済めば、誓いの場もいよいよ終幕に差し掛かる。
(やっと終わる・・・)
キースの手が、リエラの顔を覆うベールを取り払う。
壊れ物を扱うかのように、丁寧でゆっくりとした手つきだった。
その手がリエラの頬に触れ、もう片方の手も彼女の輪郭を柔らかく包み込む。
キースに触れられる間、リエラはずっと目を伏せたままだった。艶を帯びた睫毛が上がることはなく、その青い瞳はキースを映さない。
悲しげな彼の表情など、知る由もない。
「・・・リエラ」
返事はなかった。
彼女の態度は、如実に語っている。
『早く済ませてくれ』、と。
諦めたような無表情になった後、キースはリエラの顎を掴み、軽く上向かせた。
自分を見ない女に、彼は自分の顔を近づけていく。
二つの唇が一瞬だけ重なる。
いささか性急な口付けには、甘い余韻など微塵もなかった。
「ここに、婚姻の契約が成立しました!皆さん、お二人に大いなる祝福を!」
神父の声に呼応して、重なった機械的な拍手が参列客から送られる。
虚しく響くその音を聴きながら、リエラは目を伏せ続けていた。
結婚式の諸々は適当です
あと、サブタイトルをつけてみました。あまり深い意味はありません
いつも閲覧ありがとうございますm(_ _)m