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英雄譚―名も亡き墓標―  作者: アマネ・リィラ
欧州動乱編―選択―
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第九話 絶望の邂逅


 久し振りにその姿を見た時に生じた感情がどんなものなのか、正直自分でもわからなかった。

 寂寥か、憎悪か、悔恨か。

 それとも……安堵か。

 何一つ守れぬままに敗北したシベリア戦役。そこで失った部下が生きていたことに対し、自分はどんな感情を抱くべきなのか。

 英雄と呼ばれ、《赤獅子》とまで呼ばれながら。

 そんな風に考えてしまう自分は、やはりどうしようもなく〝足りない〟のだと……そう、思ってしまう。


「……生きていたのか」


 呟くようなその台詞は、責めるような口調になってしまった。だが、それでいいのかもしれない。ここに彼女がいるということは、きっとそういうことだろうから。

 自身がどんな表情をしているのか、自覚さえできない朱里。その言葉を受け、アリス・クラフトマンは真っ直ぐに朱里の瞳を見つめ返した。

 ――強い瞳。そこには若干の怯えがあるが、こちらから視線を離す素振りはない。軍部の人間でさえ目を合わせようとしない朱里の紅蓮に輝く瞳を、あのいつも俯いて人を避けてばかりだった少女が見つめ返す姿に朱里はほう、と胸の奥で呟きを漏らす。


 ……変わった。いや、変えられたのか。


 アリス・クラフトマンは本当に優秀な〝奏者〟であり、軍人だった。その性格があまりにも内向的で難があったが……作戦遂行能力については記録においても実際においても凄まじいものがある。何せ、統治軍というシベリア軍人が彼女以外ほとんど戦死した場所で二年も生き残ったのだ。その能力は推して知るべしだろう。

 朱里個人としてはあの《氷狼》以上の才覚を秘めていたと感じていた。《氷狼》は確かに強力な力を持つ英雄だが、アリスの力はそれとは別次元にあると感じられたのだ。

 そう、主にその精神性。死を真の意味で畏れぬ、その心。

 だからこそ、朱里は正面からアリスと向き合う。

 本来なら、無事を喜びたいところだが……きっと、立場がそれを許さない。

 自分も、アリスも。


「死んだと、そう聞かされていたが」

「……救われました。約束の相手に」

「そうか。……今の自分の立場に、満足はしているか?」

「私には、過ぎたる幸福です」


 声を僅かに震わせながら、それでもアリスは言い切った。その言葉を受け、朱里はそうか、ともう一度だけ呟く。

 自身が幸福である――そう口にできる人間は少ない。人は際限なき欲望を持つ生き物だ。故にどんな人間も現状を『幸福』と捉えず、まだまだ先があると思うし思いたくなってしまう。

 アリスはその出自故に幸福度のラインが低いのであろうとは思う。だが、それでも。


 ……俺は、どうなのだろうか。


 英雄と呼ばれ、教皇猊下の親衛隊総隊長の立場に就き、まだ若造でありながら大佐という地位まで預かっている自分。他人から見れば幸福なのだろうと思う。

 だが、現実は?

 ままならない世界に翻弄され、何一つ成し遂げることができず。

 何を――しているのか。


「今は、シベリアにいるのか?」

「はい。ヒスイも共に」

「ヒスイも?……そうか、生きていたのか。ドクターが戦死したと聞いていたから、ヒスイもと思っていたが。そうか、生きていたのか」


 苦笑を漏らす。存外、生きている者は多かったらしい。

 もっとも、死した者は大勢いるのだが……。


「中尉。……いや、アリスと呼ぶべきか。ここへ訪れたのは、リィラに会うためか?」

「……はい。お世話になったので、挨拶をと……」

「わかっていると思うが……お前は、ソラを殺したシベリア側の人間だ。それは理解しているのか? 恨まれているとは、考えなかったのか?」

「――覚悟は、してきました」


 震える拳を握り締め。

 しかし、アリスは凛とした口調で言い放った。


「覚悟は、あります。怖いけど、泣きたいけど……逃げたい、けれど。恨まれるために、私はここに来たんですから」

「……石を投げられるような結果になってもか?」

「それが、私の選んだ結末ならば」


 また、真っ直ぐな瞳。思わず、微笑が零れる。


「強くなった。強くなったな、アリス。本当に……強くなった」


 眩しいと、思わずそう感じてしまうほどに。

 この少女は、強くなった。

 初めて会った時は、まともに話をすることさえできなかったのに……。


「これを渡そう」

「え、あっ」


 不意に、朱里はアリスへと封筒を放り渡した。それを受け取ったアリスが、困惑の表情を浮かべる。


「そこにリィラたちがいる場所の住所が記されている。……真実はどうあれ、ソラはEUにおける反逆者だ。そのせいでリィラたちは隠れ住まなければならなくなった」

「…………」

「敗北者の末路などそんなものだ。誰かが勝利すれば、その裏側で誰かが死ぬ。……それだけの話に過ぎん」


 もう陽も落ち切り、空が闇に包まれる。闇夜を見上げながら、朱里は言葉を紡いだ。


「聞かせてくれないか、アリス。ソラの戦いを。俺の友は、どんな死に様だった?」


 はい、とアリスは頷く。


「――生き様を、語りましょう」


 その言葉に、朱里は一瞬驚き。

 初めて、微笑を浮かべた。



◇ ◇ ◇



 極東の島国、大日本帝国。

 謎多き世界最強国家の中心たる古都・京都。

 平時ならばどことなく古風な落ち着いた雰囲気をその空気に纏う土地だが……そこには、戦時のような空気が漂っていた。

 武装した兵士たちが次々と都入りを果たし、各地で守護を預かる猛者たちが集結する。

 かつて《吉原最後の女帝》が引き起こした叛乱――その時でさえ、これほどの軍勢が集まることはなかった。文字通りの総戦力。圧倒的な兵力が、着々と集結している。


「――それで、陛下。ここの留守はワシが預かればよろしいのかな?」


 京都の中心に存在する御所、その最奥。謁見の間とも呼ばれる場所に、そんな声が響き渡った。声の主は老人だ。しかし、御年八十八に迫ろうというその老人――大日本帝国《七神将》第六位、《帝国の盾》と異名をとる英傑、紫央千利(しおうせんり)からは衰えなど微塵も感じられない。

 ここは謁見の間。本来なら膝をつき、上座に座る帝へ首を垂れる場面なのだが、千利は適当に胡坐をかいて座布団の上に座っている。だが、それを注意する者はいない。

 そもそも、話を振られた帝自身が薄手の浴衣で脚を投げ出している状態だ。その姿からは威厳の欠片も感じられないが……それでも、彼女を見た者は無意識のうちに姿勢を正すだろう。

 全てを見透かすような瞳と、一見粗雑でありながら細かい動作に溢れる気品。ここにいるのは間違いなく、一国の王なのだ。


「んー、いえいえ。今回は千利も一緒に来てもらいますよー?」


 その帝は千利の言葉に対し、あはは、と笑いながら応じた。千利が、ほう、と言葉を漏らす。


「この老骨に、何をお望みかな?」

「それは勿論、戦ってもらうためです。ようやく、本当にようやく……準備が整いました」


 帝の言葉。それを聞き、千利が表情を変えた。笑みが消え、真剣な表情を浮かべる。


「準備が整った、というのは。もしや陛下」

「――ええ、そうです。私たちが、世界を救済します」


 世界の、救済。

 途方もなき、結末の想像さえできないその言葉。どんな人間が口にしようと――それこそ世界最大宗派『聖教』のトップたる教皇が口にしようと、理想と笑われるであろうその台詞。

 しかし、千利は知っている。

 ここにいる、齢十五、六程度の少女にしか見えないこの蒼い娘は、それを心の底から願っていることを。

 本気で、世界を救おうとしていると。


「……ようやくですな、陛下」


 ずっとその背を見てきたからこそ、千利は呟くようにそう言った。盟友たる藤堂玄十郎と共にこの細い少女を支えていた日々が懐かしい。


「よもや、わしらの生きておるうちにその始まりを見れるとは……思うておりませんでした」

「あなたにも玄十郎にも、本当に世話になりました。こんな小娘の言葉を信じ、よくぞここまで」

「全ては陛下の人柄とその英知あってこそ」


 千利は微笑を浮かべながらそんな言葉を紡ぎ、用意していた茶を啜る。

 世界の救済。若き頃に聞かされ、ずっと夢見てきた理想郷。

 それがようやく――手の届くところへ来た。


「――我が人生は、闘争に全てを注いだ人生でした。しかし、もうそれはワシらで十分。そうでしょう、陛下」

「ええ、無論です。……これより、十年は闘争の時代が続くでしょう。多くが死に、消え、失われた歴史のような地獄の日々が訪れることになる。けれど、その先に待つのは悠久の平和です」


 断言する帝。その容姿とは裏腹に、その台詞には有無を言わせぬ説得力が込められている。


 ……変わらぬ、か……。


 どれだけの血が流れようと、どれだけの悲劇が起きようと。信じた者が自らに弓引くことになろうと、この少女は変わらない。

 いつも笑って、不敵に過ごし。

 ただの一度も、弱音を吐くことはなかった。


「……ただ、一つだけよろしいですかな、陛下」

「はい? 何でしょう?」

「ワシらには、結局陛下の考えを理解することはできませんでした。しかし、今のあなたには奴がいる。……努々、無茶はなさらぬように。あなたの死は、全ての希望が墜ちるに同義なのですからな」


 通常、策というものは万一を想定して代わりを用意するものだ。しかし、帝が考える世界の救済において帝の代わりができる者は存在しない。

 用意しようとしても、不可能なのだ。故に、帝が崩御することはそのまま理想の終焉に繋がる。

 それを誰よりも理解しているからこそ、帝は千利の言葉にこくりと頷く。――その時。



「――帝の身は、俺が必ず守る」



 扉が開くと同時に、そんな言葉が響き渡った。姿を現したのは、齢二十にも満たぬ青年。しかし、身に纏う覇気は千利さえも圧倒する。

 大日本帝国《七神将》第一位、《武神》藤堂暁。

 事実上においても実質的にも、世界に並ぶ者なき無双の英雄だ。

 しかし、ここにいる二人は暁の気質を理解している。故に、固まることはない。


「あっ、アキちゃん。木枯の方は終わったのですか?」

「よう、大将。斬られなかったか?」

「木枯さんなら大丈夫です。むしろ、尋ねたら頭を下げられました。『見苦しいところをお見せした』と。今は一人にして欲しいのことです」

「……逆に恐ろしいなぁ、ソイツは」


 千利が渋い顔をする。神道木枯。暁が現れるまでは彼女こそが第一位の座に就くとされていた女傑だ。その恐ろしさは刀術――特に抜刀術においては暁さえも凌駕するという武勇ではなく、冷静さにある。

 どんな戦場であろうと一歩も退かず、その知力と武勇で立ち回る。その恐ろしさは、彼女と向かい合った敵が誰よりも理解しているだろう。

 そして今回、彼らが向かう予定のEUでは愛娘たる詩音が未だに行方不明だ。その心中は如何なる状態か、ここにいる三人でも背筋が冷える。


「――けれどまぁ、木枯が全開で打って出るというのであればこちらも好都合です。相手もこちらを相当侮っているようですし、そろそろこちらの『本気』というものを理解してもらいましょうか」


 立ち上がり、帝が笑う。それを受け、暁と千利もそれぞれ準備を整えた。

 向かうは、EU。そこで、世界の全てが変わる。


「これより始まる、有史以来最大の乱世。そこで流れる数多の血は、全て俺が受け止めよう」


 帝の横に並び立ち、『覇』の文字を誇るように暁が言う。

 その言葉を聞き、はい、と帝が頷いた。


「そしてあなたの――藤堂暁の自刃を、人類最後の流血とします」


 二人の、その言葉を聞き。

 千利は、ふう、と息を吐く。


「くれぐれも、年寄りよりも先に死んでくれぬようにな。大将」


 その言葉に、暁は頷いた。

 返事の言葉は、なかったが。



◇ ◇ ◇



 語った事実は、多くない。そもそも、あの人のことを自分は多く知らないのだ。

 それでも、朱里は真剣にアリスの言葉を聞いていた。彼にとっての親友が、絶望の戦場でどんな風に生き、戦い、そして笑っていたのか。


「……私に対する、統治軍の風当たりは相当強かったんです。当然ですよね。私は《裏切り者》――それこそ、同情の余地などなかったわけですし」


 加えて、こんな小娘が〝奏者〟の一人だ。無視されることなど当たり前だったし、酷い時には物理的な嫌がらせも受けた。

 暴力を振るわれなかっただけ、マシだったのかもしれない。

 彼らは、自分のことを『汚らわしい』と言って無視していたから……触れようとさえ、しなかったのだろう。


「第十三遊撃部隊でも、当初はそうでした。私を皆が無視して、でもそれは当然だと私も思って。――だけど、そんな私にリィラと隊長だけが言葉をかけてくれて」


 いきなり肩を叩かれ、リィラからはコーヒーを手渡されて。

 ソラからは、よろしく頼むと微笑まれた。


「それからは、戦いの日々です。いつ弾薬と食料が切れるかわからない、ギリギリの戦い。……私、大佐の部隊に組み込まれて初めて知りました。通常は作戦行動中、補給部隊が存在することを」

「…………」


 アリスの言葉に、朱里は絶句する。つまり、アリスたちの――ソラの部隊は、補給さえままならない状態で反抗勢力と戦い続けていたというのか。

 彼の親友が成してきたことに、朱里は感動さえ覚えた。しかし、同時に憤りも覚える。

 それほどの男を、どうしてこの国は殺してしまったのかと。


「それからは、大佐も見てきたと思います。隊長は、私たちの部隊にとっては希望でした。あの人の指揮下ならば、生き残れる――死ぬことを命じられた私たちにとって、それが何よりだったんです」

「そうか。……ソラは、最後はどうだったんだ? その場所に、お前もいたんだろう?」

「――隊長は、最後まで部下を守ろうと戦い抜きました」


 そして、アリスは語る。陸上型決戦兵器を扱い、〈毘沙門天〉と正面から戦ったこと。

 生き残った敵兵たち――ソフィアの意向により捕虜となり、その後に諸々の事情で解放された彼らによると、最後の突撃を彼はたった一人で行ったということ。

 そしてその果てに、散っていったということ。


「…………」


 その全てを聞き終え、朱里は天を見上げた。そして一言、そうか、と呟く。


「そうか」


 そしてもう一度、それだけを呟き。

 深く、深く瞼を閉じた。

 まるで、死者に祈りを捧げるように。


「…………」


 アリスも、目を閉じる。そして、数分の時が流れた後。


「――すまなかったな。イタリアに来たのは、何か理由があってのことだろう?」

「え、ええと、その……」

「話せないなら良い。お互いの立場もあるだろうからな。ただ、まだ滞在するのであれば咲夜を訪ねてやって欲しい。お前が死んだと聞き、随分と落ち込んでいた」

「は、はいっ。伺わせていただきます」

「ありがとう。……そうだ、これを渡しておこう。俺の住所だ。何かあったら訪ねてくれ。出来る範囲で協力しよう」


 そう言って、朱里が一枚の紙をアリスに手渡す。アリスは慌てながらもそれを受け取り、感謝の言葉を述べた。

 そんなアリスの様子に、朱里が微笑を浮かべた瞬間。



 ――目が、あった。

 見覚えのある、その男と。



 反射的に、改めて手に入れた二丁の銃を手に取った。

 相手も、背負っていた袋から刀を右手で取り出し、同時に左手で拳銃を抜く。

 地面を蹴り飛ばす音が、夕闇の中で響き渡った。



◇ ◇ ◇



「流石は千利です。薄々、感付いているようですね」

「……何がだ、みなも?」


 出陣のため、港に集結する大日本帝国の兵士たち。その様子を眺めながら帝が呟いた言葉に、暁が首を傾げた。帝は、いえいえ、と言葉を紡ぐ。


「流石に年の功ですねー、千利は。怖い怖い」

「大老がどうかしたのか?」

「ええ、まあ少し。おそらく勘なのでしょうけれど……どうやら気付いているようなんですよね。今回のシナリオに」

「…………」


 シナリオ――その言葉に、暁が眉をひそめた。彼はそのまま目を細め、帝に問う。


「……どうするつもりだ?」


 それは、暗に自分がどうすべきかを問うた言葉だった。真剣な声色。それに対し、帝はんー、と小さな唸り声を上げつつ、自身の人差し指でくるくると髪の毛を弄びながら言葉を紡ぐ。


「別にどうする必要もないでしょう。今更千利が裏切ることはないでしょうし……あるとしたら、『忠義のために謀反を起こす』ぐらいでしょうしねー。まあ、その時はアキちゃんにどうにかしてもらつもりですが……」

「それはわかっている。それは俺の役目だ」

「まあ、ありえませんよそんなことは。ここで裏切るようなら、ずっと昔に千利は私を裏切っていますしね」


 彼を含め、多くの人間にあらゆる意味での犠牲を強いてきた。耐えられないのならその時に裏切っているはずだし、それでいいと思っている。

 理想を追う上で、それぐらいの覚悟は決めているはずだから。


「だから、今は大丈夫ですよ。問題はむしろ、ここから先。これまでとは状況が一気に変わります」

「勢力図の大幅な変更と、この危うい均衡の完全破壊。世界はもう一度、長い乱世に突入する」

「そうです。しかしそれは必要な通過儀礼。最後の戦争、そして流血です」


 言い切り、帝は微笑む。どこか、儚げに。


「私はね、アキちゃん。昔から、どうしようもないほどに欲張りなんです」


 多くの死を見、そして何もできなかったからこそ。

 理想を、思い描けてしまうからこそ。

 欲深く――なってしまった。


「全てを救えればいいと思っていますし、たとえ敵でも救えるのであれば救いたい。そんな風に思います。……これを私が口にすると士気が下がってしまうので、言いませんが」

「だが、みなも。それは甘さであり、奢りだ。敵はこちらを殺しに来ている。こちらも殺す気でいかなければ、喰われるのはこちら側だ」

「わかっていますよ。だから私はこの手段を選びました。悠久の時を流離い、辿り着いた答え。――世界から戦争をなくすには、最早〝力〟しか答えがない」


 幾多の答えを模索し、あらゆる可能性を検証した。

 しかし――辿り着いたのは、そんな答え。

 人を信じぬ、そんな答えだけだった。

 ――だから。

 だからこそ、自分がやるのだ。

 全てを知り、何もかもを見てきた自分が――この役目には相応しい。


「戯言でもいいですし、甘い考えでも構いません。それでも私は決めたのです。全てを背負い、死を背負い。それでも尚、と。だから、アキちゃん。最後まで……ついて来て、くれますか?」

「――当たり前だ」


 帝の頭を軽く叩き、暁は即座に答えを返す。


「約束をした。誓いを立てた。それを違えるつもりはない。……だからな、みなも。最後は一緒に――死んでくれるか?」

「ええ。それは勿論。アキちゃんこそ、ちゃんと私を殺してください」


 それは、二人だけの約束。

 世界を変える二人が交わした、二人を繋ぐ優しい絆。

 それを確認し、微笑を浮かべる帝。その帝に、だから、と暁が言った。


「これから先は、わざわざ俺にその話をする必要はない。俺は頭は良くないから、みなもが見据えている未来はわからないが……それでも、お前が目指す未来の終着点はわかっているつもりだ」


 だから、と暁は微笑んだ。


「お前は間違っていないと、俺が保証する。だからそんな風に、自分を確かめるような言葉を吐くな。俺の前なら良いが、他の奴らに聞かれると士気に関わる」

「…………アキちゃんって、女心がわかってないですよねー」


 そんな暁の言葉に、ボソリと帝は小さく呟く。

 そうしてから、その手を天へと伸ばした。

 そして、一言。

 ――その通りです、と小さく呟き。

 青い少女は、微笑んだ。


「さあ――世界を変えに参りましょう」



◇ ◇ ◇



 刀に手をかけたのは、ほとんど反射的な行動だ。しかし、これが間違いだったとは思っていない。眼前、紅蓮の英雄は間違いなくこちらを殺しに来ているのだ。

 刹那の時間、加速する思考。以前、天音から聞いたことがある。『走馬灯』とも呼ばれるこの現象を。

 人の脳は本来の能力を十全に生かせれば、ほとんど不可能なことなど存在しないくらいのパフォーマンスを発揮する。しかし、それを肉体が耐えられないために普段はリミッターがかかり、一説では数%しかその能力を発揮していないのだそうだ。

 だが――極稀に、『何か』のリミッターが外れることがある。

 今の護・アストラーデはその典型だった。知覚情報を処理することを脳が反射的に優先し、普段ならば『不要』として排除する視覚情報を全て取り込み、それによって時間が止まったような感覚を得ているのだ。それは前述した『走馬灯』の感覚に近い。

 そして本来なら、この状態に陥った人間は動くことができない。『身体を動かす』という能力さえ『情報処理』という能力へとられてしまっているからだ。


「――――ッ!!」


 だが、二人の動きには僅かな狂いさえなかった。おそらく、朱里・アスリエルさえも同じような状況に陥っているであろうにだ。

 ――しかし、これは当然であろう。

 互いに、無数の視線を駆け抜けてきた英雄だ。経験に差があるとはいえ、今更思考して戦うような境地にはない。

 眼前の敵を――殺す。

 その意志さえあれば、体が勝手に敵を殺しに挑みかかる。


 甲高い金属音が響いた。

 続いて銃声が響き渡り、鮮血が舞う。

 夜の闇に、紅の血飛沫が不気味に舞う。


 ザシャリッ、と二人分の靴が地面を掴む音が遅れて響く。


「テメェ……!」

「貴様……!」


 距離を取り、睨み合う二人。護の頬からは弾丸が霞めたために血が流れ出し、朱里の手の甲にも護による刀傷が付けられている。

 交わす言葉はない。今の二人にあるのは、互いが敵だという認識のみ。

 片や、故郷を焼かれ――大切な少女と離れ離れとなる結果を味わわされた男。

 片や、敗戦を味わわされ――親友をその手で殺された男。

 不幸ともいえるのは、互いが互いの顔を一人の男の策略の結果として知っていたこと。故に、出会ったならば殺し合うしかない。


 再び――銃声が響き渡る。


 朱里は両手に構えた二丁の拳銃の引き金を引き、護は刀を右手で背負うように構え、左手で牽制するように拳銃の引き金を引く。

 滑るようにして地面を駆け抜け、朱里へ接敵しようとする護。対し、朱里はそれをさせまいと横へ飛びながら引き金を引く。

 朱里の放つ破格の弾丸の威力のためか、護の足下にある石造りの道路が抉れる。礫が舞い、護の体を打ちつけるが――餓狼が止まることはない。


「護さん!! 大佐!!」


 アリスの声が響き渡った。しかし、二人の耳には届いていない。

 ガツン、という鈍い音が響いた。護が左手に持った拳銃を朱里に投げつけ、それを朱里が打ち払った音だ。

 流石に朱里も予想外だったのか、僅かな隙が生まれる。そこへ、護が全力で刀を振り下ろした。


 ――金属音。

 全身のバネと総身の膂力を込めて振り下ろされた一撃は、しかし、朱里が交錯させた二丁の銃によって受け止められた。

 耳障りな音を立て、軋む二人の得物。


「テメェ……!!」


 その言葉を発したのは、どちらだったのか。その台詞が終わると同時に、ほとんど同時に二人の全力の蹴りが放たれた。

 互いの腹部にそれぞれの一撃が突き刺さり、たまらず後方へと弾かれる。地面を削るように後退し、動きを止めた二人は未だ闘志の衰えぬ瞳で睨み合う。


「成程、な。テメェもこっち側に来たってことか……! 青臭ェ野郎だと思ってたが、結局、結局だ。どうしようもなく、まともじゃいられねェ……!」

「はっ……! 俺は何も変わっちゃいねぇよ……! 変わるわけがねぇ……! 俺が戦う理由は、ずっと変わらねぇんだよ……!」


 全ては、たった一つの約束が始まりで。

 進み続けるため。歩みを止めないために戦ってきた。

 立ち止まれば、全てが終わると思っていたから。

 ――そしてそれは、今も変わらない。


「まだ、何も終わっちゃいねぇんだよ……! テメェは俺たちから全てを奪った……! あの日、あの時! 俺たちはテメェに全てを壊された!!」

「それはこっちの台詞だよ餓狼……! テメェさえいなければ、アイツが死ぬこともなかった……! 俺たちは! ずっと笑っていられたんだよ!!」


 交わらぬ、二人の言葉。アリスの制止の言葉さえ、今の二人には届かない。

 再び、踏み込もうとする二人。しかし、その二人の間へ一つの人影が割って入った。



「――双方、そこまで」



 現れたのは、キセルから紫煙をくゆらせるアルビナだった。二人はその姿を認めると同時に動きを止め、地面を削るような音が響く。


「気持ちなんて知らないし、興味もない。けどね、一度頭を冷やしな。お互いの立場とこの場所、それを全て改めて検証するんだ。その上で戦うってんなら、止めはしないけどね」


 その言葉に、二人はそれぞれ動きを止める。アルビナを睨み、それからそれぞれを睨み付け……武器を、収めた。


「……ちっ」


 護は舌打ちと共に刀を鞘に納め、布にくるむ。投げつけた銃は、いつの間にかアリスの側に来ていたヒスイが回収しているようだった。

 朱里は銃をしまうと、護を一瞥。そのまま、鋭い視線をアルビナに向けた。


「貴様は、情報屋か」

「ただの旅人だよ、アタシはね。……元気そうで何よりだよ、大佐殿」

「黙れ。貴様、シベリアと繋がっていたのか?」

「アタシはどことも繋がってなんかいない。アタシの手助けが欲しいという依頼主がいて、気が向いたなら手を貸す――それだけ。払うものを払ってくれるのなら、大佐殿にも協力するよ?」

「……食えん女だ」

「そこで感情のままに断らないところが、アンタの優秀なところさね。……さて、大佐殿。少々場所を移したいんだけど、構わないかい?」


 チラリと護の方へ視線を送りながらのアルビナの言葉。護は憮然とした調子で返答はしない。朱里が眉をひそめた。


「この場から早く立ち去ったほうがいいことはわかるが……話でもあるのか? 正直なことを言えば、俺が個人でそこの餓狼に関わるのは避けたいのだが」

「……こっちだって同じだよ」


 吐き捨てるように護は言う。だが、個人的な感情とは別に朱里はここで護と繋がりを持つのは少々まずいのだ。

 護たちがここへ来ているのは非公式のことだ。そしてEUはシベリア連邦に対して決して良い感情を持っていない。ここで下手に関わりを持つと、面倒を抱えることになりかねない。

 それに、護たちは知らないが朱里は今『神道絶』という爆弾を抱えている状態である。《女帝》という大日本帝国と繋がりを持つシベリアに近付くことは、リスクが大き過ぎるのだ。

 その辺りを雰囲気で察したのであろう。アルビナは、笑みを浮かべて言葉を紡いだ。


「リスクは互いに大きい。それは間違いないよ。けれど、大佐殿。間違いなく利益にはなる。それは保障するよ」

「利益? どんな利益だ?」

「じゃあ大佐、聞かせて欲しいんだけど……」


 アルビナは、護たちにもよく聞こえるような声で言葉を紡いだ。


「――大日本帝国がEUで事を起こそうとしていることは、ご存知かい?」


 驚愕の空気が、周囲に満ちる。アルビナは意味ありげに虚空をぐるりと見回すと、笑みを浮かべて言葉を紡いだ。


「色々とややこしいことになってるのさ、本当に色々とね。ここらで一つ、情報交換といこうさね」



◇ ◇ ◇



 男は、慌てて無線を取り出した。監視対象――朱里・アスリエルを遠目から監視し続けるだけの任務だったはずが、とんでもないものに出くわした。

 シベリアの英雄、《氷狼》。

 そして、あの女――情報屋と朱里が呼んだ女は、何と言った?


「おい、俺は本部に連絡する! お前は朱里・アスリエルの監視を続けろ!」


 声をひそめ、男は後ろにいるパートナーヘそう指示を飛ばす。だが、返事がない。


「……? おい、どうし――」


 男が振り返った、その瞬間。

 男の動きが、止まった。


「男っていうのは、刺したことがあっても刺されたことがないような生物ばっかり。……あら、どうしたの? そんなに気持ち良かった?」


 男の視界には、血溜りを作って絶命しているパートナーの姿。しかし、男は動けない。

 後ろから突き込まれた小太刀のせいで、声を上げることさえままならない。


「はい、さようなら。……彼を見張ってた人間はとりあえず全員消したから……これで、《赤獅子》も天音の娘に関わってくるハズ」


 小太刀の血を拭い、笑みを浮かべながら絶は呟く。そう、邪魔はさせない。ようやく面白くなってきたのだ。ここで下手なことをされて祭が終わるのは避けたい。

 大日本帝国の本気に、EU中のマフィアの本気。今日調べたところによると――マフィアのアジトをいくつか襲撃した――各国の首脳、それこそ教皇まで動いているという。

 祭だ。真の意味でのお祭だ。そしてそこに《赤獅子》だけではなく、あの《氷狼》までもが加わった。


「噂に聞く、天音姉様の後継者……盤面において、それがどういう意味を持つのか。嗚呼、楽しみ。本当に本当に本当に楽しみだわぁ……。それに、『彼』もここに来ているようだし……」


 街で見かけた、もう一度会うと決めていた相手。『殺す』という言葉しか知らない自分が、たった一つだけ抱く『約束』の相手。


「……ねぇ、(かなで)


 血に塗れた自身の手で、胸元をそっと撫でる。


「やっと、やっとよ。やっと約束が果たせる。あの男を――あなたを殺したあの男を、ようやく殺せるわ」


 冷笑が、夜風に乗る。

 街に、殺気が満ちていくのを……感じた。



◇ ◇ ◇



 アルビナが案内したのは、裏通りの酒場だった。朱里はその特徴的な紅蓮の髪を隠すためにフードを被り、シベリア人であるアリスも帽子を被っている。護はそのままだが、アルビナの言うように大日本帝国の人間がこの国に入ってきているのであれば大丈夫であろうという判断からだ。ちなみにヒスイは素のままである。

 アルビナと酒場のマスターは知り合いらしく、目配せだけで奥の席へと案内してもらえた。五人が席に着くと、朱里が憮然とした調子で言葉を紡ぐ。


「……あまり行儀が良さそうな店ではないな」

「シチリアの裏通りよりは遥かにマシさね。それに、こういう話は表通りの店でやるもんじゃない。いざとなれば金でどうにかできる場所の方がいいさね」

「……まあ、そうだが」


 周囲で騒がしく酒を飲んでいる者たちへ視線を送りつつ、朱里は頷く。そこでそんな二人のやり取りを黙って聞いていた護が、なぁ、と言葉を紡いだ。


「さっさと本題に入ろうぜ。そりゃ、コイツと手ェ組んだ方がいいのも理解できるし、あの場所で戦い続けんのが下策だってのもわかる。けどな、俺は納得できねぇ。顔つき合わせて酒を飲むなんて――感情が納得できねぇんだよ」


 護の身体から、殺気が迸る。ふん、と朱里が鼻を鳴らした。


「それはこちらの台詞だ。今すぐこの場で殺し合うか、餓狼。貴様には友を殺された恨みがある。殺す理由としては十全だ」

「こっちはテメェのせいで故郷を滅ぼされて、そのせいでアリスとも離れ離れにされた。親父も、お袋も。テメェらのせいで殺されたんだよ」


 睨み合う二人と、それを不安げに見るアリス。ヒスイは相変わらずの無表情でそんな光景を見つめているだけだ。

 一触即発の空気。温度が下がっているのではないか、とまで感じるその空気の中。


「――だから、止めなと言ったはずだよ」


 言葉と共に、二人の間に深々とフォークが突き刺さった。見れば、用意された酒を煽りながらアルビナが何かを投げ終えた後のようなポーズをしている。今のフォークは、アルビナが投げたらしい。


「別に喧嘩するなとは言わないけど、お互いが背負ってるものをちゃんと認識したらどうだい? 互いに一国の英雄。アンタたちの喧嘩は、そのまま両国の戦争に繋がるよ?」

「…………ちっ」

「……了解した。それで、有益になる情報というのは?」

「そう怖い顔をするもんじゃないよ、大佐殿。酒でも飲んだらどうさね?」


 マスターに二杯目の酒を注文しながら、アルビナが微笑む。そして酒が運ばれてきたのを確認してから、さて、とアルビナが言葉を紡いだ。


「これはアタシ以外、シベリアで知ってる奴はいない情報だよ。それどころかEUの人間でも大半は知らないことだ。――神道詩音が、誘拐された」

「えっ――」


 アルビナの言葉に、ガタリと音を立ててアリスが反応を示した。その表情は驚愕に包まれている。


「……アリス?」

「どうしたんだい?」


 ヒスイとアルビナが疑問の声を上げる。アリスはいえ、と慌てたように首を左右に振ると、改めて座り直した。

 それをアルビナは首を傾げて見ていたが、まあいい、と呟くと言葉を紡ぎ始める。


「神道、っていうのは大日本帝国の名家――『御三家』の一つ。家柄でいうなら、藤堂家の次席……まあ、二番目の貴族みたいなもんだね。ついでに言うと、神道家っていうのは大日本帝国における武の象徴。その歴史において《七神将》から名前が消えたことはなく……記録によると、同時に三人が名を連ねていたこともあるそうさね」

「……神道詩音、っていうのはそこの……娘か何かか?」

「ご明察だね、英雄。アンタが殺し合いをした《剣聖》の娘だよ。《抜刀将軍》って言った方がわかり易いかもしれないけどね」

「……《抜刀将軍》の娘? ということはまさか、《鬼神》の……?」

「大佐殿は流石に知ってるか。そう、神道詩音っていうのは《剣聖》と《鬼神》の娘だよ。――事態がどれだけ深刻か、わかっただろう?」


 朱里の言葉に、声のトーンを落としてアルビナが言う。朱里は流石に苦い表情を浮かべ、護も状況を察したのか渋い顔をした。ただ、アリスやは戸惑っていただけだったが。……ちなみにヒスイは無言でミルクを飲んでいる。

 それに気付いたのか、アルビナが苦笑を漏らしてアリスの方を向く。


「ああ、お嬢ちゃんには説明が必要だったねぇ。《剣聖》神道木枯。コイツは知ってるだろう?」

「は、はい。護さんと戦った人……ですよね?」

「そうさ。実質上、《七神将》の要でもある大物だよ。単純な戦闘能力なら《武神》の方が上だけど、アレは人をまとめるということをしないからね。その役目は主に《剣聖》が負ってるみたいだよ。そして《鬼神》っていうのはその夫。神道虎徹、っていうこっちも中々の曲者だね。『真選組』っていう、大日本帝国の警察機関を束ねる人物で……大戦でも多くの武勇を残した『極道』だよ」

「ごく……どう……?」

「そこは気にしなくていいよ。お嬢ちゃんが今の立場で生きていけるなら、関わることはない相手だ。まあともかく、中華帝国での戦いで単騎で戦線を破壊した大馬鹿野郎ってことだけを知っていればいいさね」

「は、はぁ……」


 アリスが戸惑いの声を上げるが、アルビナは気にした様子もない。言葉を紡いでいく。


「さて、前置きはここまで。本題だ。――大日本帝国が、それこそEUを滅ぼすつもりで神道詩音を取り返しに来てる」

「……何だと?」


 声を上げたのは、朱里だった。アルビナは頷き、真剣な表情で言葉を続ける。


「伊達でも酔狂でもない。奴らは本気さね。……大佐殿は、聞いていないのかい?」

「ここ数日は国を出ていた。今から報告に向かう予定だったから、その時に聞いていたかもしれんが……」

「まあ、大きな動きがあったのはここ数日だから……仕方ないのかもしれないけどね。どちらにせよ、気を付けた方がいいよ。アタシの知る限りでは、EU中のマフィア連中と、ほとんどの国が秘密裏に協力してる」

「……国家とマフィアが手を組むのか?」

「利害の一致、ってやつだろうね。別に手を繋いで仲良くってわけじゃないよ。互いが互いに別々の行動で捜索してる、ってとこだろうね」


 ふむ、と朱里が考え込む。アルビナは、これがアタシの言う利益さ、と言葉を紡いだ。


「この情報をそっちに渡す。悪くないだろう?」

「……確かにな。しかし、大日本帝国か……現在の状況は?」

「さて、そこまでは。アタシたちも到着したばかりだからね。そこまで詳しくは知らないよ」

「……俺たちの任務は、その辺の調査ってのことになんのか?」


 肩を竦めたアルビナにそう問いを発したのは護だった。アルビナが、そうだね、と頷く。


「時間がどれだけあるかはわからないけど、その背後関係の調査が任務になるだろうね」

「……密偵が殺られてる以上、慎重にやる必要があるな」

「密偵?」

「ああ。うちから派遣されてる密偵が殺された。下手人は不明。……情報交換の場だ。これぐらいの情報は教えてやる」

「……場所は?」

「ここからそう遠くない、裏路地だ。数は複数。死体は野ざらしになってたぞ」

「野晒し?……それは、軍や警邏の行動ではないな」

「妙だとは思ってる。心当たりはあるか?」

「……ないな。あるとすれば、その神道詩音を誘拐した人間の仕業と考えるのが妥当だろう」

「…………」


 朱里のその言葉を聞き、護は押し黙る。話すべきことは全て話した――そんな雰囲気だ。必要以上に慣れ合うつもりはない、という意思表示が見て取れる。

 朱里もそれは同様なようで、それ以上は何も追求することはなかった。そんな二人を交互に見ながら、アリスは所在なさげに身を縮めている。


「こっちからは以上さね。大佐殿、アンタの役には立ったんじゃないかい?」

「……ああ。確かにな。だが、お前たちと関わると俺の立場が危なくなる。俺一人ならともかく、俺には守らなければならない相手がいるんだ。《氷狼》、ここから先は俺に関わるな」

「……言われなくても」

「ならいい。礼だ。俺もお前たちに一つだけ情報を渡そう」


 立ち上がり、いくらかの金貨を朱里が机の上に置く。そして、護たちに背を向けて言葉を紡いだ。


「――先日、俺が指揮していた輸送艦が襲撃された。その艦は海賊船で、その一室で俺は一通の書状を見つけた」

「……あんまり、いい予感がしないねぇ」


 苦笑と共に、アルビナがそんなことを呟く。朱里は、結論を告げた。


「イギリス王室の印が入った、私掠船免状だった」


 アルビナが目を見開き、朱里は最後に、と振り返りながら言葉を紡いだ。


「アリス。咲夜のところに見舞いに来てやって欲しい。……きっと、喜ぶ」

「は、はい。必ずお伺いさせてもらいます」

「……ありがとう」


 微笑を浮かべた後、朱里が立ち去って行く。護が、首を傾げた。


「……咲夜?」

「大佐殿の妹だよ。病気で入院してる。さっき大佐殿が言ってた、『守らなければならない相手』っていうのはその妹のことだね」

「私もお会いしたことがあります。とてもいい人でしたよ?」

「……いいのか、そんなこと俺に伝えて?」

「酒の席の情報は、その場で忘れるのがマナーさね。それを覚えているかどうかは個人の理由。ただ、付け加えるなら……大佐殿はね、アンタと一緒なんだよ」


 酒の瓶を傾け、チラリとアリスの方へ視線を向けながら……アルビナは言う。


「守りたい相手がいて、国のことなんて二の次なのさ。だから死ねないし、死ななかった。ほとんど人質も同然の妹を守るために、今も戦ってる」

「…………そうかよ」

「別にそれでどうこう思う必要はないさね。誰にだって理由はある。それだけの話さ。……さて、出ようか。坊やも限界みたいだしね」

「あん?」


 アルビナの言葉に眉をひそめながら、護は自身の隣――ヒスイの方を見る。

 そこでは。


「……すー……すー……」


 いつの間にか眠っている、ヒスイの姿があった。それには、流石の護も苦笑する。


「寝てやがる。……しゃーねぇ。俺が背負ってくよ」

「えっと、それでは宿に……?」

「明日からは色々とすることが増える。今日はゆっくり休もう」


 微笑を浮かべ、ヒスイを背負い上げる護。寝息を立てるヒスイの頭を、アリスが微笑を浮かべて優しく撫でる。

 そんな、温かな風景を見守りながら。

 だからこそ、とアルビナは呟いた。


「……親子ってのは、敵に回すと恐ろしい」


 誰にも聞こえないような、小さな声で。

 静かに、どこか……寂しげに。



◇ ◇ ◇



 ヴァチカン市国、宮殿内部。

 聖教イタリア宗主国のトップであり、世界最大宗派たる『聖教』のトップたる教皇。彼の付き人さえ入れない彼だけの部屋に、二つの人影があった。

 片方は、この部屋の主である教皇。御年七十を超えるという老人だが、その精悍な顔つきは威厳に満ち、衰えは見られない。

 対し、もう片方は随分と若い青年だ。まだ齢二十にも満たないであろう青年は、しかし、教皇の前だというのに物怖じした様子がない。


「……気付かれた、とは?」


 黒髪短髪。大日本帝国の人間であると一目でわかるその青年は、窓を背にしながらそんな言葉を紡ぐ。対し、うむ、と椅子に腰かけながら教皇が言葉を紡いだ。


「我が国の英雄――《赤獅子》が、こんなものを届けに来た。火急の要件としてな」

「……私掠船免状、ですか」


 差し出されたものを受け取り、青年がそんなことを呟く。教皇が、うむ、と頷いた。


「こちらとしては、イギリスと事を構えるつもりはない。信じる教えが違うとはいえ、奉ずる神は同じ。できれば争いたくはないのだが」

「それでよろしいのですか? 歴史上、あなたがた旧派とイギリスの改派は幾度となく争ってきたのでしょう?」

「本音としては、奴らに改めて我らの教えを広めたいところだが……それをすれば、貴国は黙っていないだろう?」

「それは勿論。精霊王国イギリスは我々の盟友ですし、同時に……彼の国の第三王女は自分の許嫁でもありますので。貴国がイギリスと戦争を行うというのであれば、少なくとも自分は参戦します」


 青年が微笑を浮かべる。〈アロンダイト〉という約束の剣の名を持つ神将騎の担い手の言葉に、教皇はふう、と息を吐いた。

 眼前にいる青年は、まだ二十にも満たない若造だ。しかし、彼の国において年齢など何の意味も持たない。

 優秀であるなら、元服する前であっても要職に取り立てる。かの《武神》や《神速刃》が有名だろう。共に十かそこらの年齢で《七神将》入りをした英傑であり、その異名は世界に轟いている。

 今目の前にいる青年もまた、政治の世界において畏れられる人物だ。


「イギリスが実に羨ましい。是非、我らも貴国と同盟を結びたいものだ」

「そのためには、詩音様を見つけ出して頂くことが最低条件です。場合によっては、芳しくないというガリア連合との戦争に我らも参戦いたしましょう」

「それは頼もしい。本日戻った朱里・アスリエルを中心に、軍部も動かしている。時間はかからないはずだ」

「それなら良いのですが。……ただ、その朱里・アスリエルは気になりますね。私掠船免状――イギリスの立場が悪くなるのは、自分としては避けたいところです」


 青年が私掠船免状に視線を落としながらそう言葉を紡ぐ。ふむ、と教皇が顎に手を当てて言葉を紡いだ。


「それは貴国の総意として受け取っても?」

「今は詩音様の救出に傾いておりますので、現時点では個人的な意見です。ただ、詩音様の救出が終わったならば……このことに焦点が当たる可能性はあります。無論、表向きにはできない内容ではありますが」

「成程」

「それで、朱里・アスリエル殿は……《赤獅子》殿は口の固さは?」

「信頼できる。外部に異端審問の話を漏らすことさえしていないようだからな。本人によると『非常にデリケートな問題となることが予測されるため誰にも漏らしていません』とのことだ」

「優秀ですね」

「うむ、いつも助けられている」


 青年の称賛に、満足げに頷く教皇。青年は、ふむ、と顎に手を当てて考え込み始めた。その表情は真剣そのもので、教皇も黙って見守っている。

 そうして、しばらく考え込んだ後。


「…………何も見なかった、というのはどうでしょう?」


 その提案を、口にした。教皇は、射抜くような視線を青年に向ける。


「見返りは?」

「口添え、というのは如何でしょう?」

「……ふむ」


 一度頷き、考え込む教皇。そのままもう一度ふむ、と頷くと、教皇は顔を上げて青年を見据えた。


「……異端審問を、行おう。私としても我が国の英雄を疑うことはしたくないが……いや、真にあの者が英雄であるならば、身の潔白は神の手によって証明されようぞ」


 うむ、ともう一度頷く教皇。異端審問――その言葉の意味を知る青年は、ふふっ、と微笑を浮かべた。


「神様の裁定ですか。それはどうしようもなく――平等ですね」

「うむ、如何かな?」

「そのように帝と《七神将》のお歴々には伝えましょう。……それでは、またお邪魔させていただきます」

「うむ。さらばだ。――蒼雅隼騎殿」

「はい。それでは、陛下。ごきげんよう」


 窓に手をかけ、そのまま飛び降りる隼騎。音も立てずに屋根に着地し、素早く移動しながら、隼騎は笑みを浮かべた。


「……ようやくだ。ようやく、ここまで来れた」


 重要人物の一人たる隼騎は、今回の作戦についても知らされている。詩音の救出はもう決定事項だ。問題は、その後にある。

 このまま予定通り進めば、最大の障壁は各国の英雄たちだった。――しかし。

 最も厄介な一人と言われていた《赤獅子》は、自国の王によって殺されるシナリオが出来上がった。


「ガリア連合が滅び、EUが滅びる。……先生も戻ってくる。もう、障害は存在しない」


 微笑む、青年。

 状況は、確実に進行していく。

 坂を転がり落ちるように。

 偽りの平穏が、終わりを告げようとしていた――……

というわけで、死亡フラグが立った朱里さんです。

彼を平然と切り捨てようとする教皇に、EUの腐敗がもう限界だという部分を感じ取っていただければ幸いです。


というわけで、状況整理。朱里と護、アリスにヒスイにアルビナ。詩音を中心としたこの事件に、遂に彼らも本格的に参戦。

次回から、物語は一気に第二部のクライマックスへと突き進んでいくことになると思います。


第二部が終わると、最終章です。お付き合いいただけると幸いです。

感想、ご意見お待ちしております。


ありがとうございました!!



……久々に二万文字近い。

うーん、やっぱり本来これくらいになりますねー……。

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