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英雄譚―名も亡き墓標―  作者: アマネ・リィラ
シベリア動乱編―約束―
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第三十四話 歩んできた道、歩んでいく道


 ウィリアム・ロバートがソラ・ヤナギの手によって暗殺されてから二週間。統治軍総督であるウィリアムの死は隠蔽され、その間、ソラが指揮を執っていた。

 無論、通常ならそこで問題がいくつも発生する。しかし、予めウィリアムたちが手配していた『流れ』により、一つの問題も発生しなかった。

 ――EUとしての意地を見せる。

 合衆国アメリカより視察団が到着する旨が決定した際、ウィリアムへと下っていたその指示は、ソラが受け継ぐことになった。その方法は酷く破滅的で……同時に、あまりにも悲しい方法ではあったのだが。

 各地に駐留していた統治軍は、その大部分が撤退を完了。テュール川を突破された上に、西側からも《氷狼》を筆頭とした軍隊が首都へと進撃してきたことで、統治軍は最早叛乱軍を止めることができないとソラは判断したのだ。

 それもあってか、叛乱軍の勢いを止める術はなく……視察団の到着に合わせ、統治軍は首都に駐留する僅か五千の兵を残して全てが撤退した。無論、解放軍によって潰された基地や拠点も多くあるが……それはまた、別の話である。


「隊長殿。……いや、少佐殿とお呼びすべきかな?」

「……ドクター」


 全ての準備を終え、後はただ戦うだけとなった状態。ドクターが用意した、『最後の兵器』の中で二人は言葉を交わし合っていた。


「どちらでもいいですよ、別に」


 言って、ソラは咥えた煙草へと火を点ける。ドクターが肩を揺らした。


「一応、この中は禁煙のはずなんだがねぇ?」

「どうせぶっ壊れるんです。気にしたって仕方ないでしょ?」

「ふむ。道理だ」


 ドクターが頷き、仮面を外す。そのまま彼も煙草を咥えると、ソラから投げ渡されたライターで火を点けた。

 共に視線は首都モスクワの外――叛乱軍の陣を見ている。といっても見えるのはその全体像だけで、細かい部分は見えない。

 ただ、二人はそちらを見ている。

 視線を合わさず、片方は冷たく、片方は愉悦を孕んだ瞳で。

 ただぼんやりと、自分たちの敵である存在を眺めている。


「……つーか、あんたまだ逃げてなかったんですか?」

「なに、色々と立て込んでいただけだよ。少々怖い世界の警察に部下を皆殺しにされたが……まあ、想定の範囲内だ。幸い、データは無事だったわけだからねぇ」

「よくわかりませんが……、大変そうですねー」

「キミほどではないよ。死ぬことを義務付けられたキミほどでは、ね」

「……義務、か」


 ふう、と小さく紫煙を吐き出し、ソラは呟いた。そのまま、酷くどうでも良さそうな口調で言葉を続ける。


「なぁ、ドクター。……〝誇り〟って、そんなに大事なんですかねー?」

「大事なのだろうさ。私やキミのような人間には欠片も理解できないことだがね」

「ねぇ、ホント。くだらないとしか思えません。どいつもこいつも、本当に……」

「だがまぁ、どこぞの島国では誇りを失えば生き恥を晒すとして『切腹』などという行為を行うようだ」

「ハラキリですか。ホント、命が軽い」

「今更だよ。人の命は確かに尊いのだろうし、重いのだろう。だが、時にはそれを凌駕するほどに重いものが現れる。……ただ、それだけのことだよ」

「俺の命の価値は、どれぐらいでしょうか?」

「EUの誇りよりは軽いのだろうねぇ。教皇猊下も冷たいものだ。自分の命を救った者をむざむざ死なせるとは。あの類の人間は自身が救われて当然だとでも思っているのだろうねぇ」

「それもあるでしょうけど、そもそも俺は『救った』なんて思っていませんよ。……くだらない」


 吐き捨てるように言う。そうだ。あの時、救えたものなどない。

 教皇を救えたことも、他の要人を救えたことも……その全てが、あの日死んでいった――死なせてしまった人たちの功績だ。

 ここにいる男は何もできなくて。

 だからこそ――こんな風になってしまったのだから。


「…………」


 沈黙が流れる。しばらく、互いに無言の時が過ぎ――不意に、思い出したようにソラが言った。


「――そういえば、ドクター。ヒスイですが、連れて行かなくてよろしいんで?」

「使ってやってくれると嬉しいよ。……ヒスイはアリス・クラフトマン中尉に随分と懐いていた。その理由は最後までわからなかったが――まあ、ヒスイがここに残ろうとしているのもそういう理由だろう」

「いいんですか? ヒスイはドクターの『成果』でしょう?」

「だが、所有物というわけでもない。ヒスイにはヒスイの意志がある。尊重してやりたいと思うのは『親心』だよ」

「あんたが親心とか、似合いませんねー」

「くっく……、自覚しているよ」


 二人の間に、笑みが零れる。しばらく笑い合い、そして。

 ソラが、大きく背伸びをした。


「それじゃあ、俺も柄じゃないことを一つ」


 言って、ソラはドクターと視線を合わせた。そのまま、ゆっくりと頭を下げる。


「――お世話になりました」


 そして、顔を上げ、もう二度とドクターと視線を合わせることなくソラはその場を立ち去っていく。その姿が消えた後、ドクターは小さく呟いた。


「……私から秘密を聞きながら、しかし、そんなことは一言さえ口にしないとは」


 くっく、とドクターは笑みを零す。


「勿体ない話だねぇ、彼が退場するのは。……まあ、候補は他にもいる。とりあえず私も退場しなければならない身だ。くっく……、精々、悔いのない最期を送ってくれたまえよ?」


 そして、ドクターが踵を返す。

 最後の戦いの時が、迫っていた。



◇ ◇ ◇



 首都モスクワに設置された総督府。その正面に、五千の兵たちが集結していた。

 その全員が、この後に起こる勝利なき戦いのための犠牲者だ。祖国の、EUの――〝誇り〟などというものを守るために戦うことを決めた者たちだ。


 ――守るもののため、か。


 自身の部下となる五千の兵たちを眺め、ソラは内心で小さく呟いた。ここにいる彼らは、ソラと同じような契約を祖国と交わしている。

 曰く、『家族の今後の保証』だ。

 金銭的、社会的な保障。ソラが受けるそれほど破格なものではないが、ここにいる彼らは命で家族の未来を『買った』のだ。


 ――視察団が到着すれば統治軍は解体され、同時にEUは多くの非難を浴びることになる。それはもう、避けられない運命だ。戦勝国であるとはいえ、EUはやり過ぎたのだ。

 しかし、本来ならそんなことは暗黙のうちに容認されているべきもので、実際にアメリカや中華帝国、大日本帝国も今まで一切口出しをしてこなかった。

 それがいきなりの視察団だ。機能しているとは言い難いが、世界には『国際連盟』というものも存在する。その上、大日本帝国と並んで大戦では大きな戦果を挙げた合衆国アメリカの視察団ともなれば、断ることはできない。

 しかし、ただ黙って受け入れることも不可能だ。

 おそらく賠償金という形で、新たに立ちあげられるシベリア連邦へと多額の資金を支払うことになる。しかし、EUは決して経済状態がいいとは言い切れない状態だ。特にドイツやイタリア、フランスなどはその歴史的な背景からも借金が多い。

 故に考え出されたのが――人身御供だ。

 原因の全てを、総督ウィリアム・ロバートへと押し付ける。同時に、彼を暗殺してクーデターを起こした者――即ち、ソラ・ヤナギという反逆者を生み出すことで、叛乱軍へと特攻を仕掛ける。

 対外的には全ての原因であるウィリアムの死と、それに与していた者たちの死という形の決着を見ることはできる。無論、EUにも責任の追及はあるが……場合によっては、目を逸らすことも可能だ。交渉においても手札が増えることになる。

 そして、ソラが選ばれた理由は単純だ。彼の立場である。

 ――掃き溜め部隊。

 問題のある兵たちが集められた部隊を率い続けた彼は、統治軍に対して強い不信感を持っていた――ことになっている。実際の彼は少しもそんなことは思っていないのだが、彼の経歴を見ればこの言葉に大抵の人間が納得する。

『アルツフェムの虐殺』を生き残った有能な指揮官でありながら、上官たちの妬みによって才能には合わない最下層の部隊へと堕とされた――統治軍を恨む理由は十分だ。

 そして同時に、クーデターを起こしてシベリア軍へ牙を剥く理由も。

 ソラ・ヤナギという男は、外から見れば底知れぬ憎悪を抱いていて然るべき人間なのだから。


「……くだらねぇ」


 誰にも聞こえないような声で、ソラは呟いた。そのまま、ゆっくりと息を吸う。

 ここで戦うことに、大きな意味はない。EUにしてみれば、苦し紛れの苦肉の策。

 そんなことのために命を懸けなければならない、ここにいる者たちが――どうしようもなく、被る。

 二年前のあの日。

 撤退を告げ、一人殿に残ろうとした自分を殴り飛ばし。

 死地へと赴いた彼らと。


 ……俺は、これ以外に選択肢がない。


 リィラの足。子供たちの将来。それを守るためには、莫大な金がかかる。特にリィラの足は、義足をつけても歩けるようになるかどうかはわからない。辛いリハビリが待っているだろう。そしてそれには金がかかる。

 子供たちもだ。教育を受けさせるためには金がかかるし、それ以外にも金がかかる。

 だから、買ったのだ。

 この命で、彼らの将来を。

 大切な――愛する人の未来を。

 ――だけど。


「お前ら、本当にこれでいいのか?」


 ――ここにいる者たちは、関係ない。

 兵士たちが、突然の言葉にざわめいた。ソラは、構わず言葉を続ける。


「お前ら、死ぬんだぞ? わかってんのか? お前ら全員、悪人扱いされんだぞ!?」


 彼らはまだ、生きることができたはずだ。

 自分のように――もう、道が途切れてなどいないはずだ。


「逃げろよ」


 ドクターが用意してくれた、決戦兵器。いつか話していた、あの巨大兵器があれば、最悪一人でも戦える。

 叛乱軍はそれを不審に思うだろうが……必要なのは、結果だ。

 だから、ソラは逃げろと言った。

 どうしようもないからこそ――逃げろと、そう言った。


「家族連れて。恋人連れて。大切な奴らを連れて。逃げろよ。逃げちまえよ。――お前らが死んで、それで誰が救われる!? 救われんのはくだらない〝誇り〟だけだ! そんなものにどんな価値がある!?」


 人の命には、価値がある。それが尊いということは、少なくとも体面上は『そうなっている』ことは、ソラにだってわかっている。

 そして国とは、人を守るために人が築き上げたコミュニティーだ。なのに。

 ――国が、人を殺そうとしている。

 そして、それを誰もが受け入れてしまっている。


 狂っている。

 どうしようもなく。

 どうしようもないほどに。

 この世界は――歪んでしまっている。


「何で、受け入れてんだよ」


 どうして。


「どうして――生きようとしなかった!?」


 その叫びは、あまりにも矛盾していて。

 だからこそ、本心からのものだった。


 ここで戦えば、彼らは未来において『大罪人』として扱われる。大切な者の未来と引き換えに、その命と名誉を売ったのだ。

 そんなことを――認められない。

 認めて、たまるか。


 こんな様は――自分一人でいい。


「……隊長」


 声は、正面からだった。視線を向ける。そこにいたのは、見覚えのある顔。小隊で、ずっと自分に仕えてくれていた者のそれだった。

 その男は、ソラへと一度頭を下げると、ゆっくりと呟く。


「あなたは、一度だって私たちの命を諦めはしなかった。自分自身の身を危険に晒して、何度諌めても決してその生き方をやめようとはしなかった。……そんなあなただからこそ、私たちはついて行くと決めたのです」


 その言葉に応じるように、私もです、と声が上がった。

 しかし、今度はソラも知らない顔だ。まだ年若い青年軍人は、ソラに向かって敬礼しながら言葉を紡ぐ。


「ヤナギ大尉……いえ、少佐。自分は、あなたに救われました。あなたが率いた、『名も亡き部隊』。どれだけの戦果を挙げようと、決して正規軍には記録が残らないあなたたちに、自分は助けられました。あの時救ってもらった命は、今ここで返すのが礼儀です」

「――馬鹿が」


 ソラは、吐き捨てるように呟く。


「拾った命なら、大事にしろよ。こんなとこで捨てんなよ!」

「――あなたが命を諦めた。それが、我々は認められないのです」


 言葉は、また、別の場所から。

 五千の兵。その全てが、ソラを見つめていた。


「あなたはこの二年、誰に称賛されることもなく、認められることもなく、しかし、我々を守っていた。誰よりも前に立つことで、誰よりも手を汚すことで、ずっと。……ここにいる五千人は、全てがあなたに救われた者なのです」


 だから、と。

 ソラの部下であった男は、言葉を紡いだ。


「勝ちましょう、隊長」


 勝利などなき戦いに赴く兵士の言葉ではないそれを。


「私たちは、確かに命で大切な者たちの未来を買いました。しかし、隊長はあなただ。指揮官はあなたなんだ。ならば、まだ敗北は決まっていない」


 それは詭弁だ。どれだけ有能な指揮官であろうと、今接触を果たしているという《氷狼》が率いる解放軍とシベリア王女が率いる解放軍――合わせて十万以上に膨れ上がっていると推測されているそれに、勝てるわけがない。

 ――なのに。

 ここにいる、者たちは――……


「勝ちましょう、隊長」


 そんなことを、言ってくる。

 それが実現不可能なことであると、ソラは誰よりもわかっている。

 だからこそ。


「馬鹿だよ、お前らは」


 そんな言葉しか、紡げなかった。


「どうしようもねぇ――大馬鹿野郎だ」



◇ ◇ ◇



 首都モスクワ近郊。統治軍の本拠地たるそこを窺える位置に、解放軍は布陣していた。その数は、合わせて十万を数えるほどだという。

 しかし、彼らは決して一枚岩ではない。

 一つは、二年の雌伏を経て立ち上がったシベリア第三王女ソフィア・レゥ・シュバルツハーケンが率いる軍だ。こちらはアルツフェムにおける激戦を乗り越え、東側からその勢いそのままにテュール川を突破。瞬く間に首都まで進撃を果たした軍隊だ。こちらの数は、七万を数えるとされる。

 そしてもう一つは、《氷狼》が率いる軍隊だ。アルツフェムにおいて起こった、両軍の総力を挙げた激戦。そこで戦死したと思われていた《氷狼》――護・アストラーデだったが、二週間前、彼の代名詞とも呼べる神将騎〈毘沙門天〉を従え、突如最西端の収容所を襲撃したのだ。

 その時の彼は、多くを語らなかったという。ただ一言。


『抗いたいなら、武器を取れ』


 その一言を告げただけだ。そして、その後も西側の要所を落としつつ、僅か二週間という短期間で軍隊の規模を三万という大きさにまで膨れ上がらせ、首都モスクワへと到達した。

 正直、普通ならばありえない進軍スピードである。だが、その理由についてはいちいち考える必要がない。

 ――《女帝》。

 二週間前、金色の鬼――〈金剛夜叉〉を従え、無双の力を見せつけた大日本帝国の怪物が護の側にはいた。この動きも、全てが彼女の計らいだろう。

 そして、首都モスクワを前に。

 西と東。一度は別れた二人の首領が、相対する。


「……生きていたのだな」

「お互いにな」


 呟くようなソフィアの言葉に、護は息を吐きながら応じた。今、二人の周囲には取り囲むように両軍の兵たちがいる。

 片や、シベリア軍の軍服を着、装備さえも統一された軍隊と。

 片や、服装どころか装備さえも統一されていない軍隊という差はあったが。

 周囲の者たちは、固唾を飲んで見守っている。その最中、ソフィアが手に持っていた扇子を護へと突きつけた。


「ようやく、貴様と並び立つところまで来ることができた。少なくとも、私はそう思っている。……貴様は、どうだ?」

「……俺は、そっちから抜けた人間だぞ。いいのか?」

「委細、構わぬ。私に完全な忠誠を示してくれる将はすでにアランとセクター、この両名がいる。……貴様とは、対等な存在でいたいのだ」


 パンッ、という音を響かせ、ソフィアは扇子を開いた。そのまま、謡うように口にする。


「私は貴様とは違い、〝奏者〟ではない。優秀な家臣たちのおかげでここへ辿り着けたというだけで、貴様のようにたった一人でも戦えるような『強さ』など私には存在せぬ。だが……だからこそ、ここにいる者たちが。私を支えてくれる全てが。私にとっては宝なのだ」


 ソフィアが、手を差し出す。そして、護へと言葉を投げかけた。


「いつか、貴様に言ったはずだな。私たちは友となれるのではないかと。……私と対等な存在となれ、護・アストラーデ」

「いいのかよ。王ってのは、絶対的じゃねーといけねぇんだろ?」

「その絶対的な王制であったが故、シベリアは一度敗戦した。……私が過った時、貴様が私を止めろ。逆に貴様が過つ時、私が貴様を殺してやる」

「それが、友って? そんなもん、ただの監視役だろうが」

「今のはどうにもならなくなっ時の話だ。互いが互いの道を正しいと信じているのであれば、手を差し伸べることができればよい。……友とは、そういう存在のことを示すのではなかったか?」

「……さぁな」


 友。その言葉の意味は、正直よくわからない。

 人との付き合いというものが苦手で、そもそも友人などと呼べる相手が少ない護にとっては、余計に。

 けれど。

 この人が、自分を認めてくれているのはよくわかる。

 それだけは――よくわかる。


「けど、いいさ。この国を取り戻す。泣かなくていい奴を助ける。……いつだって、俺はそのために戦ってきた」

「全てを救う、か。ならば――」

「ああ」


 手を伸ばし、二人が握手を交わす。

 王と、将。本来なら、対等ではないはずの二つが。


「俺とあんたは、対等だ」


 わっ、と。

 周囲から、地面を揺らすような歓声が響き渡った。



◇ ◇ ◇



「視察団?」


 陣の中、二週間振りに戦友であるレオン・ファンと再会した護は、そのレオンが紡いだ言葉に対して眉をひそめた。レオンは頷く。


「ああ。合衆国アメリカから、一両日中にでも到着するそうだ」

「早いな。急過ぎねぇか?」

「元々、三週間程前――丁度アルツフェムの戦闘が始まった時には決まっていたそうだ。ご丁寧にこっちには使者を出してきたが……知らなかったのか?」

「全く。……成程、そうか。アルツフェムん時に統治軍が焦って攻めてきたのはそれが理由だったってことか」

「そうなるな。通常、あの状況では籠城戦でこちらに消耗を強いるのが最も有効な策だった。俺たちは援軍を望めない状態でもあったから、そうされるとジリ貧だっただろう」

「視察団、か」


 呟きながら、護はどこか引っかかるものを感じた。視察団……それが、どうにも納得いかない。

 視察団が到着すれば、統治軍が占拠している首都モスクワは無条件で明け渡されることとなるだろう。総督ウィリアム・ロバートなど、主だった人物はシベリアにおけるその行為について責任を追及される。

 勝利だ。紛れもない、解放軍の勝利である。


 ――くそっ、何なんだよこれ……!?


 納得いかない。しかし、何に納得していないのかがわからない――そんな感覚だ。

 血の流れないままに、ただ待てば勝利できる。二年もの間戦い続けた。戦ってきた。

 多くの血を流したし、流させたことも多くあった。それでも歯を食い縛って戦い続け、そしてようやく、アリスの手を掴むことができた。

 一週間もの間、受けた銃弾の傷と眠っていたのは痛手だったが……この二週間で、ここモスクワを目指して進軍してきた。その過程でも多くの血を見たし、何度唇を噛んだかわからない。

 大切な、たった一人の少女の手を掴むことはできた。

 けれど――救えなかった命も、また多い。

 でも――……


「……まぁ、いい。とにかく、その視察団が到着したらこの戦いも終わるんだな?」

「そうなるな。こっちに来た使者の話によれば、こちらの言い分と統治軍の言い分、両方を聞くという形になっている。一応、統治軍の方から話を聞くということになっているらしいが……まあ、少なくとも戦いは終わるだろう」

「そうか。……長かったな」


 未だに自身の中に残る違和感に整理はついていない。そもそも、この違和感が何なのかがわからない。

 しかし、終わる。終わるのだ。

 このどうしようもないほどに長かった戦いが、ようやく終わる――……


「……なあ、レオン」

「何だ?」


 不意の呼びかけに、戦友は応じてくれた。……本当に、随分助けられた。

 間違っていたとは思わないが、しかし、無茶なことばかりしていた自分をいつも支えてくれた男だ。心の底から、信頼している。

 友、という言葉が浮かんだ。自分にとって友と呼べる相手は、きっとレオンだけだろう。

 そう、思った。

 だから。だからこそ。

 ほとんど自然に、その話を口にしていた。


「俺はさ、二年前……モスクワで、敗戦を経験した」

「一度だけ聞いたことがあるな」

「ああ。そこでな、俺……約束したんだよ」

「約束?」


 レオンが眉をひそめた。護は一度、レオンたちに自身が昔モスクワで首都防衛戦に参加したことを告げている。しかし、それ以上は話していない。

 アリス・クラフトマンという少女との約束については、誰にも話していない。

 そもそも会えるかどうかさえわからない相手であった上に、統治軍との戦いの最中、アリスが統治軍へと組みこまれていることを知ってより一層、話せなくなっていた。

 けれど、アリスはここにいる。今は天音やアルビナと共に別の場所にいるが、ここにいるのだ。

 ――だから。


「平和になったら世界を見よう、って約束だ。……正直、約束した時はそんなに重要になるとは思ってなかった。どうにかなるだろ、って思っててさ」

「……その、約束の相手は?」

「無事だよ。色々あった、ああ、そりゃあもう色々あったけど……どうにか、掴むことができた」

「…………」


 自身の手を見つめる。血に汚れてしまった手。しかし、アリスの手を掴むことができた手。

 今度は、苦しんでいる人々の手を掴まなければならない。そのために、ここまできたのだから。


「後で会ってくれ。きっと、仲間になれる」

「お前が言うなら構わんが……いきなりどうした? 何の脈絡もない話をして。いや、お前に感じていた違和感についてはそれで説明がつくんだが……」

「さぁ、何だろうな? なんつーか、どうも……調子が出ないんだよ」

「疲れが溜まっているんだろう。お前は前から言っているように休むことを覚えろ。お前が無理をし、倒れたとしたら得するのは敵側だけだ。いい加減、自分の重要さを理解したらどうだ?」


 ため息を吐きながら、レオンがそんなことを言う。護は苦笑を零した。


「まあでも、それももう終わるんだ。全部終わったら、それこそ世界でも見に行くよ」

「しばらくはそんな余裕もないだろうがな」

「でも、終わりは終わりだろ?……そういや、レベッカはどうした?」


 周囲を見回しながら、護はレオンに問いかける。義賊集団《氷狼》の一員として一緒に戦ってきた少女の姿がないのだ。

 レオンはああ、と頷くと、あっちだ、と一方向を指さした。


「〈毘沙門天〉と〈セント・エルモ〉の整備をしている。お前と先生がいなくなってから、整備の主任はレベッカだ。おそらく、今も整備室にいるはずだ」

「そりゃまた凄ぇな……。まあいいや。ちょっとレベッカのとこに行ってくる――」


 伝えなければならないこともある、というその一言は。

 響き渡る声に、掻き消される。



「――モスクワで、統治軍が暴れ出した!!」



 響き渡ったその声を受け。


「…………ッ!!」


 二人は、一瞬の視線を交わして走り出す。

 目指すのは、格納庫。


 ――戦争は、まだ終わっていない。



◇ ◇ ◇



 一気に慌ただしくなる解放軍の陣地。その様子を眺めながら、白衣を着た女性――出木天音は微笑を浮かべていた。その視界が捉えているのは、二つの現実。

 一つは、慌てるように――実際に慌てている――解放軍。彼女、というよりは護が率いてきた三万の軍勢と、ソフィアたちが率いていた七万の軍勢。よくもまぁここまで膨れ上がったものだと思うが、本来のシベリア連邦という国の規模を考えればこれでも少ない。国を取り戻せば、十倍以上に人数は膨れ上がるだろう。

 だが、今は十万という数が現実だ。アルビナが仕入れていた情報の中に、視察団が近日中にくるという情報があったため、問題視していないだけである。

 そしてもう一つが、首都モスクワだ。少し前まで不気味なくらいに静かだったのだが、今は真逆。首都から聞こえるのは、悲鳴と、銃声と、機械の駆動音。

 音から察するに、神将騎はいないように思えるが……ただ、意図が読めない。

 いや――読めないわけではない。ただ――……


「それにしても、何やらきな臭い香りがしますねぇ」


 呟きを漏らす。統治軍にしてみれば、視察団の到着はイコールで解体に直結する。裏で手を回していればそこまで悲惨なことにならなかったのかもしれないが、アルビナによればそれは不可能とのこと。


(帝たちがここに来ていた以上、彼女たちの所為とするにはいくらなんでも手が早い。この手際の良さは『大老』でしょうね……。おそらく、事前に手を回していたと考えるのが自然ですか)


 内心で呟く。合衆国アメリカは大日本帝国が公に国交を結んでいるほぼ唯一の国だ。関係としては一応、対等といえるが……アメリカは大日本帝国に恩がある。その点において、対等とは言い難い。

 まあそもそも、大日本帝国と対等でいる国というのがあり得ないのだから仕方がないともいえるが。

 その合衆国アメリカが、普通は暗黙のルールたる他国の占領地に口を出してきた――その裏には、間違いなく大日本帝国の影がある。

 ただ、違和感があるのだ。あの帝や藤堂暁、神道木枯が打った手にしてはリスクが大き過ぎる。

 ――何故なら。


(介入が強引過ぎる……下手をすれば、合衆国アメリカとEUの間で戦争が起こっていたレベルの話です。このような方法は帝も暁も取らないでしょう。そうなれば、やはり《帝国の盾》と謳われる『大老』の一手というのが自然ですね)


 大日本帝国《七神将》第六位、《帝国の盾》紫央千利。

 かの先代《剣聖》藤堂玄十郎の盟友であり、同時に玄十郎の先達でもある大日本帝国最古参の武人だ。かつては自ら最前線に赴き、数々の武勇を残したという話だが、今は大日本帝国の国防に専念し、その気性も随分と穏やかなものとなったということらしい。

 しかし、天音は《七神将》となった頃から千利とは幾度となく戦地で行動を共にしている。それ故に、わかるのだ。

 ――戦争狂。

 戦闘狂、バトルマニアと呼ばれるそれとは大きく違う。軍隊と軍隊による戦い。血で血を洗う戦場を望む姿勢。紫央千利は心の底で、深く闘争を望んでいる。

 まるで――そこが居場所であるとでもいうかのように。

 普通の為政者は『戦争を起こさない』ことを前提とするが、千利は違う。彼は『戦争が起こってもいい』として行動する。今回のことなどその典型だ。まあ、EUはそうなることを望まず、統治軍をトカゲの尻尾のように切り捨てるつもりのようだが。


「……まあ、すんなり済むとも思っていませんでしたが。EUにはEUの意地がある。何かしらの方法で、それを誇示してくるものと思っていましたからねぇ」


『大老』こと紫央千利が手を回したのであろう、合衆国アメリカからの視察団。しかし、それはあくまで大日本帝国と合衆国アメリカ側から見た存在だ。EUとしては、黙って視察団の到着を待つ謂れはない。

 無論、ここで問題を起こせば先に天音が思考したように国際問題、果ては戦争に発展する。だが、その問題についても『起こし方』があるのだ。

 ――そしておそらく、EUはその方法をとった。


「誰が人身御供となったのか、少々気になるところではありますが。……あなたはご存じなのではないですか?」


 言いながら、微笑を携え天音は振り返った。その先にいたのは、一人の少女。

 ――アリス・クラフトマン。

 西側からの進軍において多大な活躍をした、統治軍においては《裏切り者》と呼ばれる少女だった。


「……いえ」


 その少女は、静かに首を振る。天音は、ふむ、と頷いた。


「まあ、相手が誰であれこちらの勝利はほとんど決まっているも同然。要はどれだけ被害を抑えられるかという話ですが……死兵相手ではこちらも覚悟を決めなければならないでしょう」

「……死兵、ですか」

「そう、死んだも同然の兵隊。――ここシベリアの大地で行われていた、統治軍と解放軍の戦いは戦争と呼ぶに相応しいものでした。それはあなた自身も理解しているはず。しかし、この戦いは違います」


 決して長くはない闘争だった。二月、三月ほどのそれはしかし、確かに戦争だ。だが、この最後とも呼べるであろう戦いは違う。


「――これは戦争ではなく、政治です」


 故にこそ、相手は退かない。そう、天音は言い切った。

 要は、人の命を使った算数だ。どれだけの兵隊がいるのかはわからないが――まあ、いたところで精々が一万人程度だろうが――彼らはきっと、命を捨てて行動を起こしている。

 EUのために。

 将来的に、EUは『兵たちの命と名誉を切り捨ててでもことを為す』という外交カードを手に入れる。そのために支払われたのが、今モスクワで動き出した統治軍の兵たちだ。

 愚かだと思う。しかし、同時に仕方ないとも。

 これが――現実だ。

 人の命は尊い。それはきっと、間違えてはいない正しい論理だ。しかし、それは状況によって簡単にその価値を変える。

 平時であるならば、唯一無二の大切なもの。

 戦時であれば――紙の上の数字。

 結局、人というのは状況さえ整えばどこまでも非情になれる。そういう――生き物なのだ。


「勝利など、戦う前から決まっています。要はどういう形でこちらが勝利し、あちらが全滅するか。そこにこの戦いは終始する。実につまらない政治です。勝利の決まった戦ほど――決まっているのに犠牲を出さねばならない戦争程、つまらないものもない」

「……先生、私は……」

「わかっていますよ。ついて来てください」


 微笑と共に立ち上がり、天音はアリスについてくるように言った。しばらく歩き、そして、一つの大きな天幕へと天音はアリスを招き入れる。

 中にいたのは、キセルを吹かした伊狩・S・アルビナだった。この二週間、護の行軍をサポートしてくれていた旅人であり、情報屋。


「おや、先生に……お嬢ちゃんじゃないさね。どうしたんだい?」

「いえいえ、大したことでは。彼女に少々、手を貸そうと思いまして」

「ふーん」


 特に興味を抱いた様子もなく天音の言葉に頷き、アルビナはアリスを見る。それを受け、アリスは恐縮したように頭を下げた。

 アルビナは紫煙を吐き出しつつ、ねぇ、と天音に声をかける。


「こんな子に乗りこなせるのかい? こいつは――」

「――〈スノウ・ホワイト〉。かの〝ナーサリィ・ライム〟の量産機。まあ、普通は乗れないでしょうね。何故シベリアにあるのかはわかりませんが、元々これはEUの地域に存在するべき神将騎。確かに、普通なら生粋のシベリア人である彼女には乗りこなせないでしょう」


 言いながら、天音は天幕の奥へと視線を向けた。そこに鎮座するのは――一機の神将騎。

 ――純粋な白。

 何もかもが真っ白で、唯一、目元の部分がそれとわかるように黒いだけだ。装甲にある傷が、決して大きくはないというのに嫌に目立つ。

 あまりにも異質な、白。


「しかし、乗りこなせるはずです。それだけの才能を、この子は有している」

「へぇ? とてもそうは見えないけどねぇ」


 興味深そうにアルビナが頷き、アリスへ視線を移す。天音もアリスへと視線を移し――思わず、微笑を零した。


「…………」


 アリス・クラフトマン。

《裏切り者》と呼ばれた少女は、ただ一心にその機体を――〈スノウ・ホワイト〉を見つめている。


「……助けたい人がいる、確かめたいことがある。あなたは私にそう言いましたね?」

「……はい」

「ならば、これを差し上げましょう。無論、乗れるのであればですが。扱えないようであれば諦めなさい。諦観は人を殺す。それは自分自身であれ相手であれ、通用する言葉ですよ」


 言って、天音はアリスから視線を外した。そこで、外から聞こえてくる歓声に気付く。


「姫君も覚悟を決めたようですね。この戦争は随分私を楽しませてくれました。最後の宴も、楽しませてくれるといいのですが……ね」


 その微笑と共に。

 白衣を翻し、出木天音は天幕を出た。



◇ ◇ ◇



「急げ! 部隊の編制だ!」

「指揮官は!?」

「戦車の用意を!」


 解放軍の本陣は、いきなり動き出した統治軍を見て混乱していた。その様子を見て、チッ、と護が舌打ちを零す。


「……俺が出る」

「護?」


 どうにかその頭脳を回転させ、少しでも混乱を収めて部隊の編成を行っていたレオンが、護の言葉に反応して視線をこちらへ向ける。護は、ギリッ、と鈍い音がするほどに強く歯を食い縛り、言葉を紡いだ。


「このまま指くわえて黙ってられるかよ! 俺が出る! 時間を稼ぐ! その間に部隊の編成を急いでくれ!」

「待て護! いくらお前と〈毘沙門天〉でも相手の規模が不明である以上、危険過ぎる! ここでお前を失うのがどれだけの損失だと思っているんだ!?」

「だったら黙って見逃せってのか!?」


 レオンの方を向き、護は怒鳴るように言う。その声に反応し、近くにいた兵たちがこちらを見た。


「今この瞬間も、首都にいる人たちが殺されてんだぞ!? あの音を聞けよ! あの煙を見ろよ! こんなところでうだうだ悩んで何が救えるんだよ!?」

「だからといってお前が一人で行っていい理由にはならない! これは戦争だ! お前ひとりで全てが救えるほど甘くはない! 忘れたのか!? あの日、俺たちは何を失った!? この首都で! 何を! 誰を守れなかった!? 一人では何も守れないんだ!」


 あの日、首都から逃げ延びるようにして脱出した日。

 戦友を失い、自分たちを支えてくれた人たちを失い。

 多くの現実を――見せつけられた。


「だから、だろうが……!」


 そう――だからこそ。

 あの日、失ったからこそ。

 守れなかったからこそ。

 ここで退くことは――許されない!!


「あの日守れなかったから! だから俺たちは歯ぁ食い縛ってここまで来たんだろうが! 血反吐はいて! 倒れていった仲間に涙を流して! 必死こいて前向いて走ってきたんだろうが! 今ここで前に進まなくてどうするんだよ!?」


 レオンの胸倉を掴み、護は吠える。


「俺は強くなった……! 強くなれたはずだ! ずっと走ってきた! 前を見て! ずっと、ずっと! ここで立ち止まったらもう俺は俺を許せなくなる! 俺たちは何のためにここに来た!? 全てを救うためだ! 助けるためだ! 今手を伸ばせば届くんだよ!――邪魔をすんじゃねぇ!!」

「――往かせるか」


 普通ならばたじろいてしまうであろう護の剣幕を受け、しかし、一歩も退かずにレオンは言った。


「お前はもう一人じゃない! 一人でなど往かせるか! 戦わせてたまるか! 何もずっと待てと言っているわけじゃない! 少しでいい! ほんの少しの時間をくれ!」

「その言葉を首都にいる人間に向かって吐けよレオン! 俺に吐いてる場合かよ! 俺は往く! 邪魔をするな!」

「だからッ……お前が全てを背負う必要などないと! 俺は――!」


 互いに退けぬが故に、感情が爆発する。周囲の兵たちも手出しができずに見守る中、不意に、その声が響いた。



「――双方、そこまでだ。護・アストラーデ。貴様が出ることを私はまだ許さぬ」



 現れたのは、戦装束をその身を纏ったソフィアだった。護とレオンの視線がそちらを向く。そのまま、護が何かを言おうとした瞬間、ソフィアの背後に〈セント・エルモ〉が着地した。

 響き渡る轟音。その音を聞き、離れた場所にいた者たちも一斉にこちらを見る。

 陣内が静まり返った。ソフィアが右手を軽く挙げると、〈セント・エルモ〉がソフィアをその右腕に乗せ、体を持ち上げた。

 無数の視線がソフィアを捉える。その中で、ソフィアは右手を振り、静かに告げる。


「――聞け、我が誇りたる無双の勇者たちよ」


 その声は決して大きいものではない。しかし、不思議と陣内へと響き渡る。


「我々は、後僅かな時間でシベリアを取り戻すことができる。視察団の到着を待てば、それだけで我ら解放軍はただ一人の犠牲を出すこともなくこの戦いを終えられるであろう。しかし――それで良いのか?」


 誰も言葉を発することはない。ただ黙して、ソフィアの言葉を聞いている。


「決して短くはない月日だった。多くの犠牲と、多くの血を流してきた。これ以上はもう戦う必要はない。首都を見捨てれば――そうすれば、我らの無事は保障される」


 それで良いのか、と。

 ソフィアは――もう一度問いかけた。


「我らはシベリアの国家のため、その民のために戦ってきた。今まで散っていった名も亡き英雄たちは、我らに乞う言葉を残したのだ。――〝私たちの愛する人たちを守ってくれ〟、と。〝祖国を取り戻してくれ〟、と」


 だからこそ、前へと進んできた。

 そのためだけに。

 多くを――踏み躙ってきた。


「――ここで動かず、彼らへ顔向けできるのか!? できはせぬ!! そのような恥知らずに生まれた覚えはなく、また、諸君らも私と同じく――否、私以上に高潔で尊き誇りを持つと私は知っている!!」


 散っていった者たちのために。

 夢を抱いた者たちのために。

 何より――自分たちのために。


「祖国を取り戻すのは我らの手で行ってこそだ!! 立て、勇者たちよ!! 私は諸君らが無双たる軍勢だと知っている!! 誇り高き戦士たちだと知っている!! ならば我らに敗北はない!!」


 勝利を、とソフィアが叫んだ。

 栄光を、と兵たちが唱和した。


「よき世を創るのだ!! この国に生きる全ての者たちに笑顔が溢れるような国を創るのだ!! 誰もが手を取り合えるような!! そんな国を創るのだ!! 今、首都では我らの助けを待つ民たちがいる!! 彼らを救い、世界に示そう!! 我らがシベリアの復活を!!――往け、シベリアの勇者たちよ!!」


 おおおっ、と、それぞれが武器を掲げ、唱和する。


「祖国を――取り戻すのだ!!」


 大歓声が響き渡る。そして、そのままソフィアは護の方を見た。


「前線司令官には護・アストラーデ将軍を任命する!! 付き従うのは第一大隊!! いち早く首都へ突入し、罪なき民を苦しめる統治軍を殲滅せよ!!――往け!!」


 更なる歓声が響き渡る。護・アストラーデ。《氷狼》。

 あの《赤獅子》とも互角以上に渡り合い、アルツフェムの激戦で死んだと思われていたが、あの地獄のような戦場から生還。更に、僅か単騎で西側から動き出し、三万の軍勢を率いるようになった無双の英雄。

 彼の者の武勇があれば、敗北はない――ほとんど妄信的に、この場にいる者たちはそう考えていた。


「開戦だ!!」


 ――幕が上がる。

 最後の戦い、その幕が。



◇ ◇ ◇



「少佐殿、指示通り首都各地で部隊の者たちに暴れさせています」

「隊長でいいよ、っと。……一般人は殺さないようにって言ってある?」

「はい。追い散らすようにしろ、という指示でしたので……」

「うん。問題なし」


 部下の報告に、微笑を浮かべてソラ・ヤナギは応じた。そのまま、総督府――王宮の前に建てられたその場所から叛乱軍の陣地を見据える。


「後は、どれだけアイツらを削れるか。……《氷狼》の首くらいは欲しいところだけど」

「それは……」

「わかってる。それと、『アレ』についてもちゃんと伝えてくれた?」

「……はい。『もし捕まりそうになったら速やかに自決せよ』という指示なら」

「ありがとう。逃げられるなら逃げてもいいけど、さ。……俺たちは、ここで死ぬのが仕事だから」


 苦笑を零し、そんなことを言うソラ。その背後から、部下がソラへと言葉を紡いだ。


「隊長殿。どうしてですか?」

「どうして、っていうのは?」

「私などは、戦争しか能がないようなゴロツキです。しかし、隊長殿。あなたは幾度となく私たちを救ってくれた名指揮官であるはず。そんなあなたが、何故……」

「……優秀かどうかはともかく、まあ、色んなところで間違えた。そういうことだと思う」


 窓から、自身を殺しにくる軍隊を見つめ。

 そんなことを――呟いた。


「今日生きる術ばかりを考えていて、明日から生きていく術を考えなかった。ただそれだけ」

「しかし、隊長」

「しかしも何も、戻れる道はどこにもなし」


 チラリと、ソラは室内を見た。そこに転がる死体は――合衆国アメリカから派遣されてきた視察団のもの。

 視察団をも殺害するという暴挙に出ることで、ソラは自身がクーデターを行ったという事実を確定させた。戻れる道は、残っていない。


「どうせ軍人だし、変わらんよ。何があろうとも。……ただ、そうだなぁ」


 目を細め、外を見る。灰色の空が太陽の光を遮断し、陽の光など見えないはずなのに。

 こちらへ身を晒す黒と銀の色合いを宿した一機の神将騎が、どうしようもなく眩しく見えた。


「こんな俺でも、こんな戦いでも。〝未来の誰かのために必要だった〟って……そんなことを、言われたいって思うんだよ」


 そして、敗戦を背負う指揮官が戦場に歩み出る。

《本気を出さない天才》と蔑称される、イタリアの英雄と。

《氷狼》と謳われる、シベリアの英雄。

 一度として正面からぶつかることのなかった両雄が、激突する。



◇ ◇ ◇



 左手に残り一本となった〝海割〟を持ち、右手に神将騎用の突撃槍を携えた〈毘沙門天〉が、解放軍の戦闘に佇んでいる。

 その背後には、解放軍十万の兵たち。

 ドクン、と護の心臓が高鳴った。

 ようやく、ここまで来た。来ることが――できた。

 これが、最後だ。


「――これより、首都奪還作戦を開始する!!」


 声を張り上げ、〝海割〟を掲げながら護は叫んだ。そのまま、レオンが立てた作戦を口にする。


「軽装歩兵隊!! 突入直後より一般市民たちの救出に当たれ!! 命に代えても救い出すんだ!!」

『『『はっ!!』』』

「戦車部隊!! 俺に続き最前線を駆け抜けろ!! 敵の歩兵部隊を蹴散らせ!! 神将騎が出てきた場合は砲撃しつつ後退!! 俺の救援か後続の到着を待て!!」

『『『了解!!』』』

「突撃部隊!! 歩兵戦ではお前たちが主力だ!! 一刻も早く総督府及び王宮を制圧しろ!! お前たちの働きで犠牲の多寡が決まる!! 心しろ!!」

『『『おおおっ!!』』』


 地鳴りのような声が響き渡る。それに負けぬよう、護は声を張り上げた。


「これが最後の戦いだ!! 首都モスクワを奪還し、この戦いに終止符を打つ!! 奪われたものを取り返せ!! あの日失った笑顔を、再びこの国に取り戻すんだ!! 勝つべくして勝つ!!――往くぞッ!!」


 吠えると同時、〈毘沙門天〉の背に火が灯った。

 轟音。

 圧倒的な出力を放つブースターが〈毘沙門天〉の速度を一気に限界まで持っていく。

 ――そして。


 ――――――――!!


 圧倒的な爆音が響き渡った。城塞都市アルツフェムほどではないとはいえ、モスクワも首都であるが故に、それなりに強固な外壁を備えている。普通ならそれを突破するだけで相応の時間がかかるものだ。

 しかし、護は一撃で突破してみせた。

 突撃槍を用い、〈毘沙門天〉の圧倒的なまでの出力を利用することで。

 ――奇しくも、大戦においてかの《赤獅子》がモスクワ攻略の時に使った方法と同じ手段で。


「――――」


 眼前に広がる街並みを見据える。

 燃える街、逃げ惑う人々。

 あの日のような光景が――そこにはあった。


「――上等だ」


 呟きながら、護は操縦桿を握り締める。記されるエネルギー残量は――『UNLIMITED』。


「今度こそ、救って見せる!!」


 あの日は、ただ逃げることしかできなかった。

 でも、今は違う。

 あの日に比べて、少しは――強くなったはずだ。


「出陣!!」



◇ ◇ ◇



 外壁を吹き飛ばしての侵入を果たした〈毘沙門天〉。それを見、強く拳を握り締めた少年がいた。


「……アリス」


 いや、『彼』のことを少年と呼んでよいのだろうか。神への冒涜とされる手段で生み出された彼を。


「……アリス……」


 しかし、そんなことはどうでもいいのかもしれない。


「アリスを……」


 今の彼は人形ではない。確固たる意志で、戦場に立っている。

 ――それに。

 誰かの死に対して涙を流せるのであれば……それは、きっと。


「……アリスを……返せっ……!」


 燃えるような意志を携え。

 人形と呼ばれ、〝名無し(エラー)〟と呼ばれた少年が。

 自らが抱くその感情の意味さえ知らぬまま。

 戦場を――駆けていく。

現実の忙しさはどうにかならないものでしょうか。……言い訳です。すみません。


とりあえず、ようやく更新できました。本当は一話に纏めるつもりだったんですが、長すぎたので分割。次がシベリア編最終話という形になります。その後、二つのエピローグを挟んで短編集、第二部という流れの予定ですね。


そんなわけで、応援くださる皆様、本当にありがとうございます。

精一杯努力していく所存ですので、どうぞよろしくお願いします。


感想、ご意見お待ちしております。

ありがとうございました。

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