第三十三話 絶望の色、希望の色
刃持つ理由は、いつだって〝守る〟ため。
しかし、人はそれを忘れていく。忘れてしまう。
その手を汚す最初の理由を、いつしか置き去りにしてしまう。
そして。
その果てに――……
「何故、自分なんですか」
シベリア連邦首都、モスクワ――そこにある統治軍総督府の一室で、ソラ・ヤナギは半ば呆然とした調子で呟いた。彼がいるのは総督室だ。同時に、そこには彼以外の人間はたった一人しかいない。
「理由を説明する必要があるとは思えんがな。貴様なら自分が選ばれた理由ぐらい、察せられるだろう?」
「……立場、ですか」
「その通りだ。ソラ・ヤナギ大尉……いや、少佐。今話した作戦を実行するにおいて、貴様以上の適任はいない」
そう言って、鋭い視線でソラを見据える男はウィリアム・ロバート。精霊王国イギリスの大貴族であり、統治軍を預かる総督だ。
通常なら彼はこれ以上ないくらいの栄華の道を歩いているはずだったが……叛乱軍という存在と、一週間前のアルツフェムにおける敗戦という結果は、彼のその後を奪うのに十分な現実をもたらした。
二週間後に訪れるという視察団。それが到着すれば、ウィリアムはシベリア人に対しての非道な圧政を理由に断罪され、統治軍も解体されることになる。また、テュール川での戦闘も流れは決して良くはない。近々、叛乱軍は勢いそのままに首都まで迫ってくるだろう。
敗戦だ。これ以上ないくらいに。もし、視察団が来なければまだ手の打ちようがあったが――それは今口にしても仕方がないことである。
「シュトレン少佐や、アスリエル大佐。バランには本国に帰ってもらう。多くの統治軍の兵たちを連れてだ。私の不正を暴くという名目なら、大罪人ではなく正義の者として本国へ戻れる」
「……ここのところの、各地にある基地から統治軍が撤退を始めているのはそれが理由ですか」
「そうだ。状況がここまで進んでしまった以上、最早犠牲を出さずに事を修めることは不可能。私一人の名誉と命を引き替えに祖国を守れるのであれば、私は喜んでその礎となろう」
言い切るウィリアム。彼が言う言葉の意味は単純だ。『全てはウィリアム・ロバートと一部の兵たちが行ったことだった』――そういう形にすることで、EUに対して向けられるであろう非難を一身に受けるつもりなのだ。
貴族としての名誉と、今までの道で築き上げてきた全てを否定されることさえ、覚悟して。
「……俺にも、そうしろというんですか」
拳を握り締め、ソラは問う。ウィリアムは頷いた。
「無論、無償でとは言わん」
そして、ウィリアムは数枚の資料を取り出した。それをソラへと手渡し、総督室の窓から見える灰色の空へと目を向ける。
「私には妻もおらず、子もいない。ロバート家は私の代で潰えるだろうと思っていた。それ故に、私の領地についてはすでに信頼できる者へ任せている。思い残すようなことはない。我が祖国のために死ねるのだ。それ以上のことはないというのが私の偽らざる本音」
「…………」
「だが、貴様は違うだろう?……ソラ・ヤナギ。『アルツフェムの虐殺』においてかの《抜刀将軍》が操る神将騎を相手に立ち回り、見事に生還してのけた。その後は後方に下がり、目立った活躍はなかったようだが……統治軍で掃き溜め部隊と呼ばれる第十三遊撃小隊を率いて遺した結果には目を見張るものがある。私も老いたものだ。これほどの才能に気付かず埋もれさせようとし――結果、殺してしまうことになるとはな」
引退も止む無しだ――ウィリアムは、そんなことを呟いた。彼の言う『引退』とは、現役から去るという意味ではない。文字通り、『人生からの引退』という意味だろう。
ソラは、ウィリアムに手渡された資料に目を通す。そこに記されている内容を見て、これは、と小さく呟いた。
「自分の命を……金で売れということですか?」
「違うな。貴様は『買う』のだ。貴様には守りたいものがあり、背負ったものがある。その全てに対する援助。それを、貴様は貴様自身の腕と才能――そして命で買い取るのだ」
「自分が、応じるとでも?」
「応じるだろう。いや、応じるしかないといえる。……ソレイユ、だったか? 貴様の副官は」
その名が出た瞬間、ソラの表情が一変した。殺気さえ称えた表情で、ウィリアムを睨み付ける。
「……あいつに手ェ出すな」
底冷えのする声だった。ウィリアムは、ふっ、と笑みを零す。
「出しはせんさ」
出す必要もない、とウィリアムは言った。
「貴様には守りたいものがある。背負ったものがある。ならば……答えは自ずと知れている」
「……死んでしまったら、何も守れないでしょう」
「それも状況によりけりだ。命を捨てることで守れるものは、存外多く存在する。……貴様の副官。治すには相当な金が必要になるはずだ」
「…………ッ」
ギリッ、と何かが軋むような音が響き渡った。歯が砕け散ってしまいそうなほどに強く、ソラは歯を食い縛る。
背負ったもの。背負うと決めたもの。
守りたいもの。守って――いきたいもの。
何もかもに背を向けながら、必死で抱き締めてきたそれらを守り切る方法は、一つしかない。
「…………自分は」
命に執着したことはなかった。元々、明日生きているかどうかもわからないような生き方をしていて、いくつもの偶然で生き残ってきた人生だ。それ故に、いつ死んでも特におかしくはないと考えていた。
そもそも、自分は軍人だ。戦場で死ぬのが仕事で、それに納得してきた。いつか野垂れ死ぬのだろうと思っていたし、事実、そうなりかけたことは一度や二度ではない。
――けれど。
今、自分は選択を迫られている。
生きるか、死ぬか。それを、選べる立場にある。
選べて……しまう。
「自分は……」
頷けと、理性が告げる。
拒否しろと、本能が告げる。
嗚呼、と思った。
いつだったか、この世の全てを嘲笑うような男にこう言われたことがある。
〝キミは自らにさえ嘘を吐ける究極の『嘘吐き』だ。……ここまで壊れた人間も珍しい〟
肯定と否定。
否定と肯定。
本来なら矛盾し、表裏一体ではあれど同居することはない二つの概念。
――しかし。
ソラ・ヤナギは、自身の中に矛盾を両立させる。
理性と感情。
その二つが異なる答えを出しながら、しかし、行動には乱れがない。
そして、今のソラは――
「……私も貴様も、死に場所を与えられた。貴様だけではない。今回の策において貴様が率いる五千の死兵。その全てが、祖国のために死に場所を与えられたのだ」
それはおそらく真実だ。ソラへと告げられた、一つの策。それは成功しようが成功しまいが、結局ソラたちは死ぬこととなる。
五千の命。その全てを擲って、それでもEUは一つの意志を見せようとしている。
「……一つ、教えて頂きたいことがあります」
故に、ソラは問いかけた。誰よりも祖国を想い、その果てにその命さえも捨てようとするこの人物に。
「〝誇り〟とは、それほどまでに大切なのですか?」
「――何かを貫こうとすれば、自ずとそれ以外の全てを捨てることになる」
足音を響かせ、ウィリアムは謡うようにそう告げた。そのまま、僅かな微笑をたたえて言葉を続ける。
「今の私と貴様など、その典型だ。私は私であることを貫き、その果てに命を捨てた。貴様は貴様の守りたいものを守るという意志を貫くためには、命を捨てねばならん。……何かを貫こうとする時、それが自らの命でないのであれば……自らの命は、いずれ必ず潰えるのだ」
「あなたは、誇りを守るために散るのですか? 名誉も、命も、全てを捨ててまで」
「後の千年に名君と謳われるくらいなら、今この時に祖国がために反逆者として死ねる方がずっと良い。私は今までそうやって生きてきた。今更だ。全てがな」
言い切るウィリアム。そのまま、彼は懐から一本の短剣を取り出すと、ソラへと差し出した。豪奢な作りをした、儀礼用の短剣だ。
「女王陛下より賜った宝剣だ。……貴様に渡そう。これで、私を殺せ」
「……自分は」
「人とは、救い難い生き物だ。多くのしがらみに左右され、いつしか自由が利かなくなっている。そうして生きていくしかない、どうしようもない生き物なのだ。……だが、我らは自身の信念に殉じることができる。それはきっと、幸福だ」
故に殺せと、その男はそう言った。
「私を殺し、反逆者となり――叛乱軍に、我らの意志を。誇りを見せつけよ」
渇いた、音がした。
日の光を反射し、宝剣が煌めく。美しい刀身はよく手入れがされたもので。
ゆっくりと――目の前の男の体へと、突き刺さった。
「――それでいい」
深々と胸を貫かれたウィリアムは、呟くようにそう告げる。
そいてそのまま、ゆっくりと床へと倒れ込んだ。今更のように、その胸から大量の血が溢れ出す。
ソラの手には、血の一滴も付いていない。手を汚さない殺害――そんなことを、冷静な思考が呟いた。
「……後のことは、委細任せる」
「はい。……いずれ、地獄で」
「……互いに、業深きものだ……」
ウィリアムの目が、ゆっくりと閉じられる。ソラはそんなウィリアムに対し、一度黙祷し――次いで、顔を上げた。
「――さて、やろうか」
呟いた時の彼の瞳に、光はない。
物言わぬ死体となった統治軍総督ウィリアム・ロバートに背を向けると、ソラは部屋を出ようと扉へと向かった。そして、その扉を開けようとした瞬間。
「…………」
不意に、その扉が勝手に開いた。ソラは反射的に一歩、後ろへ下がる。
「……ソラ」
現れたのは――紅蓮の髪と瞳を携えた、一人の男。
《赤獅子》、朱里・アスリエル。
友と、互いに認め合う相手だった。
◇ ◇ ◇
これから何をしようとしているのか、何が起ころうとしているのか。僚機である〈ブラッディペイン〉と、彼自身が本国へと帰されることとなり、その準備をする最中にカルリーネに『その話』を聞かされた。
即ち――ソラ・ヤナギを中心として、五千の命を犠牲にするというその話を。
「お前は……正気か?」
室内の惨状を一瞥し、朱里は呻くようにそう言った。ソラは無言。ただ、朱里を見据えている。
ギリッ、という音が響いた。朱里が、その右手でソラの胸倉を掴み上げる。
「何故だソラ!? どうしてこんな結末を選んだ!?」
「…………」
「お前なら! お前ならもっとマシな結末を選べたはずだ! どうしてお前はあんな提案を受け入れた!? お前が! お前が死んで誰が喜ぶ!? もっと、もっと違う冴えたやり方があったはずだ! そうだろう!?」
「…………っとに」
小さな、蚊が泣くような声で。
ソラは――そう、言った。
「どいつもこいつも勝手なことばっかりほざくんじゃねぇよ!!」
いつものソラとは全く違う――感情を爆発させたような叫びが、室内に響き渡った。
ソラは朱里の胸倉を掴み返し、燃えるような瞳で朱里を睨み据える。
「天才だの!! 英雄だのと!! 俺がそんなに凄い人間に見えんのか!? いつだって殺して!! 殺されて!! 何一つ守り切ることさえできなかった大馬鹿野郎なんだぞ!? 俺は!! 俺はっ――!!」
ソラ・ヤナギは正しく英雄である。
神将騎に乗ることができない状況でありながら、大戦において大日本帝国が誇る《七神将》の一角《抜刀将軍》の僚機〈村正〉を相手取り、一時間に渡って封じ込めた。その際に教皇を始め、多くの要人を救い出したことは一部では広く知られた話である。
しかし――それは、真実の一面しか示していない。
ソラ・ヤナギは、一人で《抜刀将軍》を止めたわけではない。彼と共に戦った、千を超える名も無き――そう、『名も亡き英雄たち』の命を犠牲にして、それを成し遂げたのだ。
「何人死んだと思ってんだよ!? 何人殺したと思ってんだよ!? 俺はそんなに高尚な人間じゃねぇ!! 教えて欲しいのはこっちだよ!! 『たった一つの冴えたやり方』だと!? そんな都合のいいもんは物語の中にしかねぇんだよ!! 命張って!! 懸けて!! 歯ァ食い縛って耐えてきて!! それでも――こんな結末しか選べねぇんだよ!!」
突き放すように、ソラは朱里から手を放した。そのまま、吐き捨てるように言う。
「邪魔をすんじゃねぇよ……!! これは、俺が選んだ道だ!!」
朱里の横を抜け、ソラは部屋を出ていこうとする。そして去り際に、一言だけ呟いた。
「……なぁ、朱里」
かつて、士官学校で過ごした時と同じように。
軽い頼みごとをするような口調で。
笑顔を、浮かべて。
「リィラとガキ共のこと……頼むな?」
そして、ソラは部屋を出ていった。ここから先、彼はウィリアムが手配した通りの道を往き、その果てに名誉の全てを奪われて死ぬだろう。
EUの誇りを守るために。
そんな、くだらないことのために。
唯一、友と呼べる相手はその命を――……
「……どうしてだ」
情けないと、そう思った。
英雄と呼ばれて、《赤獅子》と呼ばれて。
イタリア最大戦力などと謳われて。
「……くそ、がっ……」
戦えるのに。戦う力は、この手にあるのに。
それなのに――
「くそっ、たれがぁぁあっっ!!」
――どうして、友の一人も救えない!?
渦巻くような、多くの人々の思念を携えて。
戦乱が、最終局面へと突入する。
◇ ◇ ◇
「今更、貴様に紡ぐ言葉はない」
「…………」
全ての決断を終えたソラは、とある一室の前で一人の女性軍人と言葉を交わしていた。
カルリーネ・シュトレン。
千年ドイツ大帝国の大貴族でもある彼女は、今回のアルツフェムにおける敗戦の責任を中心として、多くの兵たちと共に本国へと帰還することになっている。ただ、その際にウィリアムの不正の証拠を持ち帰ることで、統治軍の兵たちを守ろうとしているのだが。
「私から紡げる言葉など、何もない。あろうはずがない。だから、一つだけ聞かせて欲しい。――私たちは、間違っていたのか?」
「……誰も、間違えてなどいないんだと思います」
ソラは、苦笑を零しながら呟いた。
「誰も彼も、自分の守りたいものがあって、成し遂げたいことがあって。でも、それが噛み合わないからこんな風になってしまったんだと思います。……幸福って言葉の意味は、まだわかりませんけれど」
扉を開ける。カルリーネはついてこない。当たり前だ。
この先にいるのは――ソラにとって、誰よりも大切な人。そこに、彼女の立ち入る場所はない。
「幸せって、その辺に転がってるくせに――何よりも、難しい」
パタン、という音を立て、扉が閉ざされた。ソラは、ゆっくりと視線を前に向ける。
そこにあるのは、一つのベッドだ。そこで上体を起こしているのは、一人の少女。
「あ、ソラ……やない、隊長って呼ばなアカンかな?」
「いいさ、どっちでも。どうせお前は負傷兵として本国に送還される。……もう、俺の部下じゃない」
「なはは、確かに」
苦笑しながらそんなことを言うのは、金髪の少女――リィラ・夢路・ソレイユ。
ソラは小さく息を吸うと、ゆっくりと呟いた。
「なぁ、リィラ」
「はいな、ソラ」
笑顔を浮かべるリィラ。その頭には包帯が巻かれ、その衣服の隙間から見える体にも無数の包帯が巻かれているのだが、その笑顔に翳りはない。
しかし――わかる。
無理をしているのが、丸わかりだ。二年……朱里との付き合いに比べれば、時間としては相当短い。しかし、リィラはこの二年間誰よりも自分の側にいた相手だ。それぐらい、雰囲気でわかる。
「とりあえず、先に帰ったらガキ共の相手を頼むわ。俺もすぐに帰れるだろうし」
「うん。りょーかいや。あはは、帰ったら大変やで~?」
「わーってるよ。まあ、たまにはいいだろ」
白々しい、と酷く冷めた自分が内心でそんなことを呟いた。帰ることなどできないくせに――自分は、こんなことを口にしている。
だが、良かったと、そう思う自分がいる。
……目を覚ますかどうかは五分って言ってたしな……。
あの時、アルツフェムの攻防においてリィラが操っていた〈ミラージュ〉は〈金剛夜叉〉の手によって完全に破壊された。それを目にしたからこそ、ソラは一度、リィラの生存を諦めかけることさえした。
――しかし、リィラは生きていた。
重傷。助かる見込みはほとんどないというほどだった。だが、運が良かったというべきか。あの場にはドクターがいた。彼の手を借り、どうにか命を繋いで――ようやく昨日、目を覚ました。
……もっとも。
多くを、失ったのだが――……
「あの子らも学校に通わなアカン年齢やし、大変やなぁ……これから」
「教育は大事だよ。俺みたいなのにするわけにもいかんし」
「ありゃ、ロイはソラみたいになることが夢らしいえ?」
「はぁ?……あの馬鹿、今度言ってやらないとな。ろくなもんじゃないってのに……」
「あはは」
リィラが笑う。その笑顔をしばらく眺め。
嗚呼、と。
思い出したように――呟いた。
「なぁ、リィラ」
リィラが首を傾げる。本当に、大切だ。
大切な――相手だ。
――だからこそ。
「もう……泣いてもいいんだぞ?」
その言葉を、紡いだ瞬間。
リィラの表情が、くしゃりと歪んだ。
その瞳から――大粒の涙が、無数に溢れ出す。
「……ッ、う、ふうっ……!」
呻き声を漏らし、顔を手で覆い、涙を拭いながら。
――ごめんなさい、と。
小さな声で、リィラは呟いた。
「ウチ、ウチ……ッ、右脚、なくなって……それでッ、立てなく……なって……ッ!」
――右足の切断。
現代の医療技術を明らかに超えた技術を持つであろうドクターでさえ、リィラを五体満足で救うことはできなかった。また、左足も膝の骨が砕け、健に酷い損傷があるという。立てるようになる確率は――あまりにも低い。
アルツフェムにおける、ソラにとっては三度目となる敗北は。
彼にとって誰よりも大切な人から、歩く術を奪い去った。
「……リィラ」
「ごめっ、ごめん、なさい……ッ、もう、ウチ、歩けへんくなってしもた……! ソラと一緒に、戦うことも……ッ! 隣に並んで、歩くことも! 全部、できんくなってしもた!!」
「リィラッ!!」
最早、反射による行動だった。
その華奢な体を抱き締める。幾度となく抱いたことのあるはずの体。その小ささは知っていたはずなのに――どうしてなのか。
その体は、あまりにも小さく。
今にも消えてしまいそうなほどに――儚かった。
「いいんだよ……!! いいんだよ、そんなこと!! お前はずっと頑張ってくれた!! 支えてくれた!! 今度は俺が支える番だ!!」
「…………ッ、でも、でも、それやったらアカンの!!」
ソラの腕の中、リィラはそんな叫びを口にした。そのまま、彼女は彼女の中にずっとあった想いを口にする。
「好きなの!! ソラが!! 助けてくれたあの日から!! ずっとずっと大好きやった!! だけど、ソラは凄いから!! 隣にいるには頑張らないとアカンって!! そうやって、ずっと……ずっと……ッ!!」
リィラは、叫ぶ。
いつも笑顔で、ずっと自身のことを支えて来てくれた少女は。
その想いを――口にする。
「ここで戦えなくなったら!! ソラに見捨てられる!! そんなん嫌や!! 嫌なんや!! 何で!? どうして!? どうして戦えへんの!? 戦えなかったら!! それができなかったら――ウチに価値なんてあらへんのに!!」
「違う……違う!!」
「違わへん!! ずっと、ずっとソラのこと見てたからわかる!! ソラには人を惹き付ける力がある!! 才能がある!! ウチなんかとは違って!! 似合わへんのはわかってる!! ガリアでも……フランスでも!! 石を投げられてばかりの嫌われ者が!! ソラと一緒にいる資格なんてないなんて!! ずっとずっと前からわかってた!! でも、アカン!! 嫌や!! 諦めたくない!! 諦めたくないんや!!」
好きだから、とリィラは言った。
大好きだから――諦められない。
「何でもする!! 何でもするから!! だから、だからッ……お願いや……!!」
見捨てないでと、彼女は言った。
「……ウチを……見捨てんといて……」
あまりにも悲しい、涙色の言葉。ソラは、馬鹿野郎、と呟いた。
そして、必死に涙を堪えながら、言葉を紡ぐ。
「何でもする、って言ったよな?」
……嗚呼、やめてくれ。
そんなことを、言われたら。
「だったら……左手を出してくれ」
決心が――鈍っちまうだろうが。
もう、どうにも……ならないのに……。
「……ッ、ひっく……う……」
「なぁ、リィラ」
――俺は、この時。
彼女の左手の薬指へと指輪を嵌めながら。
「――結婚しよう」
世界で一番、残酷な嘘を吐いた。
「…………えっ?」
「俺がそっちへ帰ったら、結婚しよう。だから、その……少し、待たせることになる。待ってて、くれるか?」
返事は、大粒の涙と。
一つの、頷き。
「随分――待たせた」
ゆっくりと、顔が近付く。
大切な人。守りたい人。
その人へ、俺は。
優しく、残酷な。
吐いてはならない――嘘を吐いてしまった。
当たり前のように、唇が重なる。
それがきっと、最後の言葉の代わりだった。
◇ ◇ ◇
リィラと別れ、部屋を出る。それと同時に、タバコを咥えて火を点けた。
紫煙を吐き出す。このどうしようもない気分を……どうにか、したかった。
「キミは随分、残酷な真似をする」
不意に、横手から声をかけられた。俯きながら、視線をそちらへ向ける。そこにいたのは、ドクターだった。
「……見てたのかよ」
「一応、キミには盗聴器を付けている。まあ、安心したまえ。聞いていたのは私一人だ。キミが行う作戦の都合上、監視役は必要だったからねぇ」
「趣味の悪い」
「それは今更だ。……しかし、本当に良かったのかね?」
首を傾げながらの、ドクターの問いかけ。ソラは、ああ、と天井を見上げながら頷いた。
「……渡したく、なかったんだ」
その呟きは、あまりにも浅ましく。
どうしようもなく――狂おしい。
「俺が死んだ後に、リィラが別の男と一緒にいるのが許せなかった」
「ほう」
「……みっともない執着だよ。わかってんだよ。けど……納得できなかった」
だから、告げたのだ。
果たせるはずのない約束は、ただの〝鎖〟でしかないというのに――
「残酷なことだね。そのために彼女へ嘘を吐いたのか。……恨まれることになるよ?」
「それでもいい。恨まれても、それでずっとリィラの心の中にいられるなら。それでいいんだよ」
それに、とソラは言った。
「知らなかったのか、ドクター? 俺は――大嘘吐きだぞ?」
「知っているよ、そのようなことはね。……さて、では最後の手向けにキミに私が知る『世界の秘密』を教え、私はここを去ろうか」
「世話になったよ、ドクター」
「お互い様だ」
扉から背を離し、ソラは歩き出す。その途中で、窓の外を見た。
雲の切れ目から見える陽光は、どうしようもなく……明るくて。
「……なぁ、ドクター。俺……知らなかったよ」
「何をかね?」
「絶望ってさ、どうしようもなく暗い場所で……上も下も右も左もない、そんな真っ暗な場所なんだと思ってた。けど、違ったんだな。それは『逃避』の果て……『何も見ていない』だけだった」
「ならば、絶望とはどんな景色だと?」
「絶望って――」
目から零れた滴の温かさを。
きっと俺は、忘れない。
「――こんなにも、眩しかったのか」
◇ ◇ ◇
その場所で働く者たちは、誰もが俯いていた。強制労働施設――十五歳以上のシベリア人男性は老人を除いて各地に建てられたそこへと放り込まれ、毎日奴隷のような扱いを受けている。
解放軍。シベリアの第三王女を中心に立ち上がったという彼らの噂も聞いてはいたが、ここにいる者たちは誰もが他人事と受け止めていた。
何故なら――彼らがいる場所は、シベリアの西端。解放軍がここへ到達するには、首都を中心とした防衛線を突破しなければならないのだ。助けなど来るはずがない。
また、解放軍は噛めつに近いダメージを受けたという噂もこちらへ届いていた。それ故に、ここにいる男たちは皆、表情が暗い。
「……帰りてぇなぁ……」
ポツリと、誰かが呟いた。
誰も、否定はしなかった。
灰色の空を見上げる。解放軍などというものを、ここにいる者たち――いや、シベリアの民たちは大して希望とは思っていない。ただ、縋るものがそれしかないだけだ。
欲しいのは、平穏。
大戦の前にあった、家族と暮らせる幸せな日々。求めるのは、それだけで――
――――――――!!
不意に、施設内に凄まじい警報が響き渡った。その場にいた全員が、何事かと顔を上げる。
そして――それは現れた。
まるで舞い降りるように優しく、しかし、轟音を響かせ猛々しく。
現れたのは、一機の神将騎。
白と黒。侍武者の威容をし、白き右腕と黒き左腕でそれぞれツインブレイドと刀を構えたその姿。
『俺は、護・アストラーデ』
声が響いた。この施設に駐留していた統治軍の兵たちが姿を現す。
シベリア人の監視のために配備されていた、一機の〈ゴゥレム〉が動いた。手に持っていたアサルトライフルを構え、突然の襲撃者に向けて引き金を引こうとする。
『解放軍副将――《氷狼》だ』
しかし、その引き金が引かれる前に勝負は決まった。
背中に背負ったブースターを稼働させ、一瞬で〈ゴゥレム〉との距離を詰めたその神将騎は、一切の躊躇もなく〈ゴゥレム〉を切り裂いた。
爆発する〈ゴゥレム〉。その爆炎を背に、その者は。
護・アストラーデと名乗った男は、静かに告げた。
『統治軍に告げる。逃げるのであれば追いはしない。向かってくるのであれば叩き潰す』
おっ、という声が湧き起こった。
《氷狼》――その名は、解放軍に比べると遥かにシベリア人たちに広がっている名だ。二年もの間、ずっと戦い続けてきた義賊集団。
シベリアの――希望。
『ここは俺たちの国だ。――消え失せろ』
おおおっ、と。
生気を失っていた男たちから、歓声が零れた。
「……ははっ、なんだよ、これ……」
統治軍が動き出し、《氷狼》も迎え撃たんと動き出す。
そのあまりにも猛々しい、雲の切れ目から差す陽光を浴びた姿を見、男は呟いた。
「希望って――こんなにも、眩しかったのか」
――そして。
アルツフェムの戦闘において死傷したとされていた《氷狼》の復活が、シベリア全土へ広がることになる。
一週間という雌伏の時を経て。
再び、英雄が戦場へと舞い降りた。
というわけで、ソラ君主人公疑惑。……あれ?
とまあ、とにかく流れとしてはある意味当然とも呼べる流れです。ソラが背負ったものや、ウィリアムが手を打ったものについては次回に出ると思います。
さて、次回でようやくシベリア編も最終話。
護やアリス、ソラ……多くの人間がどういった想いを抱き、どんな結末を迎えるのか。見届けて頂けると幸いです。
感想、ご意見お待ちしております。
ありがとうございました!!




