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英雄譚―名も亡き墓標―  作者: アマネ・リィラ
シベリア動乱編―約束―
38/85

第三十一話 押し寄せる現実


「護さん!!」


 目の前で倒れた青年の名を、アリス・クラフトマンはただただ呼ぶことしかできなかった。自身が撃った弾丸が護を貫き、その腹部からは夥しい量の血が溢れ出している。

 弾丸は貫通しているらしい。しかし、血が止まらない。


「やだっ……!! 嫌っ……!!」


 温かい、血の感触。滑りと共に両手にへばりつくのは、護・アストラーデの命そのものだ。


 ――血が止まらない!!


 目尻から溢れ出す涙を拭うことさえも忘れ、アリスは必死で護の血を止めようと両手でその傷に触れていた。シベリアは極寒の地だ。しかも、二人がいるのはそんな永久凍土の雪の上。

 ――血を流し続ければ、何れ死に至る。

 アリスは、最早思考の余裕はなかった。統治軍の軍服――その上着を脱ぎ、その袖を護の腹部へと巻き付け、思い切り縛る。

 同時に自身の服を裂き、それをガーゼ代わりに傷口へ押し付けた。


「お願い……!!」


 再び、止血のために抱き締める。

 自身の顔が、体が、血に汚れることも厭わずに……アリスは、護の体を強く抱き締める。


「護さん……!! 護さんッ……!!」


 祈るようにその名を呼びながら、アリスはこんなのは駄目だと思った。

 自分は死を覚悟してここに立った。選択を間違えたのだと思うし、後悔も数多くあったが、それでも選んだ結末だ。自分の道行きだ。

 夢も叶えることはできた。世界を――自分の知らなかった、別世界の温かさを知ることができたのだ。満足ではないか。

 けれど――護は違う。

 嬉しかった。涙した。再会して、敵同士だと拒絶しても、それでも追ってきてくれた。手を伸ばしてくれた。

 そして、こんな場所まで来てくれた。


〝俺のために生きてくれ〟


 頷きたかった。頷いてしまいたかった。でも、もう、何もかもが遅過ぎた。

 壊れてしまった左腕。壊れていく――死んでいく体。こんな自分が、彼と共に歩む未来など望めない。

 だから、違うのだ。

 自分が死ぬのは道理だ。しかし、護が死ぬのは道理ではない。それは間違っている。

 ――故にこそ。だからこそ。

 アリスは、その小さな少女は――……



「…………ッ!!」


 背負った重みに、アリスは歯を食い縛って耐えた。背中にのしかかる重さと温かさ……これこそが、人の命なのだ。

 アリス・クラフトマンが統治軍に所属し、戦ってきた理由は単純だ。彼女以外の、囚われているシベリア軍兵士たちの安全保障――そんな、彼女自身も守られるとは思っていない『契約』に縋り付くように戦ってきたのだ。

 それは、命を背負う行為。大勢を、それこそ自己犠牲の精神で守り抜くという行為だ。

 しかし、わかっていなかったのだとこの時、アリスは思った。


 命は――重い。


 今背負っているのは、大切な人の命だ。だからかもしれないし、それとも他の人たち――例えばヒスイやリィラなども、こうして重さを感じさせるのかもしれない。

 だけど、だからこそ背負う価値がある。

 一度は諦め、捨てた命だ。命の価値――陳腐な言葉だとは思う。けれど、それでもいい。


 ――私は、護さんを助ける!


 残ったものは、たったそれだけの意志。多くを失い、捨ててきたアリスは、背負った命を救うことだけを考える。

 そして、そんな彼女の視線の先には。


「……〈毘沙門天〉」


 幾度となく戦うことになった、叛乱軍最強の神将騎。《氷狼》護・アストラーデが有する軍神。

 護を背負ったまま、それに乗り込む。動くかどうかはわからない。いや、おそらく動かない。アリスが動かすことのできた神将騎は、〈ワルキューレ〉のみ。それ以外の神将騎を動かせたことはなかったのだ。

 しかし、その〈ワルキューレ〉は大破してしまった。元々、〝アルマゲドン〟の発射によってその両腕が溶けていた上に、相当な無茶をしていた。〈毘沙門天〉に砕かれずとも、自壊していただろう。


「…………」


 目を閉じ、苦しげに荒い息を吐いている護をコックピット内に固定すると、アリスは操縦桿を握った。そして、一度大きく息を吐く。瞬間。


 ――ヴン。


 鈍い音を立て、〈毘沙門天〉が起動した。アリスは目を見開く。まさか、自分が〈毘沙門天〉を動かせるとは思わなかった。

 それに、もう一つだけ妙なものがある。


「……『UNLIMITED』……?」


 神将騎のコックピットは、大体が似たような構造をしている。それを経験で知っていたアリスは――といっても、〈ワルキューレ〉以外に乗ったのは初めてなのだが――反射的に神将騎のエネルギー残量を見た。普段ならそこにゲージが示されるのだが、今回は違った。

 ――『UNLIMITED』。

 そんな単語が浮かぶだけ。その意味は――『無制限』。

 どういう意味なのかはわからない。しかし、動かないというわけではないようだ。


「……私は、あなたの主じゃないけど……だけど、あなたの主を助けるために、力を貸して。――〈毘沙門天〉!!」


 操縦桿を強く握り締める。その、時だった。



 ――――――――ッ!!



 響き渡ったのは、音の砲撃。見たことがある、感じたことがある。

〈毘沙門天〉が、その不可視の一撃で吹き飛んだ。

 それは、獅子の咆哮。

 固有武装――一部の神将騎に備え付けられる、唯一無二のオーバーテクノロジー。

 武装の名は、〝獅子咆哮(ヴァーチェ・レオーネ)〟。

《赤獅子》――朱里・アスリエルの僚機、〈ブラッディペイン〉の武装。


『氷原の餓狼、軍神……呼び名などどうでもいい。貴様を殺せば、いい加減この戦いも終わりを告げる』


 声が聞こえた。〈ブラッディペイン〉の咆哮を距離が離れているとはいえ、受け止めた〈毘沙門天〉のモニターには大量の『危険』の文字が浮かんでいる。

 吹き飛んだ〈毘沙門天〉を立て直しながら、アリスは顔を上げた。こちらを見下ろすような位置にいる〈ブラッディペイン〉。それを見た瞬間、アリスの全身を得体の知れない感覚が打ちのめした。


 ――ッ、何、これ……ッ!?


 おそらく、それは恐怖と呼ばれる感情だろう。アリス・クラフトマンは弱者ではない。その腕で戦場を駆け抜けてきた、一人の戦士だ。

 しかし――朱里・アスリエルはその遥か上位に屹立する。

 大日本帝国の《女帝》が操る『金色の神将騎』を相手に、『アルツフェムの虐殺』で互角の戦いを演じたことや、数多の戦場で輝かしい戦果を築いてきた実力は圧倒的だ。

 そう。

 たった一人の奏者が、『イタリア最大戦力』と謳われるほどの実力を、《赤獅子》は有していた。


『思えば、あの時。貴様の手足を貫いた時に殺しておくべきだった。ソラの……あの馬鹿の考えだ。それが正しいだろうと思った。いや、事実正しいだろう。あの男はギリギリのラインで人を数字で捉えることができる。理解に苦しむ生き方だ。数で捉える命……その全員の顔を、いちいち浮かべるなど。狂気の沙汰だ』


 ――ソラ・ヤナギ。アリスの所属する隊の隊長であり、同時にアリス個人としても、彼女以外の隊員からしても『これ以上ない上官』である人物だ。

 どんな状況でも、生還を最優先に考える指揮官。その上で結果を残し、戦場を支配するかのような采配に幾度となく助けられてきた。叛乱軍との戦闘でさえ、実質ソラが指揮を執った戦闘では『敗北』というものが一度もないのだ。

 故にこそ、朱里も信じたし、アリスも信じた。朱里が言うあの時とは、叛乱軍を強襲し、アリスは〈セント・エルモ〉の大砲を破壊した時だろう。

 その時、朱里は〈毘沙門天〉を――護を殺さなかった。

 それを、間違いだったと朱里は言う。


『愚かな話だな。ソラとて人間だ。それも、過去しか見れなくなっている人間だ。俺はそれを誰よりも――リィラよりも知っていたのにな。全てを奪われ、手に入れたものを片端から失っていく……そんな人生を送り、それを受け入れてしまった男だと知っていたというのに。だからこそ、ここで俺が過ちを正そう』


 構えを取る、紅蓮の神将騎。

 右手にあるのは、巨大な対艦刀。

 左手に握るのは、一本の小太刀。

 対し――〈毘沙門天〉には、左腕と一本の〝海割〟という刃のみ。


『多くを失った。失わされた。死んでいくだろう。消えていくだろう。だが、叛乱軍。貴様たちはここで終わりだ。俺が……俺たちが終わらせる。――潰れろ、餓狼!!』


 直後、紅蓮の獅子が舞い降りた。

 アリスは〝海割〟を抜き、迎え撃つ。


『ここで堕ちてもらうぞ――シベリアの希望!!』


《赤獅子》と《裏切り者》。

〝血塗れの傷〟と〝軍神〟。


 ――多くの〝過ち〟を内包し、二つの力が激突する。

 戦場とは、悲劇しか生み出さない。



◇ ◇ ◇



 ソラ・ヤナギは目の前の状況に全力で思考を巡らせていた。統治軍と叛乱軍。この戦乱が始まってから初めての、そしておそらく最後になるであろう大規模衝突。

 統治軍の数は十万人。対し、叛乱軍は精々が三万人。この数字を見て、幾人かの指揮官たちは叛乱軍を正面から容易に捻じ伏せることができると思っているだろう。しかし、ソラはそう思わない。


「突出するな!! 死にたくないなら距離を保て!! 数はこっちが上だ!! 無理をする必要はない!!」


 指示を出しつつ、ソラは思う。――正直、五分五分だと。

 城塞都市アルツフェムを砕いた、〈ワルキューレ〉の砲撃――〝アルマゲドン〟。その砲撃は確かに圧倒的な結果を残した。あの城塞のような壁を撃ち抜き、その前にはアルツフェムの中心部を破壊し、おそらくその機能を破壊した。

 しかし、外壁で破壊できたのは一部だけ。破壊できていない部分では、依然、こちらが圧倒的に不利な攻城戦を強いられている。


 ――攻めるよりも守るが易しってのは、いつの時代も変わらんねぇ!


 思わず内心で叫んでしまう。〈ワルキューレ〉が砕いた穴は確かに攻め込めるポイントだ。しかし、逆に言えばそれはそこさえ守り切ればどうにでもなるということでもある。無論、叛乱軍の数では守り切れるようなものではない。そう――統治軍が一枚岩であるならば、だが。

 統治軍は、EU諸国の軍隊の集合体である。勿論、互いの協調を前提としているが、そんなものは建前だ。如何に自国の被害を少なく、成果を――できれば他国には被害を――というようなことを考えている軍隊だ。そんな中途半端な連携では、数の利など生かし切れない。

 不安な材料は数多い。しかし、こちらが有利な材料もないわけではない。

 ――神将騎。

 叛乱軍には結局のところ、その力が『名持ち』のそれであるとはいえ神将騎はたった二機しかいない。《氷狼》と《傭兵》――今までの戦闘ではその規模から、たった二機でも致命的な問題となることはなかった。

 しかし、大群がぶつかり合うこの現状では、たった二機の神将騎でできることは知れている。

 それに――


 ――〈毘沙門天〉はここにはいない! 押し切れる!!


〈セント・エルモ〉は確かに強力な神将騎であるし、それに乗っている傭兵も相当な実力者だ。フランス革命において最前線に立った、《変革の傭兵》――油断はできない。

 しかし、こちらには『数』がある。


「リィラ!! 聞こえるか!?」


 無線を繋げる。〈セント・エルモ〉は山岳に囲まれる背後以外からの砲撃を中心とした攻撃に対し、外壁を走り回って対処している。神将騎の機動力で動き回る移動砲台は相当厄介だ。

 だからこそ――


「一番槍はお前に任せる!――ぶち抜け!!」

『了解! みんな、出陣や!』

『『『応ッ!』』』


 声がこちらへ届くと同時に、強い風が吹いた。〈ワルキューレ〉が空けた穴に向かって攻勢を仕掛けるソラたちの背後から、四機の神将騎が駆け抜けてくる。

 戦闘にいるのは、スナイパーライフルのような長銃を手にしたリィラ・夢路・ソレイユの僚機〈ミラージュ〉。その後ろを駆けるのは、アサルトライフルを手にした三機の〈ゴゥレム〉。

〈セント・エルモ〉が気付き、こちらに向かってこようと機体を動かす。しかし、リィラたちに呼応するように放たれた砲撃が、〈セント・エルモ〉の足を一時的に止めた。


 ――抜ける!!


 神将騎の突破力なら、あの砲撃の弾幕の中をも突破できる。そうなれば、制圧も――


 その光が見えたのは、その時だった。

 すでに世界は夜に染まっている。金色の月が雲の切れ目から顔を出す、分厚い雲に閉ざされた夜空の下に。

 月の光を映したような――金色の神将騎が現れた。


「――――ッ!?」


 あまりにも静かな着地。それと同時に鈍い音を立て、〈ゴゥレム〉が一機、踏み潰される。

 そう――踏み潰されたのだ。

 ほとんど同サイズの神将騎の着地地点にいただけで。

 静かに、踏み潰された。


「ッ、待て!!」


 反射的に叫んだ言葉は、遅かった。その金色の神将騎は背負った装備ではなく、右隣の〈ゴゥレム〉へと手を伸ばす。

 ――そしてそのまま、まるで玩具でも振り回すかのように軽々ともう一機の〈ゴゥレム〉へと持ち上げた〈ゴゥレム〉を叩き付けた。

 轟音。爆発が起こり、その神将騎の右手には〈ゴゥレム〉の左腕だけが残る。

 圧倒的。

 現代最強の兵器たる神将騎を、まるで玩具のように軽々と破壊するその姿は。

 どうしようもない無力を感じた二年前のあの日と――変わらない。


「やめろ!!」


 叫んだ言葉に応じるように、〈ミラージュ〉が動いた。ガシャン、という音を立て、大きな薬莢が銃身から吐き出される。生身でもリィラはボトルアクションの銃を愛用する。それは〈ミラージュ〉でもだ。

 照準が合わさる。そして、放たれる弾丸。リィラとて、眼前の神将騎の力は理解しているはずだ。その行為があまりにも無謀だと、わかっているはずなのだ。

 しかし、それでも。

 その少女は、前へ出た。

 ――まるで、一番前に出られない自分の代わりをするかのように。

 対し、金色の神将騎は――


「逃げろリィラ!」



 ――ただ、無造作に現実を叩き付けた。



〈ミラージュ〉の首が持ち上げられ、宙づりにされる。

 何が起こったのか、ソラには朧気にしか理解できなかった。

 一瞬でその両腕を引き千切られた〈ミラージュ〉が、金色の神将騎に首を掴まれている。


 ――待て。

 待ってくれ。


 時が止まったかのような時間の中で。

 そのような呟きが、口から漏れた。



『…………ッ、……ソラ――……』



 無線から耳に届いた、小さなその呟きと同時に。

 ぐしゃりと、〈ミラージュ〉の頭部が握り潰された。

 そして――


「ほ、報告!! 後方より叛乱軍と思しき部隊が出現!! このままでは挟み撃ちに遭います!!」


 移りゆく状況。その中で、ソラ・ヤナギは一点を見据えている。

 ――金色の神将騎。

 大戦において、数々の伝説を残した《女帝》の僚機。


「…………!!」


 握り締められた拳が、何を示すのか。

 地獄はまだ――その入り口を開くのみ。



◇ ◇ ◇



 城塞都市アルツフェム。半壊したその都市の外壁の上に、扇子を開いた一人の女性の姿があった。

 ソフィア・レゥ・シュバルツハーケン。解放軍の総大将であり、シベリアの第三王女でもある女性だ。その女性は天音から譲り受けた扇子を手に、ふっ、と笑みを零す。


「セクターは間に合ったようだな。よく耐えたぞ、青二才」

「……はい」


 応じる声は、レオン・ファン。護・アストラーデやレベッカ・アーノルドと共に《氷狼》の一員として二年もの間戦い抜き、解放軍では参謀官を務める青年である。

 その彼は今、全体を見渡せる位置でソフィアの護衛をしながら防衛の指揮を執っている。それが役目だ。


「これから攻勢に出ますが、よろしいですか?」

「委細、構わぬ。今こそ勝機だ。掴み損ねるなよ、青二才?」

「はい」


 ソフィアの言葉に頷くと、レオンはいくつも手にした無線で指示を出し始めた。同時に、外壁上から放たれていた砲撃の密度が上がり、今まで防戦一方だった解放軍の者たちが徐々に前へと進み始める。

 また、その向こうには統治軍を背後から攻撃する解放軍の部隊も見える。率いているのはセクターだ。彼は地下に広がる巨大な地下道を利用して、統治軍の背後へと一万の兵を連れて回り込んでいた。

 ソフィアの策とはこれである。当初の目的としては、予め『嘘の内通者』を用意し、アルツフェムの門を開く。統治軍を引き込むと、そこで戦闘を開始。その背後からセクター率いる別働隊が攻め立てるというものだった。

 しかし、敵の引き出してきた超駆動砲によってその策は形を変え、慎重を期して少しずつ送っていた兵たちを急遽、強行軍で動かすことになった。

 セクターたちが到着するまでの間、耐え切れるかどうかが分かれ目だったのだが――上手くいった。被害は大きい。しかし、戦えぬほどではない。


「青二才、避難はどうなっている?」

「レベッカが先導し、今はシェルターから脱出。地下道へ避難しています」

「シベリアの地下道は地上で神将騎同士の戦闘が起こっても微動だにせぬからな。シェルターなどよりよほど安全だ」

「しかし、一切の灯りがない暗闇です。長時間は……」

「わかっている。どの道、ここで押し切れねば解放軍は全滅だ。兵たちは戦場に散り、私は処刑される」

「その時は、お逃げいただきます」

「戯け」


 ふう、と息を吐いてソフィアは言った。パチン、という音を立てさせながら扇子を閉じ、それをレオンに向ける。


「私はこの戦いのために、一度民草にこの背を向けた。もう一度背を向けようものなら、もう二度と私の――いや、シベリアという国家を誰も信じなくなるだろう。……あの小僧の言う通りだ。私たちは一度、逃げたのだ。もうこれ以上逃げることは許されぬ。民の盾になることはあろうと、民を盾にすることは有り得ぬのだ」


 そう、それが王として決めたこと。英雄と並び立つ存在でいるために、守らなければならないこと。


 ――私は、王だ。


 かつては、第三王女という身分から政略のために他国へ嫁ぐ身だった。それ自体は正しいことだと思っていたし、不安もないことでもあった。しかし、今はもう違うのだ。

 父も、母も、兄も、姉も、弟も、妹も。全てが殺された。処刑されてしまった。

 もう――自分しか残っていない。

 だから、背負うのだ。この国を、民たちを。そのために、ソフィアという女はいるのだから。


「青二才」


 故に、命を下す。

 英雄がそうであるように、王もまた、孤高でなくてはならない。

 全てを見下ろしながら、それでも尚、人であり続けねばならないのだ。


「貴様とセクターに、この一戦の全てを任せる。細かい命令など与えぬ。命令は一つだ。――勝て」

「――了解しました」


 レオンが頷き、一度頭を下げるとこの場から走り去って行った。それを見送り、ソフィアは再び戦場へと視線を向ける。


「真面目なものだな、青二才も。……まあ、だからこそ青二才なのだが」


 レオンは正直、真面目に過ぎる。それは美徳であるが、真面目な思考は時として人を殺す。

 まあ、あれくらいの年齢ならばそれでいいのだろうと思う。まだまだ、彼には先があるのだ。


「……それにしても、あの女は何を考えている?」


 眉をひそめ、ソフィアは呟く。その視線の先にいるのは、突如戦場に現れた金色の神将騎だ。

 ――〈金剛夜叉〉。

《女帝》出木天音――数々の伝説を残すその怪物の僚機だ。ソフィアも先程、『私の方へは手を出さないでください』という天音からの一方的な通信の際に名を聞いただけで、世間一般では別の名で呼ばれている神将騎だ。

 曰く、『金色の神将騎』。

 その力の根源は、『鬼』の如き剛力。あらゆる神将騎の中で、瞬間的な出力はおそらく〈毘沙門天〉が最高クラスに位置するだろう。あのブースターを全力で起動させた時の馬力は圧倒的だ。

 しかし、純粋なパワーならばおそらく〈金剛夜叉〉は正しく『最強』だ。ソフィアが今しがた目にした、四機の神将騎を素手で捻り潰す力……常識外の兵器である神将騎でも、その力は群を抜いている。

 派手な固有武装など必要ないのだろう。その両腕――否、その機体の全身。それがあまねく必殺の武器なのだ。

 ――だが、だからこそわからない。


「手は打つ、と言っていた。……だが、〈金剛夜叉〉はその一手ではないはず」


 ロストテクノロジー……オーバーテクノロジーを敵が使ってくることを予測した天音は、『手は打つ』と口にしていた。そして事実、それは果たされたのだ。

〈ワルキューレ〉が撃った一発目に対する、こちらからの超駆動砲による砲撃。何も聞かされていなかったが、アレは天音の仕業だろう。そしてそれこそが、天音の一手だったはず。

 ならば――〈金剛夜叉〉は?

 あれを天音が持ち込んでいたことには、驚きはするが不思議には思わない。彼女の神将騎であるのだし、おそらくいつでも使えるように隠していたのだろう。

 だが、何故ここで出陣する?

 今まで、どんな状況でも一度たりとも神将騎を出すなどということはなかったのに。


「……まあ、よい」


 疑問を、その言葉で斬って捨てた。考えても仕方がないことだ。自分を生かした時のように、『気まぐれ』である可能性も否めない。

 どちらにせよ、ここが正念場だ。

 数で劣っているこちらは、どれだけ策を弄しても足りはしない。一般的な撤退の境界線は、兵の損耗率が30%を数えたあたりだという。現状の解放軍は三万弱。一万人が死傷すれば撤退するのが道理だ。

 しかし、解放軍に撤退する場所などない。この戦闘においては、それこそ最後の一兵となるまで戦うしかないのだ。


「……頼むぞ」


 王とは、只々座して結果を待つ存在だ。事前の準備に参加することはあっても、戦闘が佳境に入れば後は見ていることしかできない。

 故に――待つのだ。

 逃げずに、戦場を見下ろす場所で。それが、王としての矜持。


「この手に――否」


 未来のために。

 明日のために。


 灰色の空の下――再び、民が笑顔を取り戻すために。


「我らに――勝利を」



◇ ◇ ◇



 戦場に、笑い声が轟いている。

 統治軍と叛乱軍。双方の兵士たちが敵を殺すために雄叫びを上げるその戦場で、仮面を着けた道化は笑っていた。


「ははっ!! 成程――成程そうか!! そう来たか!! そんなにも私のことが邪魔なのかね、極東の伝説!?」


 ドクター・マッドと名を名乗り、他者にそう呼ばれている男は、そう言って笑い続ける。彼の視線の先にいるのは、金色の神将騎。

 かつて、大戦において起こった裏側の戦い。そこで、歴史に残らぬ戦いを演じた相手の一人だ。

 互いに、過去の遺物――否、異物。

 世界の秘密を知り、それでも尚、生きる者。


「まあいい。ならば全力で相手をしようじゃないか」


 諸手を広げ、そう口にするドクター。その白衣の中から、ノイズのような音が響いた。

 視線を落とす。聞こえてくる声は、ある意味で彼が最も信頼する人物。


『ドクター。手を貸せ。ヒスイを出すぞ』

「ほう。まさか、『金色の神将騎』へ挑む気かね?」

『挑む? 勘違いするなよドクター。――狩るんだ』


 いつもの彼らしからぬ言葉。その理由はわかる。……結局、あの天才もまた人間だということだ。


 ――ままならないものだねぇ。


 全てを手にするには――人として生きるには、人であることを捨てなければならない。何かを貫き通そうとすれば、その他の全てを捨て去ってしまうしかない。

 自分を通すのなら――自然と、自分以外の全てを。命さえも捨てることになる。

 ソラ・ヤナギは今、揺れている。《本気を出さない天才》と呼ばれる男は、自身の感情を持て余している。

 けれど――


「いいだろう。手を貸そう。私も個人的にあの者へは礼をしなければならないのでね」

『上等だ。……なぁ、ドクター」


 敬語を忘れるほどに、ソラは昂っている。その人間臭さに滑稽さを感じる自分は、何なのだろうか?

 ――知れている。

 ヒトであることなど、とうの昔に捨て去ったのだ。


『神将騎に乗れないことがこれほど歯痒いなんて――知らなかった』


 その言葉を残し、ソラは通信を切った。そして、ドクターにとって『最高の失敗作』たるヒスイが〈クラウン〉を駆り、戦場を駆けていく。

 その歩みに、昂る感情の『揺らぎ』が見えるのは――こちらの思い過ごしではないだろう。


「ふふっ、極東の伝説。私を殺したいというのなら、相手になろう。だがその前に、『天才』を打ち倒してもらおうか」


 仮面を外す。外気に触れる、その貌。

 そこに刻まれた口元は、例えようもなく歪んでいた――……



◇ ◇ ◇



 朱里・アスリエルは、ただただ一心に〈毘沙門天〉へ向かって攻撃を続けていた。今の〈毘沙門天〉は〝海割〟ではなく、〈ワルキューレ〉の武装であるツインブレイド〝デュアルファング〟を振るっている。


 ――中尉の武器を……!


 遠心力を利用して縦横無尽に振るわれるその攻撃は、どうしようもなく中尉――アリス・クラフトマンに似ている。片腕とは思えぬ動きだ。

 しかし、それでもこちらが負けることはない。徐々にだが押し始めている。このままなら、押し切れる。

 そう思い、対艦刀を振りかぶったその瞬間。


 眼前を、何かが通り過ぎた。


 反射的にそれを弾く。それによって地面に落ちたその物体は――神将騎の頭部。


「…………〈ミラージュ〉?」


 呟く。この戦場に、〈ミラージュ〉は何機かいる。イタリアの主力だ。当然だろう。

 だが――何故か。

 反射的に、その頭部は部下である少女のものだと――


 ――――――――ッ!!


 それについて確かめる時間は、与えられなかった。突然、右側から感じた凄まじい衝撃。

 機体が浮き上がり、しかし、すぐさま朱里は〈ブラッディペイン〉を立て直す。

 そして目にしたのは――


「貴様は……!」


 現れたのは、金色の神将騎。その右手に巨大な薙刀を持ち、悠然と佇む存在。

 かつて、朱里・アスリエルが『アルツフェムの虐殺』で一時間以上に渡って切り結んだ――否、遊ばれた相手。

 反射的に、そちらへと踏み込もうとする朱里。しかし、その足は一つの声によって止められた。


『止まれ朱里ッ!! そいつは俺が潰す!!』


 同時、飛来したのは〈クラウン〉。上から叩き付けるようにして振り下ろされた〈クラウン〉の盾による一撃を、金色の神将騎が薙刀で受け流す。


 ――今のは?


 視線を巡らせる。そこへ、轟音が轟いた。

 放たれたのは、無数の砲撃。〈クラウン〉をも巻き込んで放たれたその弾幕の雨を見下ろし、一人の青年が佇んでいる。

 ――ソラ・ヤナギ。

 周囲に十台を超える数の戦車を配置し、自身もまた戦車の上に立ちながら。その男は、無線を片手に言い放つ。


『俺が、潰す』


 その言葉に、揺らぎのようなものを感じながら。

 しかし、朱里は敢えてそれを無視した。そのまま、〈毘沙門天〉へと視線を向ける。

〈毘沙門天〉から。

 いつもの気配を――感じない気がした。



◇ ◇ ◇



 見覚えのある姿。それを見据え、〈金剛夜叉〉のコックピットで天音は鋭い視線をそちらに向けた。〈毘沙門天〉を回収して即座に離れるつもりだったのだが……厄介なものが出てきた。


「私は先代大日本帝国《七神将》第三、第四位《女帝》――出木天音。そちらがただの一兵卒であるならば、そこを退きなさい。時間の無駄です」

『俺はソラ・ヤナギ。中隊を預かる指揮官だ。名も無き無名の指揮官だが――事情がある。付き合ってもらうぞ』

「是非もありませんね」


 呟きを零し、薙刀を構えると同時に。

 無数の砲撃が――〈金剛夜叉〉を狙い撃った。

大変遅くなってすみません!!

リアルが色々と忙しく……新入生の歓迎会って、大変ですよね……。


と、そんなこんなで配置は完了。この戦いはシベリア編における山場ですので、楽しんで頂けると幸いです。

あともう少し……頑張って一区切りを付けたいところです。


ご意見、感想をお待ちしております。


ありがとうございました!!

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