第三十二話 一つの結末
カルリーネ・シュトレンは、次々と伝えられる報告に思考を巡らせていた。数ではこちらが上。難攻不落の城塞都市アルツフェムも、その外壁を砕かれた。叛乱軍は、ここで潰せるはずだった。
――しかし、現実は。
「後方から別働隊の強襲だと……!?」
叛乱軍は、アルツフェムへと完全に閉じ篭っていたはずだった。それがいつの間にか統治軍の背後へと回り込み、こちらを強襲している。
数で上とはいえ、統治軍は広がった状態。統治軍の性質上、連携にも不安が多い。このままでは、こちらは低くない被害を受ける。
――撤退か? いや、ここで退けば叛乱軍を視察団の到着までに潰せなくなる……!
ギリッ、とカルリーネは歯を食い縛った。ここで退くのは正解だろう。しかし、それはここまでの勝利を全て無駄にする行為でもある。
退くべきか、それとも被害を覚悟に戦うべきか。
ギリギリの判断を、カルリーネは迷う。彼女は朱里から撤退の判断を預けられた。つまり、ここでの結果の責任は彼女が背負うことになる。
いや、正確には『責任』ではない。それは彼女に指揮権を預けた朱里が背負うものだ。彼女が背負うのは、『結果』である。
故にこそ、迷う。
「…………ッ!」
彼女が迷えば迷うほど、多くの犠牲者が生まれ、同時に泥沼の戦闘は続いていく。叛乱軍が事実上撤退ができないのだから、彼女の判断がそのまま結果だ。
壊滅に近い被害を受けながら、それでも叛乱軍を殲滅する賭けに出るか。
ここは退き、別の方法で決着を着けるか。
答えはまだ――その口から放たれずにいる。
◇ ◇ ◇
その強さは知っているつもりだった。理解していると、そう思っていた。
けれど――それは間違いだったと理解する。
――強い……!
斬り結んだ数は、精々十合。しかし、アリスにとってはそれだけで相手の実力を十二分に理解できた。
《赤獅子》朱里・アスリエル。
大戦時に勇名を馳せた、イタリアの英雄。その力は等しく一騎当千。あの《七神将》とも渡り合えると謳われる力は、『イタリア最大戦力』という名に恥じないものだ。
――押し切られる……!
向こうの攻撃をどうにか受け流すだけで精一杯だ。片腕であること――いや、違う。片腕ではなく、両腕があってもおそらく同じ結果になっているだろう。
これほどの力か、とアリスは思った。
護は、こんな人と戦ってきたのかと。
――けれど。
その護は、今は動けない。
「…………ッ!」
大きく息を吸い、歯を食い縛る。今の目的は朱里を、〈ブラッディペイン〉を倒すことではない。一刻も早くここから離脱し、護の傷を手当てしてもらうことが目的だ。
そこで、不意に。
本当に不意に、アリスの思考に疑問が浮かんだ。
――手当て?
一体――誰から?
統治軍は駄目だ。自分はただでさえ、爪弾き者。この場に現れたソラやヒスイ、別のところで戦っているのであろうリィラなど、理解者はいる。彼らのことも信用している。
しかし、それでも彼らは統治軍だ。護・アストラーデという叛乱軍の英雄は、何をしてでも殺さねばならない相手。
ならば、どうすればいい?
一体、誰に護を助けることを願えば――
戦場では決して抱いてはならない逡巡。
それが、致命的な隙となる。
『潰れろ餓狼』
鋭い、圧力を感じさせるような言葉を吐いて。
《赤獅子》が、全力で対艦刀を振り下ろしてきた。
――間に合わない。
思考の遅れが、そのまま体の遅れに直結する。
呆然と、振り下ろされる一撃を見つめるしかない。
まるで、断罪のような一撃を――
「――――ッ!」
その時、だった。
アリスの耳に、声が届いて。
その左手に、温かな手が乗せられた。
――――――――!!
甲高い金属音が響き渡る。〈ブラッディペイン〉のパワーに押され、吹き飛びそうになる機体。それを、アリスの左手を強く握った別の手がブースターを操作し、強引に抑え込む。
均衡する、二つの機体。
敵は、『血塗れの傷』を操る《赤獅子》。
対し――
「……悪いな、寝坊した」
今、背後から手を伸ばしてくれているのは。
息も絶え絶えに、それでも笑みを浮かべているのは。
「乗り切るぞ、アリス」
『軍神』を操る、《氷狼》。
英雄同士の戦いが、加速する。
◇ ◇ ◇
理不尽な現実というのは、どこにでも転がっている。
どれほどの幸いを得た人間であろうと、銃弾の一発、ナイフの一本で容易くその人生が終わりを告げる。更に言えば、たった一人の気まぐれで人は死ぬのだ。
人は、死ぬ。
死んでいく。
生まれるから、死んでいく。永遠の命などありえない。多くの人間がそれを望み、望み続けているということは、それは手に入らない永遠の夢だからだろう。
時は止まらず、流れていく。
故に、今を歩む足を止めてはならない。止まってしまえば、置いていかれてしまうから。
「…………」
しかし、ソラ・ヤナギという壊れた人間はそれを知りながらずっと立ち止まっていた。今の仲間たちと共に歩む振りをしながら、ずっと昔を見据えていた。
全てを喪った日。
何でもできると信じていた愚か者が、何もできないと知った日。
背負っていると思った者たちに、自分は背負われていたのだと知った日。
二年前のあの日を、ずっと見ていた。
『……そういえば、あなたには木枯が二年前に随分世話になったようですね』
聞こえてくる声は、乗っている〝奏者〟が〈金剛夜叉〉と名乗った神将騎からだ。
――出木天音。
《女帝》と呼ばれる、《七神将》においても異端とされる怪物。
あの日、朱里・アスリエルと殺し合い、多くを奪った存在。
『一応、あれでも私の親友です。礼はしておきましょうか』
風切り音を響かせ、薙刀を振るう〈金剛夜叉〉。その威圧する気配に当てられたのか、激昂しているであろうヒスイの操る〈クラウン〉も足を止めて待っている。
――開戦の時を。
ただ――待っている。
「……世話になったのは、こっちだよ」
呟きを漏らす。あの日、できたことなど何もない。ただ皆が、こんな愚か者のために命を懸けてくれた。それだけだ。
朱里は、自分のことを英雄だと呼ぶ。いつも、それを否定してきた。
――英雄などでは、断じてない。
英雄とは、ヒーローだ。救うべき者を全て救うのが、不可能を可能にするのがヒーローだ。
自分は、そんなものじゃない。
「奪われただけだ。俺はあの日から、一歩も前に進んじゃいない」
手を、挙げた。
そしてそのまま――言葉を紡ぐ。
「進めないんだよ、俺は。どうしようもないんだよ」
空っぽの心で、今更どうしろというのだろうか。
本当に――どうかしている。
心に渦巻く怒りの気持ち。それは本来、思考の全てを塗り潰すべきもののはず。
なのに、自分は。
――ただただ、冷静に。
敵を倒す方法を、思案している。
憤る自分を、滑稽だと嘲笑う自分がいる――……。
本当に……どうしようもない。
どうしようもないほどに――壊れている。
目の前で大切な人を壊されて。
どうして俺は……涙の一つさえ、流せない?
「消えろよ、《女帝》」
『消せるものなら』
「……大戦時、確かに神将騎は圧倒的な戦力だった。そもそも実地でどれだけの働きができるかわかっていなかったんだ。対策を立てるにも情報が少な過ぎて、だからこそ神将騎は現代最強の兵器と謳われた」
冷静な思考が、それができてしまう頭が、言葉を紡いでいく。
「確かに神将騎は強い。けれど――無敵じゃない。……準備は整った。鳥籠の中じゃ、飛べる高さは知れている」
言い放つ言葉。対し、天音は小さく呟く。
『〝鳥籠〟……私に対してその言葉を紡いだこと、後悔しなさい』
〈金剛夜叉〉が身を縮める。対し、ソラは言い放った。
「行くぞ総員。――戦車発進。古き時代を蹂躙せよ」
放たれる、戦車の砲撃。雨のように降り注ぐその中を、〈金剛夜叉〉が駆け抜けようと地面を蹴る。
――しかし。
その進路上に、〈クラウン〉が割って入った。
「――潰れろ、《女帝》」
連鎖するように爆発が起こる。その中心にいるのは、二機の神将騎。
その、最中で。
――金色の鬼が、天を見上げて咆哮した。
◇ ◇ ◇
砲撃による轟音が響く中、その全てを紙一重で避けながら、静かに怪物は呟いた。
「久方振りではありますが、相手が相手。〈金剛夜叉〉、あなたにもしっかりと働いていただきますよ」
コックピットの内部を、軽い振動が揺らす。伝える術を持たぬ神将騎の意志は、感じ取るしかない。
オカルトだと、そう思っていた時期もあったが……いくつもの事例を見せられては信じるしかない。動かせるはずがないこの〈金剛夜叉〉をこうして自分が起動させているのも、『あの人』の想いの残滓なのだろう。
「……戦いますよ、私は」
全てを喪い、全てを捨ててきた。たった一つの、自分で貶め、砕き、傷つけ、ボロボロにしてしまった願いを抱いて。最早それを叶えたところで、何一つ救われはしない。
それでも、と思うのだ。
筋も通らず、道理も通せず。たった一つの願いを自ら踏み躙っておきながらも。
もうそれしか、残っていないのだから。
「ずっと、ずっと戦い続けます」
今の彼女が纏うものは、いつもの白衣ではなかった。白の対極――漆黒の軍服。大日本帝国の軍服と全く同じ作りをしていながら、しかし、色があまりにも違う。
そしてその背に描かれるのは、血のような紅い文字。
背負う文字は――『心理』。
心と、理。その二文字を背負い、《女帝》と呼ばれた女は戦場を駆け抜ける。
「手を貸してください、〈金剛夜叉〉。そして……清心」
モニターの端に、一つの文字が浮かぶ。
――『UNLIMITED』。
無制限。大日本帝国が最強を誇れた、神将騎が持つ秘密、その一端。
金色の鬼が、その力を振り翳す。
「さて、それでは一つ――《生きる屍》からご退場願いましょうか」
眼前の〈クラウン〉へと手を伸ばす。モニターが爆炎の赤に染まる中。
――〈クラウン〉の両腕を、力任せに引き千切った。
◇ ◇ ◇
揺れる意識を必死に起こし、護はモニターを見ていた。映っているのは、紅蓮の獅子。《赤獅子》が操る、英雄の神将騎。
感情が揺れる。昂る。それほどまでに、今目の前にいる神将騎は護にとって看過できない存在だ。
――二年前、敗北が決まりつつも戦わされたあの日。
小さな約束を交わしたその時に、あの神将騎がその全てを打ち砕いた。
長い、長い闘いの日々。
その始まりは、紅蓮の神将騎で。
その理由は、ここにいる――
「…………ッ!?」
不意に体を突き抜けた激痛で、その思考が切断された。
腹部が熱い。意識を奪うような激痛が走る。一度気絶し、目を覚ましたせいか――あの時は感じなかった痛みを、体が感じてしまっている。
しかし、だ。
それが――どうした?
――寝てる場合じゃねぇんだよ……ッ!!
握った手から伝わる温もり。
後ろから抱き締めるような形になっているからこそ感じる、確かな存在。
――アリス。
ずっと、ずっと追いかけてきた。追いかけて、手を伸ばして、ずっと――……
「……往けるか、アリス?」
ギリギリと、〈ブラッディペイン〉の対艦刀と〈毘沙門天〉の〝デュアルファング〟が、ギチギチと鈍い音を立てて鍔迫り合いをしている。〈毘沙門天〉がブースターを吹かすことで〈ブラッディペイン〉と渡り合っているこの状況は、均衡が崩れた瞬間にどちらかが吹き飛ぶ状態だ。
だからこそ、互いに動けない。周囲には無数の砲弾が着弾し、モニターの端では見覚えのない金色の神将騎が一機、悠然と佇んでいる。その周囲からは戦闘の音が聞こえるし、立ち止まっている場合ではない。
しかし――動けない。
動けば、コンマ一秒の鬩ぎ合いが始まるだろう。一瞬のミスが、容易く『軍神』を打ち砕く。
故にこそ、護は問うたのだ。イタリア最強の英雄を相手に、どうにかできると思うか、と。
果たして、答えは。
「――往きましょう、護さん」
応じる、言葉。
瞬間。
強く、強く護はその手を握り締めた。包み込むように、アリスの手を握る。
――そして。
――――――――!!
『軍神』の名を持つ神将騎が、その全力を振り絞る。
まるで煉獄の焔が噴き出すかのように、その背から圧倒的なエネルギーが放出された。世界中に存在するあらゆる神将騎――その中でも、瞬間的な出力では最強とされる軍神が、その牙を剥く。
均衡が、崩れる。
「――お、おおっ……!」
その叫びは、どちらのものだったのか。
英雄と呼ばれる少年か。
裏切り者と呼ばれる少女か。
それとも――あの日、小さな約束を交わした二人のものだったのか。
「……届け……!」
しかし、相手は《赤獅子》。こちらが確実に力では上回っているはずだというのに、針の穴へ糸を通すような絶妙なバランス感覚を用い、耐えている。
ギチギチと耳障りな音が響き、徐々に〝デュアルファング〟が押し込まれていく。
「……届けぇ……ッ!!」
バキン、と。何かが折れた音が響き渡った。
〈ブラッディペイン〉が持つ対艦刀。それが断ち切られ、同時、刃が欠けた〝デュアルファング〟が唸りを上げてその首へと迫る。
「――――」
音が――消えた。
交錯は一瞬。〈毘沙門天〉は自身が全開で起動したブースターにより、空高く舞い上がる。
そして、それとは別に。
宙を舞う、一つの物体。
それは。
――獅子の、頭部。
イタリア最強の神将騎、〈ブラッディペイン〉の頭部が――地に堕ちる。
「…………」
しかし、今の二人にはそんなものは見えていない。
その目に移るのは、夜空を覆う分厚い雲。
灰色の――空。
「……なぁ、アリス」
薄れゆく意識の中で。
護は、もう一度その言葉を紡ぎ上げた。
「平和になったら……何がしたい?」
その言葉に、アリスが息を呑む。しかし、彼女は一度息を吸い込むと、ゆっくりと呟いた。
「……もう一度……世界を、見たいです。今度は、今度こそ……護さんと、一緒に」
もう一度、と告げた彼女。その言葉の意味は、わからない。
しかし、それでも言ってくれた。
今度こそと……言ってくれた。
「……そっか」
小さく、本当に小さく、護はそう呟いて。
薄れゆく視界で、灰色の空を見上げた。
……遠い、なぁ。
そんなことを、小さく思い。
安堵を込めて、呟いた。
「――良かった」
直後。
――護の手が、アリスから力なく離れていった。
◇ ◇ ◇
灰色の空に打ち上げられた、一機の神将騎。いや、打ち上げられたというよりは、『打ち上がった』という言い方をした方が正しいのかもしれない。
しかし、そんなことはソラにとってはどうでも良かった。彼の瞳には、中空に浮かぶ神将騎とは別のものが映っている。
……撤退信号。
打ち上げられたそれは、カルリーネの判断によるものだろう。少々遅い気もするが……それは仕方がない。この状況で撤退、つまりは敗戦を享受することは、歴戦の指揮官でも難しい。
現在、彼の側には誰もいない。戦場に、ただ一人で佇むように立っている。
撤退したわけではない。そうではなく、ソラが率いていた者たちは皆一様に一つの結末へと至ったのだ。
――全滅。
たった一機の神将騎に、彼が率いた者たちは全滅させられた。
「…………」
それでも、睨むようにソラは前を見つめている。彼の視界には、無数の兵器、その残骸の中心に立つ一機の神将騎がいた。
――〈金剛夜叉〉。
大日本帝国の《七神将》の二角を背負い、数々の伝説を残した《女帝》の僚機。あらゆる神将騎の中でも最強とされるその神将騎は、何も持たない状態で佇んでいる。先程まで振り回していた薙刀は、戦闘の途中で壊れてしまった。
そう、これだ。
〈金剛夜叉〉が唯一抱えるであろう弱点。それは、その圧倒的過ぎるパワー故に武器を自ら破壊してしまうところだ。また、その速度も決して速くはない。その移動法のほとんどが跳躍であるのはそれが理由だ。
しかし、その弱点を補って余りあるほどに〈金剛夜叉〉は強い。
その剛力で、多くが捻じ伏せられた。ソラ以外の全てが――破壊された。
『ソラ・ヤナギ……でしたね?』
聞こえるのは、女の声。〈金剛夜叉〉の奏者――出木天音の声。
『あなたには一つ、借りがあります。少年たちの命を見逃すという借りが。……本来なら、少年がああして《赤獅子》に借りを返したように、青年が借りを返すべきなのでしょうが……あなたが相手では、少々青年では役者不足ですからねぇ』
「…………」
応じる言葉はない。決定的なまでの敗戦。そんな中で紡げる言葉など、ありはしない。
『ああ、ご安心を。なるべく殺さないようにはしましたので。……何人かは死んだでしょうが、それは日ごろの行いの差。因果応報、良い言葉です』
笑い声。ソラは、強く拳を握り締めた。
――俺は……!
こんなところで、何をしているのか。
神将騎にも乗れたはずだった。しかし、実力と才能が足りず、だからそれで納得した。神将騎ではない力が無ければ生き残れない――そう、『生き残る』。それが全てだと思っていた。
実際、そうしてきたし、これからもそうしていくつもりだ。生き残ること。守ること。それが全て。
何があろうと、守り切ると――そう、あの日に誓ったのだから。
――なのに。
――俺は……ッ!
守れなかった。守りたいものを、守りたかった人を。
その仇すら――討てなかった。
無様にも、情けまでかけられた。
『それでは、御機嫌よう。金色の鬼と共に戦場に舞い降りた私は、一幕の夢。踊るは舞台ではなく戦場ですが、そんなものは持つものが扇子であるか刃であるかの違いでしかありません。この鬼がこの地であなた達に牙を剥くことは……もう、二度とないでしょう』
金色の鬼が、跳躍する。その圧倒的なパワーで地面を蹴った〈金剛夜叉〉が、戦場から離脱していく。
周囲の者たちも同様だ。撤退信号を受け、この戦場から去っていく。
「…………」
ソラは、ただただ黙してその場に立ち尽くしていた。『天才』――そう呼ばれ、実際、それに相応しい実力を有する彼はしかし、『天災』に敗北した。
「完全な敗北だねぇ?」
不意に、背後からそんな言葉が聞こえた。振り返らずともわかる。ドクターだ。
その男は両腕を引き千切られ、地面に這い蹲る〈クラウン〉を見つけると、ふむ、と小さく呟いた。
「ヒスイは無事なようだね。何よりだ。見たところ、死人も少ない」
「……生かされたんですよ」
呟く。そう――生かされた。殺せたのに、あの女はこちらを殺さなかったのだ。
「殺せたのに、殺さなかった。……完全な、敗北です」
「ほう。ならば問うが……ここで、終わりかね?」
「終わりも何も、撤退ですよ」
苦笑を零し、ドクターの方を向く。仮面を外したその男は、くっく、と笑みを零した。
「キミが落ち込むところなど、実に珍しい。明日には槍でも降るのではないかね?」
「落ち込んではいませんよ。……整理がついていないだけで」
「それを落ち込んでいるというのではないかね?……まあ、いい。いずれにせよ、相手が《女帝》では致し方ない。彼女はこの世界の『秘密』を知っているからねぇ。正直、勝てる相手ではないよ」
「……秘密?」
「そう、秘密だ。どうしようもない、世界の秘密。……興味があるかね?」
ドクターが笑みを浮かべた。まるで三日月のように切れ長の口元は、どことなくこちらの意識、その底を刺激してくる。
しかし、ソラはその問いかけに対して別に、と呟いた。
「知ったところで、どうにかなるようなことでもないでしょう?」
「かもしれないねぇ。だが……そうだね。彼女と同じ領域には立てるだろう。仇を討つにしても、同じ領域まで昇らねば不可能だ。どうかね?」
「それは、俺に教えてもいいことですか?」
戦場の最中、二人の男が向かい合う。ふっ、とドクターが笑みを零した。
「キミならば問題ないだろうさ。背負うことができるだろう。……私も少々、厄介な身の上でね。事情を知る者がいてくれるのは非常に助かる」
言われ、ソラは一度振り返った。もう姿は見えないが……〈金剛夜叉〉が立ち去った方角を、静かに見据える。
「……知れば、何かが変わりますか?」
問いかけに、変わるだろうね、とドクターは頷いた。
「キミの世界は一変する。そうだね……最早キミは、キミと君の周囲の人間の幸福だけを願うなどということはできなくなるだろう。それほどまでに重い事実だ」
「――わかりました」
頷き、ソラは歩き出した。そのままドクターの横を通り過ぎ、呟くように言葉を紡ぐ。
「踊って差し上げますよ。あなたの思惑通りに」
そう言って、ソラは立ち去った。その背が見えなくなった後、くっく、とドクターが笑みを零す。
「天才も、やはり人間だねぇ……。くっく、楽しみだよ。この場所は、どうしようもなく楽しませてくれる。――ははっ! 次は何を見せてくれるのかね、この世界は!?」
撤退が始まった、統治軍と叛乱軍、最大の衝突が起こった戦場に。
狂笑が、いつまでも響き渡った――……
◇ ◇ ◇
統治軍の撤退。それが意味するのは、解放軍の勝利である。しかし、統治軍のみが損害を受けているわけではない。解放軍とて相当な被害を受けている。
普通なら、ここで痛み分けという形で双方共に撤退するのがセオリーなのだが――
「解放軍、総員に告げる」
無線を片手に、地獄のような戦場を見据えながら。
王は、告げた。
「――追撃戦だ。一兵たりとも見逃すな!!」
彼女に付き従う兵たちへ、その言葉を。
「痛み分けなどこちらは求めていない!! 我らが求めるのは勝利のみ!! ここで退けば我らの勝利などありえぬ!! 進め!! 祖国を救うのだ!! 奪われたものを――取り戻せ!!」
同時、すでに半壊に等しい解放軍が動き出す。追撃戦――この戦闘、いや、戦争はまだ終わらない。
挟撃するために統治軍の背後に回っていたセクターの部隊は、すでにこちらの本隊と合流している。数の問題としても流石に全てを殺し切ることは不可能だろうが――それでもだ。
『ソフィア様』
戦場を見つめるソフィアの耳に、そんな声が届いた。聞き覚えのある声――かつての戦争で首都を脱出する時から、ずっと傍にいてくれる人の声。セクターと同じく――いや、それ以上に信頼する相手。
アーガイツ・ランドール。
〈セント・エルモ〉を操る、奏者。
『大丈夫ですか?』
その優しげな声色も、ずっと変わらない。
正直、この戦は――解放軍は、負け戦を挑んでいる。決してそんなことは口にはしないししてはいけないが、それでもそれがどうしようもない現実だ。
アランとセクターには、解放軍を立ち上げる時にそう話した。しかし、二人共が言ってくれたのだ。
――『勝てます』。
たった一言。しかし、何よりも強い一言を。
国を、民を背負う――あまりにも重い現実を受け止めきれなくなっていた自分に、道を示してくれた。
だから、決めたのだ。
個人の全てを捨ててでも、民を導く光となろうと。
「案ずるな、アラン。……それに、今は私と貴様だけだ。敬語は必要ない」
『そっか。……ねぇ、ソフィア。この戦争、勝てると思う?』
「言ったはずだぞ、アラン。二年前に、これは『負け戦』だとな。……ここを抜けていった小僧次第だろう」
『随分と彼を評価しているんだね?』
「お互い様だろう」
ふう、と息を吐き、ソフィアは言った。彼女が小僧と呼ぶ人物は一人だけだ。
護・アストラーデ。
《氷狼》という名でその名を轟かせる、軍神を携えた英雄。
あの青年のことを、ソフィアもアランも高く評価していた。しかしそれは、あくまで一個人としてのものなのだが。
「羨ましいことだ、本当に。ただただ、あそこまで愚直に前を見れる人間などそうおらぬ。歪み、捻じ曲がった者なら数多く知っているが……歪み、あそこまで真っ直ぐになった者など見たことがない」
『正直、危険だけどね。全てを救う……人を殺してそれを為そうとする彼は、どうしようもなく矛盾している』
「だからこそ、『狂奔』という言葉が何よりも似合うのであろうな。……さて、アラン。先陣は任せたぞ。小僧はある意味で仕方がないが……あの青二才とセクターまで失うわけにはいかぬ」
『確かに。じゃあ、ソフィア。――国を任せたよ』
両肩に砲門を背負った神将騎、〈セント・エルモ〉が戦場を駆けていく。
『いつかキミが言ったあの言葉……違えずに、見せて欲しい』
戦場を駆け抜ける傭兵の背を見ながら、ソフィアは無線の通信を切った。外壁の上に佇む彼女は、戦場を見下ろせるその場所で、扇子を取り出す。
以前、天音が戯れと言って見せてくれた踊り。普段の彼女とは違う、別世界の人間のような居住まい――それこそ、白衣を着ているのにそうと感じさせない佇まいで披露してくれた、一夜限りの舞。
昔から、ソフィアは演劇や舞踊、オペラというものが好きだった。こことは違う世界を見せてくれるそれを愛してやまなかった。
それを知っていたわけではないだろうが、天音が見せてくれたのだ。「あなたに相応しいでしょう」――そんなことを口にして、その舞を。
「――人間五十年……」
あまりにも儚き人の生を謡うその舞は。
成程確かに――私には相応しい。
「下天の内をくらぶれば――……」
五十年という、人にしては長き人生も。
「――夢幻の如くなり――……」
下天にしてみれば一日にしか当たらない。
実に儚きものである。ならば、何故。
何故――私たちは生きているのだろうか?
殺し合うのだろうか?
戦場の中、一人の王は舞い踊る。
そうして、その果てに――……
◇ ◇ ◇
戦場から離れた場所。戦闘の音が遠くから聞こえるその場所に、いくつかの人影があった。
その中で向き合うのは、二つの人影。
出木天音。
アリス・クラフトマン。
互いに〈金剛夜叉〉と〈毘沙門天〉を背に、真剣な表情で向かい合っている。
「……私は、どうなっても構いません」
不意に、アリスが呟くようにそんな言葉を紡いだ。泥で汚れることも厭わず、彼女は膝を地面に着け、首を垂れる。
「護さんを、助けてください……!」
言葉を受け、ゆっくりと天音はアリスから視線を外した。その視線の先には、荒い息を吐きながら目を閉じている一人の青年と、その傍らでとりあえずの応急処置としての止血を行っているアルビナがいる。
「……何でも、と申しましたね?」
その二人から視線を外すと、天音は懐から銃を抜いた。そのまま、顔を上げたアリスの額へと、その銃口を突きつける。
「つまりここで殺されても、文句はないと?」
「……私は」
震える体で、しかし、真っ直ぐに天音のことを見つめながら。
アリスは、それでもしっかりとした調子で言葉を紡いだ。
「私には、護さんを助けられません……。私には何もできない……何もできないんです!」
その瞳から、涙が零れた。それでも、アリスは叫ぶ。
「命ぐらいしか、命ぐらいしか私には残っていません! お願いです! 私はどうなってもいい! だから、護さんを助けてください!」
「その選択を、少年が喜ぶとでも?……あなたを救い出すために、少年はずっと戦ってきました。それがわからぬほど、愚かというわけでもないでしょう?」
天音の言葉に、アリスは頷いた。頷きながら、それでも言葉を紡ぐ。
「……わかっています。嬉しいです、本当に。護さんが命懸けで手を伸ばしてくれて、私はそれを拒絶したのに、それでも連れ出してくれた。でも、そのせいで、私のせいで護さんは傷ついているんです」
「それは少年が選んだこと。彼の結末です。違いますか? それに……あなたが死ぬことは、少年にとって最悪の結末のはず」
「それでも、それでも私は」
一瞬、ほんの一瞬だけ。
アリスは、その視線を護へと向けた。
「護さんに――生きていて欲しいんだと、そう、思います」
生きていて欲しい。
温かさを教えてくれた人に、ただ――
「…………その言葉を、また聞くことになるとは、ね」
小さく、誰にも聞こえないような声で、天音が呟いた。次いで、その瞳がアリスへと据えられる。
「個人的には恨みなどありません。しかし、ここで殺してしまうのが慈悲であるのではないかと私は思います。《裏切り者》のあなたに、居場所などありません。どちらが勝とうと、あなたには地獄しか待っていない。……そうでしょう?」
「選んだ、道ですから」
呟くように、アリスは応じた。
「こうなることを、私が望んで……そして、こうなっただけですから」
「覚悟は済んでいると、そういうことですね?」
「はい」
終わる未来はずっと見えていた。後は、それにどう行き着くかだけ。
その中で、護を庇って死ねるのならば……それはきっと、最高の結末だと思うのだ。
引き金に指がかかる。終わりだと、目を閉じたその瞬間に。
「――待てよ」
背後から、そんな言葉が届いた。目を開ける。自身の横に、護が立っていた。
「人が寝てる間に、勝手な結論出してんじゃねぇよ。俺は大丈夫だ」
「護、さん……?」
「……痩せ我慢もそこまでいくと感心しますね」
ふう、と天音はため息を吐く。そのまま、夥しい量の血を流す護を見据えながら問いかけてきた。
「ならば、どうするつもりですか? この先どうしていくつもりなのです、少年?」
「どうもしねぇよ。戦うだけだ」
「孤軍で、ですか?」
「独りきりだろうと、戦う。戦い続ける。そうしなけりゃ、全てが終わっちまうだろうが」
呆然と、アリスは横に立つ護の言葉を聞いていた。死の足音が聞こえているであろう彼は、しかし、一歩も怯えを見せずに言い切ったのだ。
戦う、と。
こんな体で、それでもまだ。
「まだ、まだやれる。戦えるんだよ俺は。だったら戦う。戦い続ける」
「……、護さん――」
「――成程、その意志は理解しました」
アリスの言葉を遮り、天音が言ったその直後、鈍い音が響いた。
放たれた天音の拳が、深々と護の腹部を貫いていたのだ。
「しかしまぁ、とにかく今は寝ていなさい。寿命を縮めますよ、少年」
「…………ッ、あっ……!?」
「まあ、すでに縮んでいるのでしょうが」
護の体が、地面に沈む。天音はため息を零すと、アルビナ、とずっと状況を見守っていた女性を呼んだ。
「手を貸してください。少々無茶をしますが、少年の〝奏者〟としての質は上等です。そこの少女に比べれば劣るようですが、それでも十分」
「はいはい。とりあえず、応急処置のための道具は一通りそろってるよ」
「意識は飛んでいますし、今後の影響も考えて麻酔は使いません。……ああ、そこの少女。あなたも手伝いなさい」
言われ、アリスは反射的に頷いた。天音が屈み込み、護の手当てを始める。その手つきは慣れたもので、実際、アリスにできそうなことなどなかった。
服を裂き。アルビナが持ってきた道具で止血を始める天音。そのように作業を進めながら、天音は呟いた。
「……まだ、ここで倒れられては困るのですよ」
そんな、言葉を。
それがどういう意味かは、わからなかったが――……
◇ ◇ ◇
「目を覚ましたみたいだね?」
かけられた声に顔を上げると、そこにいたのはアルビナだった。それと同時に、自身がいる場所が先程までの戦場ではないと気付く。
室内……それも、見たことがない金属質な壁で覆われた室内だ。思わず、護は言葉を零す。
「ここは何処だ?」
「――護さん!」
しかし、その問いかけに対しての答えが返ってくる前に、そんな声が届いた。アリスが、泣きながら抱き着いてくる。
「良かった……! 良かった……!」
「……アリス」
目から大粒の涙を零し、ただその言葉だけを口にする少女の頭を、優しく撫でる。その様子を見てとり、アルビナが微笑みながら言葉を紡いだ。
「無茶するもんじゃないよ、小僧。アンタのために泣いてくれる人がいるんだ。そういう人を泣かせちゃいけないことぐらいは、わかるだろうに」
「……ああ」
頷く。そこで、護はある人物がいないことに気付いた。
「そういや、あの人はどうしたんだ?」
「野暮用でね。少し出てる。……そうだ。伝言を預かっていたね」
言って、アルビナは二人を見た。そう――二人だ。
護・アストラーデ。
アリス・クラフトマン。
その二人を見つめ、言葉を紡ぐ。
「――英雄になれ、だそうだ」
アルビナは、ただそう口にした。
「アンタたち二人には、今、二つの選択肢がある。このまま死んだことにして、シベリアの中――あるいは他の国で、隠れるようにして暮らしていくか。それとも、解放軍とは別の動きとして、統治軍と戦うかの二つがね。……英雄となれば、なることができれば、その背景がどうあれアンタたちの立場は保障される」
さあ、どうする、とアルビナは問いかけた。
「逃げるか、戦うか。……アンタたちは、どうする?」
――返答は。
おそらく、決まっている――……
というわけで、とりあえず一つの帰結です。
シベリア編はもう終盤。うまく進めば後、二、三話で終わると思います。
そして、ちょっと気が早い気がするのですが……シベリア編完結後に、各キャラクターの短編をいくつか挟みたいと画策していたりします。
こんなキャラクターの話が見たいというリクエストがございましたら、ご意見ください。
感想、ご意見お待ちしております。
ありがとうございました!!




