第8話 最初の仕込み
翌朝。
酒蔵には、昨日よりも早い時間から人が集まっていた。
村人。
オーク。
そして女性騎士まで、誰一人遅れることなく姿を見せる。
一樹は酒蔵の入口で大きく頷いた。
「おはよう。」
「今日は、いよいよ仕込みの準備を始める。」
村の若者が手を挙げる。
「まず何をすればいい?」
一樹は少し照れくさそうに笑った。
「正直に言う。」
「俺、酒を造ったことはない。」
酒蔵の中が静まり返る。
女性騎士は額に手を当てた。
「またですか……。」
「でも。」
一樹は続ける。
「酒蔵で教えてもらったことは覚えてる。」
「だから、一緒に考えながら進もう。」
樽職人の老人が一歩前へ出た。
「酒は一人で造るもんじゃない。」
「皆で造るもんじゃ。」
「なら十分じゃろ。」
その一言に、皆の緊張が少しだけほぐれた。
一樹は酒蔵の中央へ歩き、木桶を見渡す。
「まずは材料を全部集めよう。」
「足りない物も確認する。」
「足りないまま始めるのが、一番失敗する。」
族長が頷く。
「赤蜜の実なら朝一番で採ってきた。」
若いオークたちが大きな籠を運び込む。
中には真っ赤な果実がぎっしり詰まっていた。
甘酸っぱい香りが酒蔵いっぱいに広がる。
一樹は思わず顔をほころばせた。
「これは……いい香りだ。」
「飲む前から分かる。」
「きっと、いい酒になる。」
若いオークが少し誇らしげに胸を張る。
「毎年、一番出来のいい実だけを選んでいる。」
「なるほど。」
「だからこんなに香りがいいのか。」
今度は村人たちが麦袋を運び込む。
「今年は少ないけどな。」
「全部は出せない。」
村長が申し訳なさそうに言う。
一樹は静かに頷いた。
「全部じゃなくていい。」
「今あるもので、一番いい一杯を目指そう。」
その言葉に、酒蔵の空気が少しだけ明るくなる。
誰も「無理だ」とは言わなかった。
昨日までなら考えられなかった変化だった。
しかし、その時。
樽職人の老人が木桶の中を覗き込み、険しい顔になる。
「……まずい。」
一樹が振り向く。
「どうしました?」
老人は木桶の底を指差した。
「肝心な道具が、一つ足りん。」
酒蔵の空気が再び張り詰めた。
「足りない道具?」
一樹が木桶を覗き込む。
見たところ、大きな木桶も樽も昨日きれいに磨き上げたばかりだ。
「何がないんですか?」
樽職人の老人は桶の縁を優しく撫でながら答えた。
「攪拌棒じゃ。」
「かく……はん?」
女性騎士が首をかしげる。
「中を混ぜるための大きな棒じゃよ。」
「酒を仕込む時はもちろん、様子を見る時にも使う。」
「これだけは代わりが利かん。」
一樹は酒蔵の中を見回した。
壁にも棚にも、それらしい物は見当たらない。
「どこへ行ったんだろう。」
村長が申し訳なさそうに口を開く。
「酒蔵が閉まった後……薪が足りない年がありまして。」
「まさか……。」
「ええ。」
「燃やしてしまいました。」
老人は目を閉じ、小さくため息をつく。
「仕方あるまい。」
「当時は誰も、この酒蔵をもう一度使うとは思わなんだから。」
責める者はいなかった。
あの頃は、生きることが何より優先だったのだ。
一樹は腕を組み、しばらく考え込む。
「老人さん。」
「同じ物じゃないとダメですか?」
「長さや太さは必要じゃ。」
「じゃが、新しく作ることはできる。」
「時間は?」
「一本なら半日もあれば十分じゃ。」
一樹はぱっと表情を明るくした。
「じゃあ、それでいこう!」
「そんな簡単に言うでない。」
老人は苦笑する。
「材料がいる。」
「丈夫で、水に負けん木じゃ。」
すると、族長が静かに手を挙げた。
「森にある。」
全員が族長を見る。
「『黒鉄樹』なら水に強い。」
「昔から果実酒の樽や道具にも使ってきた。」
老人の目が大きく開く。
「黒鉄樹じゃと?」
「そんな木があるのか。」
「ある。」
「だが、人間は森の奥まで入らぬから知らんだけだ。」
一樹は思わず笑った。
「ほら。」
「もう一人じゃ作れない。」
「村の知識だけでも。」
「オークの知識だけでも。」
「足りなかった。」
老人はゆっくり頷く。
「……その通りじゃ。」
族長は若いオークを二人呼ぶ。
「案内しよう。」
「一番真っすぐな黒鉄樹を切る。」
そこへ、村の若者が一歩前へ出た。
「俺たちも行きます。」
「木を切るなら、人手は多い方がいい。」
族長は少しだけ驚いた顔をしたあと、小さく笑う。
「では頼もう。」
昨日まで敵だった人間とオークが、並んで森へ向かう。
一樹はその背中を見送りながら、小さく呟いた。
「酒造りってさ。」
女性騎士が隣に立つ。
「はい?」
「道具を作るところから、もう始まってるんだね。」
女性騎士は穏やかに微笑んだ。
「ええ。」
「少なくとも、この村ではそうなったみたいです。」
一樹も笑い返した。
三日前まで、剣を向け合っていた者たちが。
今日は、一つの道具を作るために同じ森へ向かっている。
その光景だけで、この三日には意味があったと思えた。
日が傾き始めた頃。
酒蔵の前に、木を担いだ人影が見えてきた。
「戻ったぞ!」
先頭を歩く若いオークが大きく手を振る。
その後ろには、村の若者たちが汗だくになりながら一本の丸太を運んでいた。
「これが黒鉄樹か。」
一樹は思わず丸太に触れる。
見た目は普通の木と変わらない。
だが、叩くと乾いた高い音が返ってくる。
「硬い……。」
樽職人の老人が木目をじっと見つめる。
そして、満足そうに頷いた。
「ええ木じゃ。」
「水にも強そうじゃの。」
族長は胸を張る。
「果実酒の道具には昔から使ってきた。」
「父から教わった。」
老人は少し驚いたように族長を見る。
「ほう。」
「人間だけが酒を造ってきたわけではないんじゃな。」
「酒は祝いの日には欠かせぬ。」
族長は静かに答えた。
「それは人間も同じじゃ。」
老人はそう言って笑った。
「違うと思っとった。」
「案外、似た者同士かもしれんな。」
その言葉に、周りの空気が少しだけ柔らかくなる。
「さあ、ぼさっとするな!」
老人が手を叩いた。
「攪拌棒を作るぞ!」
村の若者たちが丸太を押さえる。
オークたちが力強く支える。
老人は鉋を手に取り、木を削り始めた。
シャッ、シャッ、と心地よい音が酒蔵へ響く。
一樹は、その手元を食い入るように見つめていた。
「すごい……。」
「そんなに珍しいか?」
女性騎士が尋ねる。
「うん。」
「こういう職人さんの仕事、見るの大好きなんだ。」
老人の手は迷わない。
少し削っては手で撫で、また削る。
ほんのわずかな歪みも見逃さない。
一時間ほど経つと、一本の長い攪拌棒が姿を現した。
老人は満足そうに木を撫でる。
「よし。」
「これなら酒も喜ぶ。」
一樹は思わず拍手した。
「ありがとうございます!」
「礼ならまだ早い。」
老人は攪拌棒を木桶の横へ立て掛ける。
「道具が揃っただけじゃ。」
「酒は、ここからが本番。」
一樹は攪拌棒を見つめ、大きく息を吸った。
三日前までは、ただの戦場だった。
二日前は、互いを疑い合っていた。
昨日は、一緒に酒蔵を掃除した。
そして今日は、人間とオークが力を合わせて酒造りの道具を完成させた。
一歩ずつ。
本当に少しずつ。
それでも確実に前へ進んでいる。
一樹は酒蔵の中央に立ち、みんなを見回した。
「みんな。」
「明日は、いよいよ仕込みだ。」
村人たちが頷く。
オークたちも頷く。
誰の顔にも、不安は残っている。
けれど、それ以上に期待があった。
酒蔵の窓から差し込む夕日が、新しくできた攪拌棒を黄金色に照らしていた。
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次回
第9話「仕込みの日」




