第6話 三日で仕込め
監察騎士団が去ると、村には重たい沈黙が残った。
三日。
たった三日で、この村の未来を変えなければならない。
村人たちは不安そうに顔を見合わせ、オークたちも険しい表情のまま動かない。
「……さて。」
その空気を破ったのは、一樹だった。
「まず飯にしよう。」
全員が一斉に振り向く。
「……は?」
女性騎士が素っ頓狂な声を上げる。
「今ですか!?」
「今だよ。」
「でも三日しかありません!」
「だから。」
一樹は笑った。
「腹が減ってると、いい考えなんて浮かばない。」
族長は腕を組んだまま、一樹を見つめる。
「お前は本当に変わった人間だ。」
「よく言われる。」
一樹は肩をすくめた。
「酒場でも、腹を空かせた客同士はすぐケンカになる。でも、何か一品食べると少し落ち着く。」
「人間もオークも、そこは同じじゃない?」
族長は小さく笑った。
「……違いない。」
村長は深く息を吐く。
「分かりました。」
「残っている食材で、皆に食事を用意しましょう。」
「待って。」
一樹が村長を制した。
「その前に確認したい。」
「確認、ですか?」
「今ある食料だけで作って。」
「今日だけは、誰にも特別扱いなし。」
「村人も。」
「オークも。」
「同じ物を食べる。」
その一言で、空気が張り詰めた。
「そんな……。」
年配の村人が顔をしかめる。
「オークと同じ鍋を囲めって言うのか?」
「無理だ。」
「昨日まで戦ってたんだぞ。」
今度は若いオークが前へ出る。
「我らだって同じだ。」
「人間を信用したわけではない。」
一触即発――。
そんな空気になりかけた時、一樹がぱん、と手を叩いた。
「じゃあ質問。」
全員の視線が集まる。
「三日後までに仲良くなれって言われたら、できる?」
誰も答えない。
「無理だよね。」
一樹は苦笑した。
「俺も無理。」
その言葉に、女性騎士が思わず吹き出した。
「開き直らないでください。」
「でも本当だよ。」
一樹は真面目な顔になる。
「だから今日の目標は仲良くなることじゃない。」
「一緒に働けるようになること。」
族長が静かに頷く。
「……続けろ。」
「酒造りって、一人じゃできない。」
「畑を作る人。」
「樽を作る人。」
「森で材料を集める人。」
「水を運ぶ人。」
「誰か一人欠けても進まない。」
一樹は村人たちを見渡した。
「だから聞きたい。」
「みんな、何が得意?」
最初に手を挙げたのは、意外にも一人の老人だった。
「わしは樽職人じゃ。」
「酒樽も、水樽も作っとる。」
一樹の目が輝く。
「最高じゃん。」
続いて若い村人が前へ出る。
「俺たちは畑だ。」
「麦なら任せろ。」
族長も仲間たちを見る。
「森を知る者。」
三人のオークが一歩前へ出る。
「薬草。」
「赤蜜の実。」
「山蜂の巣。」
短く答える。
一樹は一人ずつ頷きながら聞いていく。
「いいね。」
「じゃあ、酒造りはもう始まってる。」
「……え?」
村人もオークも首をかしげる。
「酒は仕込む前から始まるんだ。」
「誰が何を持っているかを知るところからね。」
その時、一人の少年が備蓄庫の奥から大きな樽を運ぼうとしていた。
「うっ……。」
樽はびくりとも動かない。
「待って!」
女性騎士が駆け寄ろうとした、その瞬間だった。
「貸せ。」
若いオークが前へ出る。
軽々と樽を持ち上げ、少年の代わりに運び始める。
少年は目を丸くした。
「……ありがとう。」
若いオークは少し照れくさそうに鼻を鳴らす。
「気にするな。」
たったそれだけのやり取りだった。
けれど、その一言で、張り詰めていた空気がほんの少しだけ和らいだ。
一樹はその様子を見て、小さく笑う。
「ほら。」
「酒造りの一歩目は、もう始まってる。」
その日の午後。
一樹は村人とオークを連れて、広場へ集まっていた。
「じゃあ次。」
「みんなが持っているものを教えて。」
村人たちは互いの顔を見合わせる。
「麦ならある。」
「量は多くないけどな。」
「井戸の水も使える。」
「樽もまだ何本か残ってる。」
一樹は頷きながら聞いていく。
「他には?」
「薪。」
「干し草。」
「あと……古い酒蔵ならある。」
「酒蔵?」
一樹の目が輝く。
「使ってないの?」
村長が苦笑する。
「十年ほど前までは使っていました。」
「ですが、職人が亡くなってからは誰も酒を仕込めなくなりまして……。」
「なるほど。」
一樹は心の中でガッツポーズをした。
(酒蔵があるなら、一から建てなくていい。)
そこへ族長が口を開く。
「我らにも見せたいものがある。」
「案内しよう。」
一行は村を出て、森の入口まで歩く。
そこには、オークたちが暮らす簡素な野営地があった。
大きな木の下には木箱や籠が並び、中には色とりどりの木の実や薬草が入っている。
一樹はしゃがみ込み、一つひとつ手に取って香りを確かめた。
「うわ……。」
「いい香り。」
赤い実を鼻に近づけると、甘酸っぱい香りが広がる。
「これ、何て名前?」
「赤蜜の実。」
若いオークが答えた。
「昔から果実酒に使う。」
一樹は嬉しそうに笑う。
「やっぱり。」
「果実酒なんだ。」
若いオークは少し驚いたように目を丸くした。
「人間なのに分かるのか。」
「酒は好きだからね。」
一樹は実を返しながら言った。
「香りを嗅ぐだけでも、何となく想像できる。」
今度は黒っぽい木の実を見つける。
「これは?」
「苦実。」
「食えん。」
「酒にも使わん。」
「へぇ。」
一樹は少し転がしてみる。
「搾った後は?」
「捨てる。」
「皮も?」
「全部だ。」
一樹は顎に手を当てた。
「もったいないな……。」
「何がだ?」
族長が尋ねる。
「いや。」
「まだ分からない。」
「でも、何かに使えそうな気がする。」
断言はしない。
酒蔵で聞いた知識が頭をよぎる。
けれど、この世界では違うかもしれない。
だから思いつきを事実のようには言わない。
「あとで試してみよう。」
そう言うと、一樹は立ち上がった。
その時だった。
年配のオークが、大きな木樽を運ぼうとして足を滑らせる。
「おっと……!」
樽が傾く。
「危ない!」
近くにいた若い村人が反射的に飛び出し、樽を支えた。
二人で力を合わせると、樽はゆっくりと元の位置へ戻る。
一瞬、目が合う。
「……助かった。」
年配のオークが小さく頭を下げる。
若い村人は少し照れくさそうに笑った。
「俺一人じゃ無理だったし。」
それだけだった。
それだけなのに、周りで見ていた村人たちもオークたちも、少しだけ表情が柔らかくなる。
一樹はその様子を見て、満足そうに頷いた。
「いいね。」
「酒造りって、こういうことなんだ。」
「誰かが足りないところを、誰かが自然に埋める。」
「その積み重ねで、一杯の酒ができる。」
女性騎士は、その光景から目を離せなかった。
昨日までなら考えられない。
人間とオークが、当たり前のように助け合っている。
その変化を生み出した男は、剣も魔法も使わない。
ただ酒の話をして、みんなの背中を押しているだけだった。
女性騎士は思わず、小さく笑みを浮かべた。
「……本当に、不思議な人です。」
その言葉は、一樹には届かなかった。
村へ戻る頃には、夕日が山の向こうへ沈み始めていた。
赤く染まった空の下を、人間とオークが並んで歩いている。
朝の村人が見たら、きっと信じなかっただろう。
それでも、まだぎこちなさは残っていた。
笑い合うわけでもない。
肩を組むわけでもない。
ただ、同じ方向を向いて歩いている。
それだけだった。
しかし、一樹にはそれで十分だった。
「一歩目は上出来かな。」
ぽつりと呟くと、隣を歩く女性騎士が小さく笑う。
「ずいぶん甘い採点ですね。」
「そう?」
「ええ。」
「私なら三十点です。」
「厳しいなぁ。」
「でも。」
女性騎士は前を歩く村人とオークを見つめる。
「……昨日なら零点でした。」
一樹もその背中を見つめた。
「じゃあ今日は大成功だ。」
村長が足を止める。
目の前には、古びた木造の建物が建っていた。
壁は色あせ、屋根の一部は崩れかけている。
入口には長い間使われていなかった証のように、草が伸び放題になっていた。
「ここです。」
「昔、この村で酒を造っていた酒蔵です。」
一樹は建物を見上げる。
胸が少し高鳴る。
「入ってもいい?」
「もちろんです。」
村長が重い扉に手を掛ける。
ギィ……。
鈍い音を立てて扉が開いた。
中は薄暗く、木桶や樽が静かに眠っていた。
埃は積もっている。
蜘蛛の巣もある。
それでも、一樹は思わず笑みをこぼした。
「……まだ生きてる。」
「え?」
女性騎士が首をかしげる。
一樹は近くの木桶へそっと触れる。
「道具ってさ。」
「大事に使われてきたものは分かるんだ。」
「ちゃんと手入れすれば、また働いてくれる。」
樽職人の老人がゆっくりと中へ入ってくる。
木桶を見つめ、懐かしそうに目を細めた。
「まだ直せそうじゃ。」
「全部は無理でも、いくつかは使える。」
その言葉に、一樹は大きく頷いた。
「十分だ。」
「ゼロじゃない。」
「ゼロじゃなければ、始められる。」
族長も酒蔵を見回し、静かに口を開く。
「人間の酒蔵へ入る日が来るとは思わなかった。」
「俺も異世界で酒蔵に入るとは思わなかったよ。」
一樹の言葉に、その場の空気が少しだけ和らぐ。
笑う者はいなかった。
けれど、誰の表情にも、ほんの少しだけ希望が浮かんでいた。
一樹は酒蔵の奥を見つめる。
三日。
短い。
だけど、不可能だとは思わなかった。
この酒蔵なら。
この仲間たちなら。
きっと――。
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次回
第7話「眠っていた酒蔵」




