第42話 次なる酒を求めて
森を抜け、一樹たちはしばらく歩き続けていた。木々の間から差し込んでいた朝の光も、次第に強くなっていく。一樹は何度か後ろを振り返った。
「……もう、見えないですね」
「何が?」
セレナが隣から尋ねる。
「森ですよ。もう少し見えるかなって思ってたんですけど」
「かなり歩いたもの。さすがに見えないわね」
「そうですか」
一樹はもう一度だけ振り返った。そこには、どこまでも続く森があるだけだった。
短い滞在だった。
けれど、森葡萄を探して、酒を仕込み、セレフィアと何度も味を確かめた時間は、一樹にとって忘れられないものになっていた。
「月雫酒、ちゃんと作ってくれるといいですね」
「大丈夫じゃない?」
セレナが笑う。
「セレフィアなら、あなたより上手に作るかもしれないわよ」
「それは困りますね」
「何が?」
「俺も負けないようにしないと」
一樹は笑った。
「次に会った時に、どっちが美味しい月雫酒を作れるか勝負になりそうです」
「……そうね」
セレナは少しだけ後ろを振り返った。
「また会えるといいわね」
「会えますよ」
一樹は何気なく答えた。
「約束しましたから」
そう言って、一樹は前を向いた。
その頃、森の入口にはセレフィアが立っていた。
一樹たちの姿は、もう見えない。
それでもセレフィアは、しばらくその場から動くことができなかった。
「……行ってしまいましたね」
小さく呟く。
胸の奥に、ぽっかりと穴が開いたような感覚があった。
一樹と出会った時は、こんな日が来るとは思っていなかった。
人間を警戒していた。
できることなら、早く森から出てほしいと思っていた。
それなのに、森葡萄を一緒に探して、酒を作って、何度も味を確かめて、くだらない話をして笑って。
気づけば、その時間が終わることが寂しくなっていた。
セレフィアは目を閉じた。
昨夜、一樹と交わした言葉を思い出す。
『また一緒に作りましょう』
その言葉を思い出すだけで、胸が締めつけられた。
「……私」
続きの言葉が出てこない。
頬を、一筋の涙が流れた。
セレフィアは慌てて拭う。
けれど、涙は止まらなかった。
「どうして……」
自分でも分からない。
ただ、もう一度会いたい。
また話したい。
また一緒に酒を作りたい。
そんな気持ちが、胸の中から消えてくれない。
「セレフィア」
背後から声がした。
振り返ると、長老が立っていた。
セレフィアは急いで涙を拭った。
「長老……」
「無理に隠さなくてもよい」
「……」
セレフィアは俯いた。
長老は、一樹たちが去っていった方向へ視線を向ける。
「寂しいか」
「……はい」
セレフィアは小さく答えた。
「とても」
長老は何も言わず、しばらくセレフィアの隣に立っていた。
「ならば、その気持ちは大切にするといい」
「……ですが」
「人を想うことまで、我らが禁じる理由はない」
セレフィアは顔を上げた。
「長老は……気づいていたのですか?」
「気づかぬほうが難しい」
「……」
セレフィアは少し恥ずかしそうに目を伏せた。
「一樹は、何も気づいていませんでした」
「そうだな」
「最後まで……」
「そういう男なのだろう」
長老は小さく笑った。
「だからこそ、また会える日を待てばよい」
「……はい」
セレフィアは涙を拭い、森の外を見つめた。
「また会えますよね」
「約束したのだろう?」
「はい」
「ならば、信じればよい」
セレフィアは小さく頷いた。
「……はい」
その頃、一樹たちは街道を歩いていた。
森を離れてから、かなりの距離を進んでいる。
「一樹」
「はい?」
「次はどこへ向かうの?」
「竜人族のところです」
「竜人族?」
「はい。前に聞いた話だと、山岳地帯に集落があるらしいです」
一樹は手元の地図を見る。
「ここからだと、しばらく歩きますね。
竜人族って、どんな種族ですか?」
「知らないの?」
「はい」
一樹は苦笑した。
「でも、竜の血を引いてるっていうくらいだから、かなり強そうですよね」
「竜人族は、この辺りでも有名な種族よ」
セレナが答える。
「身体能力も高いし、魔力も強い。特に戦士として優れた者が多いって聞くわ」
「なるほど」
一樹は少し考えた。
「じゃあ、お酒も強そうですね」
セレナが呆れたように一樹を見る。
「そこなの?」
「大事ですよ」
「あなた、本当にどこへ行っても酒のことばかりね」
「だって、竜人族の酒って気になりません?」
「……少しだけ」
「ですよね」
一樹は楽しそうに笑った。
「どんなお酒があるんだろうな」
「まだ飲めると決まったわけじゃないわよ」
「そこは、なんとかします」
「どうやって?」
「美味しいお酒があれば、仲良くなれるかもしれませんし」
一樹は前を向いた。
遠くには、青い山々が見え始めている。
その向こうに、竜人族が暮らす土地がある。
「今度は、どんなお酒に出会えるんでしょうね」
一樹の足取りは、自然と少しだけ速くなった。
新しい土地。新しい種族。
そして、まだ見たことのない酒。
一樹たちの旅は、次の出会いへ向かって進んでいった。
次回に続く。




