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酒で世界は救えますか? ~飲み過ぎで死んだ酒豪、異世界では乾杯ひとつで争いを終わらせます~  作者: 春野ケイ


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第10話 酒がつなぐ未来

 監察騎士団の姿が見えなくなるまで、村人たちは誰一人動かなかった。


 やがて、馬の足音が完全に聞こえなくなる。


 その瞬間だった。


「……終わった。」


 誰かがぽつりと呟く。


 緊張の糸が切れたように、その場へ座り込む者もいた。


「助かった……。」


「本当に帰ったんだ。」


 安堵の声が酒蔵の中へ広がっていく。


 村長は大きく息を吐き、深く頭を下げた。


「皆さん、本当にありがとうございました。」


「この村は、皆さんのおかげで救われました。」


 すると、一樹が苦笑しながら首を振る。


「いや。」


「まだ終わってないですよ。」


 村人たちが一斉に一樹を見る。


「え?」


「団長さんも言ってたでしょ。」


「酒を完成させろって。」


 一樹は酒蔵の中央に置かれた木桶へ歩いていく。


 中をそっと覗き込み、ゆっくりと笑った。


「ここからが本番。」


「俺たちの仕事は、まだ終わってない。」


 樽職人の老人も隣へやって来る。


「その通りじゃ。」


「酒は仕込んで終わりではない。」


「ここから毎日、酒の声を聞かにゃならん。」


「酒の……声?」


 女性騎士が不思議そうに首をかしげる。


 老人は木桶へ耳を近づけた。


「酒は生き物じゃ。」


「急がせてもいかん。」


「放っておいてもいかん。」


「毎日様子を見て、手を貸してやる。」


 一樹も木桶へ耳を近づける。


「……何も聞こえません。」


 老人は笑った。


「最初は皆そう言う。」


「じゃが、そのうち分かる。」


「元気な酒と、元気のない酒の違いがな。」


 一樹は木桶を優しく撫でた。


「焦るな、か。」


「そうじゃ。」


「待つのも酒造り。」


「人を育てるのと同じじゃよ。」


 一樹は小さく頷いた。


「酒も、人も。」


「近道はないってことですね。」


 老人は満足そうに笑った。


「よう分かっとる。」


 その頃、酒蔵の外では別の変化が生まれていた。


 村の子どもたちが、広場で遊び始めていたのである。


 木の枝を剣に見立てて走り回る子どもたち。


 その輪の中には、小柄なオークの子どもの姿もあった。


 最初は少し距離を置いていた村の子どもが、おそるおそる木の実を差し出す。


「これ、食べる?」


 オークの子どもは驚いた顔をしたあと、小さく頷いた。


「……ありがとう。」


 代わりに、自分が持っていた赤蜜の実を一つ差し出す。


「これも。」


 二人は照れくさそうに笑い合った。


 その様子を見ていた女性騎士が、小さく微笑む。


「子どもの方が、私たちよりずっと素直ですね。」


 一樹も広場へ目を向ける。


「うん。」


「大人は、いろいろ考えすぎるからね。」


「でも。」


 一樹は穏やかな笑みを浮かべた。


「だからこそ、大人が変わる姿を見せなきゃいけない。」


 その言葉に、女性騎士は静かに頷いた。


 酒蔵の中では酒が育ち始め。


 酒蔵の外では、人の笑顔が少しずつ増え始めていた。


 どちらも、まだ始まったばかりだった。


昼過ぎになると、村には昨日までとは違う景色が広がっていた。


「族長、この木材はこっちでいいか?」


 村の若者が声を掛ける。


「ああ。その木は雨に強い。物置の補強に使える。」


「助かる!」


 今度は畑の方から笑い声が聞こえた。


 畑仕事に出ていた村人たちが、オークへ鍬の使い方を教えている。


「力任せじゃ駄目だ。」


「土を起こすように……そう。」


「こうか?」


「うまいじゃないか!」


 逆に森では、オークたちが村人へ山菜や薬草の見分け方を教えていた。


「これは食える。」


「こっちは毒だ。」


「葉っぱが似てるのに全然違うな……。」


「だから森は面白い。」


 一樹は村を歩きながら、その光景を静かに見つめていた。


 数日前まで、お互いを恐れていた者たちとは思えない。


 もちろん、まだ遠慮はある。


 ぎこちなさも残っている。


 それでも、一緒に笑う瞬間が少しずつ増えていた。


「酒井さん。」


 後ろから女性騎士が声を掛ける。


「どうしました?」


「少し歩きませんか。」


 二人は村の外れまで並んで歩いた。


 しばらく沈黙が続く。


 先に口を開いたのは女性騎士だった。


「一つ、聞いてもいいですか?」


「もちろん。」


「あなたは最初、この村へ来た時から『酒で何とかなる』と言っていましたよね。」


「うん。」


「本気だったんですか?」


 一樹は少し笑う。


「本気だったよ。」


「酒が魔法みたいに全部解決するとは思ってない。」


「でも。」


 村の広場を見つめる。


 人間とオークの子どもたちが、追いかけっこをして笑っている。


「ああいう景色って、お酒の席から始まることが多いんだ。」


「初対面の人とも。」


「仲直りしたい相手とも。」


「昔の友達とも。」


「酒を飲みながら話すと、不思議と本音が出る。」


 女性騎士は静かに聞いていた。


「だから俺は、お酒が人を変えるとは思ってない。」


「え?」


「変えるのは人自身。」


「酒は、そのきっかけを作ってくれるだけ。」


 女性騎士は立ち止まった。


 その言葉が胸に残る。


「……だからなんですね。」


「何が?」


「あなたは酒を造っているようで。」


 一樹を見る。


「本当は、人と人が話せる場所を造っていたんですね。」


 一樹は照れくさそうに頭をかいた。


「そんな立派なものじゃないよ。」


「俺がお酒好きだからさ。」


「好きなものを、みんなにも好きになってほしいだけ。」


 女性騎士は思わず吹き出した。


「ふふっ。」


「最後まで、それなんですね。」


「最後まで、それ。」


 二人は顔を見合わせて笑った。


 その笑い声は、村へ吹く穏やかな風に乗って広がっていく。


 酒蔵へ戻ると、樽職人の老人が木桶の前で腕を組んでいた。


「帰ったか。」


「どうです?」


 一樹が木桶を覗き込む。


 昨日よりも小さな泡が少し増えている。


 ぷくり。


 ぷくり。


 ゆっくりと水面へ浮かび、静かに弾けていく。


 老人は満足そうに頷いた。


「順調じゃ。」


「酒はちゃんと育っとる。」


 一樹は嬉しそうに木桶を見つめた。


「あと少し。」


「あと少しで、みんなで飲めるな。」


 酒蔵には甘く優しい香りが、昨日より少しだけ強く漂い始めていた。


その日の夕暮れ。


 酒蔵の扉を閉める前に、一樹はもう一度だけ木桶の前へ立った。


 木桶の中では、小さな泡が静かに生まれては消えている。


 派手な変化はない。


 それでも、確かに昨日とは違っていた。


「頑張ってるな。」


 一樹が小さく呟く。


 樽職人の老人が隣へ並び、木桶を優しく見つめた。


「酒は急にうまくはならん。」


「毎日、少しずつ育つ。」


「人も同じじゃ。」


 一樹は笑って頷く。


「最近、その言葉ばっかり聞いてる気がします。」


「何度でも言う。」


 老人は穏やかに笑った。


「大事なことほど、何度も言わにゃ忘れる。」


 酒蔵の外では、夕食の支度を始める煙がゆっくりと空へ昇っていた。


 村人とオークが並んで薪を運び、同じ鍋を囲んでいる。


 笑い声も聞こえる。


 数日前には想像もできなかった光景だった。


 一樹は酒蔵の入口にもたれ、その景色を静かに眺める。


「酒はまだ飲めないのに。」


「もう変わったな。」


 女性騎士も隣へ立つ。


「ええ。」


「私、この村へ来た時は、オークは恐ろしい存在だと思っていました。」


「今は?」


 一樹が尋ねる。


 女性騎士は広場で笑い合う子どもたちへ視線を向けた。


「同じように笑って。」


「同じように怒って。」


「同じように家族を大切にする人たちなんだって、分かりました。」


 一樹は小さく頷いた。


「知るって、大事だよね。」


「はい。」


 二人はしばらく黙って、その景色を眺めていた。


 その頃――。


 王都。


 王城の執務室では、監察騎士団長が報告書を机へ置いていた。


「以上が現地で確認した内容です。」


 机の向こうに座る男は、報告書へ目を通す。


 眉がゆっくりと寄った。


「……共存?」


 低い声が部屋へ響く。


「人間とオークが共同で酒を造っている、と?」


「事実です。」


 団長は迷いなく答えた。


「私自身の目で確認しました。」


 男は報告書を机へ置く。


「面白くない報告だ。」


「事実を書いただけです。」


「事実とは、見る者によって変わる。」


 男は団長をまっすぐ見つめた。


「オークは王国にとって脅威だ。」


「その認識は変わらん。」


 団長は静かに言葉を返す。


「だからこそ、現地を見ていただきたい。」


 男は答えない。


 重い沈黙だけが部屋を包む。


 やがて、男は窓の外へ目を向けた。


「……しばらく様子を見る。」


「だが、酒一杯で世界が変わるとは思わんことだ。」


 その言葉を聞いても、団長の表情は変わらなかった。


「私も、酒だけで世界が変わるとは思っておりません。」


「ですが。」


「人は変われます。」


 その一言を残し、団長は静かに部屋を後にした。


 王都にも、新しい波紋が広がろうとしていた。


⸻


次回


第11話「この一杯に、未来を。」

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