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酒で世界は救えますか? ~飲み過ぎで死んだ酒豪、異世界では乾杯ひとつで争いを終わらせます~  作者: 春野ケイ


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第1話 最後の一杯は、異世界でした。

「……店長、もう一杯!」


 威勢よく掲げたジョッキに、店中の笑い声が重なった。


「相変わらずだな、一樹さん!」


「今日は何軒目です?」


「四軒目!」


「流石ですね!」


 カウンター越しに店長が苦笑しながらビールを注ぐ。


 黄金色の液体が勢いよく泡立ち、冷えたジョッキを満たしていく。


 酒井一樹は、その光景だけで幸せだった。


 酒はいい。


 知らない人とも笑い合える。


 仕事で嫌なことがあっても忘れられる。


 初対面同士でも「乾杯」の一言で友達になれる。


 もちろん、飲み過ぎは良くない。


 そんなことは百も承知だ。


 だが、それでも思う。


 酒ほど、人を笑顔にできるものを一樹は知らなかった。


「はい、生!」


「待ってました!」


 ジョッキを受け取り、一口。


 喉を通る冷たい刺激に思わず目を閉じる。


「……うまい。」


 自然と笑みがこぼれた。


「そんなにうまそうに飲まれると、こっちまで飲みたくなりますよ。」


「酒は一人で飲むより、誰かと飲む方が何倍もうまいんだ。」


 それが一樹の持論だった。


 会社では営業職。


 成績はそこそこ。


 恋人はいない。


 特別な才能もない。


 けれど、全国各地の酒なら誰にも負けない自信がある。


 日本酒、焼酎、ウイスキー、ワイン、クラフトビール。


 休みの日は酒蔵巡り。


 旅行先も酒で決める。


 家には飲みきれないほどの酒瓶が並び、冷蔵庫には全国の地ビールがぎっしり。


 友人からはいつしか、


『歩く酒図鑑』


 と呼ばれるようになっていた。


「そういや一樹さん。」


 店長がグラスを磨きながら尋ねる。


「なんでそんなに酒が好きなんです?」


 一樹は少しだけ考え、笑って答えた。


「子どもの頃さ。」


「うちの親父、酒飲むと近所のおっちゃんもおばちゃんも集まってきてさ。」


「みんな楽しそうだった。」


「酒があるだけで笑ってた。」


「だから思ったんだ。」


「酒って、人を幸せにするんだなって。」


 店長は少し照れくさそうに笑う。


「いい話ですね。」


「……まあ、飲み過ぎはダメですけど。」


「耳が痛いな。」


 二人で笑った。


 その時だった。


 スマートフォンが震える。


 画面には母からのメッセージ。


『飲み過ぎないようにね。身体だけは大事にしなさい。』


 一樹は思わず苦笑する。


「三十五にもなって、まだ心配されてるよ。」


 店長も笑う。


「親ってそんなもんですよ。」


 一樹は返信を打とうとして、やめた。


「帰ったら返そう。」


 そう思って、ジョッキを空にした。


 これが、人生最後の一杯になるとも知らずに。


店を出ると、夜風がほんのりと火照った頬を撫でた。


「……気持ちいい。」


 一樹は大きく伸びをする。


 見上げた夜空には星が瞬いていた。


「さて、もう一軒……」


 そう呟いてから、自分で笑う。


「いやいや、今日は帰るか。」


 母にも心配されたばかりだ。


 明日も仕事。


 さすがに飲み過ぎだろう。


 コンビニでミネラルウォーターを買い、一口飲む。


「酒飲みは水も大事だからな。」


 誰に言うでもなく呟く。


 駅へ向かう夜道は静かだった。


 スマートフォンを見る。


 二十三時四十分。


「帰ったら風呂入って寝るか。」


 その時だった。


 胸の奥が、ズキッと痛んだ。


「……え?」


 思わず立ち止まる。


 息が吸えない。


 心臓を鷲掴みにされたような痛み。


「な、なんだ……これ……」


 膝をつく。


 スマートフォンがアスファルトへ落ちた。


 視界が揺れる。


 耳鳴りがする。


 遠くで誰かが叫んだ。


「大丈夫ですか!?」


「救急車! 誰か救急車!」


 体に力が入らない。


 冷たい地面に倒れ込む。


 ぼやける視界の中で、さっきの母からのメッセージが目に入った。


『飲み過ぎないようにね。身体だけは大事にしなさい。』


「……悪い、母さん。」


 返信、できなかったな。


 そんな後悔だけが浮かぶ。


 意識が暗闇へ沈んでいく。


 ――これで終わりか。


 そう思った瞬間だった。


「おいおい、終わらせるには、まだ早いだろ。」


 聞いたことのない男の声が響く。


 ふわり、と鼻をくすぐる香り。


 米でも麦でも葡萄でもない。


 甘く、どこか懐かしい酒の香りだった。


 一樹はゆっくりと目を開く。


 そこは、どこまでも白い空間。


 目の前には、大きな酒樽の上へ胡座をかいて笑う、一人の男がいた。


 長い黒髪を後ろで束ね、片手には瓢箪、もう片方には木製の杯。


 豪快に酒をあおる姿は、仙人のようでもあり、酔っぱらいのようでもある。


「よう。初めましてだな、酒好き。」


 男は杯を掲げ、にやりと笑った。


「歓迎するぜ。」


「酒の神の酒場へ。」


一樹は言葉を失った。


「……は?」


 思わず周囲を見回す。


 どこまでも白い空間。


 壁もなければ天井もない。


 あるのは巨大な酒樽がいくつも並ぶ、不思議な酒場だけだった。


 木のカウンターには琥珀色や黄金色、透き通る青色まで、見たこともない酒瓶がずらりと並んでいる。


 どの瓶からも、言葉では表せないほど芳醇な香りが漂っていた。


 一樹は思わず鼻をひくつかせる。


「……なんだ、この香り。」


 米でもない。


 麦でもない。


 葡萄でもない。


 それなのに、なぜか懐かしくて、胸の奥が温かくなる。


 男は満足そうに笑った。


「さすがだ。」


「普通の人間なら酒だと気付きもしない。」


「お前、本当に酒が好きなんだな。」


「いや、それより……。」


 一樹は男を指差した。


「あんた誰?」


「ここどこ?」


「俺、さっき倒れて……。」


「死んだ。」


 男はあっさりと言った。


「…………え?」


「死んだ。」


「飲み過ぎだ。」


「いや、そんな軽く言う!?」


 一樹は思わずツッコミを入れた。


「もっとこう……『残念だった』とかあるだろ!」


「残念ではあるぞ。」


 男は瓢箪を傾けながら肩をすくめる。


「酒を愛した人間が酒で死ぬとはな。」


「皮肉な話だ。」


「…………。」


 一樹は何も言えなかった。


 母からのメッセージが頭をよぎる。


 ――身体だけは大事にしなさい。


「……そっか。」


 ぽつりと呟く。


「本当に死んだのか。」


 ようやく実感が湧いてきた。


 後悔が胸を締め付ける。


 母。


 会社の同僚。


 行きたかった酒蔵。


 飲んでみたかった酒。


 何より、返信できなかったこと。


「……悪いことしたな。」


 男はその様子を黙って見つめていた。


 やがて、小さく息を吐く。


「だから、お前を呼んだ。」


「え?」


「酒を愛した人間は山ほど見てきた。」


「だが、お前は少し違った。」


 男は一樹を真っすぐ見据える。


「お前は酒そのものじゃない。」


「酒を囲んで笑う人間が好きだった。」


 一樹は目を見開いた。


 確かに、その通りだった。


 高い酒を自慢したいわけじゃない。


 酔いたいだけでもない。


 誰かと笑いながら飲む一杯が、一番好きだった。


 男は立ち上がり、一つの杯を手に取る。


 透明な酒が静かに揺れた。


「そこで相談だ。」


「死んだお前に、もう一度人生をやる。」


「……え?」


「ただし、日本じゃない。」


 男は楽しそうに笑う。


「異世界だ。」


 一樹は数秒黙ったあと、


「……異世界?」


「そうだ。」


「剣と魔法?」


「ある。」


「魔王とか?」


「いる。」


「ドラゴンも?」


「もちろん。」


「…………。」


 一樹は頭を抱えた。


「いやいやいや……。」


「そんなラノベみたいな話ある?」


「あるから、お前は今ここにいる。」


 男は杯を一樹へ差し出した。


「さあ。」


「新しい人生の前に――」


「まずは、一杯やるか。」


 一樹は差し出された杯を見つめた。


 不思議なことに、その酒を見た瞬間、胸が高鳴った。


 今まで一度も見たことがない酒なのに。


 なぜか確信できる。


 これは、人生で一番うまい酒になる。


一樹は杯を受け取った。


 透き通る酒は、光そのものを閉じ込めたように淡く輝いている。


「これ……何の酒なんだ?」


 思わず尋ねると、男は意味ありげに笑った。


「飲めば分かる。」


「酒ってのは、説明を聞くもんじゃない。味わうもんだろ?」


「……それもそうか。」


 一樹は苦笑し、小さく息を吐く。


 そして杯を口元へ運んだ。


 酒は驚くほどなめらかだった。


 日本酒のようでもあり、ワインのようでもあり、ウイスキーのようでもある。


 どれとも違う。


 けれど、不思議と懐かしい。


 思わず目を閉じる。


「……うまい。」


 その一言しか出なかった。


 男は満足そうに頷く。


「その酒は、新しい人生への祝い酒だ。」


「飲み干した瞬間、お前は向こうへ行く。」


「向こうって……異世界か。」


「ああ。」


 男はもう一つ杯を満たし、自分も掲げる。


「酒井一樹。」


「お前に一つだけ頼みがある。」


「頼み?」


「世界を救ってくれ。」


 一樹は思わず吹き出した。


「いやいや、無理だって。」


「俺は勇者でも冒険者でもない。」


「ただの酒好きのおっさんだぞ?」


「だからだ。」


 男は真剣な表情になる。


「剣で救えない世界もある。」


「魔法で届かない心もある。」


「だが、一杯の酒で変わるものもある。」


「お前なら、それができる。」


 一樹は返事をする前に、体がふわりと浮く感覚を覚えた。


「お、おい!」


 景色が白く染まる。


 男の姿が遠ざかっていく。


 最後に聞こえたのは、その豪快な笑い声だった。


「はははっ! 向こうで会う日を楽しみにしてるぞ!」


 次の瞬間。


 一樹の体は、まばゆい光に包まれた。


 ――そして。


 どこか遠くで、怒鳴り声が響く。


「下がれぇぇぇ!」


「魔物どもを村へ入れるな!」


「応戦しろ!」


 剣がぶつかる音。


 悲鳴。


 何かが燃える匂い。


 一樹はゆっくりと目を開けた。


 目の前では、人間とオークの群れが、今まさに激突しようとしていた。


 異世界で最初に目にした光景は――戦場だった。


次回


第2話「乾杯の盟約」

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― 新着の感想 ―
Xの企画から来ました。 「酒そのものじゃなく、酒を囲んで笑う人間が好き」という一樹の人物像が温かく、酒の神がそこに目をつける理由として綺麗に筋が通っていました。母への返信ができなかった後悔がリアルで、…
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