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第5話 おかえりなさい

しばらくして、二階からぱたぱたと足音が下りてきた。


「あ、なんかいい匂いする!」


ゆめちゃんだ。続いて、まひるさんと、累さんも。


「湯豆腐? いいなあ、私も食べたい」


「だし巻き、私の分、ある?」


「私、しじみ汁ください。さっき、ちょっと飲みすぎて」


「累さん、また締切前に飲んだんですか」


ぞろぞろと、四人が卓に着く。俺は立ち上がって、人数分の器を並べはじめた。


雨の夜の、なんでもない、夜食の時間。湯気の立つ卓を囲んで、四人が笑っている。


火花が散っても、独占欲が顔を出しても、それはもう、この食卓の、いつもの賑やかさの一部だった。


「だし巻き、私のほうが大きい」


「ずるい、半分こしてよ」


「やだ」


「周さん、もう一本焼いて!」


「はいはい」


俺は、笑いながら台所へ戻った。足元で、小麦が尻尾を振って、ついてくる。


卵を、ボウルに割って、出汁を加える。油を引いた卵焼き器が、じゅう、と鳴る。流し込んだ卵が、ふつふつと縁から固まりはじめる。菜箸で、手前へくるりと巻く。また油を引いて、卵を流して、巻く。何度も、何度も。層が重なって、ふっくらと黄金色のだし巻きが立ち上がっていく。


くるくると、菜箸を回しながら、俺は、ふと思った。


──ああ。


これだ。


俺が、ずっと欲しかったものは。肩書も、経歴も、いらない。ただ、誰かが「ただいま」と帰ってきて、湯気の立つご飯を待っている。その人に、「おかえりなさい」と言える。


それだけで、よかったんだ。


***


夜が、更けていく。雨は、いつの間にか上がっていた。


四人が、満たされた顔で二階へ上がっていく。


「ごちそうさまでした」


「おやすみなさい、周さん」


「おやすみなさい」


俺は、空いた食器を流しへ運んだ。水を流す音だけが、静かな夜に、ことことと響く。


足元で、小麦が「わふ」と欠伸をした。


「お前も、おやすみ」


その金色の頭を、撫でた。


***


片付けを終えて、管理人室へ戻ろうとした時。玄関のそばの、古い掲示板が、ふと目に入った。登美さんの頃から、ずっとそこにある、木の枠の、小さな掲示板。


そこに、一通の封筒が、画鋲で留められていた。見覚えのない、白い封筒。宛名には、こう書かれていた。


『常夜灯 管理人さまへ』


俺は、それをそっと外した。封を開けると、便箋が一枚。丁寧な、けれど、少し震えたような字で、こう記されていた。


『はじめまして。


ある人から、この家のことを、聞きました。


頑張らなくていい味のする場所が、ここにあると。


「ただいま」と言える場所が、あると。


わたしは今、少し、疲れています。


もし、ご迷惑でなければ──一度、体験で、泊まらせていただけませんか』


俺は、その手紙をしばらく読んでいた。それから、ふっと笑った。


また、誰かが、この灯りを見つけたらしい。疲れた誰かが、夜のなかで、ぽつりと灯る、この家の明かりを。


きっと、これからも。この灯りは、誰かを導いてくる。


俺は、手紙をそっと、台所の棚に立てかけた。明日、返事を書こう。「どうぞ、いらしてください」と。「ご飯を、用意して、待っていますから」と。


***


管理人室の窓から、空を見上げた。雨上がりの夜空に、薄い雲が流れて、その隙間から、星がいくつか覗いていた。


──登美さん。


俺は、心のなかでもう一度、呼びかけた。


また、一人、来るみたいですよ。あなたが遺した、この灯りに導かれて。


大丈夫です。ちゃんと、温かいご飯を用意しておきますから。「おかえりなさい」って、言ってあげますから。


足元で、小麦が、俺の膝にことりと顎を載せた。俺は、その頭をゆっくりと撫でた。


固定電話の黒い影が、月明かりのなかで、静かに佇んでいる。いつ、誰からかかってきても、いいように。いつでも、誰かが「ただいま」と帰ってこられるように。


ここは、おかえりが言える場所。頑張らなくていい味のする、女性たちの、秘密の灯り。


今夜も、常夜灯は、静かにともっている。


ここまでお付き合いくださって、本当にありがとうございました。「時代遅れのオッサンは、もう要らない」の一言から始まった柏木周(42)の物語は、この第50話で第1部・完結です。


飯テロの湯気、大型犬・小麦のヘソ天、疲れて帰ってくるお姉さんたち、ゴミ出しのテンションでポロッと漏れる“ただ者じゃない”片鱗、ぱちぱちと可愛い火花——。派手な事件も、劇的な成長もない、ただ「おかえり」と「ただいま」を言い合えるだけの物語に、五十夜も灯りを見に来てくださったこと、心から感謝しています。


傷は一晩では治らない。それでも、頑張らなくていい味のするご飯が一皿あれば、明日はもう少しだけ歩ける——そんな“帰る場所”を書きたくて、この五十話を作りました。ラストの一通の封筒が示すとおり、この灯りは、これからも誰かを導いていきます(話型パターンで短編を少しずつ足していく予定です)。


完結記念に、どうか【にこにこ】【泣ける】【いいね】のリアクションと、★評価(ポイント)で、この物語の読後感を残していただけたら嬉しいです。それが次の一皿を作る、いちばんの燃料になります。そして——完結済みですので、まとめて一気読みしてくださる方、周りに「常夜灯、あったかいよ」と灯りを教えてくださる方がいらしたら、それが何よりのごちそうさまです。


今夜も、常夜灯は、静かにともっています。あなたにも、いつでも。おかえりなさい。

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