↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
40/40

第5話 守る人を、守るのは

「無理、ですか」


俺は、笑って、受け流そうとした。


「いや、別に。普通ですよ」


「ほら、それ」


累さんが、れんげの先を、俺に向けた。


「『普通』。管理人さん、しんどいとき、絶対『普通』って言う。私、ずっと観察してたから、知ってるんです」


ぎくり、とした。


「あの日の夜、私、トイレ起きたとき、見たんです。管理人さんが、台所で、ひとりで、右手、ぐーぱー、してた。あれ、疲れたときの、癖でしょう」


怜さんが、はっと、こちらを見た。まひるさんも、ゆめちゃんも。


「あの怖い顔って……たぶん、ものすごく、消耗するんだよね。管理人さん、平気な顔して、いつも私たちのために、それを出してくれてる。あの日だって、怜さんのために」


累さんは、まっすぐに、俺を見た。


「でも、その後、誰にも甘えないで、ひとりで、台所で、ぐーぱーしてた」


***


俺は、何も言えなかった。


こういうのは、初めてだった。


誰かの心配ごとを、聞くのは、慣れている。誰かの疲れに、気づくのも、得意なつもりだ。けれど、自分が、その目で、見られることには。


「管理人さん、いっつも、与えてばっかりだよね」


ゆめちゃんが、ぽつりと言った。


「ごはん作って、話聞いて、私たちのこと守って。でも、自分は、誰に、ごはん作ってもらってるの? 誰に、話、聞いてもらってるの?」


「……」


「管理人さんは、誰に、甘えてるんですか」


その問いに、俺は、答えを持っていなかった。ずっと、考えたことが、なかったからだ。


俺は、与える側だ。それが、登美さんに拾われたときから、決めたことだった。もう、受け取る側には、戻らない。戻れない。そう、思っていた。


「……俺は」


口を開いて、けれど、続きが出てこなかった。


***


「あのね」


怜さんが、静かに、言った。


「私、母に言ったんです。『私の人生は、私が決める』って。──それ、管理人さんに、教わったんですよ。管理人さんが、あの日、私の家だって、言ってくれたから」


「……」


「だから、今度は、私たちが言います」


怜さんは、れんげを置いて、まっすぐに、俺を見た。


「ここは、管理人さんの家でも、あるんです。私たちの家であると同時に。だから──たまには、甘えてください。守ってもらってばっかりは、こっちが、落ち着かないので」


四人が、頷いた。


俺は、なんと言っていいか、わからなくて。ただ、湯気の立つ鍋を、見ていた。


胸の奥の、古い場所が、ことりと音を立てた。それは、第1話の夜に蓋をした、あの場所と、同じところだった。


「……ありがとう、ございます」


やっと、それだけ、言った。


「俺、たぶん……甘え方を、忘れてるんで。思い出すのに、少し、時間がかかるかもしれません」


「いいよ」


累さんが、笑った。


「ゆっくりで。私たち、待つの、得意だから。──ね?」


ほかの三人が、うん、と頷いた。


足元で、小麦が、俺の膝に、大きな頭を、ぐいと載せてきた。


***


鍋を、締めまで、平らげた。


最後は、残った出汁に、ごはんと溶き卵を入れて、雑炊にした。具材から溶け出した旨味を、米が、余さず吸う。宴の、いちばん最後の、贅沢な一杯だ。


みんなが、はふはふと、それをすすった。


「あー、生き返るー」


ゆめちゃんが、お腹をさすって、ソファに、ぐったりと沈んだ。


笑い声が、リビングに、満ちていた。冷えていた家が、ちゃんと、温まって、ここが「帰る場所」だと、誰もが、思っている顔だった。


俺は、その光景を、台所から、見ていた。


守る人を、守るのは。


考えたことが、なかった。けれど、もしかしたら、それは──。


そこまで考えて、俺は、首を振った。今は、いい。今は、ただ、この温かさを、見ていたい。


***


夜が更けて、みんなが部屋に戻り、家が静かになった頃。


俺は、ひとり、台所で、洗い物をしていた。蛇口の水音だけが、響いている。


握った右手の指を、ゆっくりと、開いては、閉じた。今夜は、もう、冷たくなかった。


そのときだった。


管理人室の、固定電話が、鳴った。


りん、りん、と。


夜の十一時を回っている。こんな時間に、固定電話が鳴ることは、めったにない。


俺は、手を拭いて、受話器を取った。


「……はい、常夜灯です」


電話の向こうで、しばらく、沈黙があった。それから、聞こえてきたのは、ずいぶん、年老いた声だった。


『……柏木さん、ですか。あの、柏木(かしわぎ) (あまね)、さん』


その呼ばれ方を、俺は、知っていた。


「管理人さん」でも「周さん」でもない。フルネームで、そう呼ぶ人間は──もう、この世界に、ほとんど、残っていないはずだった。


受話器を持つ手に、知らず、力が入った。


『あなたを、ずっと、探していました。──昔の、あの件で』


柱時計の振り子が、こつ、こつ、と鳴っている。その音が、やけに、遠く聞こえた。


窓の外で、冬の雨が、また、降りはじめていた。


与えてばかりの人は、誰に甘えているんだろう。人間観察のプロにそっと見抜かれ、言葉に詰まる管理人さんに胸が締めつけられたら、【泣ける】か【いいね】を! 夜十一時、静かに鳴った固定電話の“引き”は……続きをブックマークで。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。