↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
29/36

第4話 賄い係だっただけ、ですよ

夜更け。


固定電話が、静かに鳴った。受話器を上げると、まひるさんの、明るい声がした。実家の固定電話から、わざわざかけてきたらしい。


「あ、管理人さん! 無事に着きました。今、おばあちゃんちで、お饅頭食べてます」


「それはよかった。ゆっくりしてきてくださいね」


「はい! ……あの」


少し、声のトーンが変わった。


「なんか、変なんですけど。実家、すごく落ち着くはずなのに。ご飯食べてても、ふと、常夜灯のこと、思い出しちゃって。管理人さんのご飯、もう恋しいです」


俺は、思わず笑った。


「まだ二日目ですよ」


「分かってるんですけど! ……管理人さんにも、帰りたい場所って、あるんですか」


ふいの問いだった。俺は、受話器を握ったまま、少し考えた。


帰る家は、もう、ない。帰る家族も、いない。


でも──


「……ここが、そうなりつつ、ありますよ」


そう答えると、電話の向こうで、まひるさんが、くすぐったそうに笑った。


「なにそれ。私たちの家なのに」


「ええ。皆さんの、家です。でも、皆さんが帰ってくるのを待ってるあいだに、いつのまにか、俺の帰る場所にも、なってたみたいで」


受話器の向こうが、少し、静かになった。


「……はやく、帰りますね」


まひるさんが、ぽつりと言った。


電話を切って、俺は、暗いリビングを見回した。


明日は、何を作ろうか。二人が帰ってきたら、好物を出してやろう。まひるさんには生姜焼き丼を、ゆめちゃんには、あのトーストを。


そんなことを考えていると、足元で、小麦が「ふぁ」と欠伸をした。


「お前も、二人が帰ってくるの、待ってるか」


金色の頭を撫でると、犬は、尻尾をぱたんと一つ振った。


帰る場所がある人も、ない人も。この家では、みんな、誰かの「おかえり」を、待っている。


***


黒塗りの車が、常夜灯の前に停まったのは、よく晴れた秋の昼下がりだった。


***


その日、家にいたのは、俺と、真壁さんと、帰省から戻ったゆめちゃんの三人だった。


中庭で小麦にブラシをかけていると、まひるさんが血相を変えて駆け込んできた。


「か、管理人さん! 外に、すっごい車が……!」


「車?」


玄関を開けると、たしかに、立派な黒塗りの車が、塀の前に堂々と停まっていた。ぴかぴかに磨かれた車体。スモークガラス。およそ、この古びた洋館の前にはそぐわない。


運転席から、黒いスーツの男が降りてきた。きっちりと撫でつけた髪。隙のない物腰。手には、大きな桐の箱を、うやうやしく抱えている。


男は、俺の顔を見るなり、深々と一礼した。


「柏木様。ご無沙汰しております」


「……ええと」


俺は、記憶を探った。見覚えが、ある。たしか、あの人の──


「ピエールさんの、秘書の方でしたか」


「左様でございます。本日は、オーナーよりの言伝と、お届け物がございまして」


***


リビングに、住人三人が、こっそり顔を覗かせていた。ゆめちゃんが、スマホ片手に、目を真ん丸にしている。


「ちょっと待って。なに、あの黒服。ドラマじゃん。管理人さん、何者……?」


秘書の男は、桐の箱を、恭しく食卓に置いた。そして、蓋を、すっと開ける。


中に、整然と並んでいたのは──牛肉だった。


霜の降りた、見事なサシ。きめ細かく、しっとりと光を弾く、上等な肉。それだけじゃない。箱の隅には、見るからに高級そうな海老や、艶やかな松茸まで、丁寧に詰められていた。


「うわ……」


真壁さんが、思わず声を漏らした。


「これ、なんか、すごい肉……」


「最高級の和牛でございます。海老は、伊勢の活け締めのもの。松茸は、今朝、山から下ろされたばかりのものを」


秘書が、淡々と説明する。


「オーナーが、ぜひ柏木様にと。『あの男に、また旨いものを作ってもらいたい。これを、賄いにでも使ってくれ』と」


賄いにでも。俺は、その肉を見下ろして、思った。


──また、ピエールさんは、こういうことを。


「いつも、すみません。お気遣いなく、と伝えてもらえますか」


「いえ。オーナーは、柏木様にお返しできる恩は、これしきのことでは到底足りないと、常々申しております」


恩、と言われても。俺は、首をひねった。


昔、あの人が困っていたとき、たまたま、ちょっとした料理を出しただけだ。それだけのことで、いまだに、こうして気にかけてもらっている。


たいしたことは、していないのに。


「では、わたくしはこれで」


秘書は、もう一度深々と頭を下げると、来た時と同じように、滑るように去っていった。黒塗りの車が、角を曲がって消えていく。


リビングには、桐の箱と、高級食材と、ぽかんとした俺たちが残された。


***


「……ねえ」


最初に口を開いたのは、ゆめちゃんだった。


「ねえ、おじさ……管理人さん。今の、なに。なんなの」


「差し入れ、ですね」


「差し入れのレベルじゃないでしょ! 黒塗りの車だよ! 秘書だよ! オーナーって何! あの肉、絶対、私の一ヶ月の生活費より高いよ!」


ゆめちゃんが、肉の箱を指さして、わなわなと震えている。


真壁さんは、腕を組んで、じっと俺を観察していた。


「管理人さん。スマホも持ってないのに、なんで、海外の大富豪から差し入れが来るんですか」


「海外、なんて言いましたっけ」


「ピエールって。今、言いましたよね」


──しまった。


まひるさんが、おそるおそる訊いてきた。


「あの。管理人さんの、前のお仕事って……もしかして、すごい、人だったんですか」


俺は、肉を冷蔵庫に仕舞いながら、できるだけ何でもないことのように答えた。


「いえ。本当に、ただの賄い係でしたよ。たまたま、関わった人が、たまたま、ちょっと偉い人だっただけで」


「ちょっと偉い人は、黒塗りの車で松茸を届けないんですよ……」


真壁さんが、頭を抱えた。


黒塗りの車、うやうやしい秘書、桐箱いっぱいの和牛と松茸。スマホも持たないのに海外の大富豪から差し入れが届く――「ただの賄い係」じゃ説明つかないこの珍事にニヤッときたら、【びっくり】か【笑える】を! 正体の答え合わせはブックマークで。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。