Ⅱ堕天の光【第1幕 静寂】
あの日、世界が光に包まれた。
空も大地も、あの人の声も、すべてが白い輝きの中に溶けていった。
そして、静寂が残った。
けれど、その奥で、確かに聴こえる。胸の中でトク、トクと打ち続ける音。
あたしの鼓動に微かにかさなる温もり。
……でも、あの日から一度も光らない。
あの人が託した“光の欠片”は、いまも脈を打つだけで、沈黙を守っている。
……あれから2年。
崩れ落ちた街に、再び花が咲いた。
誰もが“もう二度と戻らない”と思っていた場所に、命が芽吹き、子どもたちの笑い声が響く。
「先生ー! また花が咲いたよ!」
その声に、あたしは振り向いた。
手のひらに舞い降りた花びらが、あの日の残響のように淡く光る。
――あたしは、今日もこの街を守っている。
慧吾が帰ってくる場所を、信じながら。
ソムニウムは、いまや“花の国”と呼ばれている。かつて戦いで焦げた大地には色とりどりの花が咲き、朝露を受けた花びらが光を反射して、まるで街全体が一枚の絵のようだった。
中央広場には噴水があり、水面に浮かぶ光の粒が、風に運ばれてきらめく。
その周りを、商人たちが店を広げ、毎日焼きたてのパンや甘い果実の匂いが漂う。
「先生ー!お花の種、どこに植える?」
子どもたちの声が響く。
「じゃあ、あっちに植えよう!付いといで!」
あたしはシャベルを担いで歩き出す。
そのあとを、子鴨みたいに子供たちがついてくる。
いま、あたしは管理棟の一角で“学校”を開いている。
壁には子どもたちが描いた絵が並ぶ。
青い空、揺れる花、笑っている人たち。
そのどれもが、かつて失われたはずの景色だった。
窓の外では、辰彦と哲平が笑いながら何かを運んでいる。
「ほら見ろ、てつ坊。こっちの板がずれてんだよ!」
「いや、たっつぁんが力入れすぎなんだろ!」
二人の声が風にのって届く。
結局、あの二人は今でも口喧嘩ばかり。
でも、息の合ったやりとりを見ると、なんだか安心する。
「先生ー! ここわかんないー!」
「また? 昨日も同じところでつまづいてたじゃない」
「だって、算数きらいー!」
「わかった、じゃあお話にして説明してあげる」
笑い声が広がる。その音が、どんな奇跡よりも尊いと、あたしは思う。
でも、ときどき――ほんの一瞬、胸の奥に冷たい風が吹く。心臓の奥で、何かがかすかに疼く。
もう二度と光らないはずの“光の心臓”。
けれど、時おり“呼吸”をするように揺れるその感覚は、遠い誰かの鼓動を思い出させる。
そのたびに思う。
慧吾……あなたは、どこにいるの?
あたしの呟きに答える声はない。
ただ、外の風がカーテンを揺らして、花の香りがふわりと入り込む。
「……また、そんな顔して」
振り向くと、諒介が立っていた。
木箱を片手に持ちながら、いつもの穏やかな目で笑っている。
「な、何よ」
「いや、別に。あいつのこと、また考えてたろ」
何も言えずにいると、諒介はゆっくり近づいてきて、あたしの頭をぽん、ぽん、と軽く叩いた。
その手の温かさに、胸の奥の冷たさが少しだけ溶ける気がした。
「大丈夫。お前の顔、今はちゃんと光ってる」
「……やめてよ、からかうの」
「からかってねぇよ」
そう言って、彼は微笑んだ。
外では、哲平と辰彦がまだ騒がしく言い合っている。その声を聞きながら、あたしは少し息をついた。
「先生!」
教室の外から、慌てた声がした。あたしは子どもたちのノートを閉じて顔を上げる。
「どうしたの?」
さっきまで笑顔で走り回っていた男の子が、真っ青な顔で駆け込んできた。
息が荒くて、言葉がうまく出てこない。
「落ち着いて。ゆっくり話して」
「か、帰り道で……えりちゃんが倒れた!」
その言葉に、時間が止まったように感じた。
「なんですって?」
イスが音を立てて倒れる。あたしは立ち上がり、教室を飛び出した。
外の風が妙に冷たい。
いつもより、匂いがしない。花の香りが……薄い。
「そこへ連れて行って!」
諒介の声が後ろから聞こえた。
「リリカ、待て!」
でも、足が止まらない。
坂を下りる途中で、人だかりが見えた。
えりちゃんが、地面に横たわっている。
顔は青白く、唇がかすかに震えていた。
「えりちゃん……!」
膝をついて呼びかける。
手を握ると、指先が冷たい。
「諒介! 体温が下がってる!」
彼は頷き、すぐに外套を脱いで掛けた。
「哲平! 辰彦! 担架を!」
呻き声のような音を立てて風が舞いあがる。
それは不穏な匂いを運んでいた。
子どもたちの泣き声が響く。
あたしはえりちゃんの手を握ったまま、必死に呼びかけた。
「大丈夫……きっと大丈夫だから」
でも、あたしの手が震えてる。
指先がかすかに熱を帯びて、胸の奥で“何か”が小さく跳ねた。
その鼓動を押し殺すように胸に手を当てる。
この2年、光は一度も目を覚まさなかった。
でもいま、鼓動が何かを囁いている。
「リリカ!」
諒介の声が現実を引き戻す。
「広場に運ぼう、ここじゃ危険だ!」
あたしは頷き、えりちゃんを抱き上げた。
体は冷たい汗で濡れていた。
広場にはすでに辰彦と哲平が集まっていた。
木材を運び、布を張って、即席の屋根を作り始めている。
「リリカ、ここを病院にする。みんな、運び込んでくれ!」
「病院……?」
「ああ。倒れてるのは、えりちゃんだけじゃない。北の通りでも、何人かが……!」
あたしは喉が詰まる気がした。
風が止まり、まるで街が息を潜めているように静かだった。
えりちゃんの頬のその白さが、どうしようもなく不吉に見えた。




