第5章 アルメの小村
花の国を出て半日ほど歩くと、景色はゆっくりと色を変えていった。
背の低い木々が増え、家畜の鈴の音が風にのり、土の匂いが濃くなる。
「ここが……アルメ?」
ノヴァは背伸びして遠くを見渡す。それだけで胸が温かくなるほど、表情が明るい。
慧吾は風に指先をのばし、ふっと眉を寄せた。
「……微かに揺れているな」
ジャックが肉串をカリッとかじりながら歩く。
「世界の傷ってやつか? お前の胸が痛ぇのも、これのせいか?」
「痛みじゃない。 ……風が通るような感覚だ。どこかで“ひっかかり”がある」
ノヴァが慧吾の手をきゅっと握る。
「ぼくも、すこしだけ……くすぐったい、みたいな」
慧吾はノヴァを見て微笑んだ。
「無理に感じる必要はない。俺だけでいい」
ジャックがすかさず横から入る。
「馬鹿言え。三人で来たんだ。 感じるやつが三人いりゃ、三人で確かめりゃいいだろ」
慧吾がジャックから目を逸らしながら、言う。「……お前は鈍いだけだ」
「何を言ってやがる」
村に近づくほど、妙な違和感が濃くなっていった。
家は崩れていない。道も綺麗だ。人々は普通に働いている。
けれど……
“音”がない。
風の音も、子どもの笑い声も、金槌の響きも、鳥の声も。
まるで世界の一部が“消音”されているようだった。
「……ここだな」
慧吾の声は小さかったが、確信があった。
ノヴァは慧吾の外套をぎゅっと握る。
「怖いか」
「……すこし。でもね、けいごがいるからだいじょうぶ」
(慧吾の胸がふっと熱を帯びる)
ジャックは腕を組んでひと息吐いた。
「よし。まずは住人に話を聞くぞ。 聞き込みは俺の得意分野だ」
慧吾とノヴァが同時に言う。
「それが一番不安だ」
ジャックは眉を上げる。
「はァ!?なんでだよ!!?」
アルメの村長は腰の曲がった優しげな老人だった。ただ、表情に“疲労”が滲んでいた。
「……確かに数日前からです。 村の音が、ひとつずつ消えていって……」
慧吾が静かに尋ねる。
「誰かが傷ついたわけでは?」
「それが……不思議なほど、何も起きてはおらんのです。 ただ、“心が晴れない”と皆が言う」
ジャックはぼそっと呟く。
「心の靄か……嫌な予感しかしねぇな」
その時、ノヴァが村の外を指差した。
「けいご……あそこ、ひかってる」
慧吾の目が鋭くなる。
畑の向こう。小さな祠のような石碑が、淡く、薄い金色に揺れていた。
慧吾とノヴァの胸が、──同じタイミングでふっと熱を帯びた。
「……行くぞ」
「おう」
「ぼくもいく!」
風が三人の背にまわり、祠へ向かう道を押し広げていく。
それはまるで──“ここに気づいてくれてありがとう”と言っているようだった。
祠の周辺だけ、まるで空気の透明度が違って見えた。
色がすこし褪せている。温度もすこし低い。
“世界の表面が、薄くひび割れている”ような。
ノヴァが胸に手を当てる。
「けいご……ここ、いたいの?」
慧吾は首を振る。
「痛くはない。 ただ……ここだけ、風が循環していない」
ジャックが祠の影を蹴ってみる。
「修復ってどうすんだよ、これ」
ノヴァがそっと祠に触れた時。
慧吾の胸の光が揺れた。
ジャック「おい!?」
慧吾はノヴァの手を重ねる。
「……感じろ。 “これは壊す場所じゃない” ただ……“満たされていない”だけだ」
ノヴァのまつげが震えた。
そして──小さく呟く。
「……さみしい、ってきこえる……」
慧吾は目を閉じた。
「そうだ。 この村に“音”が戻らない理由は…… 村が、誰かの喜びを忘れたからだ」
「なんだそりゃ、詩かよ」
「違う。“希望”だ」
ノヴァは光を胸からそっと祠へ流すように触れた。
淡い光が祠に吸い込まれ、“音のない空間”がふっと震えた。
その直後。
「めぇぇぇぇぇ!!」
謎の声が聞こえ、あたりに光が射したように明るくなる。
「ウソだろ!なんだ今の!!」
「ひかりが、わらった……!」
祠の光がやさしく消えていく。
慧吾は空を見上げた。
「これが……世界を綺麗にする旅だ。 戦いじゃない。 “正す”旅だ」
ジャックは肩をすくめ、だけど嬉しそうに笑った。
「けっ、英雄気取りしやがって。 ……悪くねぇな」
ノヴァが慧吾の外套にくるまりながら言う。
「けいご、もっといこうね」
慧吾はそっと頷く。
「行こう。 まだ“ふたりの光”が必要な場所は、たくさんある」
風が三人の背中を押すように吹いた。
その風はどこか誇らしげだった。
祠で世界の“かすり傷”を癒やしたあと、三人は村の入口の石垣に腰をおろしてしばらく風に身を委ねていた。
音が戻った村には笑い声が広がり、修復された世界の一部がゆっくりと息を吹き返していくのがわかる。
その穏やかな瞬間。
ジャックが煙草をくわえたまま、ふたりの方に視線を投げた。
「……なあ、お前ら」
それだけで、慧吾もノヴァも顔を上げる。
ジャックは珍しく、乱暴な口調の奥に“ためらい”を抱えていた。
「俺は、さんざん見てきた。お前らの悪い癖をな。誰かのために、自分を犠牲にするってやつだ」
「……ジャック」
何度も何度も、生に引き戻してくれた──慧吾は、目を伏せる。何も言えない。
ノヴァは慧吾の外套を握ったまま、じっと聞いている。
ジャックは煙草を指で弾いて地面に落とし、強く踏み消した。
「約束しろ」
振り返ってふたりに向き直る。
大きな影が、夕陽をさえぎる。
「命は……使うな。お前らが“死ぬ覚悟”なんか決めちまったら、 俺は二度と笑えねぇ」
その声は低く、震えていた。
「慧吾。 ノヴァ。 どんな理由があっても── 命を削って誰かを救うなんて真似、 俺は絶対に許さねぇ」
ジャックは慧吾とノヴァを交互に、睨むように見てから、ふと我に返ったように視線を外した。
「お前らは自分の価値をわかってねぇ」
ノヴァは慧吾の袖を掴んだまま、大きく目を潤ませた。
「……けいご……ぼくも…… いきるひかりが、いい……」
慧吾はしばらく黙し──ゆっくりとノヴァの頭に手を置いた。
そして、ジャックに向き直る。
「……わかった。 もう使わない。 命は……俺たちのものだ」
ジャックは鼻を鳴らしながらも、安堵を押し隠すように腕を組んだ。
「……最初からそうしろってんだ」
慧吾は横に視線を滑らせ、夕焼けを背に立つノヴァとジャックを見渡す。
「約束だ。 “世界を治す旅”は── 生きるための旅にする」
ノヴァはぱっと笑顔になり、慧吾の腕にしがみつく。
「さんにんで、いきるひかりのたび、だね!!」
ジャックはその小さな頭を乱暴に撫でた。
「おう、行くぞ。 どこまでもな」
風が再び吹き抜ける。
それはまるで、三人の誓いを祝うようなあたたかい帰り風だった。




