Ⅰ 第3幕「崩落」
瓦礫を越え、路地を抜けた先。崩れかけた建物の地下に、薄暗い空間があった。
散乱した木箱に、割れたガラス瓶。誰かの手でかろうじて隠れ家に仕立てられたのだろう。
そこで、あたしは初めて彼ら全員と顔を合わせた。
ナイフを握る青年――諒介。
寡黙な眼差しを落とす男――慧吾。
拳を鳴らす短髪の男――哲平。
白髪まじりの大きな体――辰彦。
そして、銃を軽く弄ぶ異国の青年――ジャック。
「……五人も」
思わずつぶやいた声が、小さく震えた。
「全員、排除された者か」
慧吾が低く言う。
「排除、ねぇ」
ジャックが片眉を上げる。
「俺はむしろ拾いもんだと思ってるが」
辰彦がどっしりと腰を下ろし、ため息をつく。
「どうあれ、ここに集ったのは運命じゃろ」
諒介は隅で黙ってナイフを磨いていた。
ちらりと視線が合うと、すぐに逸らされる。
胸が締めつけられる。
みんなは、もう知り合いみたいに話している。
あたしだけが、よそ者みたいに立ち尽くしていた。
「あたし、何も出来ない。力もない。あたし、必要なの?」
声に出してしまった途端、胸が締め付けられる。
短い沈黙。諒介も辰彦も、すぐには言葉を返せなかった。
漆黒の外套を、足元をすくう風になびかせ、慧吾が低く、誰に言うでもなく呟いた。
「……機は熟した」
あたしは一瞬、意味がわからず目を瞬いた。
けれど、その言葉の重みだけは確かに胸に残った。
地下室の奥で水滴の落ちる音だけが、虚しく響く。
「……お嬢さん」
ずしりと重い声が響く。辰彦だった。
「おぬしが折れたら、ワシらは崩れる。
けど、おぬしが立っておれば……ワシらは固く団結できるんじゃ」
「一緒に行こう」
哲平が拳を軽く突き出し、明るい声を重ねる。
「リリカがいるから、俺たちは戦えるんだ」
諒介も短く言った。
「自分を、そして俺たちを信じろ」
その時、壁にもたれていたジャックが、ふっと鼻で笑った。
「She’s fragile. でも──」
彼は銃を肩にかけ直し、ちらりと視線をよこす。「その光がなきゃ、俺たちはとっくに終わってる」
胸の奥が、じんわりと温かくなった。
不安に押し潰されそうだった心が、少しだけ息を吹き返す。
あたしは拳をぎゅっと握った。自然と、口元がかすかに緩む。
「……ありがと」
仲間たちの顔が闇に浮かぶ。
この人たちとなら──戦える。
「ったく、待たせやがって!」
哲平が拳を振って笑う。
「ここからじゃの」
辰彦が肩を回しながら応える。
「ふん、騒がしいな」ジャックが鼻で笑う。
諒介がナイフをひらりと弄びながら口角を上げた。「お前が光ってるなら、俺らは影でいい」
その一言に胸が熱くなる。
慧吾が剣を構え、短く言い放った。
「進むぞ」
六つの影が、闇の奥へと並んで駆け出した。
無数のソムニクスが影のように立ちはだかる通路。気のせいか、どんどん数が膨れ上がっている。
あたしは恐怖に足がすくんでいた。
でも、胸は痛いくらいにはねている。
胸元が、淡く光り出す。刹那、銃口が一斉に熱を帯びる。
「来やがったな!」
哲平が拳を握りしめて前に飛び出す。
「おぬしは突っ走りすぎじゃ!」
辰彦が吠えるように後を追い、二人の拳が同時に敵を叩き砕いた。
轟音とともに壁ごと崩れ、ソムニクスが白い闇へ吸い込まれて消える。
「……雑だな」
ジャックが吐き捨てるように言い、ナイフを一閃。刃は音もなく敵の仮面を割り、正確無比に一体を沈黙させた。
あたしは思わず息を呑む。
彼らの動きが、まるでずっと一緒に戦ってきた仲間のように噛み合っている。
だが同時に、ちくりと痛みが走る。
(……あたしにも、戦える力があったら)
その隙を狙って、背後からソムニクスの銃口が迫る。
「リリカ!」
諒介の声が飛び、ナイフが弾丸をはじき落とす。
次の瞬間、慧吾の剣が閃き、敵を一閃した。
「前に出るな」
短い言葉。けれど、背中で守られていることがはっきりと伝わった。
──そのとき。
『……共鳴の光、確認』
頭の奥に、冷たく湿った声が流れ込んだ。背骨を氷でなぞられるような感覚に、息が詰まる。
「総裁……!」
誰かが吐き捨てる。
『心臓を差し出せ』
耳ではなく、心臓に直接突き刺さる声。
胸が痛い。鼓動が乱れる。
「リリカ、揺れるな」
諒介の声に振り向いた瞬間、ソムニクスの仮面がひとつ、目の前で砕け散った。
青ざめた顔が、あたしを見ていた。その空洞の瞳が、まるで鏡みたいにあたしを映して――呼吸が止まった。
『……このときを待ちわびていた…来い』
背中が凍りつく。
その時───、地面が呻き、轟音。床が裂け、通路ごと足元が崩れ落ちた。
「――っ!」
叫ぶ間もなく、あたしの体は闇に引きずり込まれていく。
奈落の底。落下の衝撃で肺の空気が押し出され、しばらく呼吸すらできなかった。
耳をつんざく咆哮。
四方八方から、仮面をつけたソムニクスが現れる。その影は、これまでのものより濃く、重い。
「……数が、桁違いだな」
諒介が血に濡れた刃を握り直す。
辰彦は拳を鳴らし、哲平は肩で笑い、ジャックはナイフを構えて無言で周囲を見回す。
慧吾の、剣を構えたその背は、沈黙のまま闇を切り裂くように立ち、気配だけで場を支配していた。
胸が張り裂けそうな鼓動に、思わず息を止める。
袋小路。ここで戦わなければ、生き残れない。
その時だった。轟音が響き、空間そのものが震えた。
床が裂け、闇の亀裂が広がっていく。
「……っ、なに……!?」
あたしの膝が崩れそうになる。
仲間たちの動きが一瞬止まった。
次の瞬間、亀裂から黒い影が這い出すように広がり、その中心に“それ”は立っていた。
漆黒の仮面に覆われたその姿は、他のソムニクスとは明らかに違う。背筋を凍らせるほどの圧倒的な存在感。
『──ようやくここまで来たか』
声が空間に重く響く。
「…総裁……!」
諒介が青ざめる。哲平が拳を構えたが、全身にかかる重圧に動けず、膝をついた。
辰彦も唸り声を上げながら拳を握るが、足が地面に縫いつけられたように動かない。
ジャックが刃を構えても、手が震えている。
「Tch… damn it…!」
『無駄だ』
総裁は手をかざし、闇を揺らめかせる。
その黒い影は慧吾を包み込んだ。
「……っ!」
慧吾の肩が大きく揺れ、剣を握る腕が震える。
「慧吾……?」
あたしが呼んだ声に、彼は振り向かない。
闇が絡みつき、慧吾の瞳から光が失われていく。
その剣先が、ゆっくりとあたしへ向けられた。
『その男は私のものだ。監視者であり、器でもある』
息が止まる。胸を抉られるような痛み。
あの時見た黒い人影が、慧吾だった…?
「嘘でしょ……? 慧吾…!」
けれど、悲愴にゆがむ彼の唇は閉ざされたまま。
必死に手を伸ばすけれど、その瞳は虚ろで、もう“あの人”ではなかった。
黒い影がさらに強く脈動し、空間そのものを押し潰していく。
膝を折り、皆が耐えている。あたしの喉を潰されかけ、必死に顔を上げた。
漆黒の外套を乱し、慧吾も青ざめて膝を折る。
剣を地に刺し、必死に耐えていた。
冷徹に見えた顔がわずかに歪み、頬を冷たい汗が一筋伝った。
──いつもは決して見せない弱さ。
それが、どれほど過酷なのか、あたしは感じとっていた。
すごい力で押しつぶされ、同時に襲う熱に、体から生気がうしなわれていくのを感じていた。もう──耐えられない…
「……慧…吾……」
乾いた声を絞り出す。
呼びかけても、答えはない。その瞳は黒に染まりながらも、ただ一つの意思を宿していた。
次の瞬間――慧吾の胸の奥から、眩い光が奔った。外套が裂け、その下に押し隠していたものが、ついに溢れ出したのだ。
あれは……光の心臓……!?
「──行け!」
慧吾の声が轟き、あたしの体は光に包まれて、その重圧と熱から弾き飛ばされる。
「いやっ……慧吾!!」
伸ばした手も届かないまま、慧吾は闇の奥深くへと沈んで行く。
《……託す……》
消えたはずの声が、心に響いた。
「慧吾!」
諒介、辰彦、哲平の叫びが虚空に消える。
「Oh…come on…」
ジャックの呟きが落ちた。
胸に新たな熱が宿る。
慧吾の心臓――その輝きが、あたしの中に溶け込んでいた。




