第30話:奪還作戦
ドォォォォォン!!
腹の底に響くような爆発音が、石造りの塔を揺らした。
鉄格子の向こう、夜明け前の空が赤く染まっている。
一箇所ではない。街のあちこちで火の手が上がり、サイレンがけたたましく鳴り響いていた。
「……始まったわね」
私は窓枠を握りしめ、外を見つめた。
外部からの陽動。ガストンたちが動いたのだ。
廊下が騒然となる。兵士たちの怒号と、軍靴の音。警備の大部分が、消火と鎮圧のために外へ飛び出していく気配がする。
助けが来る。
私は扉の方を向いて身構えた。
きっとクロードのことだ。看守を殴り倒して、あるいは鍵をこじ開けて、正面から入ってくるに違いない。
しかし。
数分経っても、扉が開く気配はない。
廊下の騒ぎは遠ざかっていくばかりだ。
「……遅いじゃない」
焦りが募る。
もしかして、侵入に失敗したのだろうか?
それとも、別の場所に捕まっているのか?
その時だった。
私の足元の床が、そして塔全体が、小刻みに震え始めた。
ドドドドド……。
地震? いや、違う。
何かが近づいてくる。
巨大で、重く、圧倒的な質量を持つ何かが。
シュゴッ……シュゴッ……!
キィィィィン……ガシャン!!
蒸気の排気音と、キャタピラが石畳を削る音。
そして、機械油の焦げる匂いが、風に乗って漂ってくる。
音は廊下からではない。
窓の外――空から聞こえてくる。
私は恐る恐る窓に近づいた。
そして、見た。
夜明け前の薄闇の中、塔の真下に鎮座する、黒鉄の怪物を。
現場で橋脚の組み立てに使われていた、超大型の移動式蒸気クレーンだ。
その巨大なアームが、鎌首をもたげる竜のように、私のいる最上階へと伸びてきていた。
「……嘘でしょう?」
あまりの光景に、私は言葉を失った。
潜入? 鍵開け?
そんなちまちました手段ではない。
彼は「工事」をしに来たのだ。この監獄という建物を。
ガガンッ!
クレーンの先端に取り付けられた巨大なフックが、窓枠のすぐ横にぶつかった。
そして、そのフックの上に、男が一人立っていた。
高所恐怖症のはずの男が、命綱一本で揺れるフックにしがみつき、必死の形相で私を見ている。
「……エリザベート! 離れてろ!」
ガラス越しに、クロードの叫び声が聞こえた。
彼はフックから太いチェーンを繰り出し、それを窓の鉄格子に巻き付け始めた。
カチャリ、カチャリと手際よく固定し、シャックルでロックする。
そして、彼は懐から赤旗を取り出し、下に向かって大きく振った。
「引っこ抜けぇぇぇ!!」
合図と共に、地上でクレーンのエンジンが咆哮を上げた。
ブオオオオォォォン!!
黒煙が吹き上がり、ワイヤーがピンと張り詰める。
ミシミシ、メキメキ……!
石壁が悲鳴を上げる。
数トンの牽引力が、錆びついた鉄格子と、それを支える窓枠全体にかかる。
「きゃあっ!」
私は部屋の隅に退避し、耳を塞いだ。
ズガァァァァン!!
落雷のような轟音。
壁が弾け飛んだ。
鉄格子ごと、窓枠周辺の石材がごっそりと引き抜かれ、宙に舞う。
土煙が舞い上がり、部屋の中に夜風が吹き込んできた。
埃が晴れると、そこには壁一面の大穴が開いていた。
そして、その穴の向こうに、揺れるフックに乗ったクロードが手を差し伸べ待っていた。
「……よう。迎えに来たぜ、お姫様」
彼は引きつった笑顔で、それでも精一杯の虚勢を張って言った。
足がガクガク震えているのが見える。
「……バカ! 大バカよ貴方!」
私は涙目で叫びながら、崩れた瓦礫を乗り越えた。
扉の向こうから、看守たちが駆けつけてくる音がする。
「なんだ!? 壁がなくなったぞ!?」
遅い。もう道は開かれた。
私はスカートの裾を掴み、躊躇なく虚空へ身を投げ出した。
「……えいっ!」
浮遊感。
次の瞬間、強い力で腕を掴まれ、引き寄せられた。
クロードの胸の中だ。
泥と油、そして石炭の匂いが私を包み込む。
「捕まえた……!」
彼が私を抱きしめる腕は、痛いほど強かった。
心臓の音がうるさいくらいに響いている。彼の心臓も、私の心臓も。
「……怖かったか?」
「当たり前でしょ! 壁を壊すなんて聞いてないわよ!」
「鍵を開けるより早いだろ」
彼は悪びれもせず言い放ち、再び下へ合図を送った。
「下ろせ! 全速力だ!」
クレーンのアームが旋回し、私たちは夜の空中を大きくスイングしながら降下した。
塔の窓から兵士たちが顔を出し、呆然とこちらを見上げている。
銃を撃つことさえ忘れるほどの、圧倒的な暴力による脱出劇。
地面が近づく。
クレーンの操縦席から、ハンズがサムズアップしているのが見えた。
「ナイス着地だ、主任!」
ドン! とフックが地面に着地する。
クロードはへたり込みそうになる足で踏ん張り、私を抱きかかえて降りた。
「行くぞ! トラックへ!」
ガストンが運転する軍用トラック(これも盗品だ)が、エンジンをふかして待機している。
私たちが荷台に飛び乗ると同時に、トラックは急発進した。
「あばよ! 修理代は帝国に請求しな!」
クロードが半壊した塔に向かって中指を立てる。
私たちは夜の街を爆走し、追っ手を振り切って森の中へと消えていった。
***
到着したのは、かつて資材置き場として使われていた森の廃屋だった。
ここなら、当面は軍の目も届かない。
トラックを降りると、作業員たちが集まってきた。
全員、煤だらけの顔で、ニカっと白い歯を見せて笑っている。
「おかえりなさい、ボス!」
「へへっ、壁ごと引っこ抜くたぁ、さすが主任だぜ!」
彼らの無邪気な笑顔を見て、私は胸が詰まった。
私一人のために、これだけの人間が命を懸けてくれた。
しかも、こんな馬鹿げた、最高に痛快な方法で。
「……ありがとう。みんな」
私が深く頭を下げると、彼らは照れくさそうに顔を見合わせた。
「やめてくださいよ。……ボスがいない現場なんて、酒のない宴会みたいなもんですから」
ガストンが、懐から一通の封筒を取り出した。
油で汚れているが、封蝋は高級なものだ。
「それとボス。これ、ニューポートのモルガン氏から、闇ルートで届いた電報です」
「モルガンから?」
私は封筒を受け取り、中身を開いた。
そこには、短い暗号文のようなメッセージが打たれていた。
『条件達成。毒は回った。銀行団は承認済み』
その文面を見た瞬間、私は口元を歪めた。
笑みがこぼれる。極上の、悪女の笑みが。
「……ふふっ。仕事が早いわね、古狸さん」
「何だそりゃ?」
クロードが覗き込んでくる。
私は電報を彼に見せ、ニューポートでの商談の夜のことを語った。
「あの時、契約書に『ある条項』を忍ばせておいたのよ。
もし帝国軍が現場を不当に制圧し、工事を妨害した場合……この橋の所有権は、即座に中立である『世界銀行連盟』に移管される、という条項をね」
クロードが目を見開いた。
「……おい、それって」
「ええ。将軍が私を捕らえ、現場を制圧したあの瞬間、自動的にスイッチが入ったのよ。
この橋はもう、帝国のものじゃない。
世界中の銀行が管理する、巨大な『借金のカタ』になったの」
クロードは呆れたように、そして感心したようにため息をついた。
「……お前、最初から国を売る準備をしてたのか」
「国を守るためよ。……毒をもって毒を制す。経済という猛毒で、軍隊という暴力を殺すの」
私は電報を懐にしまった。
これが、最後の切り札。
政治的な決着は、この紙切れが担う。あとは、物理的な決着をつけるだけだ。
「……で、どうする?」
クロードが本題を切り出した。
その瞳は、逃亡者のものではなく、既に次の戦いを見据える戦士の目だった。
「ガストンが、リベールへの逃走ルートを確保している。……今夜中に国境を越えることもできるぞ」
彼は私を試すように見た。
逃げる。それは一番安全な選択肢だ。
でも、彼もわかっているはずだ。私が何と答えるかを。
「逃げないわ」
私は即答した。
「私たちが逃げたら、現場のみんなはどうなるの? 反逆罪の協力者として処刑よ。それに……あの橋を、あんな中途半端なまま置いていくなんて、私のプライドが許さない」
私は廃屋の隅にかけられていた防水シートを剥がした。
そこには、一枚の巨大な図面が貼られていた。
橋の図面だ。
だが、見慣れたものとは違う。何かが書き足されている。
「……準備はできている」
クロードがニヤリと笑った。
「お前が捕まっている間、ただ泣いてたわけじゃねえ。
将軍に嘘をついたんだ。『重列車砲を通すための強度試験が必要だ』とな」
「……え?」
「奴は食いついたよ。軍の資材庫を開放させて、突貫工事で橋の上にレールを敷かせた。
……機関車『夜明け号』も、『試験用のウェイト』と称して分厚い鉄板を貼り付け、装甲車並みに改造済みだ」
私は呆気にとられた。
この男は、私が牢獄で震えている間に、敵の金と資材を使って、堂々と「脱出の準備」を整えていたのだ。
将軍の欲望を逆手に取り、自分たちが逃げるための、いや、戦うためのレールを敷かせていたなんて。
「……貴方、やっぱり天才ね」
「知ってる」
彼は悪戯っぽく笑った。
「レールも、車(機関車)も、全部揃ってる。
……あとは『女王様』が乗るだけだ」
その言葉に、私の全身に電流が走った。
恐怖も、痛みも、すべて吹き飛ぶような高揚感。
そう。
逃げる必要なんてない。
私たちが作った道が、私たちが乗るべき鉄の馬が、あそこで待っているのだ。
「……最高ね」
私はドレスの裾を払い、傲慢に顎を上げた。
悪女のスイッチが入る音がした。
「いいわ、クロード。……そこまでお膳立てされたら、断るわけにはいかないわね」
私は彼を見下ろし、不敵に微笑んだ。
「なら、ド派手に凱旋してあげましょう。……将軍が腰を抜かすような、最高のショーをね」
クロードもまた、獣のように笑った。
共犯者たちの目が、夜明け前の闇の中でギラリと光った。
反撃の時間は終わりだ。
ここからは、蹂躙の時間だ。




