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鉄の線路は国境を越えて ~売国奴と蔑まれた令嬢は、敵国の天才技師と未来への架け橋を築く~  作者: ぱるめりあ
第4章:夜明けの汽笛

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第30話:奪還作戦

 ドォォォォォン!!


 腹の底に響くような爆発音が、石造りの塔を揺らした。

 鉄格子の向こう、夜明け前の空が赤く染まっている。

 一箇所ではない。街のあちこちで火の手が上がり、サイレンがけたたましく鳴り響いていた。


「……始まったわね」


 私は窓枠を握りしめ、外を見つめた。

 外部からの陽動。ガストンたちが動いたのだ。

 廊下が騒然となる。兵士たちの怒号と、軍靴の音。警備の大部分が、消火と鎮圧のために外へ飛び出していく気配がする。


 助けが来る。

 私は扉の方を向いて身構えた。

 きっとクロードのことだ。看守を殴り倒して、あるいは鍵をこじ開けて、正面から入ってくるに違いない。


 しかし。

 数分経っても、扉が開く気配はない。

 廊下の騒ぎは遠ざかっていくばかりだ。


「……遅いじゃない」


 焦りが募る。

 もしかして、侵入に失敗したのだろうか?

 それとも、別の場所に捕まっているのか?


 その時だった。

 私の足元の床が、そして塔全体が、小刻みに震え始めた。


 ドドドドド……。


 地震? いや、違う。

 何かが近づいてくる。

 巨大で、重く、圧倒的な質量を持つ何かが。


 シュゴッ……シュゴッ……!

 キィィィィン……ガシャン!!


 蒸気の排気音と、キャタピラが石畳を削る音。

 そして、機械油の焦げる匂いが、風に乗って漂ってくる。

 音は廊下からではない。

 窓の外――空から聞こえてくる。


 私は恐る恐る窓に近づいた。

 そして、見た。


 夜明け前の薄闇の中、塔の真下に鎮座する、黒鉄の怪物を。

 現場で橋脚の組み立てに使われていた、超大型の移動式蒸気クレーンだ。

 その巨大なアームが、鎌首をもたげる竜のように、私のいる最上階へと伸びてきていた。


「……嘘でしょう?」


 あまりの光景に、私は言葉を失った。

 潜入? 鍵開け?

 そんなちまちました手段ではない。

 彼は「工事」をしに来たのだ。この監獄という建物を。


 ガガンッ!


 クレーンの先端に取り付けられた巨大なフックが、窓枠のすぐ横にぶつかった。

 そして、そのフックの上に、男が一人立っていた。


 高所恐怖症のはずの男が、命綱一本で揺れるフックにしがみつき、必死の形相で私を見ている。


「……エリザベート! 離れてろ!」


 ガラス越しに、クロードの叫び声が聞こえた。

 彼はフックから太いチェーンを繰り出し、それを窓の鉄格子に巻き付け始めた。

 カチャリ、カチャリと手際よく固定し、シャックルでロックする。


 そして、彼は懐から赤旗を取り出し、下に向かって大きく振った。


「引っこ抜けぇぇぇ!!」


 合図と共に、地上でクレーンのエンジンが咆哮を上げた。


 ブオオオオォォォン!!


 黒煙が吹き上がり、ワイヤーがピンと張り詰める。

 ミシミシ、メキメキ……!

 石壁が悲鳴を上げる。

 数トンの牽引力が、錆びついた鉄格子と、それを支える窓枠全体にかかる。


「きゃあっ!」


 私は部屋の隅に退避し、耳を塞いだ。


 ズガァァァァン!!


 落雷のような轟音。

 壁が弾け飛んだ。

 鉄格子ごと、窓枠周辺の石材がごっそりと引き抜かれ、宙に舞う。

 土煙が舞い上がり、部屋の中に夜風が吹き込んできた。


 埃が晴れると、そこには壁一面の大穴が開いていた。

 そして、その穴の向こうに、揺れるフックに乗ったクロードが手を差し伸べ待っていた。


「……よう。迎えに来たぜ、お姫様」


 彼は引きつった笑顔で、それでも精一杯の虚勢を張って言った。

 足がガクガク震えているのが見える。


「……バカ! 大バカよ貴方!」


 私は涙目で叫びながら、崩れた瓦礫を乗り越えた。

 扉の向こうから、看守たちが駆けつけてくる音がする。

 「なんだ!? 壁がなくなったぞ!?」

 遅い。もう道は開かれた。


 私はスカートの裾を掴み、躊躇なく虚空へ身を投げ出した。


「……えいっ!」


 浮遊感。

 次の瞬間、強い力で腕を掴まれ、引き寄せられた。

 クロードの胸の中だ。

 泥と油、そして石炭の匂いが私を包み込む。


「捕まえた……!」


 彼が私を抱きしめる腕は、痛いほど強かった。

 心臓の音がうるさいくらいに響いている。彼の心臓も、私の心臓も。


「……怖かったか?」

「当たり前でしょ! 壁を壊すなんて聞いてないわよ!」

「鍵を開けるより早いだろ」


 彼は悪びれもせず言い放ち、再び下へ合図を送った。


「下ろせ! 全速力だ!」


 クレーンのアームが旋回し、私たちは夜の空中を大きくスイングしながら降下した。

 塔の窓から兵士たちが顔を出し、呆然とこちらを見上げている。

 銃を撃つことさえ忘れるほどの、圧倒的な暴力による脱出劇。


 地面が近づく。

 クレーンの操縦席から、ハンズがサムズアップしているのが見えた。


「ナイス着地だ、主任!」


 ドン! とフックが地面に着地する。

 クロードはへたり込みそうになる足で踏ん張り、私を抱きかかえて降りた。


「行くぞ! トラックへ!」


 ガストンが運転する軍用トラック(これも盗品だ)が、エンジンをふかして待機している。

 私たちが荷台に飛び乗ると同時に、トラックは急発進した。


「あばよ! 修理代は帝国に請求しな!」


 クロードが半壊した塔に向かって中指を立てる。

 私たちは夜の街を爆走し、追っ手を振り切って森の中へと消えていった。


 ***


 到着したのは、かつて資材置き場として使われていた森の廃屋だった。

 ここなら、当面は軍の目も届かない。


 トラックを降りると、作業員たちが集まってきた。

 全員、煤だらけの顔で、ニカっと白い歯を見せて笑っている。


「おかえりなさい、ボス!」

「へへっ、壁ごと引っこ抜くたぁ、さすが主任だぜ!」


 彼らの無邪気な笑顔を見て、私は胸が詰まった。

 私一人のために、これだけの人間が命を懸けてくれた。

 しかも、こんな馬鹿げた、最高に痛快な方法で。


「……ありがとう。みんな」


 私が深く頭を下げると、彼らは照れくさそうに顔を見合わせた。


「やめてくださいよ。……ボスがいない現場なんて、酒のない宴会みたいなもんですから」


 ガストンが、懐から一通の封筒を取り出した。

 油で汚れているが、封蝋は高級なものだ。


「それとボス。これ、ニューポートのモルガン氏から、闇ルートで届いた電報です」

「モルガンから?」


 私は封筒を受け取り、中身を開いた。

 そこには、短い暗号文のようなメッセージが打たれていた。


『条件達成。毒は回った。銀行団は承認済み』


 その文面を見た瞬間、私は口元を歪めた。

 笑みがこぼれる。極上の、悪女の笑みが。


「……ふふっ。仕事が早いわね、古狸さん」

「何だそりゃ?」


 クロードが覗き込んでくる。

 私は電報を彼に見せ、ニューポートでの商談の夜のことを語った。


「あの時、契約書に『ある条項』を忍ばせておいたのよ。

 もし帝国軍が現場を不当に制圧し、工事を妨害した場合……この橋の所有権は、即座に中立である『世界銀行連盟』に移管される、という条項をね」


 クロードが目を見開いた。


「……おい、それって」

「ええ。将軍が私を捕らえ、現場を制圧したあの瞬間、自動的にスイッチが入ったのよ。

 この橋はもう、帝国のものじゃない。

 世界中の銀行が管理する、巨大な『借金のカタ』になったの」


 クロードは呆れたように、そして感心したようにため息をついた。


「……お前、最初から国を売る準備をしてたのか」

「国を守るためよ。……毒をもって毒を制す。経済という猛毒で、軍隊という暴力を殺すの」


 私は電報を懐にしまった。

 これが、最後の切り札(ジョーカー)。

 政治的な決着は、この紙切れが担う。あとは、物理的な決着をつけるだけだ。


「……で、どうする?」


 クロードが本題を切り出した。

 その瞳は、逃亡者のものではなく、既に次の戦いを見据える戦士の目だった。


「ガストンが、リベールへの逃走ルートを確保している。……今夜中に国境を越えることもできるぞ」


 彼は私を試すように見た。

 逃げる。それは一番安全な選択肢だ。

 でも、彼もわかっているはずだ。私が何と答えるかを。


「逃げないわ」


 私は即答した。


「私たちが逃げたら、現場のみんなはどうなるの? 反逆罪の協力者として処刑よ。それに……あの橋を、あんな中途半端なまま置いていくなんて、私のプライドが許さない」


 私は廃屋の隅にかけられていた防水シートを剥がした。

 そこには、一枚の巨大な図面が貼られていた。

 橋の図面だ。

 だが、見慣れたものとは違う。何かが書き足されている。


「……準備はできている」


 クロードがニヤリと笑った。


「お前が捕まっている間、ただ泣いてたわけじゃねえ。

 将軍に嘘をついたんだ。『重列車砲を通すための強度試験が必要だ』とな」


「……え?」


「奴は食いついたよ。軍の資材庫を開放させて、突貫工事で橋の上にレールを敷かせた。

 ……機関車『夜明け号』も、『試験用のウェイト』と称して分厚い鉄板を貼り付け、装甲車並みに改造済みだ」


 私は呆気にとられた。

 この男は、私が牢獄で震えている間に、敵の金と資材を使って、堂々と「脱出の準備」を整えていたのだ。

 将軍の欲望を逆手に取り、自分たちが逃げるための、いや、戦うためのレールを敷かせていたなんて。


「……貴方、やっぱり天才ね」

「知ってる」


 彼は悪戯っぽく笑った。


「レールも、車(機関車)も、全部揃ってる。

 ……あとは『女王様(クイーン)』が乗るだけだ」


 その言葉に、私の全身に電流が走った。

 恐怖も、痛みも、すべて吹き飛ぶような高揚感。

 そう。

 逃げる必要なんてない。

 私たちが作った道が、私たちが乗るべき鉄の馬が、あそこで待っているのだ。


「……最高ね」


 私はドレスの裾を払い、傲慢に顎を上げた。

 悪女のスイッチが入る音がした。


「いいわ、クロード。……そこまでお膳立てされたら、断るわけにはいかないわね」


 私は彼を見下ろし、不敵に微笑んだ。


「なら、ド派手に凱旋してあげましょう。……将軍が腰を抜かすような、最高のショーをね」


 クロードもまた、獣のように笑った。

 共犯者たちの目が、夜明け前の闇の中でギラリと光った。

 反撃の時間は終わりだ。

 ここからは、蹂躙の時間だ。

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