↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鉄の線路は国境を越えて ~売国奴と蔑まれた令嬢は、敵国の天才技師と未来への架け橋を築く~  作者: ぱるめりあ
第3章:嵐の前夜

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
28/43

第26話:開戦の狼煙

 背中の傷が疼く。

 それは、天気が崩れる前の古傷のような鈍い痛みではなく、もっと鋭利で、警告のような痛みだった。


 爆弾事件から一週間。

 私は表面上は「風邪」という理由で数日寝込んだことにして、現場に復帰していた。

 コルセットは締められない。ゆったりとしたチュニックのような作業着の下に、分厚い包帯を巻いている。

 動くたびに走る激痛を、私は鉄の意志で顔に出さずに耐えていた。


「……おはよう、ボス。顔色が悪いですよ」


 現場事務所でコーヒー(まだ泥水に近い味だ)を淹れてくれたハンズが、心配そうに眉を下げる。


「平気よ。少し寝不足なだけ」

「無理しないでくださいよ。……外の空気が、これですから」


 ハンズが視線を向けた窓の外。

 そこには、鉛色の空が広がっていた。

 そして、その空気を振動させる、低い地響き。


 ドォォン……ドォォン……。


 遠雷ではない。

 国境線の向こう、数十キロ先で鳴り響く、砲撃の音だ。


 事態は急速に悪化していた。

 私がゲルハルト将軍を条約で論破したあの日以来、帝国軍は「演習」の名目で国境付近に大部隊を展開させた。

 それに呼応するように、リベール共和国軍も防衛線を強化。

 数日前から、散発的な小競り合い――というには規模の大きすぎる戦闘が、頻発し始めていたのだ。


「……始まったわね」


 私はカップを置いた。

 この音は、戦争の足音だ。

 私たちが必死に繋ごうとしているこの場所のすぐ隣で、世界は壊れ始めている。


 ガチャリ。

 ドアが開き、クロードが入ってきた。

 彼もまた、険しい顔をしている。


「……どうだった? 資材の搬入は」

「全滅だ」


 クロードは帽子を投げ捨て、椅子にドカッと座り込んだ。


「検問がさらに強化された。『軍事物資優先』だそうだ。民間のトラックは一台も通さねえとさ」

「……川の方は?」

「そっちもだ。……上流に監視哨が立った。夜陰に乗じてスクラップを流す作戦も、もう使えねえ」


 兵糧攻めが、最終段階に入っている。

 将軍は本気だ。

 私たちが独自に資材を調達するルートを完全に断ち、干上がらせるつもりなのだ。


「……クソッ。あと少しなんだ。……あと少し鉄があれば、補強が終わるのに」


 クロードが悔しげに拳を握る。

 彼の設計した「ハイブリッド橋」の計算は完了している。

 あとは、それを作る材料さえあれば。


 その時、外から怒号が聞こえてきた。

 いつもの現場の喧嘩ではない。もっと殺気立った、悲鳴に近い声。


「出て行け! 帝国の犬め!」

「うるせえ! やんのかコラァ!」


 私とクロードは顔を見合わせ、すぐに事務所を飛び出した。


 ***


 現場の入り口、巨大なゲートの前が騒然としていた。

 そこにいたのは、兵士でも作業員でもない。

 リベール共和国の市民たちだ。

 近隣の村や街から集まってきた数百人の群衆が、プラカードや石を手に、ゲートに押し寄せていたのだ。


「橋を壊せ! 侵略者の道を作るな!」

「売国奴の技師を出せ!」

「帝国の女を殺せ!」


 憎悪に満ちたシュプレヒコール。

 飛んでくる石つぶて。

 ゲートを守っているのは、帝国の兵士たちと、共和国側の作業員たちだ。

 しかし、その共和国作業員たちの顔にも、動揺が走っている。


「やめろ! 俺たちはただ仕事をしてるだけだ!」

「裏切り者! 帝国に魂を売ったのか!」


 市民の言葉が、ガストンたちの心に突き刺さる。

 彼らは誇りを持って働いていたはずだ。

 家族を養うため、そして「すごいものを作る」という技術者としての誇りのために。

 けれど今、彼らは同胞から「裏切り者」と罵られている。


「……やめなさい!!」


 私は人混みをかき分け、最前線へと躍り出た。

 背中の痛みが走るが、構っていられない。


「下がりなさい! ここは建設現場よ! 関係者の立ち入りは禁じられているわ!」


 私が声を張り上げると、群衆の視線が一斉に私に集まった。

 深紅のドレス(今日は戦闘用のパンツスタイルではない。対外的な威厳を示すためにドレスを着ていた)を纏った、金髪の女。

 彼らにとっての、憎き帝国の象徴。


「あいつだ! 『予算喰いの魔女』だ!」

「あの女が俺たちの国を食い物にしようとしてるんだ!」


 殺意の波が押し寄せる。

 石が飛んできた。

 私は避けなかった。避ければ、後ろにいる作業員に当たるからだ。


 ガッ。

 硬い音がして、私の額に鋭い痛みが走った。

 温かいものが頬を伝う。血だ。


「エリザベート!」


 クロードが私を抱き寄せ、背中で群衆からの投石を庇った。


「貴様ら……! 何も知らねえくせに!」

「クロード、ダメよ! 手を出さないで!」


 私は彼を制止し、血を袖で拭って、群衆を睨みつけた。

 逃げてはいけない。ここで引けば、彼らの憎しみは正当化されてしまう。


「……聞いてちょうだい!」


 私は叫んだ。


「貴方がたの怒りはもっともだわ! 帝国軍が国境を脅かしている今、私たちを敵だと思うのは当然よ!」


 群衆が少しだけ静まる。


「でも、見て! この橋を!」


 私は背後に聳え立つ、巨大な鉄のアーチを指差した。


「これは、侵略のための道じゃないわ! 貴方がたの父や、夫や、息子たちが、泥にまみれて作った汗の結晶よ! ……これを壊せと言うの? 自分たちの家族が命がけで作った希望を、自分たちの手で壊すと言うの!?」


「……うるさい! 綺麗事だ!」

「それが戦車を通すためのものだってことは知ってるんだぞ!」


 野次が飛ぶ。

 だが、その勢いは少し削がれていた。

 最前列にいた一人の老婆が、涙ながらに叫んだ。


「息子が……兵隊に取られたんだ! 帝国が攻めてくるから! あんたたちが橋なんか架けるから!」


 その悲痛な叫びに、私は言葉を詰まらせた。

 正論だ。

 私がどんなに「未来のため」と叫んでも、現実としてこの橋は戦争の引き金になりつつある。

 私のエゴが、彼らの平穏を奪っているという事実は否定できない。


「……っ」


 私が立ち尽くしていると、背後からガストンが進み出た。

 彼は老婆の前に歩み寄り、泥だらけのヘルメットを取った。


「……婆さん。俺だ、ガストンだ」

「ガストン……?」

「俺たちは、裏切ったんじゃねえ。……俺たちは、戦ってるんだ」


 ガストンは、自分の汚れた手を見せた。


「この手で、鉄を組んでる。……将軍の言いなりになんかならねえ。俺たちが作ってるのは、誰にも壊せねえ、誰にも奪わせねえ、俺たちの橋だ。……それを信じてくれねえか」


 朴訥な、しかし魂の籠もった言葉。

 老婆は口をつぐみ、ガストンの顔をじっと見つめた。

 群衆の熱気が、急速に冷えていく。

 彼らは気づいたのだ。目の前にいるのは「敵」ではなく、同じ暮らしを営む隣人なのだと。


 その時。


 パン! パン!


 空気を切り裂く銃声が響いた。

 群衆が悲鳴を上げて散り散りになる。


「解散しろ! この暴徒どもめ!」


 現れたのは、帝国軍の憲兵隊だった。

 彼らは銃床で市民を殴りつけ、強制的に排除を始めた。


「待って! 乱暴はしないで! 彼らはもう引くわ!」


 私が止めに入ろうとすると、憲兵隊長が冷ややかに私を見下ろした。


「アルニム嬢。……甘い顔をするからつけ上がるのです。敵国の民になど、慈悲は無用」

「彼らは民間人よ!」

「潜在的なテロリストだ。……総督府からの命令により、本日をもって現場周辺1キロを『完全封鎖区域』とする。許可なき者の立ち入りは、即時射殺する」


 射殺。

 その言葉に、逃げ惑う市民たちの背中が凍りついたように見えた。

 彼らは蜘蛛の子を散らすように去っていった。

 残されたのは、散乱したプラカードと、地面に落ちた血の跡だけ。


 私は膝から崩れ落ちそうになった。

 守れなかった。

 言葉で繋がりかけた心も、軍靴の暴力が全て踏み躙ってしまった。


「……大丈夫か、エリザベート」


 クロードが私を支える。

 私は頷くことしかできなかった。

 額の傷がズキズキと痛む。でも、心の痛みの方が遥かに強かった。


 ***


 その日の夜。

 現場の雰囲気は最悪だった。


 昼間の騒動は、共和国側の作業員たちに深い影を落としていた。

 「俺たちは裏切り者なのか?」

 「家族が村八分にされているかもしれない」

 そんな不安が、疫病のように広がっている。


 食堂テントでの夕食も、今日はお通夜のように静かだった。

 「架け橋ドッグ」の味さえ、砂を噛んでいるようだ。


 私は事務所で、一人頭を抱えていた。

 どうすればいい?

 資金はある。技術もある。

 でも、「大義」が揺らいでいる。

 私たちが作っているのは、本当に希望なのか? それとも絶望への滑走路なのか?


 コンコン。

 ドアがノックされた。

 入ってきたのは、クロードだった。

 彼は私の前に立ち、一枚の紙を差し出した。


「……ガストンの班から、退職願いが出た」

「……えっ」


 私は紙を奪い取った。

 そこには、数名の作業員の名前が連ねられていた。

 理由は書かれていない。だが、理由は痛いほどわかる。

 耐えられなくなったのだ。同胞からの罵声と、家族への罪悪感に。


「……引き止めたのか?」

「いや。……無理だろ」


 クロードは苦渋の表情で首を振った。


「あいつらの気持ちはわかる。……俺だって、もし妹が生きていて『裏切り者』と罵られたら、心が折れるかもしれん」

「でも……!」


 彼らが抜けたら、現場は回らない。

 何より、一度ほころびた結束は、雪崩のように崩壊する。


「……私が話すわ」


 私は立ち上がった。

 引き止められるかはわからない。

 でも、ボスの責任として、彼らの目を見て話さなければならない。


 その時。

 廊下から、バタバタと複数の足音が近づいてくるのが聞こえた。

 一人の足音ではない。

 軍靴の、整然とした行進音だ。


「……なんだ?」


 クロードがドアの方を向く。

 嫌な予感がした。

 この足音は、現場の見回り兵のものではない。もっと殺気立った、獲物を狩りに来た者たちの足音。


 私の悪女としての勘が、最大級の警鐘を鳴らす。

 兵糧攻め、爆弾による暗殺未遂、そして市民との分断。

 敵の包囲網は完成した。

 だとしたら、次に来るのは――。


「……来るわよ、クロード」


 私は退職願いを握りしめ、震える声で告げた。


「総仕上げ(チェックメイト)が」


 次の瞬間、ドアノブがガチャリと回された。

 招かれざる客の到着だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。